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背後に聳えるもの




 その頃、アロイスは淡々と執務をこなしていた。

「昨夜セヴェリーノ騎士団が帰還致しましたので、当分の休暇と報奨金を与えました。損耗は酷くないようですが、相手が騎士ではなく一般人だったこともあり、心の疲弊が窺えるそうです」

「そうだろう。大陸の統一はほぼ終わっている。気の済むまで休ませておけ」

「かしこまりました」


 それまでアロイスは手元の筆を止めずに話をしていた。

「ディートリヒ皇室騎士団より正式な配属が決まりましたのでご報告させていただきます」

 その言葉により、滑らかに動いていた筆が止まる。

 それまでちらりともこちらに目を向けなかったアロイスの顔が上がり、エメラルドの双眸が射抜くように見つめて来る。

 ディートリヒ皇室騎士団の騎士は何かしてしまったかと己の行動を走馬灯のように振り返っていた。


「…拝見しよう」

「お、お願い致します」

 拝見のために顔を上げたのか…。ふうと安堵の息をこぼしたのも束の間。配置表の紙がぐしゃりと歪む。そうさせたのは他でもない、アロイスだった。



「リチャード・ディートリヒ…」

 その場の者たちの肩が大袈裟なほど跳ねた。皇室騎士団の団長の名を恨めしそうに呟いたためだった。アロイスはまるで三日三晩戦闘を繰り返した兵のように険しい顔付きになる。

「へ、陛下。何かございましたでしょうか…」

 持参した騎士が恐る恐る尋ねてきたが、答える気も起こらなかった。




 

 アロイスの中で数日前の出来事が蘇る。

 別用で会議をした夜、道端で話し込んでいたリチャードを呼び止めた。

「ディートリヒ公爵。話がある」


 周囲は疑問に思わなかった。皇室騎士団の団長と皇帝陛下が業務の話をするのだろうと、進んでその場を立ち去る。アロイスはそれを確認してからリチャードに目を移した。



「陛下。何用でしょうか」

「皇室騎士団に新しく入団したベア・モーリッツという男は知っているか」

「存じておりますよ。帝都騎士養成所でも優秀で周囲の評判も良い新人です」

「奴は帝国に危害を及ぼそうとしている。皇宮勤務の配置予定なら直ぐ変えておけ」

「…どちらの情報ですか」

「それは言えない。だが確実な情報だ」

 いつもの陽気さがないリチャードは不自然なほど平然としていた。しばらくアロイスを見つめた後、影に視線を落とす。



「……実は…、私も彼のことはどこか信用し難いと思っていました」

 アロイスはやはり気付いていたのか、と思う。

 リチャードがふらふらと出歩いては騎士とくだらない話をしている様子を度々見かけるが、皇室を守る騎士団の団長が考えなしにそんなことをしているはずがない。

 団長を長年務めているだけあって勘も良いし頭も切れる。



「しかし留学生としてやって来た彼を蔑ろにはできません。向こうの国の代表ですから」

「できれば秘密裏に処分したかったものだ」

「ハハッ。国家間の対立に繋がりかねませんぞ。彼ほどの剣の腕前はそういません」


 大口を開けて固い表情を崩したリチャードは、すっかりいつも通りだった。



「私に考えがあります」

 自信満々にアロイスを見つめられる者はそういない。逞しくにんまりと笑う自信たっぷりなリチャードになら任せられると思い、アロイスはモーリッツの配置についてリチャードに一任したのだった。

 用紙にはこう記されていた。


 〈ベア・モーリッツ 皇宮庭園〉


 その選択が誤りだったと、一足遅く知ることになった。配置表をバンッと執務机に叩き付けると、騎士たちの肩がビクッ!と大きく揺れた。


 その姿を見て熱くなりすぎた…と反省しながら顔を背けるように椅子を回転させる。

「……もう良い。報告は以上か?」

「は、はいっ…!」

「仕事に戻れ」

「かしこまりました!」


 軍隊のように揃った足並みが消えていく。腰を上げたアロイスは背後の窓から庭園を見下ろした。

 そこに、癖のある金糸のようなブラウンの髪が目に入る。


 …モーリッツ…………。

 震えるほど手を握り締めた。血が溜まって赤くなった拳の震えが止まったのは、モーリッツがラベンダー色の髪をなびかせたシャルロットと距離を詰める姿が見えたからだった。









 会いたい人には会えないのに、会いたくない人にばかり会ってしまう。

 わたくしの前世はそうだった。その悪運は、今世も引き継いでいるのかもしれない。


「覚えていてくださったのですね。光栄です」

 距離を詰めようとしたモーリッツは、エリックとマルティンに阻まれる。

「エリック卿、マルティン卿。

ご挨拶が遅れました。私はベア・モーリッツと申します」


 助かったわ…とシャルロットは胸を撫で下ろした。

 孤児院でシャルロットに指輪盗難疑惑を掛けられた恨みがあったため、特にマルティンの目は非難するようにモーリッツを見つめていた。



「モーリッツ卿。皇后陛下に無闇に近付くのはやめていただきたい。騎士であれば私の言葉の意味が分かるでしょう」

 あからさまな嫌悪を隠しもせず、マルティンは低い声色で告げた。


「大変失礼致しました。

皇后陛下のあまりの美しさに、つい引き寄せられてしまいました」

 しかしモーリッツも上手で、マルティンの刺々しい態度をものともしない。シャルロットは湧き上がる怒りを拳を握りしめることでどうにか堪えようとした。心にもないことをよくもスラスラと口に出せるものだわ…。


