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心を打つ光




「出てくると危ない。そなたも教会へ行くと良い」

「ご心配してくださりありがとうございます。避難が進んだらわたくしも移動いたしますわ」

「そうか…」

 なんで優しい眼差しなのかと思う。まるで子どもや子犬を見つめるような。


「しかし雨に濡れては風邪を引く。当分は馬車にいてくれないか」

 頼まれていると気付き、シャルロットは「分かりました…」と戻りかけた。

「待ってお姉さん!」

 その足を、まだシャルロットの腰ほどの背丈の男の子がしがみついて止めた。

 まん丸の目が印象的な、女の子のように可愛らしい容姿をしていた。その服は泥や砂利で汚れ破れた服からは切り傷が見えていた。



「こらナッシュ…!シャルロット様にやめろ!」

「偉い人なんでしょ!僕たちを救ってくれるんでしょ!」

「え、ええ…」

 エリックが抜いた剣をナッシュに向ける。ビクリと震えたナッシュは、青い顔でそうっと距離を取った。

「エリック卿、剣をしまってください」

「……はい」

 言われた通りエリックが剣をしまうと、シャルロットはナッシュに歩み寄った。怯えを隠すようにキッと睨み付けてくる男の子に、シャルロットは微笑み掛ける。

「何か困っているの?」

「……ママが……」

 シャルロットの手を握り、ナッシュは引っ張った。

「とにかく来て!」

「っシャルロット!」

「すぐに戻りますわ!」



 引っ張られるまま着いて行ったシャルロットは、先々で「シャルロット様!?」「ナッシュなんてことを!」と止めにかかる国民の声を聞いた。しかしナッシュは足を止めなかった。

 やがて空の馬小屋のような場所で、三枚の布を見た。

「ナッシュ!何故ここに…!」

「そのお方はまさか…シャルロット様!?」

「そんなわけない!何故こんな場所に!」

 その場にいた者たちは二人の登場に慌てふためいていたが、ナッシュは構うことなく一枚の布の前に立ち止まった。その布をめくられ、シャルロットは口を覆った。

「ママを治して!」

 真っ青な唇、血で汚れた髪の毛、無数の傷跡。

 この方はもう………………。


「偉い人なんでしょ!凄腕の医者を連れてきてよ!」

「ナッシュ、お前のお母さんはもう…」

「うるさい!!医者がいれば治るんだ!」

「…ナッシュ…」

 シャルロットにしがみつき、ナッシュは必死の血相で頼み込んだ。

「お願い!ママを助けて!」

 しかしそれはシャルロットを苦しめるだけだった。この子は純粋にお母さんを助けたいと思っているだけ。けれどお母さんはもう、この世にはいない。

 

「ナッシュくん…、よく聞いて」

 その言葉だけで全てを悟ったように、まだ幼い子どもの顔が強張る。

「お母さんの心臓はね、もう動いてないの。そうなってはもう、蘇らせることはできないの」

「嘘だ…!」

 涙を堪えようとぐちゃぐちゃになった顔で、声を押し殺す。小さくひっく、ひっくと馬小屋に響いた。

「…助けてあげられなくてごめんね」

「っ嘘だあ!!!」

 認めたくない。そう言っているような彼の喚きは、誰も止められなかった。

「嘘だっ……」

 肩を震わせ、手のひらを握り締める。


 ナッシュは来た道を戻って馬小屋を出たと思うと、シャルロットや皆の止める声も聞かず走り出した。

「あいつ…!あっちは土砂のあった森だぞ!」

「おい、まずいんじゃねえの!」

「おっ、俺皆に助けを呼んでくる!」


「……」

 一歩前に出たところで、シャルロットの前に二人の騎士が立ち塞がる。

「行けませんシャルロット様」

 マルティンは眉を寄せ困窮しているようだった。

「…こうなってしまった責任はわたくしにもあります」

「皇后陛下となられるシャルロット様を危険な目に遭わせるなど言語道断です」

 エリックは普段の穏やかさを潜め、険しい顔でいる。


「…皇后となるからこそです」

 今彼を見捨ててしまえば、きっとわたくしは後悔する。

 かつてアロイス様を失いかけた時、助けもなく絶望的だった。失うかもしれないなんて、認められるわけがない。再びアロイス様が瀕死になってしまったらと思うと、恐ろしくてたまらない。大切な人を失ったあの子の気持ちは、私にもよく分かる。


「民の上に立つ者が民を見捨てるなどあってはなりません」

 その時、応援で駆け付けた民たちがシャルロットの言葉を聞いていたことに、シャルロットだけが気付いていなかった。

「ましてやわたくしは帝国ではなく他所から来ました。この帝国の地の民に認めてもらうためにも、安全な場所に閉じこもっているわけにはいかないのです」

 

 雨が人に降り注ぐ。それはシャルロットにも例外なく、髪も肌もマントも濡らしていた。

 シャルロットが怒っていることは、普段崩している口調を丁寧なものにしていたことから伝わっていた。迷いのないシャルロットの瞳に怯んだマルティンは、ちらりとエリックを見上げた。

