少年の決意
『僕、強くなるから!今度は僕がシャルロットを守るから…!』
今度こそ、守れなかったママの分も。
『期待しているわ』
シャルロットのその微笑みは、まるでママのようで。
『期待してるわ』
その言葉を思い出して、姿が重なって、さらに涙が止まらなかった。
守れる男になりたい。
いや、守れる男になる。
僕はそう決めたんだ。
「…お前…っ!」
血眼になったナッシュは再び剣を取る。
「まだ剣を持てるのか。相当な石頭だな」
モーリッツの片眉がぴくりと動く。ほほう、と興味深そうに笑った。
「この野郎っ!」
「おい、待てっ…!」
止めようと手を伸ばしたトーマだったが、頭を鈍器で殴られたような痛みが走り、その場に膝を付いた。
ナッシュが向けた刃を交わしたモーリッツは、それからも馬車を降りて蝶のようにひらりひらりと交わしていく。
「お前の実力はその程度か?」
「くっそ!」
振り下ろされた剣を背後に飛んで交わしたモーリッツだったが、トンと背中に木がぶつかった。
「今だ!」
ナッシュは渾身の一撃を突いた。しかしモーリッツは右に避けてしまう。
「っあ!」
ナッシュの剣は木に突き刺さり、外そうとしているうちに脇腹に蹴りを入れられた。
「っく……っ」
吹き飛んだナッシュが地面に転がる。
「小回りのきく猿だな」
忍び寄る足音は、悪魔の足音に聞こえた。ナッシュは言うことを聞かない体でどうにか反骨精神だけは屈することなく、キッと睨み上げた。
「邪魔だ」
モーリッツが腰にしまっていた剣を抜いた。既に血が付着していたがナッシュは怯えることなく、大人しくモーリッツを窺っていた。
「死ね、ガキが」
モーリッツが剣を振り上げる。ナッシュは目を逸らすことなく、その背後を見つめていた。
刹那キン、と剣同士がぶつかり合う。
ナッシュを守るように前に現れた人物の剣だった。
「彼は皇后陛下のご友人です。手を出すことは許しません」
マルティンは両手で鞘を握り、剣を弾き返す。目を剥いたモーリッツはふらついて一歩二歩と下がった。
「っお前は…!
っ………!」
周囲を見れば、背後にエリックと、その他にも皇室騎士団の騎士たちに四方を囲まれていた。
予想よりもはるかに早い。皇后陛下を乗せた馬車は暴走し、森で迂回する通常ルートではなく街を突っ切ってきた。いくら馬でも森を通ってこんなに早くたどり着けるはずがない…。
「…モーリッツ卿、残念だよ。信頼していたのだが」
燃えるような赤い髪をしたリチャードが前に躍り出る。その口元にはうっすら笑みが浮かんで見えて、モーリッツの顔が強張った。
「ディートリヒ団長…、これはどういうことですか」
「その言葉、そっくりそのまま返そう。
誘拐された孤児を痛ぶるとは、そなたも共犯だったのだな」
「まさか。この者たちが皇后陛下に危害を加えようとしていたので、守ろうとしたのです」
「嘘だ!」
ナッシュは意地を張った子どものような顔で、馬車を指差す。
「シャルロットにやましい事しようとしてた!」
「…………は?」
リチャードは唖然としていたが、周囲も同じ顔ををしていることに気付きコホンと咳払いをした。何かを言おうとする前に、別の人物の声が被さる。
「それは到底許されることではないな」
低くよく通る声に皆の意識が向く。騎士たちは流れるように素早く道を開けた。
その中央を颯爽とやって来るのは、長年表舞台に立つことがなかったというのに洗練された高貴さが漂う凛々しい男だった。
「シャルロットは私の妻だ」
「………」
堂々とした佇まい。翡翠の瞳はモーリッツを蔑視していた。この状況も相まって、普段は感情を抑えているモーリッツも拳を固く握りしめていた。
アロイスの腕には意識がなくぐったりとしたシャルロットが抱きかかれられている。寄り掛かるシャルロットの体は氷のように冷たく、髪は乱れ、ドレスに血が付着していていたが、それでもなおまるで妖精のようだと騎士たちは見惚れた。
妖精の髪にアロイスは頬を寄せる。シャルロットがアロイスのものだと見せつける行為に、モーリッツは不快だと言わんばかりに目尻を吊り上げた。
「二度と手を出すな」
怯むことなくアロイスは眼光鋭くモーリッツを睨み返す。
