気掛かり
「…私が“媚薬”を使っていると、何故分かったの」
「王女が使いそうな手だと思っただけだ」
媚薬。
その単語には騎士たちも驚愕し、風を浴びに一目散に廊下に出て行った。
シャルロットは長年の疑問がスッキリと解けたようだった。
今思えば、アロイス様は皇妃だったビアンカとはいかにも男女の仲というような絡みが多かった。
昼夜を問わず寝室で過ごしていたというし、アロイス様も覇気がなくなり色恋に溺れていた。
「ご報告します!
拘束した国王陛下を乗せた馬車がたった今帝国に出立しました!」
「っ…父上は逃げたはずじゃあ…!」
「愚かな国王は金品を捨てきれずに戻ってきたようですよ」
挑発的な騎士の物言いにも怒った様子はなく、ただ予想に反していたかのように目を剥いたビアンカは力なく俯いた。
帝国に奇襲を掛けたのだからその判断を下した国王が無事でいられるはずがない。
それが分かっていたはずなのに驚くということは、国王は誰にも見つからない道で逃走したということ?
あの王家しか知らない通路は王城の外にまで繋がっていたのかしら…。
「ご苦労だった。後は帝国に戻って片付ける。王女を拘束しろ」
魂が抜けたようなビアンカは騎士たちにいとも簡単に手を背後に回され、拘束される。
「王国の騎士はほとんど使い物にはなりません。抵抗したところで無駄ですから諦めてください」
騎士にきつく抑え込まれ、ビアンカの髪が乱れていた。
…彼女がこれほど易々と捕まるはずがない。
何を企んでいるの…?
王城は壊滅状態だった。
あちらこちらに王国騎士が倒れた王城から貴族たちは一人残らず逃げていったようだった。
辛うじて隠れ逃げ延びた使用人たちは国王スーザが捕縛されたことで帝国騎士に平伏して降伏を示した。
「国王に代わって帝国に謝罪の意を示します。
そして今すぐ王国騎士に下がるよう指示を送ります」
馬車に乗り込むアロイスにレオナルドは最後まで忠誠を見せていた。
「賢明だな。しかしお前からも聞きたいことは山ほどある」
「はい。陛下の指示には全て従います。
しかし…その、王女の身柄だけは…」
乱暴に馬車に乗せられるビアンカの姿が視界の端に映り、レオナルドは声を震わせた。
「処遇はこちらで決める。意見はその後だ」
膝をついたレオナルドにアロイスは見向きもしなかった。
無理もない。
彼は王国の第一王子という国王に次ぐ立場でありながら、国王と王女の企みを阻止できず、帝国を巻き込んでこんな醜態を晒した。
御者がドアを閉ざし馬車が動き出す。
アロイスはシャルロットを固く抱きしめた。
「シャルロット…。怪我はないか?」
「はい。アロイス様は…」
「解毒剤が間に合って良かった」
初日に植物学者に香りを嗅がせていたのはこのためだったのね…。
もし解毒剤がなかったら、そう思うとシャルロットはぞっとした。
今頃二人は過去のように互いを貪っていたのかもしれない。
…ううん、考えるのはもうよそう。
「牢屋から逃げて来たのか?ディートリヒ卿が馬車に担ぎ込まれていたが」
「……わたくしを守ってくださったのです。そのせいで……」
「そうか…」
“腹の子は無事なのか”
そう訊ねようとしたが、思い悩んだアロイスは口を閉ざした。
乱れた髪や破れた服装からも、やっとの思いで逃げ出して来たことが分かる。王城に倒れていた人の数からしてディートリヒ卿が交戦したのだろう。
生き延びるためとはいえ目の前で人間が切られ、苦手な血をたくさん見てきたことを思えば、身体的だけでなく精神的にも辛いものがあったことは想像に難くない。
お腹の子は無事なのか、不安になっているのは彼女も同じなのだろう。
先ほどから両手でお腹を撫でるように触れ、その目には涙が滲んでいた。
「……シャルロット」
その肩を引き寄せ、顔を覗き込む。
シャルロットは静かに目を閉じた。
「……どうしよう。もし……………っ……」
それ以上の言葉をシャルロットは言えなかった。
逆行前の過去の悲しみが思い起こされ、胸が張り裂けそうだった。
「……私は、そなたが生きていてくれただけで嬉しい」
アロイスもどんな言葉を掛けるべきか思い悩んだ。
逆行前は悲しみを分かち合うこともせず、シャルロットに一人で絶望を抱え込ませた。
今更、何をと思われるかもしれないが…。
「今度こそ、そなたのそばにいる」
アロイスに包み込まれる温かさに、僅かながらシャルロットの凍り付いた心が解けていく。
顔を上げようとした、その時だった。
「父上を連れてきなさい!」
その怒号で小窓から外を覗き込んだシャルロットは、面食らった。
「ソフィー!」
騎士たちに追い詰められたビアンカの腕には、別の馬車で護送されていたソフィーが抱え込まれていた。
短剣を突きつけられているというのに、高齢のソフィーは疲労困憊でどうにか立てている程度で抵抗は一切できなかった。
「待って!」
「出るな!シャルロット!」
目を白黒させて飛び出してきたシャルロットに、それまで強張っていたビアンカの表情が緩む。
「父上を連れてきて!この侍女と交換よ。
あんたにとって大事な侍女なんでしょ」
パーティでソフィーを庇っていたことから、見捨てられないことはビアンカにはお見通しだった。
「待って!人質ならわたくしが…!」
「早く連れて来ないとどうなるか…」
ソフィーの腕に短剣の刃が過ぎる。
「っ…ああ…」
ドレスの裾を切り裂いたそこから血が溢れ出すのを、シャルロットは見ていられなかった。
「侍女一人くらい、もうどうってことないのよ」
切羽詰まった彼女なら本気で殺しかねない…。
ソフィーの首に剣を当て、見せつけるようにしながらビアンカはじりじりと後退していく。
「皇后も来なさい。上の城で会いましょ」
上…?
シャルロットが見上げた先には、あの日、二人が湖に落下したセリガ城があった。