「……畏まりました。しかし夜の森は危険ですから、絶対に私たちから離れないと誓ってくださいませ。

また短時間で見つからなかった場合、引き返していただきます」

「誓うわ」

 話がまとまったところに、一人の男と少女が前に出る。

「シャルロット様、この子がナッシュの行き先に心当たりがあると…」

 シャルロットはその少女の前に屈んで目線を合わせた。

「教えてくれる?」

「っうん!ナッシュはよく森でお母さんと花を摘んでたの。きっとその花畑にいるよ!」

「そう…。ありがとう」

 シャルロットに頭を撫でられ、少女は照れたように俯きがちに頬を染めて笑っていた。


「案内していただけますか」

「もちろんです!」

 シャルロット、エリックとマルティン、応援で駆け付けた数名が森へ入った。

「真っ暗で何も見えないわね…」

 手元のランプだけが便りで、もしそれがなければ恐怖で引き返してしまいそうだった。

「これだけ暗いのに一人で入り込むとは…」

「これは…ナッシュも迷子になった可能性があるな…」


 花畑、という場所に案内されたものの、草地は土砂で流され、言われても花畑があったとは思えなかった。

「……こりゃあ酷いなあ…」

「まさか土砂がこの花畑もダメにしてたとは」

「.…あの子の姿が見当たりませんね」

 何度か皆で名前を呼んでみたものの、応答はない。そもそも雨が自分たちの声も掻き消すようなこの状況で、あの子に声が伝わるかも分からない。


「やはりどこかで迷子になったのか?」

「来た道を戻ってみよう」

「さっきの道を左かもしれない」

 話し合いながら戻っていく男たちを見つめながら、シャルロットもその後を追おうとした。

「…ママ…」

「っナッシュくん!?」

 全員がシャルロットを振り返った。確かに聞こえた。子どもの声が…!

 辺りをキョロキョロしていたシャルロットの目に、木に寄りかかってうずくまる少年の姿が見えた。

 あの服装と髪は…!



『みーつけた。ママの勝ち!』

「見つけたわ」

「っママ!?」

 期待の湧いた眼差しは、シャルロットを見つめ希望を失ったように落ちていく。

「…帰りましょう?皆心配してるわ」

「うるさい!」

 差し伸べたシャルロットの手を振り払い、その場で立ち上がったナッシュが地団駄を踏んだ。

「お前がもっと早く助けに来ていれば!ママは助かったかもしれないのに!!」

 ナッシュの頬に雨ではないものが流れる。この女に怒っても仕方ない。けど怒ることで、自分を保っていられた。どうしたら良いのか分からなかった。

「お前のせいだ!」

 もう一度地面を強く踏み込んだその時、足場が崩れ落ちた。


 迎えに来ていた者たちが目を見開く。シャルロットが伸ばした手に、ナッシュは咄嗟に手を伸ばしていた。

 しかしその手を掴むことはなく、体が落ちていく。ギュッと目を閉じたその時、誰かがナッシュの腕を掴んだ。腕から滑ったか弱い手は、なんとかナッシュの手を握りしめてくる。

 ナッシュが恐る恐る見上げると、苦しげな顔のシャルロットがいた。

「お前…!」

「ナッシュくん!絶対手を離さないで!」

 身を乗り出したシャルロットを支えるように騎士と男たちが引き上げようとする。ナッシュは下を見て、落とし込もうとする崖底の闇に身が震えた。

「…でも、お母さんが死んじゃって…僕一人だし…」

「例えそうだとしても!」

 腕が引きちぎれてしまいそうだった。掴んでいるだけで精一杯で、雨にかき消されないよう声を張り上げた。

「お願い!生きて!」

 ナッシュの目が瞬く。その瞬間、雨で濡れたシャルロットの手からナッシュの手が滑り落ちた。


「っ!!」

 しかしすぐに伸びた二つの手がナッシュの両手を掴む。エリックとマルティンの逞しい手だった。シャルロットは体を起こし、ナッシュは二人によって引き上げられ地面に尻を着いた。


 「ハア、ハア」と荒い息使いをした二人は徐に視線を合わせた。

「わたくしでは貴方に何もしてあげられないけれど…生きていてほしい」

 シャルロットはそうっと手を伸ばし、頭を撫でる。かつて母親に頭を撫でられた温かな感触と似ていた。ナッシュは顔を歪めて泣く姿を隠すために俯いた。

「帰りましょう?皆さんのところへ」

 命懸けで守ってくれた。その恩人に逆らえるほど礼儀がなっていないわけではない。尖っていた心は、すっかり丸くなっていた。


 コクリと頷いたナッシュは、シャルロットが伸ばした手を今度こそ取る。苦労ばかりしていた母親のようにシワが刻まれた微笑みではないのに、目が離せなくなるほど優しいものだった。



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