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〈閑話〉アロイスの想い






『陛下』



 最悪な現実の中でも、ひとたび夢の中に落ちれば彼女は私に笑い掛けてくれた。


 

 私の元へ嫁いだばかりに数奇な運命を辿り、挙げ句の果てに恐怖を味わわせてしまった。

 彼女をどうにか守りたかったが、私は無力で、共に死んでやることしかできなかった。


 今世で彼女と再会したら、今度は突き放そう。

 彼女を巻き込んだら、また不幸にしてしまうから。



 そなたにだけは幸せになってほしいのだ、シャルロット…。







「わたくしが…分かるのですか?」

 

 アロイスは気が付いたように顔を背ける。

 何故…シャルロットがこの場にいるのだ。前世では私が即位した後、妃として帝国の皇宮にやって来たその日が初対面だというのに。


 突き放さなければ。

 一度彼女の心に触れてしまえば最後、もう私は彼女を離してやれない。




「──出て行け」

 シャルロットの言葉を遮り、アロイスは冷たい口調で突き放す。シャルロットは「え…」と小さく声がもれた。


「もうそなたの顔も見たくない」



 それもよりによって、一番見られたくない人にこの姿を見られてしまった。他の大衆に見られるよりも、彼女一人に見られる方が屈辱だ。



 絶望されぬよう、嫌われぬよう、前世ではこの事実を知っている者は親族以外全て殺し、ひた隠しにしてきた。

 それなのに、無様にも見られてしまうとは…。


 自尊心と羞恥心がアロイスの心を占領し、心にもない言葉が滔々と出てくる。



「目障りだ」


 それまで黙って聞いていたシャルロットの耐えていたものが溢れ出す。


 啜り泣く声がしてハッと顔を上げたアロイスは、暗い紺色の目から透明な雫がほろほろと流れ落ちる光景に激しい衝撃を覚えた。




「わたくしはっ…陛下にお会いできる日を、心待ちにしておりました。過去に戻ったと気付いたその瞬間から、陛下のことばかり考えておりました…。


帝国について調べても、陛下の足跡にたどり着かなくて…もしかしたら…ただ過去に戻ったのではなく、陛下のいらっしゃらない世界に来てしまったのではないかと、不安で悲しくて…堪らなかったのです」


 

 ちらりと覗き見たシャルロットの顔は、まだ幼かった。

 小さな鼻も、ぱっちりとした丸い目も、小さな手足も、特徴的なラベンダーの波打つ髪も、その全てが愛らしい。



 シャルロットの目にいっぱいの涙が溜まり、無機質に冷たい地面に次々こぼれ落ちる。

 その涙を見ているだけで、すすり泣く声を聞くだけで、アロイスは胸が張り裂けそうな思いだった。


 しかしそれは、シャルロットの方が強烈だったことだろう。



 同じことをシャルロットに言われるのが酷く恐ろしいのに、私はそんな言葉をぶつけているのだから。




「…………わたくしのせいで、お命を落とされたからですか?」


 …何を、言っているんだ。




「次はわたくしが陛下の盾になります。だからどうかっ───」

「っふざけるな!」


 気が付けば腹の底から叫んでいた。シャルロットの肩がびくっ!と跳ねる。



「……私がどうしてあの時…そなたを庇ったと思っている」


 シャルロットに剣が向けられた瞬間、足が動いていた。


 剣が振り上げられた瞬間、守るように抱きしめていた。



「………分かりませんわ」

「っそなたを失いたくなかったからだ」


 絶望を宿していたシャルロットの目に光が戻り、ゆっくりと顔を上げる。

 涙で滲んだ目に見つめられるだけで、決意したはずの思いは砕け散っていくようだった。



「私は過去に戻ってからこの二年、後悔の念に苛まれてきた」


 突き放すつもりだったというのに。

 彼女の泣き顔を見ているだけで、息が苦しくなるほど胸が重苦しい。



「私の元に嫁いだことで、そなたは……。

苦しい思いをしてきただろう。私もそなたに酷いことを多くしてきた。そして、ついにはあのような最期を迎えさせてしまった」


 話すつもりはなかった胸中がつらつらと口から出る。



「私のそばにいれば、またあんなことに巻き込んでしまうだろう。だから、そなたはそなたのことを幸せにしてくれる者と共になるべきだ」

「…わたくしのことをお嫌いになられたわけではないのですか…?」



 不安げに胸元に重なった両手が震えていた。縋るような目で見つめられ、嫌いだなどと嘘を吐けるわけがなかった。


 もし嫌いと言うことができたなら、彼女は大人しく帰るのかもしれない。

 けれど先のようにボロボロになるまで泣き通し、弱った彼女を慰めるのは…俺ではない他の男なのだろう。




 それを願っていたはずなのに。ずっと彼女には幸せでいてほしいと思っていたのに。


 いざ彼女をこの目に映すと、手放したくなかった。

 

 


 先ほどまで惨めだと思っていた自分が情けなく思えてくる。

 私は、彼女に幸せになって欲しくて遠ざけたんじゃない。ちっぽけな自身のプライドのために、彼女に暴言を吐いてまで遠ざけようとしていた。


 私はなんて、愚かなのだろう。


 自分に呆れて、アロイスは溜息がこぼれた。

「そんなこと…あるわけがないだろう」


 私が嫌われることがあっても、どうしてシャルロットが嫌われようか。



「…陛下の仰る通り、苦しいと感じることもありました。けれどわたくしは、陛下と過ごしたあの日々を振り返るたび、幸せだった思い出ばかり蘇ってくるのです」


 彼女が嘘を吐いていないことは十分分かっている。

 だが本当に幸せな思い出ばかりだったかというと、そうではないだろう。



 今度こそ、彼女には、世界中の誰よりも幸せでいてほしかった。

 たくさん笑っていてほしかったというのに…。




 伏せていた目を合わせた途端、その美しさに引き込まれた。なんて汚れのない瞳なのだろうかと改めて思う。夜空に溶け込みそうなシャルロットの濃紺の瞳は、潤みながらも真っ直ぐにアロイスを見つめていた。



「わたくしは今生も、陛下のおそばに在りたいと思っております」



 その瞳を見ていると、かつて彼女が私に見せた、様々な顔を思い出す。



 珍しい花を見せては喜び、臣下を一気に目の前で亡くしたことに涙し、皇妃として行う慈善活動でどうしたら相手に喜んでもらえるかと悩み迷い、頭を撫でるだけで幸せそうに表情が和らぐ。




 

 そうだ、私は、ずっとそなたのことを───。





 シャルロットのいなくなった寂しい空間で、アロイスの結論は決まったも同然だった。



 一度決心したはずのことが、彼女の言動に振り回され、簡単に心揺らいでしまう。全てを捨ててでも、彼女を選びたくなってしまう。


 私は本当に…どうしようもないほど欲深い人間だ。


 一度目の人生でそなたに悲しい最期を迎えさせてしまったというのに、“再び”を願ってしまうのだから。




 けれどもしもまた、




 ───そなたと未来を歩めるのなら……。






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