望み
モーガンは片手でシャルロットを壁の端に追いやりながら剣を抜く。
レオナルドも剣に手を掛けた。
王国騎士たちが剣を抜き正面のシャルロットたちに振り上げたその時。
その男の頭に、剣の鞘がどすん!と打ち込まれ、王国騎士は焦点が定まらないまま倒れ落ちた。
「っ!?」
何が起こったの…!?
シャルロットたちの混乱を他所に、残った二人の王国騎士も剣の鞘で強打されて気を失ったように倒れ込む。
「皇后陛下!ご無事ですか!?」
この声は…!
「マルティン卿!?」
マルティンはシャルロットを目にした途端、目を輝かせて駆けて来る。
「皇后陛下!」
「それに団長代理まで!」
それは他の騎士たちも同様で、「よくぞご無事でした!」「安心致しました」と皆安堵していた。
「すごい量の血…!」
「お怪我なさったのですか!?」
「いえ、これは返り血とディートリヒ卿の血で…」
エリック、トルドーは「団長代理が…!」とそれは衝撃を受け、「具合はいかがですか」「お怪我はどれほど…」と言葉を掛けていた。
レオナルドは気まずそうに口を閉ざしていた。
「脇腹をやられた。それより戦況はどうなっている」
モーガンに尋ねられ、騎士たちは「レオナルド殿下だよな…」と訝しげにレオナルドを見やる。
「殿下はわたくしたちを匿い、ディートリヒ卿を助けてくださいました。無礼のないようにお願いします」
シャルロットの言葉で、騎士たちは最低限の一礼をした。
戦争を急に仕掛けてきた敵対する王国の王子。
彼に罪はなくとも、関係あると探ってしまうのは仕方ない。
「…殿下は、本件をご存じでしたか?」
レオナルドは固く口を閉ざしたまま、目を伏せた。金色の長いまつ毛が影を落とす。
「父上に何かを言えるほどの権力を、私は持ち合わせておりません」
知っていた、けれど、逆らうことなどできなかった、と言っているようで。
過去に名ばかりの皇妃だったシャルロットは、何を言うこともできなかった。
「帝国を襲うという判断を、見過ごしたのですか」
「マルティン卿、」
何かを言いたげなマルティンを、シャルロットはその名を呼んで制する。
「…誰か、戦況を報告してくれ」
騎士たちを見回すモーガンの目は、早くしろと訴えていて、騎士たちは顔色を悪くして息を殺すようにしていた。
「多くの王国騎士は道に倒れておりました。団長代理のお陰でしょう。
貴族たちは皆王城から避難したようです。
捕らえられていたコフマン伯爵夫人は保護し、王城からの避難が完了。我々もベア・モーリッツ卿に助けられ、両陛下の捜索部隊として二手に分けておりました」
モーリッツ卿が…?
『──今後は皇后陛下にこの命を捧げます。
どうぞ何なりと命じてください』
あの時、そう言っていなくなってしまったと思ったら…。
「皇后陛下に何かあれば俺たちがぶっ潰されるとこでしたから、無事で良かった良かった」
「ラクロワ卿!」
ラクロワもまた騎士団のマントや上着に酷い返り血を浴びていて、手についた血を制服で拭くと汗で額にくっついた髪をかき上げた。
「本当に…皆無事で良かったわ…!」
「……あとは、陛下だけです」
トルドーは声のトーンを落とした。
「我々は陛下の救出に向かいます。皇后陛下は城外に避難して───」
「わたくしも参ります」
シャルロットは両の眼差しでトルドーを見据えた。
しばらく二人が何も言わずに見つめ合っていると、ラクロワはトルドーの肩を叩く。
「…俺たちが言ったところで無駄だろう。
東部地域の災害も、鉱山の採掘職人にも、直接出向くようなお方なんだから」
「…かしこまりました。
くれぐれも、ご無理のなさらないよう」
「ありがとうございます」
ラクロワは「良かったっすね」と軽快に笑った。しかしエリックとマルティンは暗い顔のままだった。
「シャルロット様、もう血や剣は平気なのですか?」
「ええ…。大丈夫みたい」
極限まで追い詰められたからかしら。
恐怖は感じるけれど、過去を思い出すほどではなかった。
「騎士団は休憩。その間に準備を済ませ、5分後に皇帝陛下の救出に向かう!」
野太い声が一斉に響く。トルドーはしばらく団長代理であるモーガンと業務的な話をしていた。
「皇后陛下、やはり危険です。
身重の体で王城の階段を駆け上がれるとは到底思えません」
声を顰めたマルティンは、やりきれない思いを抱えているように眉を顰めた。
「私も反対です。もし、皇后陛下のお体になにかあったら、悲しまれるのは陛下です」
分かっている。
わたくしが行ったところでお荷物だということは。
ここまで逃げてきただけでもう立ち上がれないほど足の疲労を感じているし、実際ディートリヒ卿はわたくしを助けようとして怪我を負った。
けれど、今更アロイス様だけが戻ってきて戦争がどちらかの勝利で終わったところで、彼女との問題が何か解決するわけではない。
『待ってなさい、すぐにその座を奪ってやるわ』
あれほど皇后の座に執着する彼女のことだから、きっとどこかへ逃げ切った彼女がいつかまたわたくしの前に現れ、同じことの繰り返しになりかねない。
過去から因縁のあるビアンカ王女と、今世でようやく同じ土俵に立つことができた。
今なら、わたくしは彼女に対等に言葉を言える。
「…これで最後です。だから、お願いします」
シャルロットが頭を下げたことで、騎士たちはどよめいた。
「皇后陛下っ…!」
「どうか頭をお上げください!」
エリックは慌てて跪き、マルティンも動揺して声が上擦った。
ゆっくりとシャルロットが顔を上げると、二人は気遣わしげにシャルロットを見つめていた。
その二人の肩に、がっしりと腕が回る。
「まあまあ!俺が皇后陛下を運びますよ!」
こんな状況でもからっとしたラクロワの笑顔に、シャルロットはつられて笑顔になっていた。
「…っありがとうございます」
護衛騎士なのに砕けた姿ばかりで、皇帝陛下の背後に立つ騎士には向いていないように思っていた。
けれどこの軽やかさに、こんなにも救われる…。