先手を打つ
『あの男のことだ。口実を作り、偶然を装い、あの手この手でそなたに接触してくるだろう。
そなたはそれでも…耐えられるか?』
その言葉は、シャルロットを心配する気持ちから出てきたものだった。
だが本当に耐えられないのは、私の方だった。
狙った獲物は逃がさないとでも言うかのような蛇眼で見つめ、無配慮なまでにシャルロットと距離を詰める。
滑らかですらりとした指に唇が触れそうになっているところを見た時は、溶岩でも湧いて出たかの如く頭がカッとなっていた。
「そういえば…アロイス様にお会いしようと思ったのは、別の理由があったからです」
「別の理由?」
「労働省大臣のウィリス男爵とエンリオス公爵には、裏で何か繋がりがあるようでした」
「ウィリス男爵か…」
貴族派でも皇帝派でもない、中立の立場だった男爵は、労働に基準の法律を制定した先代男爵に引けを取らないよう、大臣の務めを全うしようとしているようだと報告を受けていた。忠誠心のある者だと思っていたが…。貴族派に寝返ったか。
アロイスはショックなどは受けていなかった。ただ淡々と、その事実を受け入れようとしていた。
シャルロットは先ほど見聞きした出来事を事細やかに伝えた。
「エンリオス公爵が言っていた“あのこと”というのが気になるな」
「何か覚えはありませんか?」
「いいや…。宝石の採掘が滞っているだけでも大事なのだがな…。それ以上の事なのであれば早急に把握しておかなければならない」
外交問題に関わる案件なだけに、無視はできない。
「それから…、公爵は何かを実行するよう男爵に伝えておりました」
「ウィリス男爵が何か動きを見せるということか。
ちょうど良い。二人をマークする」
「尻尾を見せるでしょうか?」
「男爵の方は簡単だろう。そこから何か手がかりが掴めれば良いが」
シャルロットは短く息を吐いて視線を落とす。その頭にそっと手を乗せた。滑らかな髪を撫でていると、陰りを落とした瞳が子犬のようにこちらを見上げてきた。
……可愛いすぎる……。
「…そなただけは何があっても守る」
それだけは心の中にある。
再会するまで、塔の中でずっと後悔してきた。シャルロットを守れなかったこと。ちゃんと愛を見せなかったこと。
手を頬に滑らせる。シャルロットは「冷たい手…」と呟き、アロイスの手を握った。
静かに瞼を下ろし、猫のように擦り寄る。長いまつ毛が震え、憂いを帯びていた。
「失礼致します、皇帝陛下。
ただいま少々お時間よろしいでしょうか」
マーカスの声にピクリと華奢な肩が跳ねる。寄り添っていたシャルロットはあっさりと離れてしまった。
「………入れ」
ワントーン下がった声でマーカスは察した。想像通り皇后であるシャルロットがいたことで、自分が二人の時間を邪魔したのだとは気付いたが、罪悪感に苛まれたりなどはしなかった。
「お二人の貴重なお時間の中、申し訳ございません。
例の件で調査が済みましたのでご報告に参りました」
帝国を揺るがす件ということもあり、アロイスも聞く耳を持つ。
「はい。まず副業ですが…こちらは、人身売買の関与でした」
マーカスの双眸がアロイスからシャルロットに向けられる。皇后であるシャルロットが孤児院を気に掛けることで、帝都では以前のように目に見えて孤児を蔑ろに扱うことはなくなった。
誘拐の報告件数は増加しているものの、寧ろ今までは先代皇后陛下が孤児院の被害を見て見ぬふりをしていたため、孤児院側も国を頼りにすることはなく、報告はほとんど上がっていなかった。そのため誘拐の被害相談件数は増加しているものの、それは孤児院の意見がこちらにも通るようになった、孤児院が頼れる環境になったということを示している。
「鉱山のある西部地域で多発しており、主に幼い子どもが被害に遭っています。出生は様々で、貴族の子も孤児院の子もおりました」
お昼のお茶会でフォーゲル公爵夫人がおっしゃっていた話だわ…。
「既に西部では大きな問題になっております。
