小さなライバル
「陛下。東部地域の住民の避難、完了致しました」
トルドーは姿勢を正して敬礼をする。
「そうか。後は…」
「少年と、彼を探しに行ったシャルロット様とその一行です」
シャルロットがいなくなってから既に大分時間が経過していた。
「全員避難が完了したのなら、私が赴いても問題はないだろう」
「大アリですよ。陛下に何かあれば誰がこの国を導いていくんですか」
剣の鞘に手を置き両肩を上げたラクロワの言葉は最もだった。
しかし…、とアロイスの中で迷いが生じる。その時だった。
「おーい!」
応援に駆けつけていた住民の男が手を振っているのが見えた。その背後には、シャルロットの姿があった。
「シャルロット…」
アロイスはホッと息を吐く。
シャルロットはナッシュと手を繋いでいた。どこか神妙な顔付きをしたナッシュは、先ほどシャルロットの手を引いて連れ去ったとは思えないほど静かだった。
「遅くなってしまい申し訳ございません。皆さんの避難は終わりましたか?」
戻って来たシャルロットは泥だらけで、何かあったのは容易に想像できた。…この子どもを追いかけ、シャルロットが危険な目に遭ったのか。
「ああ。そなたたちで最後だ」
シャルロットの腰に手を回して馬車に促したが、シャルロットは足を止めて振り返った。
「…どうした」
「あ…ナッシュくんが…」
ナッシュは地面を見つめたままシャルロットの手を掴んで離さない。
名前で呼んでいるのか…。モヤっとしたが深くは触れず、アロイスはナッシュを見下ろした。
「貴様は向こうの馬車だ」
「…僕もシャルロットと同じ馬車に乗る」
「シャルロットを呼び捨てにして良いのは私だけだ。
そしてこの馬車に乗れるのは私とシャルロットだけだ」
「じゃあシャルロットは僕と向こうの馬車に乗る」
「シャルロットを他の男たちと密室におけるものか」
アロイス様、何だか不機嫌…?
ピリピリした二人の空気を感じ取り、板挟みのシャルロットは狼狽えた。
「あ…では皆で向こうの馬車に乗りませんか?」
シャルロットの苦肉の策に、嫌われたくないアロイスと、シャルロットと繋いだ手を離したくないナッシュは渋々頷いた。
広々とした馬車とはいえ、皇帝陛下と次期皇后陛下が同じ空間にいる。
共に救出に向かった同じ故郷の知人同士とはいえ会話一つできるはずもなく、頭を上げるようアロイスに言われてから重苦しい雰囲気が続いた。
馬車が教会の前に止まりアロイスとシャルロットが先に降りてから、男たちは空気を求めるように外に飛び出た。
「皇帝陛下と同じ馬車に乗る日が来るなんて……」
「だがもう二度と御免だな…」
「ああ。今日だけで寿命が10年縮まった気がする…」
アロイスは馬車で移動する間シャルロットの背か
ら手を離さなかったが、馬車を降りても腰に手をやっていた。
しかしナッシュもまた、シャルロットの手を離すことをしなかった。
教会には毛布で温まり暖を取る者、王宮から配給された食事を口にする者がいて、夜でも賑わっていた。
しかし二人の登場により、水を打ったように静まり返る。
「皇帝陛下!次期皇后陛下!
