望まぬ再会
シャルロットが温室に足を踏み入れた途端、話に花を咲かせていた令嬢、夫人たちは口を閉ざし、品良く立ち上がる。
シャルロットは長テーブルの一番奥の席まで行くと、「皆さま、皇宮まで足を運んでくださりありがとうございます」と一声掛けた。
「特にフォーゲル公爵夫人。大事な時期だというのに申し訳ございません」
「いいえ。この日を待ちわびておりましたから」
リンジーはチョコレートのような髪を揺らしながら幼子のように微笑んだ。
「どうぞお掛けください」
腰掛けた妊婦のリンジーは膨らんだお腹を見つめ、愛おしそうに撫でる。
「早くお会いしたいですわね」
「“あの”フォーゲル公爵も夜の予定は入れずに早く帰られるのでしょう?」
「愛されていらっしゃいますわね。羨ましいですわ」
シャルロットの一声を皮切りに、婦人たちは自然と会話を始める。“あの”というのは、冷ややかな印象で恋愛には無頓着そうなフォーゲル公爵なのに、ということだろう。シャルロットの頭の中に、あまり会ったことのない愛想のない顔が浮かんだ。
フェラニアはうんざりしたようにため息を吐いた。
「主人なんて翌朝まで飲み歩いてましたよ」
「あら、こちらもですわ」
「殿方の方がどうしようもない方ばかりですわよね」
年増の夫人ほどクスクスと笑っている。
「この席ではやめましょう。娘たちもいますから」
貴族派を呼んでいない分、夫人だけでなく令嬢たちも呼んだためナッシュくんと同い年ほどの令嬢もいた。
ステラもいたら、楽しんでいたに違いないわ。今日に限って別の公務のため欠席だなんて…。
「では話題を変えますね。ずっと気になっていたのですが…、皇后陛下のブレスレット、エメラルドが輝いておられますね」
「わたくしも申し上げたかったのです!皇帝陛下の瞳と同じ色ではございませんか?」
「皇帝陛下への深い愛と忠誠が見て取れますね」
「皇帝陛下も喜ばれることでしょう」
やはり夫人たちは目敏いわね…。ドレスやネックレスは階級を示す世間体のための装飾品でもある。いわば戦闘服と補助用品のようなものだから、しっかりチェックしていて当然かもしれない。
「宝石といえば…、ガルパット鉱山の宝石の採掘職人たちが採掘をせず鉱山に閉じこもっているという噂は本当ですか?」
膝の上に置いていた指がピクリと反応してしまった。幸いテーブルに隠れて誰にも見られなかったものの、シャルロットの心拍数が上がっていく。
「本当のようですよ。西部地域を通りかかった時に見てしまったんです。採掘職人の家族だからと迫害を受ける人たちを」
「っ、まあ…」
「それは酷いですわね」
眉を下げた夫人たちから同情の声が上がる。しかしそれも、その時だけだった。
「ですが宝石が採れないのは困りますわ。それも自然現象ならともかく、故意に採らないなんて」
「そうですね。わたくしも同意見です」
この場にいる夫人たちが宝石を買う。生活必需品なのかと問われるとそうではないが、貴族たちには自分たちの体裁と権威を見せつけるためにも欠かせないものだった。
そうやって貴族たちが浪費することで、国の経済が回っている。だからいつまでも鉱山の採掘が再開されないことは、貴族はもちろん国を背負うシャルロットにとっても喜ばしくない事態だった。
「…ガルパット鉱山のある西部地域といえば、近頃子どもの誘拐が多発しているそうですね」
「まあ、そうなんですの?」
「恐ろしいですわね…」
リンジーの言葉に夫人たちは眉を顰める。子どもの誘拐…。
「孤児院の子たちでしょうか?」
「そこまでは存じませんが…、知り合いの子が友人と遊んでいて、目を離した隙に二人が大柄な男たちに連れ去られてしまったと泣いておりました」
シャルロットの言葉にリンジーは悲痛の表情で答えた。
「騎士団に捜索してもらいましたの?」
「はい。しかし見つからないようです…」
帝国の中でも帝都の外れでは、孤児院の子どもの誘拐が元から頻発していた。国にも見放された孤児院だから構わないだろうと思われていたためだ。物好きな富豪貴族たちに愛玩や奴隷として売られ、弱り果てて死んでいく。
シャルロットが孤児院に目を掛けたことで、国からの援助金も正当な額が回り、貴族たちも易々と手を出すことはしなくなった。
しかし誘拐の被害率は、全体で見れば増加していた。孤児院の子どもの中だけでみれば減少しつつあるものの、貴族や平民の被害の声が近頃目立つようになっていた。
お茶会の帰り道、シャルロットは遠回りをしていた。ネオンマリンの花畑は、帝国に来た当初と変わりない。深海のような色の花は冬の北風で飛ばされそうなほど傾き、青々しく広がる風景はシャルロットの心を幾分か癒してくれた。
一つ身震いをしたシャルロットは羽織りを深く被り身を抱き締めるように腕を回した。
西部地域で相次ぐ事件。鉱山の占拠に加え、子どもの誘拐まで…。
「皇后陛下!」
ぼんやりしていたシャルロットは、遅れて裏返った声の主に顔を向けた。じょうろを持ち、花に水やりをしていたであろう庭師が、慌てて口を押さえてぎこちなく頭を下げた。
「ご挨拶申し上げます!」
