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憂苦からの解放






 その後皇宮の応接間に通されたベーベルとクリストフは、人払いがされたことで頭を抱えた。




「シャルロットと縁談を進めてくださったのはありがたいが、まさか皇后陛下となり、唯一の妃となるなんて…」

「唯一の妃であることは、シャルロットにとっては喜ばしいことです。後宮を持ち様々な女を召し上げることなく、シャルロットだけを妻に迎えてくれると公式の場で誓ったのですから」

「それは…、確かに、あの子の父として私も嬉しい。

だがシャルロットが唯一の皇后として、帝国の重圧に耐えられるかどうか…」




 公国の頂点に立つテノール家の二人は、上に立つ者が地位や権力を得るために周囲を蹴落とす残忍さを知っていた。


 それは、妃が妃を手に掛けるだけではない。


 侍女が妾の座を狙って、執事が金に目が眩んで、貴族が権力を得るのに立ち憚る壁だったから。



 妃というのは様々な理由で様々な者に命を狙われる。




 皇帝の妻が一人となると、いざというときの矢先はシャルロット一人に向けられる。



 また貴族の女性の多くは、他者の批判を何よりも好物とし、婦人が集まる茶会では壮絶なバトルが繰り広げられている。


 万が一シャルロットが倒れたりしたら、帝国の貴族たちは我こそはと手を挙げるに違いない。


 そして彼女たちは、二番手として選ばれる可能性が最も高いだろう。

 他国から迎えるとなると時間が掛かり、侍女などを皇后に迎えるのは体裁が悪いからだ。 




「帝国の婦人たちに陥れられでもしたら、心優しいシャルロットは追いやられてしまうかもしれない」

「……それは……」



 たった一人の妹が唯一とされて、肩書きも申し分ない帝国の王に求婚を受けた。


 クリストフはまだ肯定的だったが、ベーベルは違った。




「それに、陛下とシャルロットは今日が初対面のはずだ。

それなのにいきなり求婚するなんて可笑しいと思わないか」



 ベーベルが不審な思いを吐露したところに、ノックが掛かる。



 



