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ラベンダーに染まる帝都



 胸に包紙を抱え、茶屋の軒先から亜麻色の髪の女性が出てくる。


「ご機嫌だな」

「茶屋と言ったらラングルンですよ。もちろん、ソフィーの淹れてくれるお茶が一番ですけどね」

 シャルロットは店を振り返り、手を振ってきた店員に愛想良く笑い掛けた。


「気付かれなかっただろ?」

「はい。染髪剤とは一流品ですわね」

 前世ではこんなものがあるなんて思いもしなかった。まさかライトパープルの髪色がブラウンに変わってしまうなんて…!

「貴族たちは気味悪がって見向きもしないが、平民の間では流行っているそうだ」



 シャルロットの体調が回復したこの日、シャルロットとアロイスは帝都ソルダに降りていた。二人が街に降りる一番の問題は、アロイスとシャルロットの髪が類稀なる色をしているということ。国民に知れ渡っているため、こそこそと外套で身を隠しながらでなければ楽しめない。

 そこで護衛騎士であるマルティンが、「恐れながら陛下…」と提案したのが、染髪剤だった。平民であるマルティンの友人には髪を染めている者がいたため、思い付いた案だった。



「マルティン卿、本当にありがとう」

「いえ、私は提案をしただけで…」

 護衛をしていた二人を振り返ると、マルティンは赤面して頭に手をやった。

「やるじゃんナディア」

「黙ってろハーゼ」

 エリックがマルティンの肩を腕で突く。マルティンはついにはふいとそっぽを向いてしまった。


「おーいおい、良い雰囲気になってんなよお前らあ。こっちはこれと一緒なんだぞ?」

「それはこっちの台詞だ」

 二人を揶揄うのは、頭の後ろに手を組んで軽い口調をしたラクロワだった。そのラクロワに対し、トルドーは氷のような目を向ける。

 今日ばかりは、四人もディートリヒ皇室騎士団の制服を脱いでいた。ラフな私服の上で無地のマントに身を包み、剣を隠していた。



「それにしてもラベンダーが多いな」

 アロイスの声でシャルロットは顔を上げた。街並みが紫に彩られている。街頭には紫の垂れ幕が下がり、人々は髪を紫のリボンで結ったり、タイやボタンを紫にしていた。住宅の窓辺にある植木には数多くのラベンダーが植えられ、通り掛かった花屋にも店先にラベンダーが置かれていた。

「そこのお嬢さん、お目が高いね〜」

 シャルロットに声を掛けたのは、花屋の女店主だった。

「帝国の次期皇后陛下の髪色と同じ、ラベンダーだよ。

植木にするも良し、加工してアロマにするも良し、ハンカチの染料にもできるよ」

 …わたくしがその、次期皇后陛下です…。


「買っていくか?」

 アロイスは揶揄うようににやにやと笑う。

「いっ、いえ。またの機会に…」

「いつでもおいで〜」

 花屋の店主に見送られ、シャルロットはだんだんと気恥ずかしくなってきた。

「わたくし…一躍有名人ですわね…」

「皇妃となった時もこうだったと聞いていたぞ」

「そうだったのですか?」



 装飾品店は立ち寄る先々で紫系のものを勧められ、休憩で立ち寄ったケーキ店でもラベンダーを用いたケーキが前面に推されていた。

 護衛であるエリックとマルティンは食事の席まで取り囲むように立っているので、「悪目立ちしてしまうので、どうか皆さんも座られてください」とトルドーとラクロワにも目配せをした。


 素直に返事をして隣のテーブルに向かったエリックと異なり、マルティンは一瞬迷いを見せた。しかし自分たちが護衛のように振る舞うことで、その主人である小綺麗なシャルロットとアロイスには既に、好奇の視線が向けられていた。

 シャルロット様にご迷惑をお掛けするわけにはいかない…。マルティンも了承して席に座ると、「気にせず好きなものを食べて」とシャルロットは笑みを向ける。


 …不思議なお方だ。

 皇帝陛下が私のような平民の、それも女を護衛騎士に命じられたことも奇怪だと思ったが、シャルロット様も、使用人への配慮を欠かさない。

「ラッキー、俺一番高いやつ」

「…ラクロワ…。お前という奴は…」

 トルドーは席に着きながらやれやれと肩を竦める。

 マルティンはシャルロットに目を向けた。皇帝陛下とシャルロット様はまるで、旧知の仲のようだった。二人で声を潜めて暗い顔になったと思ったら、次の瞬間には笑い合っている。


