緊急作戦会議
帝都の北部にある貴族派家門の伯爵家別邸には、貴族派を代表する高貴な者たちが集っていた。
「順風満帆ですな」
「宝石は通常の五倍の価格で売れているそうですぞ」
「さすがはエンリオス公爵。
帝国の心臓ともいえる宝石の供給を止めてしまわれるとは」
皆の視線は最奥で静かに座っているエンリオスに向く。貴族派が集っているとはいえ、何か皇室を失脚させる名案を出し合うわけでもない。ただエンリオスの案に賛同し、自身もその船に乗って皇室の危機を眺める。
絶賛するだけで、ようはエンリオスへのご機嫌取りだった。それがエンリオスを優越感に浸らせ、心地良いと思っていた時もあった。
「帝国民の不信感は募り、皇室には批判や対応を求める声が上がっている。皇后が孤児院を視察するのも帝国民の信頼を得るご機嫌取りだと揶揄する者も出てきた」
帝国の頂点をそう揶揄すれば、周囲の者まで次々と便乗した。
「酒場に人を紛れ込ませ、皇室の不出来を吹聴した効果もあるでしょうが…大陸を支配する帝国の国母があのような小娘では、時間の問題だったでしょう」
「その帝国の主もまだ青臭い餓鬼ではないか」
男たちは下品な笑い声を上げる。シャルロットとアロイスを侮辱しては、それが愉快で仕方なかった。
その中で唯一笑っていなかったイアンは膝の上でこっそり手を握りしめる。
先代バジリオ侯爵を追いやり、皇帝から爵位を賜った若き子爵。
貴族派の一員であった侯爵を正当な理由で追いやったことで、貴族派はイアンを恐れ、一時は遠ざけた。それによりイアンは立場こそ下がったものの、時折ステラと情報交換のために逢瀬を重ねている噂が出回り、貴族派たちはやはりイアンを皇室に引き入れ皇帝を喰らうべきだと彼の機嫌を窺うようになっていた。
「たかが小国の出自ではなあ」
「陛下もまともな教育を受けていない」
「その点でも、ステラ皇女とバジリオ子爵は申し分ない」
イアンは話題を振られて笑みを作る。エンリオスは怪しむような目を向けていた。
私に尻尾を振り、口真似をする鳥のように皇帝と皇后をくさす。かと思いきや、次期皇帝の可能性が出て来たイアン・バジリオに媚びへつらう。
所詮奴らは私に乗っかって、甘い蜜が吸いたいだけなのだろう。
今となっては、自分は周囲の人間に恵まれていないと思う。皇室の基盤が揺れている様を嘲笑うだけしか脳がない、使えない奴ら。
皇帝派には、代々切れ者の宰相を生み出すフォーゲル公爵家も、帝国一を誇る規模と強さで皇室の騎士団にまで任命されたディートリヒ公爵家もある。
対してこちらには、一代で立業したものの息子に後継の座を与えたくなくていつまでもその座にしがみついている老害と、歴史こそあるもののそれに驕って金で全てを解決しようとする傲慢な者など、使えぬ駒ばかり。
しかし…使える駒も、中にはいた。
「公爵様、伝言がございます」
扉の護衛たちごしに声を掛けてきたのは、ウィリス男爵家の侍従だった。
「何だ」
男は恐れ多そうにエンリオスに近づくと、手で口元を覆うようにして彼の耳に囁く。
「例の件、成功したとのこのです」
窪んだ目が唐突にギョロリと現れた。
皆一様にビクッとして、エンリオスの様子を窺う。
そうか…。ようやく成功したのか…!