「こちらです」

 外からその声が聞こえ、ベーベルとクリストフは考えるのを止め、腰を上げた。



 簡素な紳士服に着替え直したアロイスは、隣にシャルロットを携えて現れる。


 その顔はシャルロットの家族への挨拶ということもあり、引き締まってはいたが穏やかなものだった。


「遅れてすまない」

「とんでもございません。たった今来たところでございます」



 アロイスの気遣いに、ベーベルは頭を下げた。

 二人掛けソファが三つあり、ベーベルとクリストフが向かい合っているため、シャルロットはクリストフの隣に向かった。



「どこへ行くんだ」





 空いたソファの前に立ったアロイスは、シャルロットの繊細な指先を取る。


「え…」

「………」



 アロイスはその反応を見てから、しまったと思った。




 前世のようにシャルロットを強制するべきではないというのに…。


 手を離したアロイスは目を伏せる。


 つい先ほどまでにこやかだったのに、しゅんとしてしまった。

 ベーベルとクリストフにはあまり表情の変化は分からなかったが、シャルロットにはまるで捨てられた子犬のように見えた。



 そのようなお顔をされてしまったら、拒めないわね…。


 シャルロットはアロイスの隣に腰を下ろした。




 きらきらとしたエメラルドの瞳がどうしてと言いたげに見つめてくる。シャルロットは何も言わず微笑んだ。


 ベーベルとクリストフは、その光景に目を瞬かせることしかできなかった。





「陛下、ご紹介しますわ。わたくしの父と兄です」


 前世でも数回、シャルロットを介して会ったことがあったが、今世では初めてのこと。

 シャルロットはそれぞれに手のひらを差し出して紹介した。



「初めてお目に掛かります、ベーベル・テノールでございます」

「同じくクリストフ・テノールでございます」


「アロイス・デル・ラングストンだ。

遠路はるばる御足労いただき感謝する」

「御即位の瞬間をこの目に残しておけるなんて、光栄の極みです」


 ベーベルもクリストフも、そこまでは達弁を振るっていた。





「早速だが、そなたの娘を帝国の皇后として迎え入れたい」




 しかしその言葉で、一瞬にして顔が曇る。





「陛下、婚約を引き受けてくださったことはありがたいですが、シャルロットを皇后陛下になど荷が重すぎます」

「この子は心優しいですから、厳しい王宮ではとても耐えられないでしょう」


 一理あるな、とアロイスは心の中で頷いた。





 シャルロットは前世、部屋の掃除を担当していた使用人がシャルロットの宝石を盗んだことを知っていながら、告発せずに見逃していた。


『あの子の家は兄弟が多くて苦しいそうですので』


 だが実際は、惚れた男に貢ぐための資金にしていた。

 シャルロットの優しさにつけ込んだその女を、前世では私が罰した。




「…そなたはどう思う、シャルロット」


 皇后という座は荷が重いというのは、シャルロットとしても同意見だった。



 けれどわたくしは…、陛下と共に未来を生きると決めた。



 そして陛下は、わたくしが不安にならないよう、迎え入れる準備をしてくださっていた。



 そのお気持ちに、応えたい。




 もう一度二人で、やり直したい。




「わたくしは……お引き受けしたいと思っております」




 迷いのないシャルロットの力強い眼差しに、シャルロット本人が拒むのではと思っていたベーベルとクリストフは目をパチクリとさせた。



 アロイスは嬉しさのあまりにやりと笑う。



「侍女は厳選させた。彼女が求めるなら公国の者を寄越しても構わない。

帝国は皇后にも業務があり、自由な時間は限られるが、有能な補佐官を付けさせるつもりだ。

法に違反しない最大限の権限を与え、配慮をすることを誓おう」




 塔の中で思慮をし、決めていた。




 何をすればシャルロットが喜んでくれるのか、不安にならずにいられるか、溜まる負担を和らげることができるのか。



 前世の記憶を頼りに、誰をシャルロットのそばに置くべきか。




「………陛下がそこまで仰ってくださるのでしたら…」


 ベーベルは気乗りしなかったが、大陸を支配する大帝国の皇帝陛下に異存を申し立てることもしなかった。



「シャルロットも、納得しているようですね」


 クリストフはシャルロットを見やる。


 アロイス皇帝陛下とは出会って間も無いというのに、口元は緩みっぱなしで、見ているこちらも微笑んでしまう。



 二人は顔を見合わせ、了承した。







 その日の夕刻、陛下の即位式のみの予定だったため、テノール一家は皆帰国する予定だったが、シャルロットだけは結婚式や皇后となる準備のため、帝国に残ることになった。



「またすぐに会いに来るから、寂しくて泣くんじゃないぞ」


 クリストフはシャルロットと別れの抱擁を交わし、兄らしい優しい声で冗談を言う。



「泣きませんわ」


 シャルロットの頭に骨張った手を乗せ、顔を覗き込む。




「元気でな」

「はい…」


 シャルロットが頷くと、クリストフもうんうんと頷き、後腐れなく馬車に向かった。





「…シャルロット……」


 しかしベーベルは未練たらたらで、いざシャルロットと離れ離れとなると耐えがたい。



「お父様、また結婚式で会えますわ」

「……そうなんだが…」



 不安を見せず笑顔でいるシャルロットに、ベーベルはその気持ちを隠しているんじゃないかと反対に不安だった。



 最愛の娘を売るように帝国に置いて行くことに、罪悪感で胸が張り裂けそうだった。



 シャルロットが帝国について学ぶ姿を、日々遠くから見ていた。



 口にこそ出さないが、すんなり陛下のプロポーズを受け入れたのは、私やクリストフ、公国を思ってのことではないだろうか。



 帝国に身を売る決意を固めていたのではないだろうか。




 数年前に否定されたが、ベーベルの胸の内はそんな申し訳ない思いでいっぱいだった。


 シャルロットを抱きしめたベーベルは、アロイスに聞こえないよう声を落とした。




「帝国の生活が辛ければ、…少しでも嫌になったら、

いつでも帰ってくると良い」




 シャルロットは目を瞬かせた。


 前世ではそのような言葉は仰らなかったのに…。


 最後に焼き付けるように、小さな目でじいっとシャルロットを見つめる。

 その目が涙を滲ませたところで、ベーベルはさっと背中を向けて馬車に姿を消す。





 これで、お別れ。


 永劫の別れでもないというのに、一度経験したのに、クリストフとベーベルの最後の優しさが胸に染み渡り、この瞬間を耐え難くさせる。



「っお父様!」


 堪らず駆け寄ったシャルロットが躓きそうになり、ベーベルとクリストフは馬車の中だというのに体が動き出していた。



 しかしシャルロットを支えたのは、一歩後ろで家族の別れを見守っていたアロイスだった。





 ベーベルはすぐには頭が追いつかなかったが、クリストフは不安を吐き出すように小さく笑った。


「なんだ、大丈夫そうじゃないか」


 その言葉を聞いてから、遅れてベーベルも理解しつつあった。




 外ではシャルロットがアロイスに礼を伝え、馬車に向かって来る。


 ベーベルはその背後に目をやり、息が止まった。


 シャルロットの背中を見つめるアロイス眼差しは、あまりにも優しいものだった。



 まるで、愛する人を見つめるかのよう。




 シャルロットがノックをすると、クリストフが小窓を開ける。


「お父様っ」

 シャルロットは息を切らし、まだ茫然としたベーベルを呼びかける。



「わたくし、絶対幸せになってみせますわ」


 ベーベルの頭を過ったのは、かつてベーベルが愛した女の包むような眼差しと、病で亡くなる前に残した言葉だった。



『わたくしは幸せ者です。旦那様に最後まで寄り添っていただけるのですから…』





 愛した者ばかり失うことになる。


 そんな人生を呪いそうになったこともあった。

 だが…。



「…絶対幸せになれ、シャルロット」



 失うことが、必ずしも不幸であるとは限らない。

 


 ベーベルとクリストフが乗った馬車を見送っていると、シャルロットの手を温かな手が握り締めてくる。包み込むような大きな手だった。


 その感触が懐かしくて、父と兄と離れることが寂しくて、熱いものが込み上げてくる。遠ざかる馬車が滲んで揺らめいていた。





「…シャルロット」


 今にも泣き出しそうなシャルロットを見ていられなくて、アロイスはシャルロットの艶やかな髪を撫でる。

 破顔したシャルロットがアロイスを見上げたが、その目からは涙がこぼれ落ちた。




「私がそばにいる。


これからも、ずっと」




 涙を拭う親指が手加減をしてくれている。

 そのことに気付いたシャルロットは一層涙が止まらなくて、護衛の騎士たちがいるにも関わらず声を上げて泣いた。

 


 アロイスはシャルロットの頭を引き寄せ、包み込む。


 硬い胸板に顔を寄せて、大きな手が頭を撫でる感触と温かな体温と感じながら、シャルロットは泣くことで溜めていた思いを吐き出した。


 

 粒のように小さくなった馬車は、夕日が消えると暗がりに溶け込んで見えなくなった。





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