公の下の真実
アロイスは横目でエンリオス公爵を見やる。貴族派の筆頭公爵は遠目にバジリオ侯爵を見やり、手助けはしないようだった。
「先日の狩猟祭で、我が息子イアンは利き腕を怪我し、未だに包帯を取れずにいます。そしてこの怪我は狩猟に使用される弓矢が刺さったことによる故意の障害…。愛息子イアンを殺害しようとシャルロット公女が企てた陰謀です!」
「ほう…」
自信満々なバジリオに、アロイスの笑みは深まる一方だった。
しかしシャルロットは恐怖で手足が慄いていた。バジリオ侯爵がわたくしにこのように公の場で仕掛けてくることは予測の範囲内なのかもしれない。けれど、対策がなければこれほどの笑みができるはずがないわ。
「シャルロット公女はイアンを監視していたため、助けるフリをしてすぐに駆け付け、イアンを取り押さえて雇っていた者に心臓を狙わせたが失敗したのです!」
「…そのシャルロット自身も狙われていたが?」
「それこそ先ほど彼らが言っていた自作自演でしょう」
バジリオは皇帝派の者たちに視線を寄越す。目が合った者たちはすぐに反抗心を見せていたが、アロイスが「静かに」と発すると再び静寂が訪れた。
「連れてこい」
「はっ」
近くにいた騎士に声を掛けると、貴族たちのいる下階に二人の男が連れて来られる。
「なっ…!お前らは処分したはず…!」
「処分とはどういうことだ、バジリオ侯爵」
バジリオの顔から血の気が引いていく。この世から消したはずの顔ぶれがあるのだから、驚くのも無理はない。全てが、水泡に帰す。私の積み上げてきたものが、消えてしまう…。なんとかしなければ!!
あの様子じゃバジリオ侯爵はすぐに落とせる。エンリオス公爵は引っかかりそうにないし、先にハエだけを潰すとするか…。アロイスは眦を決して前に出た。
「全てを話せ」
「は、はい…。私は元々バジリオ侯爵に仕えていた侍従です。侯爵に命令され、シャルロット公女のいる温室に忍び込んで殺害する者やその者を手引きする侍女を雇いました。狩猟祭ではシャルロット公女の犯行に見せかけるよう、公女のそばにバジリオ公子を呼び出し、公子の腕を打った後公女の頭を狙うよう猟師に報酬金を掲げて指示しました。
その後失敗し、私まで口封じのために侯爵の手のものに殺されかけたところを、陛下の配下の方に救われました」
「わっ、私はそんなこと命じていない!その者が勝手に妄言を吐いているのだ!」
「次の者」
「はい……」
アロイスはバジリオ侯爵の言葉を無視してもう一人に話をするよう促す。
「私は雇われた猟師です。依頼内容は彼の言う通りです。指示された通り公子の腕を打ち…、しかしいざシャルロット公女を狙うとなった時に陛下や皇室騎士団に見つかり、撤退しました。その後侯爵の配下の者に奇襲をかけられ…その場にいた無関係な仲間が私の身代わりに殺され、私だけが生き残りました」
バジリオは額に手を置き、はあ…!と鬱憤を吐き出すように息を飛ばした。調べれば解雇した元侍従だということは分かるだろう。そこは取り繕ってもしかたない。ならば…!
「でっちあげだ!私が解雇した侍従は陛下に雇われ、陛下の機嫌を取ろうと嘘の証言をしている!!自身の跡取り息子に生命の危険を犯してまでこんなことをするわけがないではないですか!」
嘘の証言をしているのはどちらなのか。分かりきった答えだ。焦燥感を滲ませたバジリオの転がり様が愉快で、アロイスは笑った口元をそのままに一切口を開かずにただ見下ろしていた。バジリオはそれを見上げてしまい、背筋が凍った。
まるでどんなに弁明しても聞き入れる余地がないと言いたげで、全てを見透かされているような気がしたからだ。
「陛下は寵愛するシャルロット公女に疑いが向かないよう、私に濡れ衣を着せようとしているのではありませんか!」
皇帝に対してなんたる無礼かなんて、バジリオは忘れていた。ただこの状況を乗り切るためには、シラを切るしかない。疑いの目を自身からシャルロットたちに向けるために。
「犯罪者の皇后陛下など、帝国の名が廃ります!一国を納める陛下がそのようなお方では──!」
「もうおやめください!」
バジリオを遮る声は良く通った。
「イアン…?」
それまで静観していたイアンは自分の父親がこれほどまで人格が破綻した人物だったのかと知らしめられ、絶望していた。そして、アロイスとシャルロットに跪いた。
もう…終わりにしたい。
「父の無礼を代わって謝罪致します。皇帝陛下と次期皇后陛下にあらぬ疑いを向け、死罪にもなりかねない発言をしまったこと、大変申し訳ございません…!」
イアンにそう言われて初めて、バジリオは客観的な目で自身の言動を振り返ることができた。
まさか、今の発言で死罪になるのでは…。俯いて打ち震えるバジリオに、アロイスは喉の奥でくつくつと笑った。
「喜劇だな、バジリオ侯爵。私のシャルロットを殺そうとしておきながら、まだ生を望むのか」
一人の騎士にアロイスが目配せをすると、騎士は持っていた分厚い書物を一歩二歩と後退ったバジリオに見せつける。
