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悩みの種





 帝国の法律によると、皇后陛下の不在時はその権限は皇帝陛下へ授けられ、皇帝陛下が許可した場合、皇妃や皇女に権限が渡る。前世でシャルロットがアロイスの許可を得て、皇后陛下の公務に携わるようになってからは、先代皇后陛下の独裁の痕跡に頭を悩まされることになった。

 そのうちの一つに、孤児院へ一切の援助をしなかったことがある。



 それは貴族たちも薄々勘づいていた。皇室に見捨てられた存在として、貴族たちは孤児たちをぞんざいに扱うだけでなく、易々と口にできない悪行に手を染めていた。

 わざと孤児にぶつかってドレスを弁償しろと主張し、嬲られる姿を見て日頃の鬱憤を晴らすのは茶飯事で、本来は禁止されている奴隷売買の商品として孤児を誘拐したりしていた。

 そしてその被害者は孤児だけではない。貴族たちは寄付を申し出る貴族に圧力を掛けて孤児院に回す金を減らし、お金に困った修道女が50も超えた悪趣味な亭主に毎晩身売りをしていた。


 当時のわたくしはこれを変えようと孤児院に公平な資金を回したのだが、各地の町役場がこれを横領。それに気付いた頃には、わたくしが資金を横領したと貴族派に責め立てられ、アロイス様がその場を収めてくれたものの、その頃から皇宮でもわたくしを見る使用人たちの目が変わった気がする。

 今は皇后ではないから采配を振るうことはできないけれど、いずれは向き合わなくてはならない問題の一つよね…。




「──シャルロット」

 名を呼ばれ我に帰る。向かいでアロイスが「どうかしたか…?」と心配そうに見つめていた。


「あ…いえ。イデルス神殿に北から向かうか、西から回るかというお話でしたね…」

「先代も先々代も、北から向かっていて問題か起こったことはない。しかし、今回は西から回ろうかと思っているのだが…、シャルロットの意見を聞いておきたくてな」

 婚姻の儀式を執り行うイデルス神殿は、帝国の北部に位置している。皇宮のある帝都から北へ進むと戦勝により獲得した元王国があり、そこを通ればイデルス神殿の近道となる。しかしその元王国にあるツェルンの森には男ばかりの山賊が住み着き、女が一人で足を踏み入れれば惨い姿となって帰ってくると言われている。


「わたくしは北からイデルス神殿に向かう案で良いかと思います。ですが…マルティン卿は……」

 シャルロットはチラリとマルティンを振り返った。マルティンの目は何かを語りたげに食い入るようにシャルロットを見つめていた。

「……マルティン卿、どう思う」



『女はお荷物なんだよなあ』

 マルティンの脳裏に声が響く。


「私にも共に護衛をさせてください。女とはいえ私も騎士です。シャルロット様の専属護衛騎士です!」

 アロイスに尋ねられ、マルティンは弾かれたように話し始めた。

「…けれど、もしもツェルンの森で問題が起こり、マルティン卿の身に何かが起これば…」

「自分の身は自分で守れます。シャルロット様のこともしっかりとお守りいたします!」

 その気迫に押されたシャルロットは了承し、マルティンを含めた二十名ほどの騎士が選抜された。しかしそれ以降、その日マルティンの表情が晴れることはなかった。




 日が落ちソフィーたち侍女が部屋を後にしてしばらくして、寝室の扉が開かれた。先にベッドに入っていたシャルロットは読んでいた本をサイドテーブルに置く。やがて天蓋を手で払ってアロイスが現れた。労いの言葉を掛けようと口を開いたが、寝巻きがはだけて割れた腹筋まで目に入り、その体から顔を逸らした。

