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私たちが抱えるもの







 ─キンッ!


 しかし、その刃は別の剣に弾かれて母子に届くことはなかった。

 


「うわっ!」

 兵士は持っていた剣を落とし、拾う前に首元に刃先が向けられた。



「ひい!」


 今度は地面に転がった男の下半身に剣を向け、その少年、ナッシュは不敵に笑った。



 

「今すぐ立ち去らないとここ、切っちゃうよ」

「あ…あ…ああ!」


 威勢の良かった兵士は悲鳴を上げながら逃げ出していく。





 剣を弾き返せたのは相手の威力を利用したからだし、脅したのはそうでもして戦闘を避けないと勝ち目はないから。

 …そんなことも見破れずに逃げ出すなんて馬鹿だなあ。



 

 くるりと振り向いたナッシュに、親子はびくっ!と大袈裟なほどに驚いていた。

「大丈夫ですか?」


 しかし剣を持つには一般的な年頃より幼く、またその顔立ちが甘く中性的だったため、親子の緊張もすぐに抜けていった。




「あ、…はい…」

「ここもじきに兵士たちが押し寄せてきます。

南に逃げてください。兵士たちは森までは捜索しないようですから」


 その少年の背中に、母親はほっと息を吐いていた。




「あなたもまだ子どもなのに…、助けていただいてありがとうございました」

「お兄ちゃん、ありがとう」


 すれ違い様に頭を下げられ、ナッシュは笑顔を向けた。





 足がもたれながらも逃げ走る親子の後ろ姿を見つめながら、無意識に自分と母親の姿と重ねていた。


 まだ母親が生きていた頃、無邪気に花畑を駆け回っていた頃があった。



『僕はそんな弱虫じゃない!僕がママを守るんだ!』


『期待してるわ』



「ナッシュ急げ。また兵士が来てる」

「…うん」



 振り向くと特徴的な浅黒い肌をした少年がこちらを見つめていた。



「トーマ、今日だけで俺たちかなりの人たちを救ったよね」

「そうだな。養成所に戻ったら勝手に抜け出したお咎めを食らうだろうな」

「トーマだって孤児院抜け出したこと叱られるだろ」





『僕、強くなるから!今度は僕がシャルロットを守るから…!』


『期待しているわ』




「…まあ、それでも僕は良いけどさ」

「俺も後悔はしていない」




 二人は顔を見合わせてそれぞれ笑っていた。

 シャルロットを守り抜いたあの日、いつの間にか芽生えた絆のせいか、その志は同じだった。



「もっとたくさんの人を救おう!」

「ああ」












 帝国では貴族に臨時召集が掛かり、皇宮内に集められていた。

 戦争に慣れている貴族たちは恐怖に打ち震えるなどということはなかったが、布告もなく国境を破り突発した戦争にテーブルを力強く叩いて怒りを示した。



「ジャスナロクめ!近頃大人しくしていると思っていたら…」

「国境は既に制圧され、徐々に軍隊がこの帝都に向かってきているというじゃないですか!」

「奴ら計画していたはずだ。でなければこれほど早く侵攻できたはずがない」

「帝国がどれほど王国に温情を示してやったと思ってるんだ!恩知らずな奴らめ」



 大臣たちの言葉に便乗するように貴族たちも次々と声を荒げる。


 

「落ち着いてください。既にディートリヒ騎士団長を筆頭とした複数の騎士団が交戦に向かいました」



 それを諭したのはステラだった。

 皇女の言葉に貴族たちは一様に口を閉ざした。


 皇帝と皇后が不在で、残された皇族はステラのみ。

 今この場では、ステラの言葉がアロイスの言葉と同等に扱われることは貴族たちも理解していた。




「しかし、よりにもよって陛下がご不在の時にこんなことになるなんて…」

「人質に取られたのでしょう。そのうち王国側は皇宮を明け渡すようになどと要求してくるのではないでしょうか」


 宰相マーカス・フォーゲルは頭を抱えて溜息を吐いた。

 ようやく訪れた僅かな期間の平穏。

 それもあっという間に崩れ去り、両陛下は王国に人質に取られたも同然。今や帝国は存続の危機に晒されていた。




「大変です!王国軍が帝都を襲撃しました!」

「っ!?」


 帝都を……!?



「なに!?」

「どういうことだ!!王国軍は騎士団が食い止めているのではなかったのか!」

「それを過ぎても帝都に到達するにはまだ早いはずだろ!」



 一斉に貴族たちに怒鳴られた騎士は怯みながらも、頭を下げて報告を続けた。



「騎士団が向かった方は囮だったようです。報告のあった数と一致するため、帝都に現れた方が本軍だと思われます。

現在帝都の民間人が襲われ、次々と死者が出ています!」

「くそっ…!」

「なんてことだ…」

「民間人を巻き込むとは」


 不意打ちを食らったようだった。

 まさか帝都にまで押し寄せてくるとは。

 

 このまま帝都を支配し、皇宮までやって来るのはあっという間だろう。


 


「どうしますか、騎士はほとんど囮の方に出払っています…!」


 そうだ。現在残っている騎士は数少ない。

 両陛下の元に送った騎士、囮である王国軍の元に向かった騎士。

 そしてこの戦争に便乗して他国からも軍が押し寄せることのないよう、警備として国境付近に配置させた騎士。


 差し引くと帝都に残っているのは僅かな数だ。




「とにかく、家族だけでも避難させなければ!

