地下での出会い
牢屋にいた王国騎士たちから逃れる道のりにも、邪魔をするように騎士たちが襲い掛かってきた。
その相手をする度モーガンの腹部からは血が流れて、朱色のカーペットを黒く染め上げた。
「ディートリヒ卿!血がっ…」
逃げるのがやっとなシャルロットも、何度も自分を庇うモーガンの後ろ姿を見て黙ってなどいられなかった。
三人を相手にしても全員を倒せるほどではあるが、それでも怪我をする前より動きが鈍くなり、徐々に擦り傷も負っていた。
「どこかで手当をしないと」
息の上がったモーガンは腹を片手で抑え、目を細めた。
「そんな暇は与えてくれないようですよ」
前からは「いたぞ!」という声とともに新たな追手が見えていた。
「逃げましょう」
今度はシャルロットはモーガンの腕を引いて走った。回廊を曲がると向こうから人影が見えてきて奥に進む。
「どこへ行ったんだ、ったく」
やがて階段に差し掛かると上から人の声が降ってきて、二人は階段を下るしかなかった。
そうして戦いを避けるうち、かなり深く潜っていた。地下なのか窓はなく、明かりが灯ってはいたが仄かに暗く埃っぽい。
ようやく人の気配が消えシャルロットは足を止めた。
荒い息を吐きながら胸に手を当てて深呼吸をする。
これだけ走ったのだから、お腹の子も無事ではないかもしれない。
逆行前も失い、今度こそ会えると思っていたのに…。
王国に来なければ巻き込まれることはなかった。
けれどこうして渦中に置かれた王城の状況も知らず、帝国に残っていたところできっと、後悔していたに違いない。
「はあ、皇后、陛下…。すみません、足手まといに…」
追手が絶えなかったのはきっと、血痕が手がかりとなっていたからだろう。
モーガンは壁に背を預けてずるずると座り込んだ。
腹部をハンカチで押さえても、ハンカチがみるみる血に染まっていくだけで、出血は止まらない。
そうしている間にも床には血溜まりができていった。
目を閉じ眉根を寄せた苦悩の表情が見るに耐えない。
シャルロットはドレスを足で踏み裾を破っていく。
「ディートリヒ卿、こちらを」
シャルロットは差し出したドレスの裾をモーガンの腰に巻いていった。
これだけの傷、こんな応急措置では治まることはないと分かっている。
それに、このままではディートリヒ卿の命に関わることも…。
「…ディートリヒ卿は混乱が収まるまでどこかに隠れていてください」
「っそのような真似は、できませんっ。
私は陛下に皇后陛下の護衛を任されました…っ」
真面目で責任感が強い。
これほどの人材にここで命を失ってほしくない。
それに…。
「帝国に戻ることができても、ディートリヒ公爵に合わせる顔がありません」
息子を失った父親が、どんな顔をするか。
わたくしを責めたりはしないお方。
けれど、きっとその悲しみは計り知れない。
「私は帝国の皇室騎士です。命を捨てる覚悟はできています」
額から流れる血がモーガンの片眼を隠すよう。シャルロットがその血をハンカチで拭いていた、その時だった。
「…ディートリヒ卿?」
その声でぱっと振り向くと、その人物は目を見開いた。
「皇后陛下まで…」
「…レオナルド殿下?」
王国の第一王子、レオナルド殿下。
あまり印象深い方ではなかったから、どんな人物か分からないけれど…。
「レオナルド殿下!」
甲冑がぶつかる音が近付く。
その者はちょうど、シャルロットたちが座り込む廊下の曲がり角にいるようだった。
「この辺に帝国の者たちが逃げてきたはずなのですが、見掛けませんでしたか?」
…まずいわ。
深手を負ったディートリヒ卿を連れて逃げるには、もう時間が……っ。
レオナルドはふと表情を緩める。
「いや、見なかったよ」
その自然な言葉を、騎士も疑わなかったようだった。
「そうでしたか。失礼致しました」
「ああ」
騎士が走り去っていく足音がする。
シャルロットが呆然と見上げていると、レオナルドがこちらを振り向いた。
「酷い怪我ですね…」
「…!」
モーガンは剣に手を掛けたが、一度座り込むともう体に力が入らなかった。
「部屋に案内します。着いて来てください」
モーガンの肩に腕を回し、レオナルドは真剣な表情でこちらを見つめた。
「…どうして…。助けてくださるのですか?」
王国は帝国に戦争を仕掛けてきた。
王国は帝国の敵。
今までビアンカ王女には散々な目に遭わされてきたし、国王陛下も人の妻に手を出そうとするような人物だった。
同じ王国の王家の血筋。
本当にこの方を信用していいの?
「…早く、手当を」
背に腹は変えられない。
モーガンはもう自力で立つこともできず、顔を歪め、目も開けられないようだった。
「……」
先を歩くレオナルドの後を、シャルロットは慎重になりながら着いていった。
案内されたのは使われていなさそうな小部屋だった。相変わらず窓もなく明かりだけが頼りで、ベッドにモーガンが横たわると埃が舞った。
レオナルドは棚から手当が出来そうな小箱を持ってくると、モーガンの服を捲り始めた。
「ゔっ…!!」
痛むのだろう、モーガンが顔を歪めて背ける度、シャルロットは心苦しくなっていった。
「…はい。できました」
レオナルドが立ち上がり、シャルロットはモーガンの脇に腰掛ける。
「ディートリヒ卿…」
「ご心配をお掛けして、申し訳ありません」
薄らと目を開いたモーガンは、自分よりもシャルロットのことを案じていた。
シャルロットは首を何度も振った。
彼の職務はわたくしを守ること。
守ってもらってばかりで申し訳ないなんて思ってはいけない。
けれどシャルロットは罪悪感を感じていた。
「…レオナルド殿下。ここは人が立ち入る場所なのでしょうか?」
人が使っている形跡はない部屋を振り返ると、レオナルドは小箱を片付けていた。
「いいえ」
こちらを警戒している様子はない。
「…混乱が収まるまで、ディートリヒ卿をここで安静に寝かせていただけないでしょうか」
「皇后陛下…!」
「……構いませんよ」
どこか、雰囲気がイアン・バジリオ子爵に似ている。
彼の周りだけ時間がゆっくりと流れているよう。
兄弟だったオスカル第二王子とは全く異なっている。
優しげに細まった目、緩む表情、ゆったりとした落ち着きのある話し方、品位のある佇まい。
「…よろしいのですか?」
「彼は病人ですから」
敵には見えない。けれど……。
「シッ」
それまで横になっていたモーガンは勢い良く起き上がり、傍らにあった剣を手に取った。
レオナルドも扉の横にぴたりと背を付ける。
ひた、ひたと忍び寄る足音が、扉の前で止まった。
また王国騎士たち…!?
ディートリヒ卿は怪我を負っているし、この部屋は戦うには狭いのに……!
やがてその扉が乱暴に開かれた。
「動くな!!」
男がそう叫ぶと、三人の王国騎士が入り込んできた。