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儚き命




「ナッシュくん…」

 その背中にそっと手をやると、一層強く抱きしめてくる。

「シャルロットごめん…!僕のせいでシャルロットも死んじゃうんじゃないかって、心配だった…!」

 

 屈んだシャルロットはナッシュの顔を覗き込む。まん丸の愛らしい目元は縋るように細まり、そこから涙が止まらない。ナッシュは泣きじゃくって羞恥も忘れていた。

「せっかくのかっこいい顔が台無しよ?」

 ピクリとアロイスの指先が動く。

 シャルロットはナッシュの頭を撫でるとその背中に腕を回し抱きしめた。

「不安にさせてごめんね」


 ナッシュにとって、それは久々の温もりだった。失ったはずの、もう二度と戻らない温もり。そう思うと、止めどない涙が溢れ頬を伝った。

「僕の方こそごめん…!森で見つけてくれたのに、酷い事言って危ない目に遭わせて…。具合が悪いことにも気付けなかった…!」


『お前がもっと早く助けに来ていれば!ママは助かったかもしれないのに!!』

『お前のせいだ!』






 人は失って初めて大切なものに気付く。

 失うまで、それは当たり前のものだと思っているから。

 わたくしも、アロイス様を失いかけて初めてその存在の大きさに気付かされた。


「僕、強くなるから!今度は僕がシャルロットを守るから…!」

 幼い子の肩はその重荷に耐えられず震えていた。けれどこの悲しみを忘れなければ、いつかきっと、この子は立派な大人になる。

 大切な何かを守るために抗える人に…。


「期待しているわ」


 ナッシュは目を見開いた。

『期待してるわ』

 その言葉が、母の言葉と重なった。

 シャルロットが頭を撫で続ける間、ナッシュは溜め込んだ悲しみを吐き出すようにいつまでも泣いていた。

 やがて泣き止んだ頃には冷静になり、耳まで真っ赤にして顔を逸らしていた。


「寂しくなったらいつでも呼んでね。また会いに来るわ」

「…まあ、いつかは僕がすげー騎士になって皇宮に行くことになるけど!」

 


 ナッシュと同じ街に暮らしていた人たちは、ナッシュを養子として引き取り共に暮らすことを望んだ。しかしナッシュはそれを断り、一人騎士養成所に入学した。両親が亡くなっているナッシュには支援金が出るため学費はかなり抑え込めたはず。それでも足りない部分は騎士になり出世払いで賄うことになる。


「…体には気を付けてね」

 ナッシュの頭を撫でていた手を、小さな手が握った。幼い騎士(ナイト)が跪き、シャルロットの手の指にキスをする。

 これにはシャルロットもアロイスも目を見開いた。


 シャルロットの細い腕をガシッと掴んだのはアロイスだった。強引に引いて二人を引き離す。倒れかかったシャルロットはアロイスのがっしりした体にもたれかかった。

 アロイスに睨まれてもナッシュは怯まなかった。

「…シャルロットは私の女だ。気安く触れるな」

「いつか僕が奪いに行く」

 姿勢を立て直したシャルロットは二人の刺々しい視線に溜息がこぼれそうだった。



 宿舎からの帰り道、馬車にたどり着くまでの道のりでシャルロットは苦言を呈していた。

「ナッシュくんはまだ子どもですよ」

「子どもとはいえ男だ。ましてやシャルロットにキスをするなど…」

「キスと言っても手ではありませんか。

わたくしに男のお子ができても同様の接し方をされるおつもりで………」

 そこまで話して、はたとシャルロットは口を閉ざす。思い当たる節があったアロイスはシャルロットの手に指を絡めた。

 

「そなたに触れる者には誰にでも嫉妬してしまうだろうな」

 そう言って繋いだ手の甲に口付ける。シャルロットの中で嫌な記憶が蘇りそうだったところを、アロイスお陰で気が紛れた。

「……本当にアロイス様はお優しいですわね」

 アロイスは微笑んで誤魔化した。

 しかし真実は違う。私は、シャルロットが思うような優しい人間ではない…。





♢♢♢




「子を授かったのか!」

「陛下…!」

 ベッドから起き上がろうとしたシャルロットを、アロイスは「そのままで良い」と制した。


「男か女か…。いつ生まれるんだ?」

「気が早いですわ陛下」

 お子が産まれれば、ビアンカ皇妃の寝屋に通い始めた陛下も再びわたくしの部屋に来てくださるかもしれない…。

 クスクス笑うシャルロットと、まだ変わりない腹に手を当て未来に胸を膨らますアロイス。二人をジッと窺うビアンカにも気付かないほど、幸せでいっぱいだった。


 だがその幸せは長くは続かなかった。

 階段を降りようとしていたシャルロットは背中をトンと押され、疑問に思ううちに階段を転げ落ちた。尋常じゃないほど痛むお腹を抑えながら、心の中で何度も陛下っ…!!と叫びを上げていた。


