婦人たちの集い
「シャルロット皇妃殿下。ビアンカ様の下命により、ここで死んでもらう!!」
恐怖から目を晒すように、きつく目を閉じたシャルロットを、誰かが包み込む。
肉を切り裂く音が辺り一面に響いた。
次にシャルロットが目を開いた時には、アロイスは地面にうつ伏せになり、その背には剣が突き立てられていた。
溢れ出した血がシャルロットの両手のひらほどにまで大きくなり、アロイスはピクリとも動かない。
「──っアロイス様!!」
飛び起きたシャルロットは、視界に入るベッドの幾重のレースの天蓋に頭が追いつかなかった。
ゼエハアと息をしていると、「シャルロット様」と声が掛かる。
眉間に皺を作ったソフィーは、シャルロットの額の汗を静かに拭った。
また、夢だったのね…。
一度似た場面を経験したからか妙にリアルで、未だに手が震えている。
「…シャルロット様…」
「……ごめんなさいソフィー。今日から復帰なのにこんな姿を見せてしまって」
「こんな姿、ではありませんよ」
皺々の両手がシャルロットの震える手を包み込む。
シャルロットは祈るように目を伏せたソフィーを見上げた。
「申し訳ございません。罰なら後でお受けいたします」
罰なんて与えられるわけがない。わたくしの震えを収めようと手を握ってくれているというのに…。
「…貴方がわたくしの侍女で良かったわ」
小さな目をこれ以上は無理というほど見開き、ソフィーはシャルロットを見つめていた。
「シャルロット様…」
意識せずシャルロットの頬が緩んでいた。
いつの間にか手の震えは収まり、飛び出しそうだった心臓も落ち着きを取り戻していた。
狩猟祭での出来事が、つい昨日のことのよう。
シャルロットにとってトラウマをさらに抉られたようなもので、悪夢は日に日に酷くなっていた。
長テーブルには厨房の料理人が腕を振るって作り上げたスイーツが並べられている。
10人ほどの夫人たちが並び、シャルロットは一人席から皆を見つめた。
「皆さま、本日はお集まりいただきありがとうございます」
「わたくしどもも、次期皇后陛下にお会いできる今日を楽しみにしておりました」
「このような席にお呼びしていただき、光栄ですわ」
ディートリヒ公爵夫人のフェラニアが品格を保ちながら優雅に微笑み、フォーゲル公爵夫人のリンジーは愛嬌のある顔を緩めた。
「ステラ皇女殿下が遅いですわね…」
「本当、どうしたのかしら」
向かってテーブルの右側、皇帝派の夫人たちが淑やかに発言した声に被せるように、反対側から声が上がる。
「ステラ皇女殿下はともかく、帝国の従属国である公国の公女が、帝国の貴族より遅刻して到着されるとは、まだ皇后陛下でもないというのに身の丈を超えているとは思いませんか?」
「本当に。公国の方はそういう些細ことにまでは気が回らないの?」
向かってテーブルの左側、貴族派の夫人たちは嘲笑する。
声高に罵ったのは、エンリオス公爵夫人とバジリオ侯爵夫人だった。
右側の皇帝派の夫人たちは苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、リンジーは目を閉じて沈黙し、フェラニアはちらとシャルロットを見やった。
成る程、公平を期すために貴族派と皇帝派、双方の高位貴族の夫人をお茶会に招いたけれど、ステラに聞いていた通り仲は険悪なよう。
先代皇帝陛下が崩御されてから、真っ先に次期皇帝を巡る派閥争いが起きた。
貴族たちは主に貴族派と皇帝派に分かれ、ほんの少数だが中立派もいる。
皇室の近代史を見ても貴族派が皇室に嫁いだ例はなく、皇室の血は皇帝派と他国の姫君によって繋がれてきた。
先代皇帝陛下には姉がいたが、隣国に嫁いだため帝国の皇室は抜けたことになり、さらに疫病で既に崩御された。
