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手を繋いで眠る夜




 侍医の診察を受けたシャルロットは、人払いをされた皇后宮の部屋で眠りについていた。

「シャルロット!」

 執務室で事情を知り皇后宮に駆け付けたアロイスに、ステラとニコラス、ソフィーの代わりの侍女の視線が向けられる。ベッドで一人眠りにつくシャルロットは、眉を寄せ時折呻き声を上げて汗を掻き、お世辞にも心地良さそうとは言えなかった。


 アロイスの顔から血の気が引いていく。

 握り締めた拳が、熱い。


「陛下、大変申し訳ありません」

 扉のそばで待機していたマルティンとエリックは跪き、頭を垂れる。


「シャルロット様の面前で剣を抜き、人を斬る瞬間を見せてしまい…そのショックで…」

「…ニコラス卿」

 アロイスは背後で説明するマルティンとエリックではなく、ニコラスの名を呼んだ。



「何でしょうか」

 悪びれもない態度にアロイスはむかっ腹を立てた。

 前世の私だったら、迷わず斬りつけていたことだろう。しかしもう、あのようなことはしないと決めた。…彼女のために。




「シャルロットは戦争もない平和な公国でいち令嬢として育った。目の前で斬殺するような刺激は、彼女には耐えがたい。

そなたもいち公爵家の子息だというのに、淑女を気遣う心さえ持たぬのか」


「私は称賛されることすれ、叱責されることはないと思っております。

あの者がまだ武器を所持し、エリック卿の腕から抜け出して、ステラ皇女殿下や未来の皇后陛下に傷を付けていた可能性がありました。身の安全が第一でしょう」


 アロイスとニコラスの視線がぶつかり合う。



 ステラの希望もあり、護衛を変えずにいたが、アロイスはその選択は間違いだったと思った。

「…そなたは専属の護衛騎士には向いていないな」



 吐き捨てるように告げたアロイスはベッドの傍らに寄り、汗をかいたシャルロットを覗き込む。

「失礼ながら陛下──」

「貴方はもう黙って」


 言い返そうとしたニコラスの腕を引っ張り、ステラは注意を逸らした。シャルロットが倒れただけで不機嫌だというのに、これ以上怒られるのは真っ平よ。




「私が代ろう。全員外に出ろ」

 ステラはニコラスを連れて真っ先に席を立ち、侍女も続く。


「陛下、お伝えしておきたいことがございます」

「何だ」


 シャルロットの首の汗を拭うアロイスは、顔を向けずにマルティンの言葉に返事だけをした。


「ステラ皇女殿下とのお茶会に向かわれる道中、嫌がる下女に乱暴を働こうとしたディートリヒ皇室騎士団のトリシア・サイエルとレート・ジルアに遭遇しました。シャルロット様は下女を助けられ、二名に注意をしたのですが聞き入れた様子がなく、シャルロット様に対する態度も適切なものではありませんでした」

 



『女はお荷物なんだよ』

『虐めるなよ。女の汗もいいもんだろ』


 散々サイエルとジルアに受けてきた辱めを思い出し、マルティンは無意識のうちに拳をギュウウと握っていた。試合中に服を剣で切られ危うく胸元を晒しかけたこともあった。

 その時の奴らとその取り巻きといえば、惜しかったなどとほざきながら下品な声で高らかに笑っていた。


 上官は注意こそするものの、高位貴族の子息であるあいつらを言いまかす事はできず、あいつらのしでかしたことなど簡単に揉み消される。




「そうか。報告ご苦労」

「陛下、私からも一点お伝えしておきたいことがございます。私はコフマン伯爵夫人から伺っただけで、そのコフマン伯爵夫人も陛下には黙っておくよう、シャルロット様に言われていたようなのですが」


 コフマン伯爵夫人が私に報告をしなかったこと…?そこまで言われてエリックを振り向いたアロイスが、厳かな顔をさらに険しくさせた。



「シャルロット様は時折、悪夢にうなされて目覚められるそうです」

「っ……」


 まさか…前世の悪夢…?







 二人が扉の外にいなくなった後、アロイスは何時間もシャルロットの汗をふき、片時もベッドを離れなかった。



 共に寝ていれば気付けたかもしれない。眠れないシャルロットに手を貸してやった前世のように、手を繋げば少しは安眠できたかもしれない。


 業務の忙しさにかまけて気付けなかったでは済まされない。

 シャルロットがこんなにも苦しんでいるというのに…。




 シャルロットが薄らと目を開く。





 頭がズキズキと痛み、目に力が入って細まる。手が、震えてる…?

