回想-ビアンカ・ジャスナロク(1)
私の母は見目麗しい人だった。
灰色がかったミルクブラウンの髪に、薄桃色の瞳。
村一番の美人と言われ、男たちはみな母に夢中で、私が困っていると何でも助けてくれた。
内面もまた外見通りに心優しく、哀れな子どもにパンやミルクを与えてあげたり、虐げられた子どもを助けてあげたり、しかしそれも人に限らず、弱った鳥や猫を介抱しては直ったら野に放していた。
「美味しい?」
「うん!ママのアップルパイが一番!」
「良かった!私には貴女の笑顔が一番よ、ビアンカ」
その頃食事は母の手作りで、おやつにアップルパイを焼いてくれたことも度々あった。天井に穴が空いて雨漏りすれば近所のバンス兄さんに修理を手伝ってもらい、服が破れれば母が縫ってくれた。
そう、私は5歳までは平民として、母娘二人で仲良く暮らしていた。
「ビアンカの髪はとっても綺麗な色をしているね」
野草の採取をしていた時、歳の近いバンス兄さんはビアンカを見つめて目を細めた。
「太陽の光でキラキラして…チョコレートを甘く溶かしたようだ」
「えへへっ。ママと同じなの!ビアンカ可愛い?」
美しい母親とそっくりな外見を、ビアンカは誇りに思っていた。
「うん!世界一さ!」
けれどそんな生活も長くは続かなかった。
「王城から遣いが来ているらしい」
「こんな田舎に?一体何の用で?」
「分からないが…アイリーンの家を聞いていったぞ」
馴染みのある店でのお使いを済ませ、帰路に着いていた私は、偶然小耳に挟んだ。
「……ママ?」
王国の使者が母に何の用があるというのか。
幼かった私は検討も付かず、何度も転びそうになりながらただ母のいる家まで走った。
息を切らして勢いのまま扉を開いた。
「ママ!」
「ビアンカ!」
母はひどく動転している様子で、騎士たちに腕を掴まれていたが、私を目にするなり絶望したように床に崩れ落ちた。
「…子ども?」
騎士たちはビアンカを振り返るも、アイリーンから手を離さない。
「っママを放して!」
敵うはずもない騎士を両手で押しても、やはりびくともしない。騎士はビアンカを無視してアイリーンに向き直る。
「…隠しておられたのですね」
アイリーンは嗚咽を漏らしながら何度も首を振る。涙がぽたぽたと床板にこぼれてはシミを作った。
「どうか…この子だけは見逃してください…」
「……それを判断するのは私ではありません」
当時の私には理解が及ばなかった。
あれよあれよと国の高級馬車に乗せられ、自分たちの荷物も持つことなく出発した。村中の人たちが好奇の目でビアンカたちの乗る馬車を傍観している。
「──ンカ!ビアンカ!」
聞き慣れた声がして窓に顔を寄せると、野次馬の後ろから馬車に向かって走っている少年がいた。
「バンス兄さん!」
「バンス…」
扉を開けて飛び出そうとしたビアンカを、アイリーンは抱きかかえる。
「ママ!」
アイリーンを振り返ったビアンカは、泣きじゃくる母を見て何も言えなくなった。
「ごめん…。ごめんね……」
そう言ってビアンカを抱きしめるアイリーンの腕は震えていた。
まるで、その後の疲弊した生活が想像できていたかのように………。
「…お久しぶりでございます、国王陛下」
「久しぶりだなアイリーン。少し痩せたか」
アイリーンは頭を下げたまま返事をしない。
きょろきょろしていたビアンカは、国王スーザに目を向けられじっと見つめ返していた。
「…その子どもは…」
「………ビアンカと申します」
まるで観察するように上から下まで見られた後、スーザは腰を上げビアンカに近付いた。
「……年は」
「……5歳です」
「私の子か」
…私の子?
スーザはビアンカの前にかがみ込むと、両脇に手を差し込んで高く抱き上げた。
「私はそなたの父親だ」
それが、私が王女になった瞬間だった。
「……パパ?」
「あはは、そうだ。腹が減っただろ?今クッキーを持ってこさせる」
場所を移そうとしたスーザを、アイリーンは意を決して引き止める。
「陛下」
スーザは足を止めてアイリーンを振り返った。
「ビアンカを…巻き込まないでください」
「この子は私の子どもでもある。王女として正当な待遇を与えることの何が間違っているというのだ」
「…この子には…何のしがらみもなく、幸せになってほしいんです」
「王女になれば他国の王子との結婚も夢じゃない。それこそこの子の幸せだと思わないか」
「王子様とケッコン!?ビアンカが!?」
ビアンカは目を輝かせた。
「ああそうだ。王子と結婚したいか?」
「うん!!」
その言葉の深い意味も理解していないのに、おとぎ話に出てくる王子様と結婚できるという単純な理由だけで私は王女になりたいとせがんだ。
私は王と侍女との間にできた隠し子で、侍女だった母は王には懐妊を知らせず逃げるように王城を去ったという。
しかし世間体が悪いため、病弱なビアンカは人知れず田舎で療養していて、状態が良くなり王城に戻ってきた隠されし王女だと公表された。
まさにシンデレラストーリー。
その後は誰もが想像付くように、ドレスに宝石、装飾品に囲まれ、高待遇を受けたビアンカは美しく気高く成長し、顔立ちが良く地位の高い男たちもビアンカの王女という立場には逆らわなかった。
「レオナルドだよ。よろしくね」
「オスカルだ」
兄二人は歳の近いビアンカに優しく接し、三つ下の妹は病弱で寝室に篭もりがちだったが、ビアンカによく懐いていた。
元々第一王妃と第二王妃の子どもでありながら親しくしていた彼らは、第三王妃の娘であるビアンカに対しても偏見を持つことなく歓迎してくれたし、遊んだり気に掛けてくれることも多かった。
「父上はいつもお忙しいんだ。だから俺たちはなかなか会うことができない」
「俺も早く父上たちのように大きくなりたいなー!」
「…ちちうえ?陛下じゃないの?」
「でも俺たちの父親だろ?」
「…そっか、父上!」
ビアンカはそんな恵まれた環境の中でもまだ我儘には育たなかった。
少し前まではようやくの思いでご飯を食べていて、身に付けるものなど意識することも出来なかったビアンカには、今が夢のようだった。
少しずつビアンカを変えるきっかけとなったのは、第一王妃の存在だった。