終焉、そして誕生
その日のうちにレイラに書物を頼み、翌日の朝には全て取り揃えられた。
翌日、夜のパーティーの前にシャルロットは抜け出して、言われた通り昼間に塔に忍び込んだ。
地面に膝をつき、抱えていた書物を床に下ろしたシャルロットは、一息吐いて鉄格子の隙間から書物を向こう側に置いた。
「…これは…」
「字の読み書き書、ダンスの基本ステップ、帝国マナー、親しい諸外国の外国語。それから帝国学と政治学、行政の基本、歴史書などがあります」
分厚い書物を大量にここまで運ぶのに、シャルロットは苦労した。けれどこれも、陛下のため…。
「一から学び直す時間はあるはずです」
アロイスは丸い目をシャルロットから書物に向ける。
………鬼なのか……?
前世でも雑務を臣下に押し付け、皇帝陛下としての職務を怠慢していたアロイスにとって、それは尻込みする量だった。
しかしひ弱なシャルロットが、息を荒げてまで持ってきたもの。
そして書物は汚れや黄ばみのない綺麗な状態で、わざわざ買い寄せたことが伺える。
ここまでしてくれたシャルロットを裏切るわけにはいかない。それに…。
「…シャルロット」
名を呼ばれるだけで、シャルロットは心が騒めき立つ。
それまでの寂しさや悲しみが吹き飛び、まっさらな気持ちでアロイスに目を向けた。
「私も…もう一度そなたと未来を共にしたい。
今度こそ幸せな未来を」
明確な答えを求めていたわけではなかった。
その未来が来ることを、一人で夢見ていただけ。
ただわたくしが、陛下のおそばに在りたかったから。
「私が皇帝の座に着くまであと四年ある。
それまで、待っていてくれるか?」
みすぼらしいいで立ちのアロイスは、それでももう目を逸らすことをしなかった。
深緑の瞳はただ一人、シャルロットだけを見つめている。
たったそれだけのこと。
それなのに、これほどまで心が満ち満ちている。
シャルロットの目頭は熱くなり、喉がひりひりと痛んだ。
「はい、陛下」
再会して初めて、アロイスが目を細めて笑った。
「いつまでもお待ちしております…」
シャルロットはアロイスのその顔をいつまでも見ていたくて、感情の波に任せて流れ続ける涙を気にすることなく、目を向けていた。
「どこへ行っていたんだシャルロット。紹介したいお方がいたというのに」
パーティーに戻ったシャルロットを見つけるなり、ベーベルは口早に話し出す。
その顔には焦りが滲み出ていた。
「ごめんなさいお父様。今からでもよろしいですか?」
「この後予定があると、パーティーを後にされたよ」
沈んだ面持ちのベーベルを見ているうち、パーティーにほとんど出席しなかったシャルロットは、悪いことをしてしまったと罪悪感が込み上げた。
しかし一体誰を紹介しようとしたのかしら…?
その疑問は、公国に戻ってから数日後、ベーベルの書斎を通りかかったことで解決した。
「マーティン皇子殿下が遂に参戦された」
「シャルロットは知ってるのですか?」
「まだだ。皇子との婚約の話もしていない」
婚約……!?
陛下が即位されるまであと四年。婚約が決まれば、一、二年で嫁ぐのが通常である。
第二皇子殿下と結婚してしまったら、陛下と結婚できなくなってしまうわ…!
「二人以上子息がいる家系は、皇族も含め、一人を残して戦争に参加させなければならない。
戦争続きの帝国の法律は、さすがというべきなのか…」
「そのせいで婚姻が遅くなった。婚約段階だから、少量の援助は得られたが…さらに使用人を減らすしかないな…」
テノール家は元々、使用人が少ない方だった。
一国の姫であるシャルロットの侍女は一人。
レイラだけが、シャルロットの身の回りの世話からドレスを仕立てる用意まで、すべてを一人で負う。
レイラには苦労をかけているから、帝国に嫁いだときにもらえる融資金で自由にしてあげたい。
前世では嫁いでから帝国を学び、慣れるのでやっとで、手紙を送ろうとしたけれど何故か陛下が嫌がったのでそれもなくなり、テノール公国とは疎遠になった。
それにしても、第二皇子殿下が戦争に出てくださって良かった。
何年掛かるかは予想が付かないけれど、良い時間稼ぎにはなったはず。
二年だけでも長かったというのに、その倍である四年はさらに遥か彼方。
けれど、わたくしには学んでおくべきことが山ほどある…。
シャルロットは帝国が公開している研究結果や調査書を読み漁り、苦労を厭わず来たるべき日のために備えていた。
ベーベルやクリストフには猛反対を受けたが、剣術、馬術、弓術にも励んだ。
再び命を狙われても、陛下をお助けできるように。
守られて大切な人があのような目に遭うのは、もう絶対に嫌…!
限られた時間を無駄にすることなく、長い年月もの間がむしゃらに続けてこられたのは、陛下のお言葉があったからだった。
『私も…もう一度そなたと未来を共にしたい。
今度こそ幸せな未来を』
いつかやって来るその日を夢見て、陛下と幸せな未来を築くために、打ち込むことができた。
そして三年半後。
正に晴天の霹靂だった。
第二皇子殿下が戦場で命を全うされたと、真夜中にお父様たちが話しているのをこっそり耳にした。
婚約は解消され、既に婚約者のいる第一皇子殿下の三番目の妻になるかどうか、という話が出ていた。
それから半年が経過し、大陸中を揺るがす衝撃的な訃報が広がった。
帝国の皇帝陛下、皇后陛下、皇妃殿下たち、そして皇太子である第一皇子殿下が、火災に巻き込まれて崩御されたという報せだった。
皇帝陛下たちが亡くなった場所は、セリガ城という古城だった。
そこは、シャルロットと陛下が前世で追い詰められ飛び込んだセリガ湖の丘の上だった。
まさか、皇帝陛下たちもあそこで亡くなっていたなんて…。
帝国の皇族はあの地で死ぬ運命なのだろうか、そうシャルロットが疑っても仕方のないほどだった。
葬式が執り行われて間もなく次期皇帝を巡る派閥争いが勃発したが、残された皇女ステラの発言によりそれも一時的なものに収まった。
“帝国に三番目の皇子!?病床に伏せ公表されず”
これは天の配剤なのかもしれない。
大々的な見出しの新聞を読みながら、シャルロットは一人納得していた。
これで正当な皇族は陛下とステラ皇女殿下のみ。
帝国の法律は女性が皇帝となることを認めていないため、能動的にならずとも王冠は第三皇子殿下…、陛下の元に授けられる。
前世のわたくしがいかに花よ紅茶よと遊び呆けていたか、今なら分かる。
新聞に掲載されていることさえも知らなかったなんて。
程なくして、アロイスが臨時で皇帝陛下に即位。
そして公国のテノール家に、正式に皇帝陛下となる即位式の招待状が届いた。