 その手の先を見て、自分ではなく握っているアロイスの手が震えていたのだと分かった。


「……アロイス様」



 祈るように、繋がる二人の手に額を預けていたアロイスは、そっと顔を上げた。

「シャルロット…」

「わたくし…」


 そうだわ、剣と鮮血を見て、気絶したのね…。

 剣は嗜む程度には習っていたから、もう平気だと思っていたのに。




 起き上がろうとしたシャルロットをアロイスは肩を押さえて止める。


「まだ寝ていろ、侍医が安静にしているように言っていた」

「…どのくらい眠っていたのでしょう?」

「半日ほどだ。ソフィーも休ませた」

「…そうでしたか…。ソフィーは、無事なんですか?」

「ああ」


 燭台の炎が暗い部屋をほのかに照らす。

 アロイス様の顔色が、あまり良くない…。頬に伸ばした手は、触れる前にアロイスが握り締める。



「…私がそばにいる。扉の外には護衛もいるから…、今日はもう寝ろ」

「今目覚めたばかりですわ」


 手で口元を隠して吐息まじりに笑ったシャルロットは、ベッドをつめて開いた隣をポンポンと叩いた。



「アロイス様が一緒に寝てくださるのなら、話は別ですが」

 試すように上目遣いで見つめてくるシャルロットの魅惑に、アロイスは「そなたには敵わない」と諦めたように溜息を吐いた。しかしその表情は楽しげだ。


 潜り込んだベッドはシャルロットの温もりが残っていて暖かい。アロイスは握ったままの手を離さず、隣のシャルロットを向いた。


 慈愛に満ちた視線と、手から伝わる温もりに、シャルロットは胸の激しい鼓動が収まらない。





「そ、そういえば…ソフィーは前世でも皇宮に勤めていましたか?わたくしは記憶にないのですが…」

「ああ。先々代皇帝の頃から勤めている最古参の侍女だ。しかしあのように口煩いから先代の皇后はよく思わず、解雇を命じた。家計のこともあり、ソフィーは無視して働こうとするから、永劫庭掃除という謹慎処分を受けていた」


 家計のこと…?ソフィーは貴族のはずじゃあ…。



「コフマン伯爵夫人ではないのですか?」

「名ばかりだ。ソフィーの主人である先代コフマン伯爵は既に亡くなっている。子がいなかったため、遠縁の当時10歳にも満たない子が爵位を引き継いだ。

新しいコフマン伯爵は豪遊し、咎めたソフィーを伯爵の権限で伯爵家から追い出した。それからソフィーは皇宮で賃金を得て、自身の力で暮らしている」


「そうだったのですね…」

「エリック卿とマルティン卿も、ディートリヒ皇室騎士団のいち団員に過ぎなかった。剣を含め判断力や分析能力など実力は他の者より抜きん出ているが、後ろ盾がないために専属の護衛にまではなれなかった」



 まだ聞きたいことは山ほどあったが、アロイスは「今日はここまでだ」とシャルロットをじいと見つめる。

 アロイス様の体調も良いわけではないし…あまり突っ込むのは良くないわよね。



「おやすみなさいませ、アロイス様」

「おやすみシャルロット」


 アロイスの長い睫毛が伏せられ、彫刻品のように麗しい寝顔だった。

 寝顔を見るのは前世以来だわ。無防備な寝顔…。



 ものの数分で、隣から安らかな寝息が立つ。ドクドクと脈打つ心臓が聞こえてしまわないか気掛かりで、距離を取ろうとシャルロットは体を起こした。




 ノックの後に「失礼します」と入ってきた補佐官は、「アロイス様、そろそろお戻りに…」と途中で言葉を止めた。

 人差し指を唇の前で立てたシャルロットが、嬉しそうに微笑みながらアロイスを見下ろす。


 陛下がお休みになられている…。私たちがどんなに説得しても、夜通し部屋の明かりが付いていたというのに…。




 音を立てないよう、シャルロットは慎重にベッドから降りた。


「ようやく眠られたところですので、起こさないであげてください」

「もちろんでございます、シャルロット様。

私は筆頭補佐官のイレオン・レヴィナスと申します。ご挨拶が遅れてしまい大変申し訳ございません」

「存じ上げております。レヴィナス卿のお陰で陛下の業務は滞りないと、皇后宮の使用人たちも噂しておりました」



 レヴィナスは前世でもアロイスの筆頭補佐官をしていた。しかしシャルロットの記憶の中では、目立った存在ではなかった。



 アロイスの提案する政策に反対を述べはしなかったものの、肯定を述べるわけでもなく、困ったような平行眉が性格を表しているようだった。


 現在、暇が増えたシャルロットは皇后宮内を出歩くようになり、レヴィナスのサポートのお陰で夜通しミスの手直しをする作業が夜を迎える前に終えられた、発注し忘れた陛下の筆のインクをレヴィナスが仕入れていた、など、皇宮の者たちが助けられたエピソードを語っていた。




「とんでもございません。全ては陛下が指示をなさり、私はただ動いているだけのこと。称えられるべきは陛下の手腕でございます」


 縁の下の力持ちとは、こういう方のことを言うのかしら。謙虚な姿勢もシャルロットには好印象だった。



「わたくしは別室で支度しますので、誰か侍女を呼んでいただけますか?」

「かしこまりました。シャルロット様も病み上がりですので、どうぞお掛けになってお待ちくださいませ」

「ありがとう」

 柔らかな物腰は正に紳士という言葉がぴったりだった。




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