「失礼いたします!陛下!シャルロット皇妃殿下が階段から転げ落ち、お腹のお子が…!」

「何だと!?」

 その日も甘ったるい香りのする部屋だった。アロイスの下でビアンカの口元が歪んだ。


「シャルロットは!子はどうなった!」

「…シャルロット皇妃殿下はご無事で今は静養されておりますが…お腹のお子の方は……残念ながら……」

「……そんな………」


 顔面蒼白のアロイスの両頬を柔らかな手が包み込む。

「陛下、心中お察しいたします。どうかわたくしでその傷を癒してくださいませ」

 潤んだピンク色の瞳が胸を焦がすほど見つめてくる。ビアンカはアロイスの首に巻きつけた腕を引き寄せた。呆然としていたアロイスはビアンカに身を委ね、熟れた果実のような唇が自身のそれと重なった。途端に怒りにも似た激情が込み上げ、ビアンカにぶつけるように腰を動かしていた。

「シャルロット…。シャルロット…っ」

 



 隣で眠りにつくアロイスを見下ろしながら、ビアンカは歯を食いしばった。わたくしを抱きながらあの女の名を呼ぶなんて…。せっかく皇位継承の心配がなくなって清々したところだったのに!!

 けれど不機嫌なビアンカの元へすぐに朗報が入った。それは、シャルロットが二度と妊娠できない体になったというものだった。




♢♢♢





 あの日、すぐにでもシャルロットの元に駆けつけていれば、少しは心を癒してあげられたかもしれない。それをしなかったのは、私の心の弱さからだった。

 夢にまで見たシャルロットとの子ども。期待して落とされて、心を引き裂かれたような痛みが走った。どうしてもシャルロットの元へ足が向かなかった。

 それからだった。

 ──彼女が私に、笑顔を見せなくなったのは。




 あのような思いは二度とさせない。

 今思えば、シャルロットの流産もあの女に仕組まれた罠だったのかもしれない。もし皇子が産まれてしまえば、帝国の乗っ取りに厄介な人物が増える。その前に芽を摘んでおきたかったのだろう。

 繋いだ手に力がこもる。シャルロットは目元に手をやり、泣きそうになるのを何とか堪えていた。



「待ちなさいトーマ!」

「やだっ!──っわあ!」

 角から曲がってきた少年がシャルロットの前で躓く。シャルロットが動くよりも早く、マルティンは少年の胸前に腕を回したが、手に持っていたアイスがシャルロットのドレスにくっ付いた。

 アロイスたちの背後にいた三人も、この隙に付け入る者がいるかもしれない、と警戒して周囲に目を配る。


「っトーマ!!!」

 顔を青ざめた女性が走り出す。トーマと呼ばれた少年の無事を確認するよりも先にシャルロットの元へやってくると、頭が地に付くほど謝意を示した。

「大変申し訳ございません…っ!!」

 ブルブルと身を震わせたトーマも目に涙を溜めている。

「ごめんなさい……」

 固く目を閉じたトーマの頬に、涙がこぼれ落ちた。



 修道服の女性と、ぶかぶかのよれたシャツ一枚の少年…。近くの孤児院の修道女と孤児だと、すぐに察した。


「顔を上げてください」

 縮み上がった修道女はゆっくりと顔を上げた。恐怖に怯える姿を見て、少しでも和らげようと笑顔を見せる。

「ドレスは構いませんので、このお金でもう一度アイスを買ってあげてください」


 シャルロットが差し出した金貨に、修道女は目を白黒とさせる。

「そっ、それはいけません…!」

「……一人だけ買い与えたら不公平かしら?それでは他の子たちにもさしあげてください」

 シャルロットは金貨の入った袋ごと差し出す。何度も首を横に振る修道女は「受け取れません…!」と頑なだった。


 シャルロットは、涙の跡を残してジッとこちらを見つめていたトーマに目線を変える。

「楽しみにしてたのよね?」

 素直に返事をするべきか、こちらの様子を伺っていたトーマは恐る恐るコクリと頷く。シャルロットは屈んで袋を手渡した。


「みんなで分けるのよ?」

「……うん…」

 よく見ると、頬には打たれたような、紫に変色した跡が残っていた。あの怯えようからしてみても、以前にも同じことをしでかして、貴族に酷い目に遭わされたのかもしれない。


 これが、現実。

 わたくしだけは目を逸らしてはならない。

 

「シャル……。そろそろ帰ろう」

「はい」

 知られた名を呼ぶと隠した正体が暴かれるため、途中で口を閉ざしたアロイスはシャルロットの腰に腕を回して引いた。

 不可解そうにシャルロットを見つめるトーマと、トーマを抱きしめながら「ありがとうございます…。ありがとうございます…!」とひたすらに感謝を述べる修道女を残して、シャルロットたちは帰路についた。



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