取引
「うちの若いのをどうやって説得したのか知りませんが」
ティボーはそう前置きをして連れてきた門番の二人に目線を向ける。二人はそそくさと部屋を後にした。ティボーはため息を吐く。
「話すことなどございません。どうぞお引き取りください」
アロイスの視線を受けても、ティボーは一瞬しか怯まなかった。しかしその一瞬を、アロイスは見逃さなかった。
「…取引を持ちかけに来た。
貴方がたの幼児誘拐関与の罪を見逃そう。インゴルフ・リャムナーが何か言う前に彼の口も塞ぐ。
代わりに、宝石の採掘を再開させたい」
全部、知ってるのか…。
ティボーは肝を冷やした。
坑道の内部には採掘職人らが休んだり訪問客を一時的に置く応接間のような場所がある。しかし木造の壁には鉱山の岩壁が飛び出して荒々しく、埃が積もり窓もない。照明が付いていても仄かに薄暗く、闇金の取引でもされていそうな物騒な匂いさえする。
そんな部屋に、帝国の一、ニ番目に輝かしい存在は不釣り合いだと、ティボーは思った。
皇帝と皇后だというのに、傷のついた中身の見えるソファにも粛々と腰掛けていた。ならば…と、二人の向かいに訊ねもせずに深々と腰掛ける。両陛下を前に無礼だと分かっていて、あえて行ったものだったが、二人は顔を顰めたりはしなかった。
…貴族なら、俺がこうすると嫌そうな顔をするか、罵声を浴びせてくるものだが…。
「…それでもあいつが証言したら?」
「いくらでも覆す証言を用意しよう」
「はっ。あんたみたいな男が皇帝とはな。
帝国を己の好きなように操れて、さぞ楽しいだろうな」
口調を崩して、わざと挑発する。しかしアロイスは応じないどころか、ほおと言いたげに口角が上がる。
対して、シャルロットの顔色はやや曇った。
…そんな呑気にやっていけるものではない。
アロイス様は昼夜問わず働き詰めで、その上わたくしを気にして休憩のティータイムと偽って会う時間を作ってくださっている。そのせいで、アロイス様は朝になっても寝室に来ない日もあった。
シャルロットは込み上げる怒りをグッと堪えて座っていた。
「ああ。だから困るのだ。
宝石は帝国の重要な特産品だからな」
アロイスは気にも留めずに笑って一蹴する。
アロイス様は言われ慣れているのかもしれない。前世でも大臣たちはアロイス様に散々な事を言っていたから。
でも…、アロイス様の苦労も知らないで、好き勝手言われるのは我慢ならない……。
「…断る、と言ったら?」
「インゴルフ・リャムナー共々、誘拐及び鉱山占拠の罪に問う」
鉱山占拠が長続きした事で国民の不安も膨れ上がっている。採掘職人らを業務怠慢と妨害の罪に問うことはできても、人が足りてないのに労働させていたことが露呈すると国民からは採掘職人らに同情し、皇室に批判が向かう。例え事前に雇用追加金を払っていた事実があっても、少ない人数で働かせていたことは真実だからだ。そこに新皇帝即位反対派が加わり、さらに大きな反発があることは目に見えている。
だから穏便に解決したかったけれど、そこに幼児誘拐の罪も関与していたとなれば、同情の余地はない。儲かった金で豪遊していたなら尚更だ。
「取引じゃなく、脅しじゃないか」
引き攣り笑いを浮かべながら、ティボーは浅黒い顔に汗を滲ませていた。
「応じるか応じないかの選択はそちらにある。
それに、先に横領をして問題を広め、被害者面をしたのはそちらだろう」
「よく言うぜ」
深々と息を吐きながら、ガシガシと乱暴に頭を掻く。しかし次にティボーがアロイスを見上げた時、既に覚悟を決めた顔付きだった。
「分かった。リャムナーなんかより帝国の支配者の方がよっぽど恐ろしいからな。採掘は再開させる」
その言葉でシャルロットの顔が幾分か緩む。
「…ただし条件がある」
「何だ」
ティボーの顔が統制者のそれと重なる。
「…他の者たちには手を出すなよ」
親分肌なのね…。高圧的な態度だったが、その裏にある面倒見の良さにシャルロットもアロイスも好印象を持った。
「応じてくれたならば、我々は手出しをしない」
「そうか…。頼みましたよ、皇帝陛下」
それまでの口調を正し、目上に向かってのものになる。二人の顔は満足げで、シャルロットは口を挟むのを躊躇った。
「あの………差し支えなければ、幼児誘拐の件についてお伺いしても?」
しかし見逃すわけにもいかない。ティボーは気の抜けたように「ああ…」とこぼす。
「それも話さなければならないですね。今夜は満月ですから」
「…満月が、何か…?」
ティボーはうっすらと目を細める。
「子どもは何日かに分けて荷馬車に集められるそうですが、私たちが役目を追っていた子どものいる荷馬車を運ぶ日は、いつも決まって満月の夜なんです」
「では、今夜子どもの誘拐が…!?」
「西部からさらに郊外に向かう関所に置いてくるよう、指示されていました」
こうしてはいられないわ…!