この度は私どもを救ってくださりありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
食事の手を止め、立ち上がった地区長が真っ先に頭を下げたのを皮切りに、次々と民が頭を下げていく。
「シャルロット様が危険を犯して、森に行ったナッシュを助けに向かわれたことも伺いました。同じ街の者として、何と御礼を申したらよいか分かりません…」
泥だらけのシャルロットの姿に、皆が悟り、覚悟した。
もしお怪我でもされていたら、首を差し出すしかない…。生涯労役を課せられたとしても、迅速な救出活動と避難誘導で家族を守ってくださったお方々だ。
このような土砂災害ごときで皇室が赴いて直接救済してくださることなど、通常であればあり得ない話だ。何を求められても差し出すのは本望でもある。
しかしその覚悟とは裏腹に、シャルロットは天使のような笑顔でいた。
「ここにいる皆さんが無事で何よりです」
シャルロットの可憐な声が聞こえ、皆が面を上げた。
柱の影からシャルロットたちの登場を見ていた白髪の老夫も、腕を組んで汚れた次期皇后を見つめる。
「しかし救えなかった命もありました。早急に訪れていれば、救えたかもしれない命です。お悔やみ申し上げると共に、心から謝罪致します。申し訳ございませんでした」
シャルロットが粛々と謝罪し頭を下げる姿に、「おやめ下さい!」「シャルロット様のせいではございません!」「助けてくださったことさえ、深く感謝しているのです!」と面食らった民の声が掛けられた。
不意にナッシュは繋いでいた手を引いた。シャルロットはその前に屈み込む。
ナッシュの瞳は涙が明かりに反射してきらきらとしていたが、シャルロットはそれ以上だった。
「……ごめんね…」
今にも涙がこぼれ落ちてしまいそうだった。心から悔いる姿を見せつけられ、ナッシュは先程までの自分の行いを後悔した。
二次災害の危惧される森に探しに来てくれただけでなく、自分のために泥に塗れ、それでも救い出そうとしてくれた。
……シャルロットは、何も悪くないのに。
「僕の方こそごめん。……お前のせいだ、なんて言って…」
次期皇后陛下相手にそんなこと言って、ナッシュの奴よく生きていられるな…、と街の者たちは心の中で思っていた。
「良いのよ」
シャルロットは微笑んでナッシュの頭を撫でる。その熱い手の温もりに、ナッシュの心は一層溶かされていった。
ナッシュはじいっとシャルロットを見つめた。それを見ていた街の男たちは「良いなあ…」と呟いては女房や近くの女に小突かれていた。
「……シャルロット、僕と結婚してください」
唐突のプロポーズに、皆が「え??」と口に出していた。しかし当の本人の顔は真剣そのものだった。
「あいつシャルロット様に向かって…!」
「しかも皇帝陛下の御前だぞ!」
「殺されるんじゃ…!」
案の定、アロイスは闘争心をメラメラ燃やしてナッシュを殺し屋の如く睨み付けていた。
一度はきょとんとしたシャルロットは次には和やかに微笑む。
「…いつか、再びそう思える人に出会えたら…逃げ出さずにその正直な気持ちを伝えてあげて」
「っそれは僕がまだ子どもだから…?」
離れたくない。ナッシュがシャルロットの手を引くと、シャルロットの体が止まらずに倒れ掛かる。
「わっ…!」
下敷きになりそうだったナッシュの背中に腕が回り、シャルロットの肩にも支える手が回っていた。
吃驚して目を瞑り掛けたナッシュは、アロイスがそばにいたことで目を開いた。
「お前なんで…!」
しかし自分の背中はアロイスに支えられ、シャルロットは赤い顔で呼吸を乱し、ぐったりとしている。
「…シャルロット…?」
シャルロットの額に手を当てたアロイスは、やはり…、と納得した。
疲れていたとはいえ、帰りの馬車で大人し過ぎた。触れる箇所の体温もやけに高く、呼吸がいつもより早かった。
何よりあんな雨の中長時間外にいて、体の弱いシャルロットが何の体調の異変も訴えない方が可笑しいほどだった。人前だから堪えていたんだろうが…。
「トルドー、今すぐ皇宮に戻る」
「かしこまりました」
被っていたマントをシャルロットに被せて軽い体を抱き上げる。
「シャルロット“も”…死んじゃうの?」
ナッシュはアロイスの背中に今にも泣きそうな顔で問いかけていた。そういえば、このガキは唯一の肉親である母親を…。
「……回復したらそなたに姿を見せに来るだろう」
踵を返したアロイスたちがいなくなる。それでもナッシュは、祈るように胸の前で手を握り締めていた。