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窮追




 同じ頃、ビバレーにある関所より北、森と国境の壁に囲まれた山奥。


「エンリオス公爵!待ちくたびれましたよ。まさか裏切ったのかと」

「そんなことあるはずがございません、オスカル第二王子。お待たせしてしまったことお詫び致します」


 関所でもない壁には穴が空き、ジャスナロク王国第二王子のオスカル率いる一行が帝国にまで入り込んでいた。



「ところで、皇后は?」

 金糸に縁取られた羽毛マントの中の服装は装飾も多く施されて身分に相応しい豪奢なものだった。しかし服に着られるオスカルは王子らしい気品もなく、きょろきょろと周囲を見渡す。

 荷馬車を引くような音も聞こえず、鳥の鳴き声だけがこだました。先に到着していると思っていたエンリオスの心の内に一抹の不安が宿る。

 まだ着いていなかったのか。やけに遅い…。


「…もう着く頃です」

「荷馬車も来ていないようだが」

 訝しむオスカルの意識をどうにか逸らそうと、エンリオスは別の話題を切り出す。


「…王子、新聞はご覧になりましたか。皇帝の威信など、もうあってないようなものです。国民も皇室に違和感を覚えております」

「見たぞ!ざまあみろだ。私より若くして王位に、しかも大陸を統べる帝国の王の座に就くなど百年早いわ!」

 日が暮れ掛け凍えてそうなエンリオスとは異なり、オスカルは身体中の血が歓喜に震え熱く滾っていた。


 年も変わらぬほどで同じ王子という立場。王位の座を狙うオスカルより先に王になったアロイスへの嫉妬だけではなく、もてはやされるアロイスの容姿も相まった偏見による嫉妬もあった。分かってはいたが、エンリオスにとって動機など何でも良かった。

 しかし、まだまだ子どもだな…。エンリオスは隠れてふっと笑う。



「帝国は今、混乱に揺れております。アロイス皇帝ではない、新たな皇帝を求めて」

「…新たな、皇帝…」

 ゴクリ、とオスカルは生唾を呑んだ。その時だった。





「それは叛逆の意と捉えてよろしいのでしょうか」




「っ誰だ!?」

 ゆっくりと歩み寄るその人物は、たった一人で剣も携えていなかった。

「私の顔をお忘れですか」

「……イアン・バジリオ」

 エンリオスは憎き仇を呼ぶような声で彼の名を呟いた。


「貴族派の若造か」

「…後をつけていたのか。趣味が悪い」

 エンリオスは背後で指を動かし、護衛として森の中に隠して連れている騎士に指示を出す。騎士はそれを見て足音を立てないよう動いた。


「公爵の趣味もよろしくないですよ。国境に関所以外の穴が空いていることにも驚きですが、まさかそのように王国の王子と密会を愉しまれているなんて」

 剣を抜いた騎士がイアンに飛び掛かる。エンリオスはにんまりと笑ったが、その剣は弾かれてしまった。


「っ!?」

 護衛は腹を蹴り上げられ、頭を膝で強打される。地面に組み伏せられ、剣を弾いた男が手早く護衛の足を折ると、叫びを上げるだけで動く気力も湧かない様子だった。

「貴様は…!!」


 イアンを守った男を、オスカルが憎しみのこもった目で凄む。姿勢良く立ち上がった男は、そんな視線を受けても動じることなくイアンの隣に立った。


「お久しぶりです。オスカル・ジャスナロク王子」

「くっ……。モーガン・ディートリヒ…!!!」

 歯を噛み締めたオスカルは両脇の剣を抜き、奇声を上げて走り出す。モーガンが数歩前に出たので、イアンは二人から離れてエンリオスに歩み寄った。

 キン、と剣のぶつかり合う音が響く。


「こんなところで何をなさっていたのですか」

「………………」

 皇后のいる馬車と子どもを連れた荷馬車がまだ来ない。寄り道などあり得ないが、道に迷ったにしても遅すぎる。


「不正に壁に穴が空いているなら、報告しなければなりませんよ」

「………………」


 それに私を警戒していたイアン・バジリオだけでなく、皇室騎士団の団長代理であるモーガン・ディートリヒまで出てきた。オスカル王子が剣の試合でぼろ負けし、毛嫌いしている相手。彼は今、外を歩き回るリチャード・ディートリヒの代務に手一杯でほとんど外に出ないと聞いていた。


「陛下に」


 形の良い唇が動き、エンリオスはハッとした。



 その皇室騎士団の要とも言える男がここにいる。ということは、他の皇室騎士団がここにいたとしても不思議ではない。

 いや、まさか…!


「貴様っ……!誰を連れてきた」

「そんなに怯えないでくださいよ」

「質問に答えろ!」

 イアンは下賤なものを見るかのような目でエンリオスを見つめる。エンリオスの拳はわなわなと震えた。


「わたくしですわ」

 エンリオスは声のする方を向いて、呆然とする。

 滑らかな肌も波打つブロンズの髪も意志の強い瞳も、全てが煌びやかで自然豊かな森には不釣り合いだった。

「陛下は今回の事件に大変心を痛めております」

 ステラはわざとらしく胸に手をやり、落ち込んだように肩を落とした。



 何故だ。

 身代わりとして捕らえられてもいいよう、インゴルフ・リャムナーにビバレーの関所で会うと嘘の言伝をしていた。今頃あいつが捕まって、事は済むはず。

 何故私のことがバレたのだ……!!!








