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逆行した公女





「っ陛下!」


 バッと飛び起きたシャルロットはびっしょりと汗をかき、呼吸も定まっていなかった。


「陛下!!」



 どこか見覚えのある部屋は、湖の奥深くでも、皇妃宮の寝室でもない。けれどピンクばかりの甘い色合いの室内は、どこか見慣れているような気がした。お香を焚いた強い花の香りではない、何と例えるほどでもない懐かしい香りがする。身を動かすと弾力のあるベッドが沈んだ。

 自身の姿を見下ろすと、まるでただ寝ていたかのように簡易な寝巻きを着ていた。


 わたくしは…生きているの……?


 そう思ってふと、自身の体がやけに小さい気がした。両手のひらを見つめてシャルロットは瞠目した。



 慌てて立ち上がり、ベッドを転げ落ちるように姿見の前に立つ。


「……何、これ………」


 瞳孔の開いた目が、鏡越しに見つめてくる。

 その姿は間違いなくシャルロットのものだった。


 しかし“若かりし時の”である。



「どうして子どもに戻っているの………」




 自身の頬を指で触れる。肌のふにふにとした柔らかさが、子どもの姿を嘘ではないと物語っていた。けれど到底、信じられるものではない。

 容量を超えた事態に、頭が素直に追いつかなかった。



「陛下は…、陛下はどちらに…」

「シャルロット様、お目覚めですか?」


 「失礼いたします」と声を掛けて入ってきた侍女は、「まあ、すごい寝汗…」と目を丸くさせた。


「……レイラ…」



 背中まである焦げ茶の髪を後頭部で一つに結き、赤いリボンをしている。シャルロットが陛下の元に嫁ぐまで、常に身の回りの世話をしてくれていた侍女だった。


 まさか、また会えるなんて…!


「会いたかった…!」



 声を震わせて抱きついたシャルロットに、レイラは「あらあら…」と母性が滲み出て抱きしめ返す。


「怖い夢でも見られたのですか?」

「……夢……だったのかな…」



 予測もしなかった反乱。

 皇妃殿下であるシャルロットが追われ、剣を向けられた。




『こちらにいらしたのですね、皇妃殿下』


『…ビアンカ皇妃殿下が…謀ったのね……』

『その通りです』


『泣かすねえ。

それほど陛下を愛していたのに、陛下は他の女に夢中だった』


『けどその女は、陛下を一切愛してなどいなかったんだよ』

『……何故ですか…』

『それは俺が知ることじゃない。俺はシャルロット皇妃殿下とアロイス皇帝陛下を、反乱に乗じて殺すよう命じられたのみ』



 どこまでも追いかけて来る兵士たちの靴音も、言葉だけで傷付いた胸の痛みも、漂う血の臭いも、最後に陛下が頭を包み込んでくださった感覚も、全てつい先ほどの出来事。


 あんなに鮮明に覚えているというのに…。

 あれが夢だったというの…?



「朝食をお摂りしましょう。食後には旦那様が取り寄せてくださったあのラングルンのカモミールティーがございます。それを飲めば、シャルロット様も落ち着かれると思いますわ」


 レイラの変わらない微笑は、シャルロットの心を幾分か落ち着かせた。

 



