光の中
「家族に愛されてるから、あんな綺麗事が言えたんでしょうね」
「そうね」
否定もせずに、淡々と肯定する。
美貌だけでなく知識もあり帝国の繁栄に貢献しているという皇后は、帝国民からも歓迎され、更には家族や皇帝からの愛を一心に受けている。
「何であんたみたいな女が皇后なの」
「………」
全てを持っているシャルロットに、ビアンカは怒りが収まらなかった。
「私の方が早く嫁いでいれば、その地位も、権力も、私が手に入れられたのに」
「…そんなことを考えている限り、貴女には一生無理な話ね」
「っ偶々成り上がっただけのくせに!小さな公国の出自の分際で!」
ビアンカはシャルロットに掴み掛かった。
割って入った騎士たちに引き離されていたが、両腕を掴まれてもまだ抵抗していた。
「皇帝を誑かし、帝国を乗っ取ろうとした貴女にそんなことを言われる筋合いはないわ」
「あんたに何が分かるのよ…っ」
その目は、かつて見たことがないほどの憎しみに満ちていた。
「私には、そんな手段しか残ってなかった!」
戦場のような王城で、命の危険を感じながら育ってきた。
実の父でさえ、私を守ってくれなかったから。
だから大嫌いな父親でも、有用性を見せつけて懐に潜り込み、媚びへつらう貴族たちにまで、うんざりするほど愛想を振りまいてきた。
そうしてようやく王城で力を得て、今日まで生き残ることができた。
「あんたみたいに無条件に周りに愛されている人間には、私の気持ちなんて分かんないわよ!」
優雅で愛らしいビアンカとは思えないほどの凶暴な姿には、周囲だけでなく父親のスーザでさえ、その変わりように言葉を失っていた。
「…分からないわね。
私はそこまで人を憎んだことがないから」
「はっ、そうでしょうね。
あんたは家族に大層大事にされて育ったんでしょうから。人に何かを奪われたことなんてないんでしょう」
「あるわ」
シャルロットの解答が意外だったように、ビアンカは眼を見開く。
「…二度も、大切な人を奪われた」
アロイス様も、お腹の子どもも。
けれど全てを知った後も、憎しみよりも悲しみの方が大きく、今世でもビアンカを憎いとまで思ったことはない。
「っだとしても、あんたは、地位も、名誉も、権力も、富も、愛だって手に入れた。
離婚しても帰る場所がある。待っててくれる家族がいる。
そんなに恵まれてるんだから、せめてその地位くらい私に譲ってくれたって良いじゃない」
「それは出来ないわ」
向き合うと、決めたから。
『わたくしは今生も、陛下のおそばに在りたいと思っております』
『私も…もう一度そなたと未来を共にしたい。
今度こそ幸せな未来を』
今度こそ、アロイス様と、幸せな人生を歩むために。
わたくしはもう、目を背けたりはしない。
「奪われた時の悲しみを知っているからこそ、もう何も奪われたくないから」
シャルロットの真摯な眼差しに、ビアンカは絶句した。
「何よ、それ…」
私は、苦労して今の立場まで持ってきた。
ただ恵まれて全てを手に入れたくせに、その一つだって、譲りたくないって言うの?
「っ腹の子も、あんたも、殺してやる!!」
ビアンカは騎士たちの隙をついて短剣を持つと、シャルロットに駆け出していた。
「──シャルロット!」
キンッと甲高い音が響いて、ビアンカの短剣が弾かれる。
右手に剣を握るアロイスは、左手でシャルロットを背側に隠す。
騎士たちが再びビアンカを押さえ込み、ビアンカは地面に倒された。
ずっと、暗闇に一人取り残されたようだった。
誰も私の本当の味方にはなってくれなかった。
長い間、私の言葉は誰にも届かなかった。
私はただ、生き残りたかった。
死ぬのは怖かった。
あわよくば誰かに、愛されてみたかった。
見返りを求めず、打算もなく、必要とされたかった。
「やめて、離して…」
バタバタと暴れていたビアンカは、やがて疲れ果てて動きを止めた。
「離して…」
私だって、お母様が生きていればこんなことしなかった。
お母様さえ、生きていてくれれば…。
「なんてザマだ」
ビアンカは目を見開いた。
その時、茂みの中の隠し通路から誰かが近づいていたが、スーザを凝視していたビアンカには見えていなかった。
「あはは…!はしたなく喚き散らして、無様な姿だな。
生意気で口答えばかり。お前は本当に母親そっくりだ!」
その言葉に、カッと頭に血が昇る。
「一番殺したいのはあんたよ!!」
ビアンカは腹の底から悲しみの声を上げた。
「お母様を見捨てたあんたを、私はずっと憎んできた!