『シャルロット皇妃殿下。ビアンカ様の下命により、ここで死んでもらう!!』


『二人の首は隣合わせで並べてやる』



 あの時と同じ、紋様が描かれた漆黒の持ち手の剣。

人を見下したように嘲笑う視線。薄っぺらい笑み。

 過去と何も変わってない。

 それがまた、恐怖と怒りを沸き立たせた。


 それでもシャルロットが怯む事なく立っていられたのは、常にシャルロットの味方でいてくれる三人が守るようにモーリッツの前に立ちはだかってくれていたからだった。

 大丈夫。今のわたくしにはソフィーもマルティン卿もエリック卿もいる。それに……。




「───っシャルロット」


 どこか焦ったような声がして、振り返るよりも先に背後から温もりに包まれる。

「アロイス様…」

 肩を上下させたアロイスはシャルロットを覗き込む。目だけで何もなかったかと問いかけられ、シャルロットはニコリと微笑んだ。

「そうでした、定期報告の時間でしたね。執務室でよろしいてしょうか?」

 

 ──大丈夫。

 アロイス様がいてくださるのだもの。


「ああ…」

 シャルロットの嘘にアロイスは合わせて返事をした。



「それではごきげんよう」

 アロイスに差し出された腕に手を預け、シャルロットはその場を後にする。



「…あのお方が高貴なる皇后陛下だと忘れるな」

 ソフィーとエリックはモーリッツを気にしながらも二人に続いたが、マルティンだけは威嚇するように最後に吐き捨てた。

 モーリッツは温厚そうと言われる顔に作り笑いを浮かべ、マルティンの言葉を受け流す。

 去りゆくシャルロットたちを見届けていたモーリッツの顔は、その姿が見えなくなった途端笑みは崩れ落ちる。

 幸せという感情を抜き取られたような闇に塗れた薄水色の目だけが、いつまでもその方角を見つめていた。







「ありがとうございます。助かりましたわ」

 アロイスが人払いをしたため、執務室は二人きりだった。シャルロットは姿勢良くソファに腰掛け、アロイスを見上げた。


「すまない。あの男のことをディートリヒ公爵に一任したためにこのようなことになってしまった…。

皇宮勤務は認められないと今からでも話をつけにいこう」

「…アロイス様」

 シャルロットはソファの隣に手を置き、アロイスを促す。




「国を背負って留学に来られただけあって、モーリッツ卿は帝国でも指折りの騎士です。そんな方を皇宮以外の配置にさせたと知られたら、ジャスナロク王国側が黙っていませんよ」


 モーリッツ卿の母国、ジャスナロク王国。


 前世でビアンカ皇妃の護衛にモーリッツ卿が選ばれたのは、二人が同郷だったからなのだと思う。けれどアロイス様が思いやって采配した結果、わたくしたちは……。

 あの日のようにアロイス様を失うのではないかと、未だにわたくしは怯えている。いつまでも怯えて隠れているわけにはいかないというのに…。



 アロイスの冷えた指先がシャルロットの頬を撫でる。

「王国側に何を言われようとも、そなたが苦しむことに比べたら構わない」

 その優しさが痛いほど心に響く。労るような温かな眼差しは、緊張していたシャルロットの心をほぐしていった。



「そんなことをしては王国側に警戒されてしまいます。王国側が本当に帝国を乗っ取り、大陸を支配しようとしているのだとしたら、勘付かれるような行動はすべきではありません」

「……だが………」

「先程は唐突だったので動揺してしまいましたが、もう一度会った時は上手くやりますわ」

 アロイスは心配するようにシャルロットを覗き込む。


「皇后であるシャルロットを陥れようとしたくらいだ。個人で動いているわけではないだろう。

背後にはあの女か…王国が絡んでいる」

「…理解しております」

「あの男のことだ。口実を作り、偶然を装い、あの手この手でそなたに接触してくるだろう。

そなたはそれでも…耐えられるか?」


 瞳からわたくしを想う気持ちがひしひしと伝わってくる。

 どうしてこれほどわたくしを思ってくださるのか。

 わたくしはその半分も返せていないというのに。



 シャルロットは頬にある手を柔く握った。

 温かくて、いつだって優しい手。


 前世でわたくしを守り、湖に沈む最後の瞬間までわたくしを離さなかった手。


「はい」

 シャルロットは目を逸らさず、力強く頷いた。

 アロイス様を失わないためなら…。あの悲劇を迎えないためなら、再び悪夢を見ようとも体が戦慄しようとも、きっと耐えてみせる。




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