皇后陛下…。その立場になってから、こうやってゆっくり花を眺めることもしていなかった。紅茶を味わいながら飲み、ぼんやりと外を眺める平凡な時間は、もうしばらく過ごしていない。
アロイス様と庭園を散歩したのがずっと昔のよう。
…なんだかアロイス様にお会いしたくなってしまったわ…。昨夜も共に過ごしたというのに…。
「…ありがとう。この庭園はずっと変わらないままね」
「へ…?」
庭師は素っ頓狂な声を上げた。近頃耳を塞ぎたくなるような報告ばかり受け疲労を感じていたシャルロットの表情が和らぐ。
「周りが変わっていくと焦ってしまうこともあるでしょう?だから、ここへ来て変わらないものを見て、なんだかホッとしたわ」
庭師は悪い意味ではないと理解して「それは良かったです…?」と言葉を絞り出した。
庭師は作業を中断してシャルロットの視界から消えようとしていたが、それは申し訳ないとシャルロットの方が庭園を離れた。縋るように惹かれてやって来た時よりどんよりとした感情は薄れ、足取りは軽やかだった。
「ソフィー、アロイス様の本日のご公務はいつ終わるのかしら?」
「本日も夜中まで詰まっております」
そうよね…。再びシャルロットの足が重くなる。
「お茶の差し入れだけ行こうかしら…」
庭園に繋がる皇宮の回廊は人気がない。紅のカーペットを踏んでいると「無理です…!」と切羽詰まった声が聞こえ、一行はピタリと立ち止まった。
「それならばお前自身の身が滅ぶことになるぞ」
低くしわがれた、威嚇するような声。この声は…。
シャルロットは顔だけを角から覗かせる。聞き覚えのある声と見覚えのある外見が一致した。輪郭が分かるほど骨と皮ばかりの顔の窪んだ目元から、光線のようにギラギラとした視線が放たれる。
「そんなっ…!エンリオス公爵と私は共犯ではありませんか!」
エンリオス公爵。
言い争っている方の相手方も見覚えがある気がしたが、ふくよかな体型になんの特徴もない顔でシャルロットはすぐには思い出せなかった。
「何か勘違いをしているのではないか?私とお前がいつ、対等な関係になった?」
相手は色味のない顔をヒクつかせている。
「エンリオス公爵…っ。それはあんまりです!」
「陛下に“あのこと”を報告しても良いのか」
縮こまって首をブンブンと振る怯えようを見て、シャルロットはようやくその人物を思い出した。
『鉱山の採掘職人らの間で、金銭の横領がございました。誠に申し訳ございません…!』
あの時の労働省の大臣だわ。名前は確か…、ウィリス男爵。
「ならば大人しく実行しろ」
「…はい……」
実行…?なんの話かしら…。
話は終わった、とでも言いたげに方向転換したエンリオスは、シャルロットたちのいる方面へつかつかと向かってくる。
嘘…!こっちに来るわ!
振り返っても長い回廊が広がるだけ。シャルロットはソフィーとエリック、マルティンに手で払う仕草をして散ってと合図をした。
ソフィーが展示された宝石台の裏側に隠れたことで、シャルロットも真似して隣の宝石台に隠れる。エリックとマルティンは吹き抜けの窓をひょいと越えた。
エンリオスは何も気付かず立ち去っていく。ただでさえ鬼のような面相のエンリオスが苛立ちで鼻の頭にまで皺を刻んでいることで、身が竦むほど悍ましく見えた。
その姿が見えなくなると、シャルロットは「ふう〜…」と重い呼気を流してその場に座り込んでしまった。
「皇后陛下、大丈夫ですか」
「ええ…。それより今の話…」
ひそひそと話しながらソフィーに支えられて立ち上がっていると、エリックとマルティンが窓から長い足を跨がせて戻ってくる。
「遠回りして行きましょう」
「そうね」
皇宮を出て庭園を回る。皇后宮の庭園はシャルロットの寝室から見えるネオンマリンに加え、薔薇やラベンダーなど華やかだったが、皇宮の庭園は手入れをされた植木や噴水がメインの質素なものだった。
「ウィリス男爵はアロイス様に知られたくない秘密があるようだったわ」
「私は元からあの男は怪しいと思っていました」
ソフィーが嫌悪感を露わにするのは良くあることで、わざとらしく訝しげな表情を作るのでシャルロットはくすりと笑ってしまった。
「その秘密をエンリオス公爵に知られて、従っている様子でしたが…、まあ陛下に報告されたくない秘密というのですから、かなりの悪行でしょう」
「もしかしたら、ウィリス男爵も鉱山の件に一枚噛んでいるかもしれませんね。事件を持ち込んだ当人の労働省大臣ですから」
エリックとマルティンの言葉に「そうね…」とシャルロットは同意した。
わたくしたちが思う以上に、事は複雑に絡み合っているのかもしれない…。
「お久しぶりですね」
悩みの種が尽きなくて、シャルロットの頭からはすっぽりとその存在が抜けていた。
「とは言え、たったひと月半ほどぶりですが」
柔らかさを装った声の方を振り返る。アロイスと同じほど背が高く、シャルロットは首を上に動かした。澄んだ青い目が何かを隠すように細まり、直後頭が下げられた。
「皇后陛下にご挨拶申し上げます」
「……モーリッツ卿…」
かつてビアンカの護衛だった騎士、ベア・モーリッツだった。