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新たな日常






「…う…ん…」


 目覚めてすぐに感じる隣の温もりを、当たり前のように思っていた。



「…アロイス様…?」


 けれどその日、隣には誰の姿もなかった。



 手を伸ばしてみても、誰もいなかったように温かみがない。そのせいなのか、ぶるりと身震いを起こした。


「おはようございます、皇后陛下」

 ソフィーはシャルロットに慎ましやかに礼をした。



 “皇后陛下”…。


 そうだわ、わたくしはイデルス神殿でアロイス様と正式に夫婦となり…、帝国に戻ってきた昨日婚姻の披露宴を行ってから…夜、アロイス様と………。






 昨夜を思い起こしたシャルロットは湯気が昇ったように耳まで赤く染まる。


 

 大窓から月明かりがもれ、アロイスの隆起した筋肉が妙に艶かしい肉体を照らした。


 手をベッドに縫い付けるように押さえて握りながら、シャルロットを逃がさない獰猛なエメラルドの瞳が獣のように見下ろしていた。



 快楽に溺れ愉悦に任せて何度も唇を重ね合い、今世で初めての体を捧げているのに、支配し足りないと言いたげに身体中に愛の形を残された。前世のどんな日よりも熱い夜だった。

 





「全く。皇帝陛下は皇后陛下の着用されるドレスにまで気が回らないようですね」


 ソフィーは悪態を吐き、扉のそばに控えていた侍女を目視する。侍女たちはドレスルームに向かって行った。

 シャルロットは自分の体を見下ろし、恥ずかしさのあまりシーツを口元まで引き上げた。白い体に赤い蕾が映える。




「首まで隠れるドレスをご用意いたします」

「……ええ………」


 次回は止めていただくようアロイス様にお伝えしなければならないわね…。





 燃えた薪がバキッと割れる。

 シーツを退かして素足を晒し床に足を付いても、暖炉のお陰で寒くはなかった。


 そのまま立ち上がろうとしたシャルロットは、その場に膝をつきそうになったところをソフィーに支えられた。



「ベッドにゆっくりと腰を下ろしてください」


 その言葉通り、再びシャルロットはベッドに座ることにした。

 足が震えて立てそうにない。

 それに…少し痛むわね…。




「陛下より本日は休まれるよう仰せつかっております」

「アロイス様はご公務をされているのでしょう?わたくしだけ初日から怠れないわ」

「公務より皇后陛下のお体の方が大事です。

どうか今日だけは、陛下のご好意に甘えてくださいませ」



 労るような優しい表情を見ているだけで、その言葉はまるで、ソフィー自身の心の声を伝えているような気がした。



「…ありがとうソフィー。じゃあ今日は休もうかしら」

「老婆の願いを聞き入れてくださりありがとうございます」


 ニコリと微笑まれ、シャルロットの胸も熱くなる。


 前世の帝国でこれほどわたくしを思ってくれる侍女はいなかった。

 本当に感謝しなければならないわね…。



 


「皇后陛下ご即位と婚姻のお祝いに数多くの祝辞が届いております。ディートリヒ公爵家、フォーゲル公爵家ら貴族を筆頭に、各方面の大臣や商会の会長たちより、祝いのラベンダーが溢れかえっております」


 シャルロットはベッドに再び入り、シーツを掛けながら宙を眺めた。


「公務が始まったら挨拶しないといけないわね。またお茶会も開かないと」

「はい。それから…騎士養成所から、こちらが」



 ソフィーは待っていたように一通の手紙を差し出した。その封筒には、まだ拙い字でナッシュと書かれていた。




「ナッシュくんから…!字を習ったのね…!」


 学び舎のない帝国では、家庭教師を雇うなど学ぶ機会を与えられるのは裕福な貴族のみ。


 商売を起こすというきっかけでもない限り、自分で学ぶことをしないし、平民には教えられる人も限られているため学びたくても学べないのが現状だった。



「騎士になれば文書のやり取りもありますから、初等部の頃から読み書きの練習があるようです」


 封筒の中の便箋には、たった一言。

 ミミズが這ったような文字で、おめでとうと並んでいた。




 まるで母親にでもなったような気分だった。小さな成長に目頭が熱くなる。


「泣かれては困りますよ。陛下に知らられば私めが泣かせたと言い掛かりをつけられてしまいます」

「ふふっ……。

大きくなるのが楽しみね…」



 字を書けるようになれば離れていても文通ができる。

 もちろん、皇室の紋章が入った便箋を見られてしまうと、彼がわたくしたちを貶めようとする者に利用されかねない上、彼が何をしても実力ではなく皇室の後ろ盾があるからだと言われてしまうためできないけれど…。




