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改革推進




 生かすか、殺すか。

 それは生きていく上で重要な分岐点となる。

 今回は、生かしておいて正解だった。


「エンリオス公爵様、上手くいきましたね」

 バジリオ侯爵家に忍び込ませていた間諜は愉快と言わんばかりににやにやと笑っていた。



 シャルロット公女を処分するため、皇室の温室庭園で使用人に化けた男が公女を襲った事件。

 それを企てたのはエンリオスだったが、バジリオにそれを命じ、エンリオスの存在を知らずに騎士二名がバジリオの出す金に釣られた。

「お陰で全てバジリオ侯爵の犯行と思わせられたな」

 エンリオスも顎髭を触りながら顔を緩める。

 

 しかし唐突に片手を上げたと思うと、間諜だった

男の背後から剣が突き刺さった。

「っぐほっ………。

な、なぜ………!」

「処分しない方が可笑しいだろ」

 隣で男が刺され血を吐いているのに、エンリオスは優雅に紅茶を啜っていた。


「き、貴様…!」

 剣が抜かれ、首をさっと払う。壁にまで血飛沫が上がり、男は倒れて動かなくなった。



「あまり部屋を汚さないでもらいたいものだな」

「それは難しい話です」

 血に濡れた剣をじいっと見つめた男は、死んだ男の服でそれを拭う。


「まあ良い。お前の働きには期待している」

 剣を鞘に収めた男は薄っぺらい笑みを浮かべながら

胸に手を置き会釈した。緩く巻かれたような柔らかなブラウンの髪がはらりと垂れる。

「お任せください」

 その背中にはジャスナロク王国の国旗が入っていた。









 侍医のクラメールに呼ばれたシャルロットはアロイスの執務室に出向いた。大方用件には予測が付いている。

「健康診断の結果が出ましたので、そのご報告になります」

 シャルロットは渡された診断書に目を通したが、医学的な根拠で裏付けられており、読み解くには根気が必要だった。既に診断書を閲覧したアロイスは、難解な診断書によって気難しい顔になったシャルロットをじいと見つめた。あのような顔も可愛らしいな…。

「…口頭でよろしいでしょうか?」

「お願い致します」

「何も問題はありませんでしたので、婚礼の儀に進んでいただいて結構です」

「ありがとうございます」

 前世でも問題はなかったから不安視はしていなかった。これでもうすぐ、イデルス神殿で挙式をあげることになるのね…。


 テーブルに置かれていた他の資料を手に取ろうと屈んだクラメールは、やにわに腰に手を添え「いてて…」とその場に膝を落とした。

「クラメール先生!?」

「ああ、大丈夫です。昨日重い荷物を持った時に腰を痛めまして」

「大事をとって休んだらどうだ」

 アロイスの言葉に「滅相もございません」と首を振る。



「しばらくの間業務は他の先生方に引き継いでいただいて、休む時は休まれた方が良いと思います」

 体を支えたシャルロットに、クラメールは申し訳なさそうに微笑んだ。

「お恥ずかしいお話ですが、私の仕事の殆どが他の者には任せられないのです。

医師として、患者には正確な診察と素早い治療が必要になります。しかし元来帝国には医師を志す者が少ないため、競走倍率は低く、近頃は本来必要な知識の1/10も持たずに医師免許を得てしまう者もいます。

貴族という身分であるが故に皇宮医になれた者も少なくありません」

 それはアロイスも憂慮していた事だっただけに、力なくクラメールを見つめるしかできなかった。



「私が即位してから、医師の顔触れも入れ替えたが、帝国の医療水準が低いため、こればかりはどうしようもなかった。

すまないな、クラメール」

「とんでもございません。陛下のお陰で、以前よりやる気のある者たちがやって来ましたから」

 そういえば、クラメール先生は皇宮に長く勤めていらっしゃったはず。他にも医師はいるのに、高齢のクラメール先生が主だってご活躍されているのは、そういう理由からだったのね…。



 ラングストン帝国は戦争により発展を遂げてきた。数多の栄光ある勝利を収めてきた影で、亡くなった兵の数も尋常ではなかった。しかし好景気が続く帝国は出生率も高く、失われた分はまた補充すれば良い、という精神だった。

 そして今日まで医学分野に大した進展は見られなかった。


「……医師の学び舎でもあれば良いですわね」

 シャルロットの呟きにクラメールは頭を小突かれたように感じた。



「…そんなものがあれば…理想的ですね…!