 二人を後ろから見つめているとよく分かる。

 シャルロット様を包み込むように、春の日差しのような眼差しで見つめる皇帝陛下は、心底シャルロット様を大切に思っている。けれどシャルロット様もまた、同じ気持ちを抱いている。毎朝皇帝陛下の一日のスケジュールを耳にして、頃合いを見計らって「休憩なさってください」とお茶を差し入れられている。

 皇帝陛下はご病気で長く床に伏せていたと聞いていた。シャルロット様に出会ったのも即位式が初めてだと思うのに、これほど愛してしまうものなのだろうか…。




 デザートを食べ終えた一行が店を後にする。

「甘いものが食べたくなりますね」

「塩のケーキなど食べるからだ」

「気になってしまいまして…。次にいつ来れるか分かりませんから」

 大通りを外れた裏手ではちょろちょろと小川が流れ、パーティのような喧騒は遠のいていた。一瞬黙り込んだアロイスはベンチにシャルロットを降ろし、「ここで待っていろ」と残して何処かへと向かう。

「えっ、アロイス様…!?」

「すぐに戻る」


 エリックとマルティンがいてくれるから、怖くはないけれど…。川を挟んだ向こう側を若い男女が通りかかる。時折聞こえてくる楽しげな声が、シャルロットの心を虚しくさせた。

 さっきまでわたくしも、アロイス様と一緒だったというのに…。一体どこへ行かれてしまったのか。


 ベンチのそばで芝生を覗き込んでいた幼い男女の子が頭をゴチンとぶつけ、「いてっ」「痛ぁい…」と二人は頭を押さえながら顔を上げる。涙目の女の子に気が付いた男の子は、「よしよし」と女の子の頭を撫でてあげていた。

 アロイス様も度々、頭を撫でてくださる。前世では貴族たちが陰で言う辛辣な悪態に耐えていたこともあってか、一度撫でられただけで涙が出そうになった時もあった。


 今でも堪えていた思いが溢れそうになるのは変わらない。胸が締め付けられるのに、熱くほとばしる熱情が湧き上がる。


「シャルロット」

アロイスは戻ってくるやいなやスティック菓子を差し出し、シャルロットは硬直した。

「えっ…アロイス様…!」

 アロイスは揶揄うようにシャルロットの前に立ち塞がり、食べるまで譲りそうにない。アロイス様から気安く何かを食べさせてもらうなどあってはならない…。


「それとも口移しの方が好みか?」

 目元がニヤニヤと笑っている。これは本気だわ…。シャルロットは真っ赤な顔で僅かに口を開け、アロイスはその隙間にスティックのフルーツキャンディーを差し込んだ。

 ポリッと音を立てて一つを食べると、シャルロットが咥えたスティックを自身で咥え、残りの一つを口に含める。


 わ、わたくしが一度咥えたものを…!間接的なキス…!

 キャンディーでシャルロットの唇は艶やかになり、目は何かを堪えるように潤む。その顔で目を逸らされたアロイスは反応が面白くてくすりと笑った。

「純情だな。キスをしたわけでもないというのに」

「なっ…。アロイス様!外でそのようなことは仰らないでくださいといつも言ってるではありませんか…っ」

「そなたの反応が可愛すぎるのが悪い」

 エメラルドの瞳は輝きを増す。それは太陽のせいなのか、楽しげに笑っているからなのか。愛おしげに見つめられ、優しく頭を撫でられては、シャルロットはそれ以上言い返すことができなかった。

 

『次にいつ来れるか分かりませんから』

 またいつでも連れてきてやるなんて、叶えられそうにない約束はできない。皇室という鳥篭の中に自由などない。だからせめて、シャルロットには小さな幸せでも与えてやりたかった。

 

  






 キン、キンッと剣がぶつかり合う。騎士を養育する校舎の隣に併設されているのは、騎士の卵たちの宿舎だった。


「シャルロット!!」

 宿舎裏は湿気ていて、一人でいるには陰気臭くて怖くなってしまいそうな所だった。けれどそんな場所でないと、対面が誰かに見られてしまうかもしれない。

 駆け寄ってきた小さな少年はシャルロットのドレスにしがみ付くように抱きついた。





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