「陛下とのお子が欲しくなられましたか?」


 ソフィーは戯れのように言いながら、その目はまるで母のように温かなものだった。



「…そうね…。でもアロイス様には伏せておいてね。自然に待ちたいの」

「かしこまりました」


 前世で流産した子のことを忘れたわけではない。


 けれど、今度こそ、アロイス様とわたくしのお子ができたら……。






 それから数日後、シャルロットは皇后陛下として公務に携わるようになっていた。



 公国では女は業務に携わらない。

 そのせいで前世のわたくしは少量の公務にもかなりの時間を浪費していた。



 皇妃宮などは不在のため管理や維持をする程度で特に手を付ける所もなく、皇后宮はアロイスが整備したばかりで隅から隅まで手入れが行き届いていた。

 そのため、現状シャルロットが着手できる主なものは慈善活動だった。




「コルネイユ、皇室からいくら各孤児院に予算が回っているか調べてくれる?」

「こちらになります」

「あら、仕事が早いのね」

「当然のことをしたまでです」





 筆頭補佐官に選ばれたのはやはり前世とは異なる方で、さらに言及すれば女性だった。


 ヴィルジニー・コルネイユ。



 女性において補佐官という高位な地位に付いた前例はなく、彼女には宮中の中で異質な存在のように見られていた。


 ニコリとも笑わず無表情で、他の女官や侍女たちと噂話一つしない。

 彼女を機械人間と噂する人もいた。






『っトーマ!!!』


 帝都を出歩いた夕方、ドレスにアイスが付いただけで顔を青ざめた修道女がひれ伏した姿が思い浮かぶ。



『大変申し訳ございません…っ!!』


 ぶつかった少年の心配よりも先に、貴族に何をされるか分からない恐怖が頭を支配して、あのような行動を咄嗟に起こさせるのかもしれない。




『ごめんなさい……』


 ブルブルと身を震わせたトーマというやんちゃそうな少年も涙をこぼしていた。






「まずは孤児院にわたくしが目を掛けているということを貴族たちに分からせないといけないわね…」


 ただ融資を回すだけでは、また町役場に横領されてしまう。



 貴族たちが孤児院に非人道的な態度を取らなければ、町役場の者たちも強気に横領なんてできやしない。

 保有財産を高めようとする貴族たちならともかく、町役場に務めるのは一介の平民たち。


 お金はいくらあっても良いとは考えても、職を追われるリスクと天秤に掛けたら平民たちがそこまでの強行に出るとは考えられない。




「予算を増やしますか?」

「…まだいいわ。それより、孤児院の巡回をしようかと思うの」

「良いと思います。先代皇后陛下は慈善活動に一切の興味を持たれませんでしたが、先々代皇后陛下は手厚い救済を施したことで有名で、平民の支持者数は歴代皇后陛下の中でも指折りです。皇后陛下の名も上がることでしょう」

「…そうね。わたくしの名で物事が円滑に進むようになってほしいわ」


 きっとコルネイユに悪気はない。けれどまるでわたくしが名誉を高めるために巡回をするような、利己的な人間だと思われているような気がしてしまった。




「…でもね、コルネイユ。わたくしは、せめて人が人を傷付けない世の中にしたいと思ってるわ」


 それまで書類にばかり目を向けていたコルネイユは、無機質な目でシャルロットを見やった。




 わたくしやアロイス様が傷付けられないためでもある。

 もう二度とあんな悲劇の舞台には立ちたくない。


 けれど今はそれだけではない。



 幸せなこの日常を壊したくない。



 誰も失わず、今の生活が続いてほしい。




「…過去に例のないことです。人が治める国があれば、自然と富裕層と貧困層に分かれ、強者は弱者を食らいます。世界の理ではありませんか?」

「そうね…。でも、できる限りのことはしたいわ」


 コルネイユには理解が及ばず、それが顔に出ていたのか「ふふ。分かりやすいところあるわよね」とシャルロットは微笑んでいた。






「…変わらないな、シャルロット様」


 エリックはぽつりと呟く。執務室内の扉前で控えていたその顔は、意図せず笑んでいた。


「皇后陛下になられたのに」

「そうだな…。ずっとお優しいままでいてほしいな」


 同様に護衛のため待機しているマルティンも、シャルロットを見つめ、その口元が緩んでいた。




 その時、ノックが聞こえて扉を開く。扉の前で護衛をしていた者がステラの来訪を告げた。


「シャルロット、お昼は食べたかしら?」

「ステラ!言ってくださればこちらから出向きましたのに」


 執務室に顔を出したステラは「コルネイユに公務だからと断られたのよ」と不服そうに見やる。



「そうだったの?コルネイユ」

「皇后陛下はご公務で多忙な身の故、同じご公務をこなされているステラ皇女殿下ならご理解頂けると思っておりましたが」



 貴族たちの鼻に付く言い方…というほどではないけれど、ツンとした態度にステラはむかっ腹を立てた。

 その背後に立つニコラスはステラが言い返されてる姿にフッと小馬鹿にしたように笑う。


 青筋を浮かべて振り向いたステラはニコラスの足をヒールで思いっきり踏み付け、ニコラスは青い顔で固まっていた。




「昼食くらいならいいわよね?」

「…はい」

 コルネイユは深く頭を下げて同意した。


「ありがとう。

ステラ、室内でも良いでしょうか。庭園だと戻ってくるにも時間が掛かりますので」

「構わないわ」


 長テーブルには既に一人分の食事が用意されており、淡々と食事を摂っていたアロイスはシャルロットを見上げた。途端に色のない目に光が宿ったようになる。




「シャルロット」

「わたくしもいますわ」


 シャルロットしか見えていないアロイスにステラは不快感を隠さない。



「ちょうど良い。共に食事としよう」

「だからわたくしもいます!それに元々はわたくしが先に約束してましたのよ!」

 その様子にシャルロットはくすくすと笑ってしまった。




 

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