新たな幕開け
いつかのパーティーのように、独特な肌色や服装の各国の貴賓が集い、新たな皇帝陛下について、期待や侮蔑の言葉を交わす。
「長い間病に倒れていたのでしょう?まともな教育は受けられているのかしら…」
「主人が一度ご挨拶に伺ったようですが、実に凛々しく俊秀だと言っておりましたわ」
「まあ、そうなんですの?」
「けれど今は体調がよろしいようですが、お世継ぎがいなければまた貴族派が黙っておりませんわ」
ベーベルとクリストフは貴族たちに溶け込み、シャルロットも会話に入るが、正直気が気ではなかった。
肉付きのない細い体だったけれど、適切な量の食事を摂れているのかしら。
わたくしが置いて行った書物は全て学ばれたかしら。
牢の中で髪は手入れをされていなかったけれど、身支度を整えられているかしら。
何より…。
あれから四年が過ぎ去った。
わたくしに告げられた思いに、変わりはないかしら。
もし、お心変わりをされていたら……。
嫌な考えが頭をよぎり、頭を横に振る。
前世では即位式はベーベルしか呼ばれず、その瞬間を見ることができなかったシャルロットはそわそわしていた。
「皇帝陛下のご入場です!」
靴音とシャルロットの鼓動が重なり合う。
現れたその姿に、シャルロットだけではなく、各国の貴賓や貴族の者たちも目を奪われた。
長身のせいか線が細く見えるにも関わらず、服越しにも引き締まった肉体が窺える。
唯一真白い肌だけは病人のようだったが、漆黒の髪が相まってアロイスを神秘的な存在に見せる。
鼻梁はスッと伸びていて、薄く形の良い唇にはまるで色がない。
宝石のようなエメラルドの瞳は吸い込まれそうなのに、切れ長の目とあまりにも端正な顔立ちが人を寄せ付けない雰囲気を醸し出していた。
その美しさに惚れ惚れしていた者たちは、ただ頭を下げるという動作に遅れをとった。
……陛下…。
前世よりも逞しい体付きと、威厳のある風格をお持ちになられている。
見惚れていたシャルロットは周囲より一拍遅れて頭を下げた。
「こちらにあらせますのは、先月臨時で即位なさったアロイス・デル・ラングストン皇帝陛下であらせられ──
……陛下?」
コツコツと階段を下る足音が響く。
周囲は何事かと思いながらも、頭を上げることは出来なかった。
足音が近付くたび、シャルロットの心拍数も上昇していった。
やがてその影はシャルロットの前で止まる。
「テノール公国、シャルロット公女」
面を起こしたシャルロットの前に、帝国の王であるアロイスが跪いた。
その瞳は灼熱の炎のように熱を帯びている。
目を大きくさせたシャルロットに、アロイスはさらなる追い討ちをかける。
「私の妃になってはいただけないか」
混乱して周囲が騒然とするのも無理はない。
即位の宣言をする場で、唐突に求婚をしているのだから。
シャルロットは目を瞬かせた。
取られた手の指に口付けられ、頬に熱が上る。
「…陛下…」
立ち上がりながら、アロイスは掴んでいたシャルロットの手を引く。
顔の距離が縮まり、頬を赤く染めたシャルロットにくすりと笑い、耳打ちをした。
「…今度こそ、そなたを幸せにしてみせる」
長湯して火照ったように顔が、身体中が熱い。
変わっていなかった。
陛下のお心も、わたくしと一緒だった…。
エメラルドの瞳が焼け焦げそうなほどにシャルロットを見つめて来る。
溢れそうになる涙を、目を閉じて深呼吸をすることで堪えた。
今世でわたくしは、泣いてばかりだわ…。
「……返事を聞かせてくれないか」
もう二度と、陛下と共に過ごせないと思っていた。
あんな最期を迎えて、陛下に守っていただいてもなお、生き延びることができなかった。
再び巡ってきた二度目の人生。
───今度こそ、陛下と幸せな人生を送りたい。
「…慎んで、お受けいたします」
帝国スタイルの両手でドレスを持った礼をする。
見上げると、アロイスは気が緩んだように微笑んでいた。シャンデリアの明かりのせいか、その目がやけに輝いて見える。
アロイスはシャルロットの手を引いて階上に登った。
「アロイス・デル・ラングストンはここに宣言する。
テノール公国、公女シャルロットを皇后として迎え入れる」
その日二度目のざわつきが走った。