「ねえ、レイラ」

「なんでしょうか」

「わたくしは…いくつだったかしら」

「何を仰るのですか、先月10歳を迎えられたばかりではありませんか」


 レイラはシャルロットを覗き込む。


「どこか具合でも悪いのですか…?」


 風邪を拗らせても夜通し面倒を見てくれていたのは母親ではなくレイラだった。


「ごめんなさい。まだしっかりと目が覚めてないみたい。朝食を終えたらきっと治っているわ」


 レイラは納得したように「そうですわね」とにこりと笑って頷いた。




 シャルロットが陛下の元へ嫁いだのは、17歳の時の事だった。そしてあの悲劇があったのは、それから一年ほど経った頃。つまり8年近く時を遡ったことになる。

 けれど果たして、そんなことが本当に起こりうるのかしら…。



「……陛下……」


 そう呼ぶだけで、胸に石でもつかえたように苦しくなる。自分のことを庇って凄惨な傷を負った人のことを考えて、何とも思わないはずがなかった。


 わたくしを庇って、あのような最期を迎えられるなんて。けれどわたくしの時間が戻ったのだとしたら、陛下の時間も戻られたかもしれない…。




 シャルロットと陛下は、いわゆる政略結婚だった。



 シャルロットの生まれ故郷であるここテノール公国は、何代も前に武勲で功績を残し、かつて存在していた王国に領地を与えられた公爵だった。しかしその王国は、大国である陛下のラングストン帝国に吸収され、現在は帝国の支配下にある。公国の歴代大公殿下とその周囲は、先代まで豪遊三昧で、やがて財政が底をついた。

 その援助をする代わりに従属を示す証として、公女だったシャルロットが当時独身だったラングストン帝国の陛下に皇妃として迎えられた。


 そして一年後、この反乱が起こった。




 食後のカモミールティーを啜ったシャルロットは、ふうと一息吐いた。

 ラングストン帝国産の茶葉を使用した紅茶のみを取り扱う茶屋ラングルン。シャルロットはそれを好んで幼い頃から輸入していた。



「そういえば…お父様とお兄様はどちらに?」


 シャルロットは三人家族だった。お父様と、前妻の子であるお兄様。

 前妻は病で早くに亡くなり、私の母である後妻は公国の資金を横領して若い男につぎ込み、大金を持ってその男と駆け落ちをした。


 確かそれは、今から数ヶ月前の出来事だったように思う。



「出かけられておりますわ」

「どちらへ?」


 ケーキを切っていたレイラの手が止まり、あからさまに目を逸らした。



「……お伺いしておりません」

「いつ戻られるの?」

「ひと月後だそうです」

「…そう…」



 前世の記憶を手繰り寄せてみると、母が失踪してからシャルロットが嫁ぐまで、父と兄は頻繁に家を空けていた。

 あれは融資を頼みに各方面に出向いて頭を下げていたのだろうと、成長してから思ったことがある。


 レイラはそれを隠そうとしているんだわ。

 わたくしがまだ子どもな上、元々裕福でなかったというのに、わたくしの母のせいで急激に財政難に陥ったから…。




「…いつもありがとうね、レイラ」


 ケーキをテーブルに置いたレイラはきょとんとして、シャルロットを労わるように微笑む。



「シャルロット様がそのようにお優しいから、私もシャルロット様のお力になりたいと思うのですよ」

 レイラの笑みを見ているうち、シャルロットまで口元が緩んでいた。



「それにしても、シャルロット様はまだ10歳だというのに、本当に大人びていらっしゃいますわ」

「…そうかしら?」

「はい。今日はまた一段と」


 ピクリとシャルロットの肩が跳ねる。目を合わせて笑ったレイラは気付いていない様子だった。


 前世と合わせたら28歳なのよね…。

 急に老けたようで悲しいわ…。



「本日のご予定はダンスレッスン、外国語、マナーレッスンがございます」


 懐かしい。

 陛下がダンスを一切踊られなかったから、ダンスは全く役に立たなかったけれど、諸外国との交流では陛下のサポート役として翻訳できたし、帝国マナーに不慣れで公国のマナーでいても、咎められたことは一度もなかった。


 …本当は、今すぐにでも陛下のご無事を確かめたいけれど……、現段階でわたくしはまだ陛下のいらっしゃるラングストン帝国と関わりがない。



 初めてラングストン帝国と関わりを持ったのは…帝国の現在の皇帝陛下が即位20周年を迎えた、記念式典のパーティー。


 当時シャルロットは12歳だったから、その日まで、あと二年ほどある。それまでに確認したいことも、学んでおきたいことも山積みだった。



「レイラ、頼みたいことがあるの」

「はい?」


 カモミールティーを注ぎ直していたレイラは気の抜けた声を上げた。




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