ですが、採掘職人らは荷馬車を運ぶ役目だったようで、中を見るなと指示されていて、運んでいるのが誘拐した子どもだということは知らなかったそうです。
一部の鉱山職人が始めると、儲かる副業なので瞬く間に伝播し、気づいた時には誘拐の片棒を担いでいた…ということです。
副業をせずに鉱山ろう城を拒んで退職した採掘職人から証言を得ました」
「…厄介だな」
アロイスがぽつり呟いた言葉により、シャルロットの視線が床に落ちる。
真に悪の犯罪者なら、さらなる証言を集め反省と更生を理由に牢獄に入れ、無人の鉱山は解放されていた。
けれど悪意のない、犯罪だと気付いていなかった場合。人身売買の片棒を担がされたと後になって知った今回は、投獄自体は容易いものの、その責任が問題になりやすい。
「また、インゴルフ・リャムナーについてですが…、彼は何度か貴族派の集会に忍んで足を運んでおりました。繋がりがあると言えるかと思われます」
「裏には貴族派か。これで全て繋がったな」
貴族派の目的は皇帝、及び皇室不信によるわたくしたちの失脚。
「他国との輸出で大半を占めている宝石の供給が止まれば、外交問題として皇帝の威信に関わる。不信を募らせた国民を統制できなくなり、諸外国からの信用も失う」
やはり───。
貴族派は前世の時と何にも変わってはいない。
虎視眈々とわたくしたちを狙い、引き摺り下ろす算段をつけている。
「先手を打つぞ」
気が塞ぎ込んでしまいそうだったシャルロットの意識が、その言葉により戻される。
アロイスは決して下を向かず、ひたすらに前を見据えていた。
「敵の考える三ヶ月を待っていたら、経済は止まる。国民にもしこりができてしまう。
二ヶ月経っていない今のうちになんとしてでも採掘を再開させる」
「…しかし、どのように…」
シャルロットの不安は、眉尻を垂らした表情と震える声から、ひしひしとアロイスに伝わっていた。
「採掘職人らが脅されている原因は分かったのだ。
それを逆手に取り、こちらがさらに脅しを掛ける」
大きな手がシャルロットの艶々とした髪を撫でる。アロイスは安心させるようにシャルロットに微笑み掛けた。
数日後。麗かな日差しが鉱山に降り注ぎ、宝石となる鉱物の輝きが周囲を彩る。
アロイスとシャルロットは再び坑道の門前に立った。
前回のようにトランプゲームをやっているわけではないものの、唯一鉱山に入れる道だけあり、採掘職人らが二人、警備をしていた。
「な、何のようだ、ですか」
「頭のギヨーム・ティボーに話がある」
「お頭は忙しいんだ!…です!」
皇帝に見つめられて平然と立っていられる人物がこの世にどのくらいいるのだろうか。
戦場を経験したわけでも、採掘職人らに勝る逞しい体をしているわけでもないというのに、その採掘職人らは怯える子犬のように震える拳を握り締め、何とか反抗を示していた。
しかしアロイスは無言で凄む。塔に閉じ込められていたとはいえ、今現在も大臣たちを上手く抑制し、掌握しようとしている皇帝。
視線の一つで相手がどう動くかは経験上理解していた。
ドラゴンも怯えるのではないかという圧力に、共に来ていたラクロワ所長と役員たちが採掘職人らに同情の目を向け始めた頃、ついに耐えられなくなった採掘職人らは平伏した。
「っす、すみませんでした…!!」
「許してください!!」
「何の話だ?」
尋ねると、彼らは言葉に詰まったようにそれ以上を言わない。
そこでシャルロットは門に近付き、採掘職人らの前に屈み込む。
気が付いた採掘職人らが見上げた先で、シャルロットは純粋な微笑みを見せていた。
「わたくしたちは貴方がたを守るためにここへ来たのです。お話をさせてください」
「っ……」
さすがは帝国の母だ、と二人は思った。
歩み寄り、手を差し伸べる。高貴さは滲み出ているのに、どこか親しみを持てる。
孤児院を守るためにあちこち飛び回っているという噂は本当なのかもしれないな……。
「……お頭に、相談させてください」