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対価






 終わりのない長い長い階段を、永遠に登っていく。


 朱色の絨毯はところどころ紅に染まり、倒れた王国騎士たちはピクリとも動かなかった。

 辺りには血の匂いが充満し、吐き気を感じたシャルロットは口元を抑えた。

 

「皇后陛下、辛くないですか?」



 シャルロットを両抱きにしたラクロワは、シャルロットの異変に気付いたように声を掛ける。


 わたくしを抱えながら階段を登るだけで一苦労なはずなのに、そんな様子を微塵も見せない。

 ラクロワはいたって平然としていて、口元には笑みさえ浮かんでいた。



「いえ、大丈夫です」

 皆が無理をしている以上、わたくしばかり泣き言を言うわけにはいかない。

 戦場となっているかもしれない帝国は両陛下が不在となっている。


 皇后であるわたくしも早くアロイス様と戻り、帝国を守らなければならない。




「皆様、こちらへ」

 レオナルドは人気のない書斎へと入っていく。一段の棚を横にずらすと、その棚全体が横に動き薄暗い道が現れた。

 ラクロワはシャルロットをそっと下ろす。



「近道でご案内します」


 王城の隠し通路。

 


「…このようなところを、よろしいのですか?」

 

 本来であれば王家の人間にのみ伝えられるであろうその通路は、掃除をする者もいないのか床の隅に蜘蛛の巣が張り埃が舞っていた。


 レオナルドは穏やかに微笑み、手を差し伸べる。



「明かりがない上迷路のようになっておりますので、絶対に私から離れないでください」


 その顔は騙そうとしているようには見えない。

 シャルロットは躊躇った末にその手を取ることにした。



 ひた、ひたと水の滴る音が不気味に響く。

 地下のように明かりひとつなく、レオナルドは壁に片手を伝い慎重に歩いていた。



「……どうして、わたくしたちを助けてくださるのですか」

 先ほど答えをもらえなかった質問を、シャルロットは再び投げかけた。



「…慈悲を乞うためです」

「……慈悲を?」

「この戦争が終結した暁には、騎士や使用人、そして関係のない国民には手を出さないとお約束していただきたいのです」

 その言葉にシャルロットは違和感を覚えた。


「まるで王国の敗北を悟ったような物言いですね」

「…はい」


 レオナルドの顔が急に曇る。

 



「父上は野心家ですが、臆病で小心者でした。今までは水面下で機会を窺っていましたが、両陛下を人質に取り、統率されていない帝国を襲えば勝算があると思い、このような愚挙に出たのでしょう。


しかし帝国には頭の切れる宰相と、剣と統率力に優れた騎士団長、他にも優秀な人材に溢れていると聞きます。

それに、数代でのしあがった国とは異なり、帝国は何千年も国家として体制を保ち、大陸を支配して来ました。そんな帝国を陥落することはそう易々とできることではありません」



 

 レオナルド殿下には、この戦況がそのように見えていたのね…。



 けれど、帝国騎士は数十名この王国に出ているし、過去に大した軍ではなかったとはいえ王国軍の数は多い。

 

 わたくしたちが無事に王城を出られる保証もない。



 それに、陛下も今頃はビアンカ王女と共に………。





『私の妃になってはいただけないか』


『アロイス・デル・ラングストンはここに宣言する。

テノール公国、公女シャルロットを皇后として迎え入れる』


『…もうそなたを不安にさせたくないのだ』



 皇帝として即位したその日に、アロイス様はわたくしを迎えてくださった。




『私がそばにいる。これからも、ずっと』


 お父様とお兄様の乗った馬車が遠ざかっていくのを見送りながら涙した時も、ずっと抱きしめて頭を撫でてくださっていた。



『シャルロット……?』

 弓矢で手の指を切った時は、顔面蒼白になられてわたくしを案じてくださった。

 