「シャルロット」

「……本日もご公務お疲れ様でございました」

「…それは私の顔を見て言うべきではないのか」


 ベッドが沈み、気配はすぐそばまでやってきていた。シャルロットの顎を細い指が捕まえ、顔と顔を突き合わせる形になる。いつもより湿った目で見つめられ、顔に熱が昇った。

「そ、そういえば…、イデルス神殿に同行する選抜隊は、アロイス様がお決めになられたとお伺いしました」

 誤魔化すために会話をしたのに、アロイスは見破ったように起こしていたシャルロットの上体に腕を回す。薄い寝巻きではアロイスの肌と直に触れているのと変わりないようで、温もりの熱さにドキドキと心臓は忙しなかった。

「ああ。余計な者は邪魔になるだけだからな。近いうちに掃除も必要だ」

「掃除…ですか」

 シャルロットの声のトーンが低くなる。まさか、何か危ないことをされるのでは…?

 浮かない顔をしたシャルロットを一瞬ちらりと見たアロイスは、白い首筋に舌を這わせる。「ひゃっ!」と肩が跳ねたシャルロットはアロイスを押し返そうとしたが、余計に抱きしめる力が強まった。


「お待ちくだっ…!」

「可愛い反応だな」

 くすりと笑う、その吐息だけで背筋に電気でも走るようだった。それを面白がったアロイスはわざと唇が触れるか触れないかのキスを楽しみ、熱い吐息を吹き掛ける。

「〜〜っアロイス様っ!」

 涙目で迫ってきたシャルロットに睨むように見つめられたが、アロイスには子猫が戯れてきたようにしか見えなかった。

「誘っているのか」

「揶揄わないでくださいませっ」

 ぜーはーと肩で息をしながら小さな手で首を覆う。アロイスは堪えながらくつくつと笑っていた。



「案ずるな。そなたが不安がるようなことはない」

 シャルロットを見つめるアロイスは穏やかな表情だった。

 前世で私たちの護衛騎士をしていた無能な反逆者は、シャルロットが帝国に来る前に不正を暴いて解雇した。あと二名、尻尾を出さない狐がいるが…時期に掃除できる。


「…ですが…」

「それより、バジリオ公子を味方に付けたそうじゃないか。ステラに聞いたぞ」

 すっかり話す機会を失っていたシャルロットは、あ…と思い至った。

「そなたはしっかりしているようで、どこか抜けているな」

 そこもまた可愛いのだが。


「も、申し訳ございません。わたくしがお伝えするべきだったものを」

「そうだな。だがそなたの口から他の男の名が出るのは気に食わぬ」

 シャルロットの唇に真っ白な指が乗る。シャルロットは目を見開いていた。



「…それは…嫉妬、というものでしょうか」

 ふにふにと柔らかさを堪能していたアロイスは眉を顰めて手を引く。

 まさか……今まで嫉妬してないとでも思っていたのか…?

 三回の食事、庭園のティータイムと散歩、シャルロットが生活する圏内の男をどれほど制限してることか。

「………もう寝る時間だ」

 横になったアロイスはシャルロットに背を向ける。


 どうやら図星だったよう。アロイス様が…嫉妬をなさっているなんて…。てっきり、わたくしばかりがビアンカ王女を意識していると思っていたわ。シャルロットは熱い頬を両手で押さえた。

 






 翌朝。シャルロットが目覚めると隣にアロイスの姿はなかった。

「アロイス様はご公務に行かれたのかしら」

「はい。明日の婚姻披露宴の最終確認のため早朝に出られました」

 ソフィーはてきぱきと侍女に指示を出し、シャルロットは緑碧玉のように深い緑色のドレスに袖を通した。

「近頃はお目覚めが良いようで安心致しましたわ」

 普段は侍女たちを怯えさせるような顔つきのソフィーが、皺を深くさせてニコニコと微笑んでいる。

「心配を掛けてしまったようね」

「お仕えしているご主人のことですから」

 仕事だから、という言い方をしておきながら、ソフィーの物柔らかな話ぶりは私情を挟んでいるようにしか見えなかった。


 悪夢を見なくなったのは、アロイス様と寝室を共にするようになってからだった。何をするわけでもなく、隣の温もりでシャルロットは自然と安らかな眠りに落ちる。その後アロイスがシャルロットの髪や頬に口付けているのを知っているのは、アロイス本人だけだった。