そう言いたくなったが、心の中に留めた。先代バジリオ侯爵を追いやってまで皇帝から直接爵位を授かったイアン・バジリオは信用できない。
以前はバジリオ侯爵に従順な操り人形だったはずだが、いつしかその目は私までをも探るようにじっと見ていた。
足元が掬われないよう、用心するに越したことはない。
「私はこれで失礼」
エンリオスが席を立つと、彼より高齢の老男たちまでもが立ち上がり、黙々と頭を下げる。その姿が見えなくなると、肩から力が抜けてふらふらと席に着いた。
「公爵…今日は出られるのが早いな」
「嗅ぎ付けられては困るからだろう」
「…私もこれで失礼させていただきます」
イアンは行儀良く腰を上げて挨拶をする貴族派たちに応えながらその場を離れた。
エンリオス公爵がいないのなら意味はない。
以前皇后陛下と皇女殿下が温室で刺客に狙われた背景には、エンリオス公爵がいるのではないかと思っていた。ステラ皇女殿下も同様の考えだったようで、エンリオス公爵を怪しみ、私に気付かれないよう監視してほしいと頼んできた。
「どちらへ向かわれますか」
「エンリオス公爵が出ただろう。その後を追ってほしい。
ただし気付かれないよう距離を空けて、車輪の通った後を道標に進んでくれ」
「分かりました」
馬が歩くように走り出し、帝都の西部方面へと馬車が動き出す。
西部地域は、今なにかと問題が起こっている区域で、ろう城が起きているガルパット鉱山もある。何も起こらないといいのだが…。
今にも雨が降り出しそうな灰色の空を見上げ、イアンの心には不安が過った。
同時刻。皇宮アロイスの執務室。
「インゴルフ・リャムナーを捕縛するよりも、今夜までに子どもを保護することを優先とする」
特別班として集められたのは、皇室騎士団の団長リチャードと、宰相のマーカス、皇室の一員であるステラと、その護衛のニコラス、そして信頼を置ける一部の騎士たちだった。
「報告します」
扉が開かれ、一人の騎士がアロイスに丁寧な挨拶をする。
「地下の酒場を制圧しました。荷馬車の在処は聞き出せたのですが、既に出発した後のようで、現在部隊が馬で追っております」
さらにもう一人やって来て、騎士の隣に並んだ。
「失礼致します。
公爵様が馬車で西部方面に出られました」
…公爵が…?
「双方とも引き続き警戒を怠るな。指示を出すまで動かぬように」
「はい」
「畏まりました」
考え込んでいたアロイスだったが、宰相のマーカスが先に動いた。
「子どもたちを帝国の西部に運んでいたという話ですが…、ガルパット鉱山をさらに西に進み険しい森を抜けると、ビバレーという街があります。そこをさらに進めば、ジャスナロク王国との国境です」
長年塔に閉じ込められていたアロイスの前に地図が差し出される。確認のためだったが、マーカスは伝えておかなければならないと思っていた。
「近頃、申告のないエンリオス公爵と王国の取引が頻発しているという報告があったことを、覚えていらっしゃいますか」
エンリオス公爵邸に忍び込ませた内通者より伝わり発覚した密輸入。
それが、何を意味するかを。
「……子どものいる荷馬車を国境まで運ばせるのがインゴルフ・リャムナーの仕事だとすると、そこから王国に売り飛ばすのがエンリオス公爵の仕事、ということか…」
「断片的な事実から推測されるものではありますが…」
この場に大臣たちを集めなくて良かったと、アロイスは改めて思っていた。大臣たちの中には貴族派もいる。その筆頭であるエンリオス公爵が関係してくれば、貴族派大臣は話し合いを長引かせて時間稼ぎでも始めたに違いない。
「…話が読めないんだけど、何故わたくしが呼ばれたのかしら」
「情報を共有しておいた方が良いと思ったのだ」
そんな気更々ないでしょ…!初めから説明しなさいよ!何の話し合いなのよこれ…!
