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巡られた策略




 マルティンはコップを花瓶代わりにして水を入れ、一本一本丁寧に挿し込んでいく。

「…ネオンマリンの花言葉を知っているかしら」

「いえ…」

「“あなたの幸せを願っています”」


 振り向いたマルティンはシャルロットの自然な微笑みと深い青色の瞳の美しさに見惚れていた。



「マルティン卿は確かにわたくしの専属護衛騎士ですが、その前に一人の人であり、女性でもあります。もしも今回のツェルンの森でマルティン卿に何かあれば、それはマルティン卿の人としての幸せを奪いかねないわ」

 分かっていたこと。陛下のことを考え、思い続けるシャルロット様が、思いやりのある心優しいお方だということくらい。ツェルンの森の山賊に捕まれば、騎士である前に女である私にも被害が及ぶ。シャルロット様はそう考えて、迷われていた。



 マルティンの目が涙できらきらと輝いている。ひたむきなその目を見て、シャルロットは後悔の念に苛まれた。


「シャルロット様が私を気遣ってくださったのは分かっているんです。でもっ…」

 女なのに騎士なのか。女は大人しく家庭を守れ。子どもを産むのが女の役目。古い価値観を押しつけられるだけでなく、辱めを受ける日々だった。


『女のくせに騎士とか、なめてんのかよ』

『まだ外周走ってんのか。女はお荷物なんだよ』


「シャルロット様の護衛を陛下から命じられた時、私、飛び上がるほど嬉しかったんです。それが例え、異性のシャルロット様を思った陛下の配慮だったとしても」


 

『ほらほら、少し剣を振るったくらいでもう汗かいて。俺は本気出してねえぞ』

『虐めるなよ。女の汗もいいもんだろ』


 男か女か、それは騎士団に入団してから嫌というほど味わった。性別で判断するのではなく、私という一人の騎士に気付いてほしかった。

「“女だから”という理由で騎士の業務から外されるのは納得いきません。

私も騎士です…。シャルロット様の専属護衛騎士です!」


 なんて、真っ直ぐな人なのだろう。綺麗な心のまま、彼女は騎士という道を突き進んでいる。シャルロットは眩しげに目を細めた。

「一つだけ、誤解があるわ」

 マルティンは何を言われるのかと気を引き締めた。


「陛下がマルティン卿を選ばれたのは、確かに私と同じ女性だからという点もあったのかもしれない。

けれど陛下は、マルティン卿の実力を見込んで選ばれました」

「けれど私は、大した武勲もあげず…」

「わたくしが陛下から直接伺ったのです。嘘ではありませんわ。

それに、武勲をあげた者が素晴らしい騎士とは限りません。戦争には向いていても、護衛騎士にはまた別の優れた点が必要になるとわたくしは思うわ」

 腑に落ちない様子のマルティンを見て、シャルロットはさらに言葉を続けた。

 


「狩猟祭ではマルティン卿のお陰で命拾いをしたわ。お茶会の時も、エリック卿と協力し、その場の使用人たちをとりまとめていたそうね」

 剣の実力だけではない。トルドー卿やラクロワ卿にも言えることだけれど、状況判断能力、他者統率力も買われたのだと思う。


「身分を持ち実力のある女性騎士は、数こそ少ないけれどディートリヒ皇室騎士団にも、他の騎士団にもいらっしゃいます。

けれど陛下は、帝国皇室の護衛騎士としては異例の、貴族ではないマルティン卿やエリック卿を選別されたのです」

 当時は騎士団内で動転騒ぎで、身分も実力も併せ持つ者は当然自分が選ばれると自負していたため、憤って問題もあったと聞く。

 けれど彼らのような者が護衛騎士だったならば、わたくしはまた早々に見限られて裏切られていたのかもしれない。



「どうか謙遜なさらず、選ばれたことを誇りに思ってください」

 見ていてくださっていた。陛下も、シャルロット様も、いち護衛騎士の私のことを…。マルティンの口角が上がる。

「もう一度お願いいたします。

北からのルートでイデルス神殿に向かうとしても、共に同行していただけますか?」

「はい…。どこまでもお供いたします…!」 

 跪いたマルティンが面を下げた。






「おい聞いたか?狩猟祭でバジリオ公子を殺そうとした犯人、シャルロット公女らしいぞ」

「まさか…。たかだか平民を助けるために皇室騎士団を連れ出したお方だぞ」

「だがバジリオ公子が狙われてすぐに駆けつけたらしいぞ。近くにいるなんて怪しいじゃあないか」


「確かに、現皇帝陛下の存在が明かされるまでバジリオ公子が皇帝陛下の候補者だったからな。皇帝の権威を脅かしかねないバジリオ公子を危険因子と見做して、殺害を企ててもおかしくはない…」