その場で立ち上がったシャルロットの腕を、力強い手が掴む。振り返ると、アロイスが緩く首を振った。
「どこへ行くつもりだ」
「っ…見過ごすことはできません」
「そなたが動かなくても良いだろう」
「ですが…っ、早く動かなければ…!」
シャルロットの駆け出したい思いを惑わせるほど、アロイスは頑なな目を向けてくる。
「またそなたを危険な場に送り出せというのか。
先の自然災害の件…私は忘れていないぞ」
アロイスに厳しい目を向けられ、シャルロットはたじろいだ。いつもの蕩けるような甘い眼差しではない。
『すぐに戻りますわ!』
そう言って、シャルロットはしばらく戻らなかった。
「夫婦喧嘩なら他所でしてくれませんか。
俺はこれからあいつらに陛下の条件を呑むことを伝えに行かなければならないので」
ティボーの言葉がなければ、二人は恐らく熱くなっていたことだろう。
先に席を立ったのはアロイスだった。深々と溜息を吐いて、そのまま一人で行ってしまうのかと思いきや、シャルロットの目前に青白い大きな手が差し出される。
シャルロットは窺うようにアロイスを盗み見た。
「…日暮れまでは時間がない」
その言葉には半ば諦めが混じっていた。
帰路に着く馬車の中で、シャルロットは気まずさを覚えてアロイスとは反対側の窓を見つめていた。
「先ほどは、すまなかった」
それを怒っていると解釈したのか、アロイスは早々に平謝りしてきた。
「そなたを…責めるような言い方をした」
「いえ…」
シャルロットが向き直ると、アロイスは叱られた子供のようにしゅんとしていた。…可愛い…。
「あの日…、そなたは私の制止を振り切り、森にまで入り込んで、泥だらけで擦り傷も作り、何日も寝込んで……」
アロイスは熱くなった目頭を抑え、瞼をきつく閉ざす。それ以上を言えば、堪えていたものが溢れてしまいそうだった。
「………アロイス様……」
「すまない。ただ……怖かったのだ」
俯いた拍子にアロイスの漆黒の髪がはらりと垂れる。そのせいで、シャルロットには表情はよく見えなかった。
前世では助けられなかった小さな命を、今度こそ助けたい。
でもきっとこれは、偽善に過ぎない。
助けて、満足して、ただ…アロイス様と共に生きる者として、皇后として、相応しいと思われたいだけなのかもしれない。
「わたくしのほうこそ、謝らなければなりませんわ。
アロイス様を不安にさせてしまい…」
『シャルロット皇妃殿下。ビアンカ様の下命により、ここで死んでもらう!』
忘れたわけではなかった。
わたくしは…わたくしたちは、迫る死の恐怖を知っている。
それなのに、わたくしはアロイス様に酷なことをしてしまった。
「申し訳ございません。わたくしが軽率でした」
アロイスは熱い眼差しでシャルロットを見つめて、無言で首を振った。縋るように指が手を這う。その冷たい手に応えたくて、固く指を絡めた。