「今日は天気が良いから外を回ろうかしら」

 扉の前にはエリックが佇んでいるものの、マルティンの姿は見当たらない。

「エリック卿。マルティン卿はどうしたのかしら」

「それが…体調が優れないそうで…」

 心当たりのあるエリックは言い淀む。

 昨日のせいかしら…。イデルス神殿に向かう選抜部隊から、わたくしが勝手にマルティン卿を外そうとして、あれからずっと元気がなかったわね。

「…お見舞いに行こうかしら」

「…!しかし…」

「エリック卿、騎士の宿舎まで案内してください」

「……分かりました」

 内心が顔に出て微妙な面持ちのエリックは、それでも主人を持つ騎士である以上逆らえない。





 手入れは行き届いているがどこか染み付いた朝の匂いがする宿舎に、たおやかなシャルロットの姿があるのは異質な光景だった。その手には、例の庭師に許可を得てもらったネオンマリンの花束があった。

「おい、あのラベンダーって…」

「次期皇后陛下のシャルロット公女様…?」

「何でこんな野郎の宿舎なんかに…」

 ひそひそと聞こえる声がシャルロットを怯ませる。その中に二名、見覚えのある顔があってシャルロットは一度足を止めてしまった。



「…シャルロット様…?」

 その二人は不快感を隠しもせずシャルロットを警戒するように窺っていた。前世でシャルロットの専属護衛騎士だったトリシア・サイエルとレート・ジルアだった。


『これはこれは、シャルロット公女様ではありませんか。お目にかかれて光栄です』



『公女は彼女に嫉妬なさっているのですか?よろしければ私が相手をしますよ』


『そのように目くじらを立てていると陛下の気に入られた美しいお顔が台無しですよ』


 心のままに引き返してしまいたい。けれど…。

「…エリック卿、案内を続けてくださいませ」

「?…はい…」

 もう彼らはわたくしの護衛ではない。わたくしの今の護衛騎士は、斜め前でわたくしを気にして何度も振り返るエリック卿と…。

「ここです」

 エリックは一つの扉の前で足を止め、端に避けた。



 本来男子は女子寮に入ってはいけない決まりがあるが、皇族に命じられた今回のような場合は例外となる。騎士団には女は片手ほどで、共同エリアの騒がしさが幻だったのかと疑わせるほど人気がない。

「…マルティン卿。シャルロットです」

「……シャルロット様…!?」



 ベッドに膝を立てて座り込んでいたマルティンはハッとして扉を見上げた。

「体調が優れないと聞いて、お見舞いに参りました」

「…私などのために、来てくださったのですか?」

「わたくしの大事な護衛騎士ですわ」

 扉を開けたマルティンの目は、赤く腫れ上がっていた。

 

「狭いですが、お入りください」

「ありがとう」

「じゃあ俺も…」

「あんたはダメ。外見張ってて」

 エリックを押し出したマルティンは、両手で扉を閉ざし、一息吐いた。


 ソファもない、ベッドと中央のテーブルだけの質素な部屋だった。どこに座るべきかシャルロットがおろおろしていると、「よろしければベッドにお掛けください」と声を掛けられる。

 シャルロットは大人しく腰を下ろし、マルティンは扉の前に佇んでいたが、「今日は休日でしょう?マルティン卿も座ってください」とシャルロットが端に詰め、「失礼いたします…」とマルティンは同じベッドに座った。

「風邪…とかではないのね。話せるようで安心したわ」

「はい…。…申し訳ありません」

「いいのよ。謝らないで」

 わたくしがマルティン卿を仲間外れにしようとしたようなもの。視線を落としたシャルロットの目にネオンマリンの花束が入る。

「受け取ってくださる?」

「勿論でございます」



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