あんたは第一王妃がお母様を毒殺したと知っていながら、一緒になって罪を隠した!」
「それが何だ。あんな役立たず、死んだところで何の不都合もない」
ビアンカが悔しさで歯を噛み締めた。
その時だった。
「父上!もうおやめください!」
その声に、二人は一斉に振り返る。
「レオナルド…」
「……シエラまで…」
第一王子のレオナルドと、第二王女シエラだった。
「父上!母を失ったビアンカに、そんなことを仰るなんて正気ですか!」
シエラの姿を見たことのない騎士たちは、「あの方が…」と声を潜めてシエラを見つめた。
赤を交えたダークブラウンの髪、潤む大きな瞳。
小柄で華奢なシエラは顔色が悪く、肩で息をしていた。
今にも崩れ落ちそうなシエラを支えていたのは、シャルロットたちが今日一度も見かけなかったイアンだった。
「バジリオ子爵…」
そういえば、二人は舞踏会の初日にダンスを踊っていた…。
「そうですよ、もうやめてください。
お姉様が、悲しんでおられます…」
「私は悲しんでなんかっ…!」
ポタッ、と地面に滴が落ちる。
ビアンカはそこで初めて、自分が泣いていたことに気付いた。
「父上、ビアンカに対する暴言は慎んでください」
「貴様、誰に向かって物を言っておるのだ。
私は父親だ!国王だぞ!!」
目を吊り上げたスーザに臆することなく、レオナルドは守るようにビアンカの前に立つ。
「だとしてもビアンカの兄として、これ以上見過ごすことはできません」
ビアンカは目を見開いた。
いつもは弱気だったレオナルドにきっぱりと言い切られ、スーザは目を疑った。
まだ言い足りないスーザは口を開いたが、トルドーに向けられた剣の刃先が首に食い込むと、顔を青ざめて静かになった。
「ごめんなさいお姉様」
騎士に押さえつけられたビアンカを助けようとするシエラに、騎士たちは困ったようにアロイスを見やる。
アロイスが一つ頷き、ようやく騎士たちはビアンカを解放した。
「わたくし、何も知りませんでした。
お母様がお姉様にしていたこと…」
「…別に……。シエラが悪いわけじゃ…」
「いいえ、わたくしが悪いのです。
お姉様がこんなに傷付いていたのに、気付きもしませんでした」
涙ぐむシエラに、ビアンカは唖然とした。
「本当にごめんなさい…。
お母様がしたことも、代わって謝ります…」
シエラが頭を下げると、今度はレオナルドがビアンカと向き合った。
「俺も、ビアンカに謝りたい」
膝をついてビアンカと目線を合わせると、レオナルドは意を決したように切り出す。
「ずっと、怖かった。
オスカルと、母上と、ぶつかり合うのが怖くて。
俺は、留学という逃げを選んでしまった」
レオナルドは言葉を選ぶように、慎重に話す。
その節々から、ビアンカを大事に思っていることが伝わってくるほど。
「でも、例え衝突したとしても、ぶつかり合うべきだった。
ビアンカがこんなに苦しんでいるのに、俺は、ちゃんと向き合ってあげなかった………」
レオナルドは深々とビアンカに頭を下げた。
「すまない、ビアンカ。どうか許してくれ……」
…ああ。
私は……。
「一人じゃない」
シャルロットの言葉に、ビアンカの怒りが鎮まっていく。
「本気で心配して愛してくれる家族も、帰るべき場所も、そこにあるわ」
代わりに、忘れていたはずの温もりが心の痛みを溶かしていく。
レオナルドがビアンカとシエラを抱きしめるように包み込む。
三人は寄り添うように、静かに涙を流していた。