シャルロットは目の玉が飛び出そうになり、隣のアロイスを見つめたが、強気にも微笑んでシャルロットを見つめ返してきた。
驚いてばかりで、そろそろ心臓が持ちそうにないわ…。
「そして、私は他の妃は迎えない。
もし縁談を進めるようなものがいれば…私の宣言を軽んじ、皇族を侮辱したと受け取ろう」
他の妃…。
前世でアロイスは、ビアンカ第二皇妃に惑溺していた。陛下のお心が彼女になびくお姿を見かける度、わたくしは心苦しかった。
けれど…。
「陛下、それは歴史的に見ても稀なことです。
もしわたくしが、子を宿せない体だったら、お世継ぎを巡って再び派閥争いが起こってしまいますわ」
体を向けたシャルロットを、アロイスもまた応えるように見つめる。
握られたままの手が、熱い。
「仮にシャルロットが子を宿せなかったとしても、皇族家系はいる。ステラも、先々代皇后の生家も、先代皇后や妃を輩出した生家もな。
それに…」
大きくしなやかな手がシャルロットの頬を撫でる。
「…もうそなたを不安にさせたくないのだ」
シャルロットと再会するまでの二年、そしてその後の四年。
後悔しなかった日などない。
前世で私は、二番目の妃に“体”を奪われた。
心はシャルロットを求めるのに、体はあの女に沼のように溺れた。
今世で冷静になってから、ようやく気付いた。
あの頃の私は、狂っていたのだと。
あの女と二人でいる時にシャルロットが挨拶もせず逃げ去るようにその場を離れたことも、時折シャルロットと夜を共にすると、眠りについたように見えて泣いていたことも、シャルロットが私に言わずに一人傷付いていたのだ。
かつて私が庭師の男に嫉妬して殺したように。
今日は本当に驚いてばかりだわ。
「……陛下……」
労わるように、アロイスは優しく微笑む。
──変わられた。
前世でもお優しいお姿を見せてくださったけれど、これほどわたくしを優先されるなんて…。
「陛下、本日は即位式なのですが…」
「分かっている。儀式を」
即位と退位にのみ用いる、神聖な剣が戸惑う宰相の元に差し出される。
「シャルロット、ステラと共にいろ」
背中を押された先には笑顔で手を振るステラの姿があった。
「ステラ皇女殿下、ご無沙汰しております」
「久しぶりですね。でもまさかその再会が、このような形になるなんて思いもしませんでしたけど」
皮肉のようにそう言ってアロイスを見やるステラが、シャルロットには楽しんでいるように見えた。
宰相はアロイスの両肩に交互に剣を乗せ、言葉を読み上げる。
貴族たちはまだ興奮が冷めず、声を潜めて話をしていた。
「塔の中で書物を読み耽っていらして、次々とわたくしに新たなものを要求してくるので、困りましたわ」
「…そうだったのですね…」
この四年、陛下が努力を重ねられただけでなく、ステラ皇女が助力してくださったから、あそこまで凛々しくなられたのかもしれないわね…。
「改めて御礼申し上げます」
頭を下げたシャルロットに、ステラは吐息で笑った。
「陛下は臨時で即位されてから、皇后宮の家具を全て入れ替えたり、庭園に花を植えさせたり、迎える相手も決まっていないというのに、やけに力を入れてらしたのですよ」
あの真っ暗な塔にいると、孤独と閉鎖感に押しつぶされそうになる。
ステラがその恐怖を理解したのも、塔にこっそりと出入りするようになってからだった。
「その頃から決めていらしたんだと思います。公女を迎えることを」
あのパーティーの夜、二人の間に何があったのかは分からない。
けれど陛下にとって公女の存在は、間違いなく光だったのだろう。
あの闇の中で正気を保つことができるほど、温かな光──。
「…皇后陛下でしたね」
「まだ正式に決まったわけでは…」
二人はクスクスと笑う。
宰相が剣を天に向ける。
「国民の幸福と繁栄に尽力し、大陸を平和へ、帝国を一層の発展へ導からんことを」
貴賓や貴族はその場に膝を付き、騎士たちは宰相と同じく剣を天に差し出した。
ステラとシャルロットもその場に膝を付く。
「───ここに、アロイス・デル・ラングストン皇帝陛下の誕生を言い渡します」
王冠がアロイスの元に授けられた。
帝国の歴史に一つの終止符が打たれ、新たな歴史が幕を開けた瞬間だった。