ステラ皇女を除いて他を失った皇室には、正当に皇帝陛下となれる皇位継承者がいなくなった。
そのため、当時貴族派は渡りに船とばかりにステラ皇女に婿を取らせようとしていた。
「口を謹んでください、エンリオス公爵夫人、バジリオ侯爵夫人」
二名はシャルロットを睨み上げたが、他の貴族派は萎縮していた。
もしアロイス様がいなければ、その策略は現実となっていたかもしれない。
けれど、正式な皇位継承者が現れてしまった。
あと一歩及ばなかっただけで、企ててきた策略が足元から崩れ落ちたのだから、貴族派は泣き寝入りするしかなかった。
そればかりか、アロイス様に圧力を掛けられることになり、夫人たちの主人である公爵や侯爵たちは、事業が傾きかけ、苦戦していると聞く。
貴族派としては、このままの状況というのはいただけない。
アロイス様を皇帝の座から失脚させるには、まだ即位して間もなく、取る揚げ足もない。
貴族派に反発して皇帝派はアロイス様を支持しており、盤石とまでは言えないものの、その足場を崩すのは困難。
それよりは、わたくしを皇后の座から引き摺り下ろし、若しくは皇妃として、貴族派の陣営から皇后を輩出したいと考えるはず。
ここで下手に出たら足元を見られ、わたくしだけでなく皇室を支えてくださる皇帝派にも被害が及んでしまうわ…。
「身の丈を超えているのはどちらですか?
わたくしは皇帝陛下に唯一認められた妃であり、皇后として迎えられることは貴女方も即位式で聞かれたはずです。
それを軽視するような発言をなさるなんて、エンリオス公爵夫人はまさか、皇帝陛下の決断を非難なさっているのですか?」
「っそんなわけありません…!」
顔を真っ赤にして、ムキになって否定する。
『私は他の妃は迎えない。
もし縁談を進めるようなものがいれば…私の宣言を軽んじ、皇族を侮辱したと受け取ろう』
アロイス様は即位式でそう仰られた。
皇族侮辱罪の果ては死刑なのだから、エンリオス公爵夫人の反応は当然のこと。
「バジリオ侯爵夫人もです。貴女は先代の皇后陛下にもそのような言葉遣いをされていたのでしょうか」
「…いえ…」
「皇后陛下への礼節を弁えているのなら、身の丈に合った言葉遣いをなさってください」
目を逸らして腕を強く握り締めたバジリオ侯爵夫人は、「…はい」と嫌々返事をした。
これは単なるお茶会ではない。
敵が味方か、それを見極める場であり、同時に敵側に回るならば、容赦はしないと警告をするために設けたもの。
前世のように、所詮は公国の出だからと自分を卑下するようなことはもうしない。
わたくしはアロイス様と幸せになると決めたのだから。
あの夢の惨事を繰り返したりなどしない…。
夫人たちが集う温室の前で、木々に身を隠していたステラは空を仰いだ。
聞いていた話と違うじゃないですか、陛下…。
『シャルロットのこと、そなたが上手く援護してやってくれ』
お茶会に向かう最中、ステラはアロイスに呼び止められ、そう告げられた。
シャルロットが心根の優しい人物だというのは、ステラにも伝わっていた。
アロイスの懸念も理解ができ、ステラは二つ返事で引き受けた。
もし何かあればその時こそ貴族派を滅ぼしてやるとまで思っていたのに、蓋を開けてみれば…。
「フォーゲル公爵夫人は懐妊されたそうですね。おめでとうございます」
「皇后陛下の祝福を頂けるなんて光栄です」
真っ先に場を収めたことで、主導権はシャルロットが握った。貴族派は借りてきた猫のようになっている。
どうやら私はみくびっていたようね。
「遅れて申し訳ありません」
皆の前に姿を現したステラは、シャルロットに向かいドレスを持って礼をした。
「皇后陛下にご挨拶申し上げます」
舞台の役者が揃ったわね。シャルロットの唇が弧を描いた。