『まだ寝ていろ、侍医が安静にしているように言っていた』


 帝国に来たばかりの頃は毎晩のように逆行前の悪夢見ていたのに、アロイス様が隣にいてくださった夜は穏やかな目覚めだった。




『私の気持ちは何があっても変わらない』


 婚姻の儀のためにツェルンの森を通り掛かった夜、盗賊に襲われ掛け、アロイス様が救ってくださった。


 何もなかったとはいえ傷物と見做されて嫌われてしまうかもしれないと恐れていたわたくしに、アロイス様は優しく言葉を掛けてくだった。




『すごく幸せだ』


 そして再び新たな命を授かった時、アロイス様はどうしようもなく泣きそうになりながら微笑まれていた。



『…愛情を込めて育てよう」


 そう、決意した。






『必ずこの手で我が子を抱きしめよう』


 

 



 考えないようにしていたことを思い出してしまい、シャルロットは唇を噛み締めていた。




 侍女や使用人を総入れ替えし、護衛騎士まで厳選されたのも、皇后宮の庭園にネオンマリンの花畑を作ってくださったのも。


 アロイス様がわたくしを想ってくださった気持ちによるもの。



 今となってはそのお心を疑う余地などない。




『皇帝陛下はこちらにお連れして』



 例え、アロイス様がお香によりビアンカ王女と今世でも関係を持つことになったとしても。







 

「ビアンカの事も、代わって謝罪致します。

皇后陛下に対して無礼な態度ばかり…。昔はあんな子ではなかったのですが…」

「そうなのですか?」


 意外だわ。

 てっきり幼い頃から贅を尽くし人を翻弄し、周囲を味方に付けて計算高く生きて来たのかと思っていた。



 そういえば、ビアンカ王女はどうして皇妃や皇后の座にこだわるのかしら。




 大陸を支配する帝国の皇帝に継ぐ高貴な地位であり、皇帝にも意見できる唯一の立場でもある“皇后”。


 誰もが一度は憧れるその身分を望むのは、ビアンカ王女らしいと思っていた。



 けれど、ビアンカ王女はわたくしだけでなくアロイス様にまで牽制されていた。

 戦争を起こし、伴侶となる皇帝のアロイス様と摩擦を起こしてまで、その隣を望む理由は?





「ビアンカも王国の内情に翻弄された一人です。母親である第三王妃が毒殺されるまでは、心優しく清らかな子でした」

 …毒殺?


「第三王妃は流行り病に罹ったのでは?」

「世間にはそう公表されております。事実を知る者は私の母である第一王妃に消されていきましたので、この事実を知っているのはもう、私とビアンカ、そして父上だけでしょう」


 その第一王妃も確か、数年前に不貞を働いた罪で処刑されたのよね…。




「…そのようなお話を、わたくしにしてよろしいのですか?」

「……皇后陛下はきっと、皇帝陛下に色目を使うビアンカの事を憎らしく思われているのでしょう。

しかし私にとっては可愛い妹です。あの子が本当はとても純粋な子だと知ってほしいのです」




 侍女や使用人までも味方に付けて、何かと理由をつけてわたくしの立場を悪くし、評判を悪化させたビアンカ皇妃。


 誰も皇宮内に味方がいない中で、見せつけるようにわたくしの視界でアロイス様に抱きつき、口付けをしていた。




 味方を失い、唯一の夫も失い、更にはお腹の子までも失った。


 


 全て、ビアンカ皇妃に奪われた。




 何も残っていないわたくしを更には、死に追いやった。





「……押し付けがましいとは思わないのですか?」


 怒りで唇が震えていた。


 簡単には信じられない。


 

 わたくしにとってビアンカ王女は、かわいそうな子として許せるほどの存在じゃない。


 


「皇后陛下がいらっしゃいながら、皇妃殿下の地位を進言した父も、身に余る地位を求めた欲深い妹も、許されないことは理解しています」

「ですがどうか…、あの子にも慈悲を、与えてやってくださいませんか…」



 一切の慈悲を与えてくれなかったビアンカ皇妃に、わたくしだけが…温情を差し伸べろというの?


 シャルロットは手のひらを握りしめた。


「…約束は出来ません」

「重々承知しております」


 レオナルドが壁を押すと、再びそこが動き出し、明かりに照らされる。

 シャルロットは目を細めた。




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