それはバジリオ侯爵家の紋章が薄く入った便箋だった。犯行のやり取りを知られぬよう、すれ違い様に手紙を渡していたのだ。
「なっ…処分しろと伝えたはずだ!」
「雇われた者たちも失敗すれば消される可能性は考えたはずだ。その時の切り札として残しておいたのだろう。そこに犯行の過程や注意点がこと細やかに書かれている。
便箋は市販にはなく特注品で貴族しか購入できないため誰かを装うこともできない。それが証拠として残ってしまったようだな」
今度こそ言い逃れができないバジリオは「クソッ…!」と吐き捨てた。憎しみに染まった目がイアンに向けられたが、本人は気にする様子も見せなかった。
『イアンの怪我の具合は』
『順調に回復しております』
『ふんっ、腕ごとき。せめて腹ならこちらが疑われる余地もなかったろうに』
この男は私の利用価値にしか興味がないのだ。
「陛下の味方をするとは…。さては貴様だけ助かろうという算段だな!」
「…父上は超えてはならぬ一線を超えたのですよ」
「つけ上がりおって!!」
「見苦しい。連れて行け」
アロイスがそう一蹴したことでバジリオは兵士にはがいじめにされ引きずられていく。「私は何もやっていない!」という言葉を最後に扉は固く閉ざされた。
「それからあと二人、バジリオ侯爵と通じていた内通者がいたようだ」
バンッと開かれた扉から、後ろ手に押さえつけられた騎士が二名、姿を現す。シャルロットは口元に手を当てていた。
前世でわたくしの護衛騎士だったトリシア・サイエルとレート・ジルアだわ…!
「弁明はあるか」
「……陛下、小国の公女が皇后陛下など私は反対です!国益になるお方をお選びすれば、陛下の地位はより確固たるものに───!」
「トリシア・サイエル卿。そなたは大陸を治めたも同然であるこのラングストン帝国の皇帝である私に向かって、そのような戯言を言うのか」
アロイスは氷のような目をしてサイエルを見下ろした。不服顔だったサイエルの身の毛がよだつ。
「各地の従属国の頂点に立つのが帝国だ。仮に数ある国々の中から強国を選び、その姫を帝国の皇后に迎え入れれば、選ばれなかった国々は選ばれた国に忖度をし、帝国に並ぶ強大国と見做す。その国が栄えていればいるほど、帝国の権力を手に入れたとおごった態度を取るに違いない。さらに言えば、帝国の信頼にも関わる」
「…しかしそのような公女が帝国に何のメリットをもたらすというのですか!陛下の婚姻は国家の存亡にも関わります。色恋に惑わされて選ばれるなどあってはなりません!」
それらしいことを並べていかにも正論を言っているように見えるが、議題をわざとずらしている。
「…それでそなたはシャルロットの居場所をバジリオ侯爵に漏らし、使用人に化けた刺客に殺しをさせようとしたわけか」
貴族たちは「シャルロット様を殺そうとしたというの…!?」「次期皇后陛下だぞ!そんな大罪を犯すなんて…!」と好き勝手に喋り出す。
「…それはジルアがしたことです!」
「なっ…。お、お前だって狩猟祭で猟師たちを招き入れただろ!」
「私は関係ない!元はと言えばそこの女が──!」
「確かにわたくしは陛下に何の利益も与えられないかもしれません」
それまで唖然と静観していたシャルロットが口を開く。話し込んでいた貴族もサイエルも意外だったようで、口を動かすのを止めてシャルロットを見上げていた。
「しかし貴方がたのように陛下に不利益を被らせることはございません」
生意気な、と言いたげにサイエルはキッとシャルロットを見上げた。いつの日か、シャルロットはあの目で追いかけ回された記憶が蘇る。怯んではダメ。守られてばかりでいてはダメ…。
「狩猟祭ではわたくしのそばには陛下がいらっしゃいました。もし流れ矢が陛下に当たっていたらと、貴方がたは考えなかったのですか?それとも…まさか陛下の崩御を望まれていたのですか?」
貴族の得意なヒソヒソ話が始まる。侮辱されたと受け取ったサイエルは「貴様…!」と小さく呻いた。
「そなたらの処分は追って定める。牢屋で頭を冷やすんだな」
諦めた目をしたジルアとは異なり、サイエルは憎悪の眼差しで最後にシャルロットを睨み上げた。連れられた二人がいなくなっても、シャルロットの体は力が入ったままだった。
「…さて、あの者の処遇はもう決まったようなものだから改めて口にすることはないが…、バジリオ家の爵位はこの場をもって剥奪とする」
バジリオ家の没落劇は貴族たちに衝撃を与えた。ひそひそ話が本人に聞こえそうになったところで、アロイスはその名を呼んだ。
「イアン・バジリオ。そなたに子爵の位を授けよう」
イアンははっとして顔を上げた。シャルロット公女の殺害を企てた父を持ち、自分のせいでシャルロットを巻き込んだ。いわば同罪の自分に爵位など…!
「命令だ。受け取ってくれるな」
アロイスは表情こそ豊かではなかったものの、イアンはどこか温情を感じた。シャルロットも和やかに笑っている。イアンは再び跪いた。
「ありがたき恩恵にございます」
その後は何事もなく貴族たちが代わる代わる挨拶と祝辞を述べて終わった。