宝石の眠る鉱山
補佐官たちが出たり入ったりを繰り返し、忙しないアロイスの執務室だが、時の進みが半減したようになる唯一の時間がある。業務の進捗報告を兼ねた皇后とのティータイムだ。
シャルロットはレモンティーの入ったグラスを置いた。
「近頃孤児の誘拐が相次いでおります。貴族の中からも被害の声が上がりました」
「帝都の奴隷売買の会場はディートリヒ騎士団が片手ほど潰したようだが…。市場を帝国全体に広げているのか…?」
「分かりません…。しかし何らかの事件に巻き込まれているのではないかと推測しております」
アロイスとシャルロットが無言で考えを巡らせていると、扉の外から張り上げる声が聞こえた。
「労働省大臣ウィリスでございます。唐突の謁見お許しください。至急お伝えしたいことがございます!」
シャルロットとの憩いの時間を邪魔されたアロイスは「騒々しい…!」とすっくと立ち上がった。
「どうなさいますか」
「仕方ない。中に入れろ」
トルドーは「かしこまりました」と返事をして扉を開く。
「鉱山の採掘職人らの間で、金銭の横領がございました。誠に申し訳ございません…!」
労働省の大臣であるラックラン・ウィリスはアロイスの執務室に入るや否や、両手を床に付いて土下座をした。
…厄介なことを持ち込んでくれたな…。アロイスは気付かれぬよう息を吐いた。
「謝罪の前に事情を説明するべきではないのか。ウィリス男爵」
うんざり顔のアロイスにウィリスは冷や汗をだらだらと流して恐れをなしている。
シャルロットは聞き入ることに専念しようと、目の前のお茶が冷めてもただ座っていた。
「は、はいっ…。以前、採掘職人らの間でストライキがあったのは覚えていらっしゃいますでしょうか」
「ああ…。あったな」
近頃はイベントごとが多く宝石の売れ行きが良く、採掘職人らは休む暇もなく働いていたため、休日日数の増加や賃金の引き上げを求めたが、鉱山を管轄する地域の役場がこれを正当な理由なく拒否した。
労働省は平民が直談判を出来るような場所ではなく、門番に追い払われた採掘職人らが世間の注目を集めて意見を聞き入れさせようとストライキを起こした。その一時は宝石が採掘されず、国外への輸出量は低下した。
「確か、採掘職人の休日日数の増加や賃金の引き上げを図れば、宝石の売買に関わる卸売業者や細工職人までもが同等のことを求め、宝石に関わる業種かどうかで同じ平民の間に格差ができてしまうことを恐れた貴族たちが反対した。そうだったなレヴィナス」
「陛下の仰られる通りでございます。平民と貴族の間で板挟みとなった労働省の方々が陛下に助言を求められ、休日日数の増加と賃金の引き上げの代替措置として、職人の方々の負担を減らすために雇用を増やされるよう案を出されておりました」
「はい。それで採掘職人らの組合に増えた雇用分の支援金を割り当てたのですが…」
「掠め取られていたというわけか」
「大変申し訳ございません……!!」
本来皇室に関わらない横領うんぬんは当事者らと労働省で解決するもの。それをわざわざ大臣が皇帝の元に赴き、土下座をするほど誠意を見せているのは、宝石は国交にも関わってくる重要な品物だからだ。それが取れるのは帝都の西に位置するガルパット鉱山のみ。いくら優秀な細工職人らが集まっても、採掘職人らが仕事を怠れば意味を果たさない。
「平民はもっと貴族に負けない力を蓄えるべきだと思っていたが、奴らは自分たちの仕事の価値に気付き、驕っているようだな…」
近頃は帝都以外もラベンダー色に華々しく飾られていた。皇帝陛下の即位式典やシャルロット関連のパーティー、婚姻の儀式や帝都で行われるそれらの祝いで、見栄っ張りな夫人令嬢らだけでなく、記念と称して平民らが宝石を買う機会は例年より多かっただろう。即位して日が浅い私が各国との交流を深めるために宝石を用いることは予測できるだろうし、宝石の需要が高まっていることは外を歩けば分かり得ることだったはず。
「役場から採掘職人組合の方に横領の件を指摘したところ、横領を止めるのは採掘の職を辞める時だと反抗され、追い返されてしまったようで…」
「随分とつけ上がっているようだな」
だが…元々帝国は宝石の需要が高かった。ドレスや装飾品の細工職人は優秀な者が帝国の各地だけでなく外国からも集まり、業界は常に潤っていた。今更突然付け上がったというのか?私が即位したばかりで一握りの者たちから反発が起こっているようだからその影響だろうか…?
こそこそ横領するならともかく、露見しても堂々としているばかりか給与を支払っている役場の者に反抗を見せた。職を追われ私から処罰が下ることは頭にないのか?追加雇用分の横領だけでは豊かに暮らしていけるわけでもない。路頭に迷う懸念はなかったのか…。
「それで?そなたはこの問題をどう解決するつもりだ。まさか案もなく、私の時間を無駄に費やしたわけではあるまい」
「は、はいっ。労働省の中で議論をした結果、今の採掘職人は全員懲戒解雇とし、新たな職人の雇い入れをする方向で合意に至りました」
従わない部下は切り捨てる。それは簡単で効果的であることには違いない。
「周囲にも良い見せしめにはなるだろうな」
「そうでございま──」
「だが長期的に見れば得策ではない」
雲ひとつない晴れ空のようになったウィリスの顔が再び凍りつき、視線を彷徨わせた。
かつて人々を言葉通り切り捨ててきた私は、帝国民に疎まれていた。初めは恐怖だったものが、怒りに変わっていき、皇宮の者たちまで反旗を翻すに至った。
「民の声に耳を傾けず切り捨てる皇帝と見做され、反感を買い帝国民の不満が募る」
シャルロットは心の中で頷いていた。見限るのは簡単だけれど、その後彼らがわたくしたちを恨むのは目に見えている。一度その過去を経験したのだから。
「…そ、そうかもしれませんが…、ストライキを起こしても大した咎めもないとなると帝国民はさらにつけ上がります」
「だが懲戒解雇は認められない。持ち帰って再度検討をするように」
とぼとぼと皇宮を出る道のりを歩きながら、ウィリスは胸にモヤモヤと渦巻くものをため息で吐き出した。それでも気分は晴れず、重い足はなかなか進まない。
「会議を重ねても懲戒解雇しか出なかったというのに、陛下は何を望まれていらっしゃるのか…」
「悩み事ですか、ウィリス男爵」
足元ばかりを見つめていたウィリスは正面を見上げた。
「貴方は…!」
執務室はしんと静まり返っていた。
「今思い出したのだが、前世にも似たようなことがあった。当時の私は体たらくで、判断は労働省大臣のウィリス男爵に一任した」
空間に芯の太い低音は響き渡るよう。護衛の騎士たちさえも廊下に待機させ、二人きりになるとアロイスは向かいから隣に腰掛けた。
「全員解雇…ですか?」
「そうだったように思う。深入りしなかったからあまり覚えてないが…」
「…直接話を伺うのがよろしいかもしれませんね」
アロイスはしばらく考えてから頷いた。
その数日後、皇室の紋章が入った黒い馬車が皇宮の門の外へ出た。