そう心の中で怒鳴りながら、ステラは怒りでヒクヒクと震える唇を扇の内に隠した。
「公爵が西部に向かっているということは、その取引には公爵が直々に出向くのか?」
「はい。王国側からも第二王子オスカル殿下が応じられているようです」
「第二王子といえば、陛下をよく思わない人物でしたな」
リチャードは嫌味もなく、屈託のない笑みをした。
「そんな私情で公爵との取引に応じているのか?人身売買は王国でも重罪のはずだ」
「王族の場合でも、生涯禁錮のはずです」
マーカスの言葉にリチャードは大口を開けてケラケラと笑った。
「何を言うのか…。あそこの王族は身内の罪を揉み消すから今まででその罪を負うことになった王族はいない。
加えて第二王子は過激派で、感情的になりやすい」
「面識があるのか?」
「かつて息子のモーガンが交換留学で半年ほど王国に行っていた時、第二王子殿下が同学の学生でした。
剣の授業でモーガンに負けたことを根に持ち、私の前でも構わずモーガンを睨んでいらしたので、笑ってしまいましたが」
「その程度のこと…」
関心のないマーカスは続けて「未熟な子どもが」と頭を振った。
「……ディートリヒ公爵、公子は騎士団の業務中か?」
「そうですが」
アロイスの口角がスッと上がる。
「今夜、公子を借りれるか」
「何をなさるおつもりですか」
「第二王子にとっては因縁の相手だ。再会したら派手な騒ぎを起こしてくれるだろう」
アロイスは抑えきれず、ニヤリと笑っていた。マーカスは「それは良案ですね」と納得したが、リチャードだけは頭を傾げていた。
「公爵はどうなさいましょう。王子だけ押さえつけても逃げられてしまいますから、その場で捕らえても良いですが…、私はもっと面白い展開を期待しています」
暗黒のベールが渦巻いているかのように、笑みを浮かべるマーカスはそれだけ不気味だった。リチャードが引き気味になる中、アロイスは両手を組んで顎を乗せる。
「言ってみろ」
マーカスは愉快だとさらに口が緩んだ。
その作戦を聞いて皆が同調していたところで、部屋の静けさを破る声が廊下から響いた。
「陛下!急ぎご報告したいことが!!」
それは労働省大臣ウィリスの監視に付けていた騎士だった。アロイスが許可すると、騎士は挨拶さえ惜しいように手短に済ませてやってくる。
そして周囲が混乱しないよう、努めて声を潜めて言った。
「ウィリス男爵が変装してごろつきを雇っていたため、その者も追跡しておりましたが、一時撒かれてしまいました。
見つけたときには、皇后陛下の馬車の御者と入れ替わっていたようで────」
そこまで聞いて、アロイスは椅子を投げ出して立ち上がっていた。手の中にじわりと汗が滲む。
血溜まりの広がる最悪の結末が頭に浮かんだ。
「シャルロットが…」
ステラも扇子を持つ手が膝に落ちる。マーカスとリチャードも、さすがの事態に茫然とした。
「…現在、帝国の西部に向かっております」
ステラは吐息混じりに呟く。
「このままではジャスナロク王国に……」
────連れ去られる。
「…エンリオス……」
アロイスは我も忘れて手元の報告書を握り締めた。
帝国の経済に大打撃を与え振り回し、帝国民の心を惑わせ、皇室への不信感を煽り、他国に付け狙う隙を作っただけでは飽き足らず、シャルロットまで奪うとは……!!
「…陛下、落ち着いてください。関所の検問に引っ掛かるはずでしょう。
君主である貴方様が正常な判断を下せなくなれば、騎士たちも乱れます」
アロイスは憤慨を深呼吸で落ち着かせようとする。しかし血が昇った頭に愛おしいシャルロットの姿が浮かび、さらに気が昂った。
「関所で止まらず飛ばし続けたら?
シャルロットを巧みに隠して関所を突破したら?」
リチャードは何が面白いのかふふんと笑って「その通りですな」とマーカスを見やる。
「こちらから先制して仕掛ければ、王国の思う壺です」
「しかし皇后が奪われたとなれば、帝国の警備が手薄だと他国の油断を買い、帝国民のさらなる不安も誘うだろう」
マーカスの言葉に反論したリチャードは得意げにアロイスを振り返った。
「決めるのは陛下です」
関所を封鎖すれば、シャルロットを王国にまで奪われることはなく、取り戻すことができるだろう。だが警戒したエンリオス公爵には逃げられ、現行の罪で捕らえることができない。荷馬車も子供を連れたまま雲隠れされるのがオチだ。
逆にこのまま封鎖をしなければ、エンリオス公爵と第二王子の繋がりを暴くことができ、その場を押さえれば決定的な証拠にもなる。しかし…、シャルロットが王国へ奪われてしまう。
「…────────」
その決断が吉と出るか凶と出るか、それはまだ誰にも分からなかった。