憎しみ、許し
助けてなんて望まない。
誰かが助けてくれたことなんてなかったから。
愛してなんて言わない。
そんなもの、何の役にも立たないと分かっているから。
「家族である貴方が、一番に子どもの味方をしてあげるべきでしょう!」
シャルロットが怒りに任せて捲し立てる姿から、ビアンカは目を離せなかった。
…どうして。
どうして、貴方が私を守ろうとするの。
私は、貴女を陥れようとした。
それを分かっているはずなのに……。
ふとシャルロットの姿が、ビアンカを守ろうとしていた母の姿と重なった。
「っ…な、何なんだ。他人の家の、しかも王室の事情に口を挟むな!
帝国の皇后なのにそんなことも知らぬのか!
そんなだから小国の出だと揶揄されるのだ!!」
腰を抜かしたスーザだったが、女に口答えされるのは我慢ならなかったようで、シャルロットを睨み返した。
しなし二人の間に騎士たちが割って入ると、一瞬怯えたような表情をする。
「散々帝国の皇室事情に土足で踏み込もうとして来たのはどこの誰ですか」
シャルロットは負けじと吐き捨てた。
「…皇后陛下。恐れながら、王女を守る必要などございません。
あの者は今まで何百人もの国民を言葉ひとつで殺し、何とも思っていないような人です。
そんな者を今更庇う余地などありませんよ」
ベアは非難の目をビアンカに向けた。
今までビアンカの手駒として服従してきたベアとは思えない、見たこともないような眼差しに、ビアンカの背筋に冷たいものが走る。
「…そうかも、しれないわね…」
逆行前、ビアンカ皇妃はアロイス様との関わりをわたくしに見せつけてきた。
絶望するわたくしにせせら笑っていたのは、きっと、奪うことに快楽を感じていたから。
「でも、そうして憎しみ続けていたら、許さずにいたら、また同じことが繰り返されるだけ」
父親にあんな扱いを受けて、正気でいられるはずがない。
諦めたようにビアンカが何も言わないのは、もう言われ慣れてしまったからなのかもしれない。
「人を傷付け、憎しみ合ったとしても、そこから幸せは生まれないのよ」
ベアは拳を硬く握りしめた。
そんなものは机上の空論に過ぎない。
何の関係もないレイラが、何故死ななければならなかったのか。
俺はあの王女に仕えながら、毎日のようにそう問いかけてきた。
王女の憎しみの渦に呑まれてしまっただけなのだとしたら、そんなもののために、彼女が犠牲になっただけなのだとしたら。
許せるはずがない。
憎むなという方が無理な話だ。
『これまでの行いを謝罪させてください』
『謝罪だなんて…。もう、いいのです…』
ふと、数日前の会話が頭に呼び起こされた。
『良いわけないだろう』
『アロイス様』
憤慨する皇帝を諌めると、静かに、優しい口調で告げた。
『それでも、わたくしは……、咎める気にはならないのです』
自分を追い詰めようとした者を、いともあっさりと許してしまった。
『…ベア』
どうして、こんな時に思い出してしまうのか。
『私のところに来てくれて、ありがとう』
彼女に微笑まれると、何も考えられなくなる。
ふと、背中に温かな気配を感じた。
───“ありがとう、ベア”
呼吸も忘れ、目を見開いた。
まるで抱きしめられたような温もりだった。
───“でも、もう、自分を犠牲にしないで”
それだけを言いに来たかのように、その温もりは消え去ってしまう。
パッと振り向いた時には、背後には誰の姿もなく、木の葉からもれ出る光がキラキラと輝いているだけだった。
「…………」
握られたベアの拳は、いつの間にか力が抜けていた。
「っ殺すなら私を殺せ!牢獄で惨めな思いをするくらいならいっそ死んだ方がましだ」
やけになったスーザはアロイスに言い放つ。
「お前は殺さない」
きっぱりと言い切ったアロイスは、スーザの前にかがみ込んだ。
「私はお前に感謝すらしている。
”あいつら”が死んだから、私は今こうしてここに立っていられるのだからな」
激昂のあまり、スーザの顔はゆでダコのようになっていた。
「貴様が皇帝になったのは、唯一残った皇子だったからだ!それを、偉そうな口の利き方をしおって…!」
アロイスはふっと笑うと、スーザから離れていく。
再び騎士たちに拘束されたスーザだが、腹の虫は到底おさまらなかった。
「誰のお陰で皇位に就けたと思っている!
私が全員殺さなきゃ、今頃お前は!」
「それ以上の無礼は許しません」
トルドーに剣を突きつけられたスーザは「ひいっ…」と小さく悲鳴を上げて大人しくなった。
「ソフィーを離して」
シャルロットが近付くとビアンカは露骨に嫌な顔をした。
「命令しないで」
そう言いながら、ビアンカはソフィーを掴んでいた手を離した。
途端に駆け付けた騎士たちによって、ぐったりとしたソフィーが運ばれていく。
「助けてくれなんて言った覚えはないわ」
「助けた覚えもありませんけど」
シャルロットの挑発的な物言いに、ビアンカは言い返さずにはいられなかった。