前世にシャルロットと私を追い詰め殺しておきながら、今世でシャルロットに手を出そうとするとは…。
やはり、前世でこの男がシャルロットに度々接近していたのも…………。
「…チッ」
舌打ちをしたモーリッツは背後まで迫っていた騎士に蹴りを打ち込む。もう一人の剣を左に避けると、アロイスたちとは反対方向に走り出した。
「待て!」
大勢の騎士に囲まれた不利な状況で、まともに戦って勝てるわけがない。そう分かっていたモーリッツは馬に乗った一人の騎士を引き摺り下ろすと、その馬を乗っ取り見事な操縦で森の深く奥へ逃げていった。
「追え。その場で殺して構わん」
「かしこまりました」
アロイスの言葉を受けリチャードは騎士たちに手早く指示を出し、一部を残して騎馬隊がモーリッツを追いかけた。
モーリッツの予想よりも早く騎士団がシャルロットの元へ辿り着けたのは、リチャードの作戦の功労だった。
『私に考えがあります』
モーリッツの希望を通し皇宮勤務にさせたことで、警戒心の強いモーリッツの気を多少は緩ませることに成功した。
さらにモーリッツの事情は部下に説明せず、モーリッツに関わる上司や先輩には抜けたところのある情に流されやすい単純な者ばかりを当て、騎士団自体に対して油断させた。
あとは諜報の得意な者に探らせ、モーリッツの行動を監視した。監視が長引けば見つかる危険性も高まっただろうが、モーリッツはすぐに動いた。
子どものいる荷馬車を追いかけていた部隊モーリッツを追尾していた部隊が合流し、結果的に大規模な奇襲を掛けられたのは偶然の賜物だったが。
「団長、馬車の付近で男3名の死亡を確認いたしました。剣による刺殺です」
返事をしたリチャードはアロイスの元へやって来る。
「エンリオス公爵の息の掛かった手駒だから、処分されたのかもしれないな」
「貴族派とも繋がっていたとは思いませんでしたよ」
ひとまず危機は乗り切った。ふうと重い息を吐き出してアロイスはシャルロットを見つめる。
こんなに冷えて…、すぐに温めなければ…。
「っシャルロット!」
「シャルロット!!」
バタバタと乱れた足音が駆けてくる。血の流れる頭に包帯を巻いたトーマと、傷だらけのナッシュだった。
シャルロットを抱くアロイスの指先がピクリと動く。
シャルロットを呼び捨てにするガキがまた一人増えた……。
「そばにあった二台の荷馬車から子ども23名を確認致しました。彼らを合わせて25名です」
「…他の者たちも見ていたのか?」
「皆目隠しをされ腕を固く縛り上げられ気絶してましたので、目撃者は彼らだけです」
囁いたリチャードは小さな二人を見やる。彼らの手首は内出血で紫色に変わり、血が滲んで腫れ上がっている。
その傷跡は、アロイスにはシャルロットを守るための勲章のように見えた。
「………」
アロイスはその場に屈んでシャルロットの顔を二人に見えるようにした。
「シャルロット…!」
ナッシュはシャルロットに掴みかかるように顔を覗く。
「シャルロットは大丈夫なのですか!?」
トーマに必死の血相で尋ねられ、アロイスは頷いた。
トーマとは初対面だったが、エリックとマルティンより孤児院訪問時の報告はもちろん、モーリッツに指輪盗難の容疑を掛けられた時にトーマが助けたことも報告を受けていた。
浅黒い肌は帝国には珍しいからすぐに分かった。
「良かった…」
「良くない…。何だよあいつ。それに、お前も誰だよ。シャルロットを呼び捨てにしていいのは僕だけだ」
いきなり喧嘩腰のナッシュに、トーマは呆れた目を向ける。
「…今頭痛いからそういうの後にしてくれる。
それに、シャルロットはお前だけのじゃない」
「いーや!シャルロットは僕が守ったんだ!それに、僕はシャルロットにプロポ───」
「シャルロットは俺の妻だ。気安く呼ぶな」
ナッシュの言葉を遮ると、アロイスは立ち上がる。シャルロットの顔が良く見えなくなり、二人は「ああっ…」「シャルロット…」と肩を落とした。
「お前たちが何を見たのか、事情を聞かなければならないが…もう夜も遅い。勇気ある英雄たち、今夜はもう休め」
リチャードはそう言って大きな口を開けて笑う。二人に毛布を被せて抱きしめてから、頭をクシャっと撫でる。ナッシュは歯を見せて笑い、トーマも照れたようにはにかんだ。