帝都総合病院の医師たちも、後継に据えられる跡取りがいないと嘆いていたのです」

 萎んだ目に光が宿る。

「わたくしから申し上げたのに何ですが、資金の工面も、教員の確保も問題です。

教員は現役で医師をされている方が望ましいですが、それをすれば医療現場が切迫してしまいます。大多数の医師を巻き込めば人材確保も可能でしょうが、皆が皆協力的ではないと思います……。

資金に関しては、…皇室から支援金が出せれば良いのですが、医療の進歩を求めていない国民から反発があるかもしれません。事業を起こして元手を取るにも、わたくしは皇后になる身として、兼業を許されておりませんし…」

 医療分野に支援金を出すとなると、他の分野から引かなければならなくなる。育児支援や労働支援分などから引くとなると、国民の大多数から反対の声が上がるに違いない。

 それに皇帝と皇后は公務に支障が出るため、兼業を禁ずる法律がある。



「……本を出版したらどうだ?」

 静観を続けていたアロイスの一声に、シャルロットはその結末が予測できたが、クラメールは疑問視した。


「それは何故でしょうか」

「出版した本の利益を元手とするのだ。

医術に関する本ならば、そなたは書けるはず。技術不足の医者の卵でも学ぶ意欲があるならば購買するだろう。それに学び舎ができてからは、教材に指定すれば定期的な報酬にもなる」

「それは名案だと思いますわ。けれど医師の卵の数もそう多くはありません。いくら侍医として名高いクラメール先生の直伝だとしても、果たして学び舎を建築できるほどの資金が集まるでしょうか?」

「クラメールだけではない。帝都総合病院の医師にも協力を願うのだ。後継者問題が深刻なら、必ず前向きに検討するはずだ。

それに詳しくはないが、医術には分野があると聞いた。各々の専門家が異なる分野の本を出版すれば、それなりの収入は見込める。それで足りない分くらいは皇室でも負担できるだろう」

 

 シャルロットは間抜けな顔でアロイスを見つめていた。これほど頭の回るお方ではなかった。その仕事ぶりを今世で目にしたことはなかったから、わたくしはちっとも分かっていなかったんだわ。

 アロイス様が、これほど頼もしいお方に変わられていたなんて…。

「どうだクラメール。業務の合間に本を執筆できないだろうか」

「…正直なところ、ただでさえ過重労働なのですが…、私は未来の帝国の医療現場を憂いておりました。

ぜひ、陛下とシャルロット様の案を採用させてくださいませ」


 クラメールが深々と頭を下げる。後日、アロイスから帝都総合病院を含む各地の医師に書簡が送られた。クラメールが主体となり医者の学び舎を建設する、その協力要請だった。

 陛下直々の要請ということもあり、医師たちの動きは手早かった。後継者問題を懸念するクラメールの思想に賛同した医師たちから次々と良い返事が届いた。しかし中には、権威を生涯独占しようとする医師もいて、後釜を狙う優秀な後輩など必要ないと拒む者もいた。





「しかし大方賛同していたから、無事に事は進むだろう」

「それは良かったです」

 カタカタと時折揺れながら、馬車は進んでいく。皇后宮を出てイデルス神殿を目指し、早六日。西の鉱山と帝都を結ぶ往来は道が平坦に舗装されているが、北は山賊がいて手を付けられないツェルンの森があるため、手付かずの状態だった。

 公国から一月半かけて帝国にでてきて慣れていたつもりだったが、シャルロットのお尻は不安定な道のせいで限界が近付いていた。


「やはり西から回った方が良かったか?」

「採掘職人たちが花の代わりに宝石を降らせて、御者や馬に当たり気絶したという古い話があるではありませんか」

「昔の話だ。さすがに今の者たちはしないだろう」

 シャルロットとアロイスは顔を突き合わせてクスクスと笑った。



 シャルロットが西からのルートに賛成しなかったのは、それだけではない。ここにも前世の思い入れがあった。

 いつの間にか目を閉じていたシャルロットはその時の夢を見ていた。



♢♢♢


 御者や馬を休ませるために森の手前で馬車を止め、シャルロットは護衛騎士と共に林に入り、木陰に体を預けていた。

 うゔ…。揺れが強かったから気持ち悪い…。

 お尻も痛いし…。こんな道のりがあと一週間以上続くなんて……。

「疲れたのか?」


 顔色の悪いシャルロットが「陛下…」と気力なく呼ぶ。

「西から回った方が良かったな」

 

 シャルロットの隣に腰を下ろし、抱きしめるように肩をさする。目を見張ったシャルロットはアロイスを見上げた。

「陛下、このようなことは…」

「構わぬ」

 それ以上アロイスは何を言うこともなかった。半身は温かいのに、木に寄り掛かった背中だけは冷たい。

 シャルロットは目を閉じ、アロイスの優しさを感じていた。



♢♢♢



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