♢♢♢




 時は少し遡る。

 皇宮、アロイスの執務室。


「公爵はどうなさいましょう。王子だけ押さえつけても逃げられてしまいますから、その場で捕らえても良いですが…、私はもっと面白い展開を期待しています」

 面白いシナリオが浮かんだとばかりに笑みを見せるマーカスに、アロイスは続きを促した。



「バジリオ子爵にその場を押さえさせるのです」


 イアン・バジリオ。

 貴族派とは思えぬ邪心のない好青年ぶりで、父であるバジリオ侯爵とは容姿も性格も似ても似つかない。


「それでは陛下の手柄にならないではないか」

 リチャードは眉を顰める。アロイスは黙っていた。続きを促しているのだと受け取り、マーカスは口を開く。


「彼は我々皇帝派にも交友的で、私は常々彼が貴族派筆頭であれば仕事が捗ると思っておりました。そして今回はその好機と言えるでしょう。

バジリオ子爵が公爵の悪事を暴き、捕らえたとなれば、世間的に見ても彼は英雄です。そして貴族派の筆頭がいなくなった時、次世代を担うのは彼だと周囲は思うでしょう」

「それでは貴族派が納得しないでしょう。自分たちの筆頭を追いやったような者です。しかも親皇帝派などと知られては尚更ですわ」


 ようやく内容を掴めてきたステラは相変わらず口元を隠したまま、視線だけをマーカスに向けた。



「いえ、陛下を差し置いて英雄となった彼は注目を浴びるので、貴族派は喜んで彼を持ち上げるはずです」

「…それでは皇室の立場が悪くなってしまいますが…」

 皇帝に近いと言われていた貴族派のイアンが帝国民の支持を得れば、必然的に皇室の支持は減少する。


「そこで皇女殿下に一役買っていただきたい」

 ピクリ、と扇子を持つ手が震えた。

「皇女殿下はバジリオ子爵と内密ながら逢瀬をしているという話を聞きました。

それを一度だけでいいのです。隠さず、周囲に見せびらかしていただきたい」

 それなら皇帝と繋がりがあると思われて、皇室の立場も悪くはならない。

 受け入れる価値はある…。そうステラが逡巡していると、ピシャリと言い放たれた。


「許可できません」

 ステラの背後から割って入ったのはニコラスだった。まるで荒れた狂犬の如く、マーカスに尖った目を向けていた。



「貴方の許可はいりません。公子はただの護衛でしょう」

 マーカスはそれをものともせず爽やかに受け流す。

「皇女殿下がその件で胸を痛めていたことはフォーゲル公爵もご存知でしょう。私は皇女殿下を案じて先に結論を申し出たまでです」

「決めるのは皇女殿下です。殿下、どうか帝国のため、ご決断を」


 マーカスとニコラス、そして他の者たちの視線も、ステラが独り占めしていた。ステラは姿勢良く座ったまま、伏せていた目だけをスッと前に向ける。

「…私とバジリオ子爵の仲が知れれば、貴族派は再び子爵若しくはその子が皇位継承権を持つことを夢見るから、都合が良い。

さらに皇室を代表して親しいわたくしが彼に頼んだことにすれば、皇室の株も上がるということですね?」

「さすがは聡明な皇女殿下でございます」

 思ってもないことを、と、ステラはくつりと笑った。



「フォーゲル公爵、私もその案には賛同しかねる」

「陛下、お構いなく。帝国の皇女として、わたくしもその程度の役目なら負ってみせますわ」

 散々嫌がっているという話を聞いていたアロイスにとって、ステラの返答は意外なものだった。

「…無理はしなくていい」

 それは塔の中の自分に力を貸してくれた救世主に対して、名目だけは兄としての気遣いだったが、ステラはぶれなかった。

「させてください。近頃皇后陛下もご多忙なようでお会いできていないのです。けれど帝国のために尽くしてくださっているというお話は度々耳にします」


 シャルロットも頑張っている。

 わたくしも嫌々といつまでも駄々をこねてはいられないわ。


「それに…、彼には公爵の監視をお願いしています。

もしかしたら今頃、公爵の馬車を追っているかもしれませんよ」

 





♢♢♢



 その予想の通り、エンリオスを追っていた騎士とイアンたちは合流し、すぐさまその場を押さえることができたのだった。

 そしてステラはニコラスの馬に共に乗り、皇宮から全速力でやって来た。北風に打たれて肌は凍え足腰が震えていて立っているのもやっとだったが、長年の皇女としての振る舞いから我慢するのは難しくなかった。


「わたくしは陛下の命でここに参りました。

陛下はエンリオス公爵の重い罪を暴かれ、公の下で裁きを受けることを命じられました」


 ステラは臆することなくただ一人、エンリオスを見据える。

「…貴方の陰謀もここまでですわ。エンリオス公爵」

 紅を塗られた唇が弧を描くと、対象的にエンリオスの口が歪んだ。


 

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