「そんなわけない!」

「お前は…」

「シャルロット様に助けられた東部地域の…」

「シャルロット公女様は大雨で二次災害も疑われる中、1人の子どもを助けるために森に入られ、崖で命を落とし掛けても子どもの手を離さなかったお方だぞ」

「本当か?それは」

「ああ。あの優しいお方が誰かを殺そうとするなどあり得ない話だ!」




 街で囁かれているまことしやかな噂話に、誰もが半信半疑だった。

「ナディア、昨日シャルロット公女が貴女の部屋に行かなかった?」

「俺も見たぞそれ。すげーよな」

 騎士団の宿舎、朝の食堂はほぼ全ての騎士が揃うため声を張らないと聞こえないくらいには騒がしい。マルティンは他の騎士らと食事をしていた手を止めた。


「お優しい方なのだ、シャルロット様は」

「けどよお、バジリオ公子の殺害を企てたって噂もあるじゃん」

「すぐに駆け付けて動きを封じて、心臓を狙わせたとかって聞いたぜ」

 マルティンの背後から割り込んできたのは、二人の騎士だった。食器を片付ける途中で足を止めたよう。ニヤニヤと浮かべた薄汚い笑みに、マルティンの背に冷や汗が流れた。



『女のくせに騎士とか、なめてんのかよ』

『まだ外周走ってんのか。女はお荷物なんだよ』

 

『ほらほら、少し剣を振るったくらいでもう汗かいて。俺は本気出してねえぞ』

『虐めるなよ。女の汗もいいもんだろ』


 散々マルティンを貶めるような発言をしていた貴族出身の騎士、トリシア・サイエルとレート・ジルアだった。

 マルティンはようやく拳を握りしめ、キッと二人を睨む。



「シャルロット様はそのようなことはなさらない」

「どうかな。小国の公女という身分で帝国の皇后など笑わせる」

「その身分欲しさに邪魔者を排除しようとしたにすぎない」

「なんだと!」

「朝から騒いでると夜に疲れが出るぞ」

 三人の間に割り込んだのはエリックだった。両掌を向けて、暴れる馬を落ち着かせようとするような態度に、サイエルは舌打ちをした。

「チッ…。平民風情が。調子に乗ってんじゃねえぞ」

「マルティン、早く朝食を終えないと遅れる」

「あ、そうだな」

「おい!聞いてんのかよお前!」


 そう喚いていたジルアの頭に何かがぶつかる。

「ああん!?」

 威勢良く振り返ったジルアだったが、背後に立つのがニコラスだと分かるとサイエルと同様縮こまって飛び跳ねた。


「ディートリヒ卿…!!」

「…これ、片付けておけ」

 長身で三白眼のニコラスに睨まれ、いちゃもんを付けていた二人は戦慄した。その姿はディートリヒ皇室騎士団団長のリチャード・ディートリヒにそっくりであり、その子息のニコラスを怒らせてディートリヒ皇室騎士団で生きていけるわけがないと思ったからだった。



「わ、分かりました!」

 食べ終えた食器の乗ったトレーを受け取ったジルアはそそくさとその場を離れ、サイエルも苦虫を噛み潰したような顔でその後を追う。

「気にしないのよナディア」

「うん…」

「まるで本物のナイトだな、ハーゼ」

 肩をポンと叩かれたエリックは溜息をこぼして笑った。

「今の手柄はニコラスに取られたがな」

「お前らが朝からうるさいからだろ」

 ニコラスはふいと背中を向けて行ってしまった。食事をかき込んだマルティンは即座に立ち上がる。


「行こうハーゼ」

「張り切ってるな」

「シャルロット様に昨日のお詫びをしなければならない」

 ぐんぐん前を進んでいく華奢な背中を見ながら、エリックの口元は緩んでいた。昨日の赤い目と涙声が嘘のようだ。根は弱いままなんだろうが…。



「おはようございます、シャルロット様」

「おはようございます」

「おはようございます、エリック卿、マルティン卿」

 シャルロットは身支度を整えられながらふわりと花のように微笑んだ。

「昨日は唐突に休んでしまい申し訳ございませんでした。本日からまたよろしくお願いいたします」

「ええ、よろしくね」

 