私は失礼させていただく!」

「私もだ!こんなところで会議している暇はない!」

「わ、私も…失礼する!」


 マーカスが考えを巡らせている間に、貴族たちは次々と席を立つ。

 首都に邸宅を構える者たちは同然、家族がいて、それぞれ財産を抱えている。無秩序な戦争ともなればそれらは強奪され、家族や財産、地位や名誉までも失いかねない。




「お待ちください、皆さま…!」


 ステラは慌てて止めにかかったが、貴族たちは首を振った。



「いくら皇女殿下でも、我々を止めることなどできやしませんぞ!」

「家族だけでも避難させていただこう!」

「家族を案じるのは当然のことです。ですが今皆さまがいなくなってしまえば、帝国の未来はどうなるのです!」


 

『…これより騎士団の指揮官としての権限はステラに託す。皇帝と思い、従うように』



 両陛下を王国に送り出す際に、あの人は周囲にそう告げて私にこの帝国を任された。


 それなのに私が何もできず帝国を崩壊させるなんて事態にはさせたくはない…!




「皇女殿下は勝てるとお思いですか?こうしている瞬間も、帝都では罪のない民間人が襲われているのですよ。帝都を支配されれば帝国はおしまいです」

「そうだ。それに帝都には妻も娘もいて、金庫も大事な書類もある。我が一族に代々引き継がれてきたものを、私の代で途絶えさせろというのか!」

「そう言うわけでは…」




 切羽詰まった貴族たちはステラに詰め寄っていた。勝てるかどうか、それはステラにも判断できなかった。

 いや、帝都にまで軍が押しかけ、制圧する騎士も数少ない今回ばかりは、もしかしたら負けるのではないかとさえ思っていた。 



 貴族たちの迫力に押されて、不安だったステラの目についに涙が浮かぶ。





 その時だった。



 目の前にいたはずの貴族が、床にひれ伏せていた。

 一瞬の出来事にステラは呆気に取られ、貴族たちもあんぐりと口を開けていた。




「貴様、誰に向かって怒鳴っている」


 怒る猛獣の唸り声のようだった。

 すっと剣を抜いたニコラスは、貴族の首元にそれをちらつかせる。


 鈍色に光る剣を横目に見た貴族は状況も忘れて悲鳴を上げた。




「殺されたいのか」


 ニコラスならやりかねない。

 それを悟った貴族たちは逃げ出すこともできず、固唾を呑んで見守っていた。



 水を打ったように静まり返った室内を見渡し、マーカスはようやく落ち着いたか…と呆れていた。



「皇女殿下を責めて、何か事態が変わるのですか」




 冷静さを欠如した者たちは判断力が鈍るが、今なら聞く耳も持てるかもしれない。




「あなた方の仰ることは最もでしょう。

私にも臨月の妻がいて、今日、明日辺りにはと告げられていました。本日の業務が終了したら真っ直ぐ帝都にある邸宅に帰宅する予定でした」



 そうだ、宰相宅にはもうすぐ子どもが生まれる。

 それなのに我々のように取り乱すこともなく、妻の元に駆け出したいところを抑えている。

 

 そう気付いた貴族たちは、無言でマーカスの言葉を聞いていた。




「しかし私は帝国の宰相です。その地位に立ったことで、家族を第一にはできない。

それは私も、妻も理解していること」


 そう口にしながら、拳は固く握られていた。

 できることなら、妻だけでも帝都から逃したい。

 けれどそれが簡単に許されるほど、私は自由な身の上ではない。


 それは妻であるリンジーも十分に理解していて、どれほど仕事で遅くなっても文句の一つも言わず、体調が優れない日にも毎朝仕事に送り出してくれていた。


 一日の中で私と確実に会える時間がその時だけだからと言う理由で。




「貴族である旨味だけを持っていき、その責務は負わないというのなら、この場を立ち去っていただいて構いません。

しかし帝国がこの戦争に勝利した後、貴族名簿からあなた方一族の名は消え失せることでしょう」



 最早意見できる者などいなかった。 


 貴族として悠々と生きてきた者たちが、平民のように毎日を苦労しながら生きるのはほぼ不可能だ。

 この場で家族を助けられても、その後貴族としての地位を失うのであれば、今後自分達は生きていけるはずはない…。



 貴族たちはそう考えながら席に戻っていく。




「ありがとう、ニコラス」

 ステラにこそっと囁かれ、ニコラスはフンッと息をついて剣を鞘に収めた。




「フォーゲル公爵、ありがとうございます」

「皇女殿下のお役に立てたこと、光栄に思います。

誠に僭越ながら、今後の対応についても私から意見させていただいてもよろしいでしょうか」



 貴族たちが混乱していたあの場を言葉だけで収め、大変頭の回転が速いのに謙虚で、礼儀を欠かさず、丁寧な宰相。


 これは陛下も信頼を置かざるを得ないわね…。



「ええ。お願いします」



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