 悪しき噂はアロイスの耳にも届いていた。

「シャルロットがバジリオ侯爵家子息の暗殺を謀った…か」

「帝都ソルダの東部地域の救出により陛下とシャルロット様の支持率が上昇していることに変わりはありませんが…、街でもどれが真実か疑問の声が上がっているようです。

特に貴族派はこれを機会と見て皇帝派やシャルロット様に追撃を仕掛けてくることでしょう。問題は今夜の婚姻披露宴ですが…」

「いや、ちょうど良いだろう」

 レヴィナスははてと首を傾げる。


「イデルス神殿で行う婚姻の儀までに目障りなハエを潰して置きたかったからな」

 組んでいた長い足を戻し立ち上がったアロイスは窓辺に向かう。外套に身を隠したイアンが皇宮に歩みを進める姿を目にして、ほくそ笑んだ。

 さながら悪魔のよう。艶やかな笑みには引き込まれる妖しさがあった。





 瞬く間に日が沈み、婚姻披露宴に向かう貴族たちが皇宮の門を次々と潜った。貴族派と皇帝派は対立するように会場の左右に分かれて団欒する。銀食器に並べられた最高級の豚肉を使用した肉料理や、頬も垂れるようなケーキ、マカロンが並べられ、そのテーブルの真ん中には一輪のラベンダーの花が生けてあった。それだけではない。目が眩むようなシャンデリアを見上げると、壁にまでラベンダーの花が飾られている。

 

「あの噂は本当なのか…?」

「シャルロット様がそんなことするわけないわ」

「バジリオ公子の自作自演なのではないか?」


「はっ、これだから皇帝派は。お気楽責任転嫁主義で困っちゃうわ」

「まさか自作自演だなんて、まあよくもそんな案が思い付くことですこと」



 火花が散る皇帝派と貴族派を見つめ、バジリオはふふんと鼻を鳴らした。

「とんだとばっちりだな。しかしイアン、これを利用しない手はない。全てはシャルロット公女にやられたことだと白状するんだ」


 イアンは他人のように父親を眺めていた。今となっては、どうしてここまで薄っぺらい人を父として見ていたのか不思議に思う。実の息子さえ利用し、死の恐怖を味合わせ、そうまでして皇帝の父親の座を狙うような姑息な男を。

「白状も何も、公女が犯人かどうかは僕には分かりかねます」

「犯人に決まっているだろう、お前の腕をこんな風にした奴を、私は許すことなどできない…!」


 憤っているようで、この男は私を本心から心配する気持ちなど毛ほどもない。それなのにこうも良くスラスラと(うそぶ)くことができるものだ。



 上階の扉が開かれ、皆が口を閉ざす。

「皆の者、本日はよく集まってくれた」

 二人はお揃いのシルバーの出立ちだった。それぞれ、ラベンダー色のマントの着用、ラベンダー色のレースが施されている。

 アロイスとシャルロットの眩い姿に、皆感嘆の溜息をもらした。

「この良き日を皆と祝えることを嬉しく思う」

「僭越ながら陛下、嬉しく思えない者もおります」



 アロイスの言葉を遮って発言した者に会場中の視線が集まった。シャルロットは隣のアロイスにしか分からぬほど僅かに眉を顰める。

「……どういうことだバジリオ侯爵」


「私の大事な息子が、そちらにいらっしゃるシャルロット公女に命を狙われたという事実がございます」

 水を打ったように静まり返っていた貴族たちは、途端に声を潜めながら会話を始める。バジリオはやってましたとばかりにニヤリと笑い、シャルロットは一瞬怯んで片足が下がってしまった。

 その腰を支え、シャルロットが引き下がることを良しとしなかったのは、口元に笑みを浮かべたアロイスだった。

「…聞き捨てならないな。話を聞こうじゃないか」



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