姫と錬金術師
[現在/氷の刃が胸に刺さる]
我が皇国の最後の皇女になってしまうとは、いささか残念ではある。
まぁ、どうしようもなく行き詰まったわが国の末路としてはお笑い種だ。
敵国の兵士は、内通者によって招き入れられ、我が国の首都を火で焼いて、氷で閉ざし、雨は石畳に打ち付けて土を起こし、雷が屋根を砕いている。
自決などするものか。
戦って屠って、戦いの中で死んでしまえたなら、それで本望。
そんな自暴自棄な闘争本能だけが、今の自分を突き動かしている。
「姫様」
近衛は壊滅した。
私をそう呼ぶのは、どこに籠っていたのかわからない錬金術師だ。
逃げていて欲しかった。
彼女だけには戦火が及んで欲しくなかった。
いつの日か、成し遂げたい夢がある。
そう語った錬金術師の彼女が、玉座の裏からやってくる。
私の後ろに控えた彼女に目を向けることなく告げる。
「さぁ兵士たちよ。我がみしるしをあげて手柄とするがいい」
「しかし、錬金術師よ」
付き合わせてすまなかったとも、貴様は逃げるがいいとも、いずれの言の葉も、私の胸から生えた氷の刃にかき消された。
「恨んでください、姫様」
今にも自決しそうな、そんな悔いる声で、小さく彼女はこぼした。
ゴフッと、気管を逆流して、焼けるような熱とともに血が口の中に溢れる。
苦く鉄の味がする赤黒いそれが、あの日の苦い珈琲の味とかぶることはついぞなかった。
[あの日]
帝王学に精を出し王たる在り方を学ぶ傍で、自己評価の上では、随分聡明に育ったんだな私と高めな採点を自分につけていた。
というのも、両親に連れられて回った我が国の現状は、到底磐石とも、豊かであるとも言えなかったからだ。
閣僚が語るそれと、自分の目で見たそれとは随分と乖離が激しくて、ただ、善良な両親はそれを火急に正そうとする訳でもなく。
幾分か年を重ねた私が評すれば、既に手遅れだったと、そういう現状が既にあった。
この頃の私は、お気に入りの場所があった。
媚びへつらい、あるいはおだてあげるような、祭り上げるような、いやいやもっと他にすることがあるだろうと言いたくなる幕臣ばかりの宮廷に置いて、ただ一人、自分には夢があると語って予算をもぎ取り、研究に邁進する錬金術師が私の唯一のお気に入りだった。
「姫様は聡明であらせられる」
「王とはそういうものでしょう?」
「皆がそうというわけではないですよ」
「不敬ね」
「事実ですので」
場所こそ選ぶものの歯に物着せぬ物言いをする彼女を、私は大層気に入っていた。
特に束縛されない空き時間があれば、ひっきりなしに彼女の研究室、言うなれば彼女が作り上げた自分の城を訪ねて、彼女との会話に花を咲かせていた。
「私には夢があるのです」
「あら、教えてくださらない?」
「姫様、私がその夢を口にするのはそれがかなったときだけです」
「そういう願をかけているのね」
「その通りです。聡明な姫様」
彼女は夢があると語ったが、数年の付き合いの中で、終ぞその夢の形を知り得ることはなかった。
「姫様」
「姫様」
「ひめさま」
どうしたって行き詰まった国に、王はもう必要ない。
できるのは最後の役割を果たすだけ。
すなわち、終わりを示し、次の芽が育つ土壌を作るために、焼け落ちることだ。
いつしかそう考えるようになった。
そんな私と裏腹に、明確な目的を持ち、それに向かって邁進できる彼女はひどく眩しくて、いつしかその在り方に惹かれていた。
初恋未満の、私の胸に唯一灯った熱。
明かすこともない。
燃え上がることもない。
「いずれ滅ぶから、その時は早めに逃げ出しなさいな」
少し背が伸びた私が語ったとき、彼女は困ったような笑顔を浮かべて、ただ柔らかく微笑むばかりだった。
[終わる前]
「祝いなさい」
両親が死に、すぐに行った即位の式典は喪と併せて完結に終わらせた。
「晴れて皇女となったわ」
「おめでとうございます、姫様」
「だから皇女と言っているでしょう」
「えぇ、皇女様」
まだ彼女の身長には遠い、名前ばかりが先走った皇女。
「お祝いにどうぞ」
と、彼女はいつも手にしているマグカップに、色の黒い液体をなみなみと注いで寄越した。
「なにこれ?飲んでも大丈夫….なものなのよね?」
「珈琲と言います。南方の嗜好品ですね。私がいたところでは、これは大人の飲み物として嗜まれていたものです」
「ふーん。これが大人の嗜好品」
「苦いですよ」
「侮らないで」
くぴっと傾けた飲み口からやってくる、信じられないその味に、私はひどく後悔した。
「※△■◯×♨︎〜!?!?!?!?!」
それ見たことかと微笑ましく笑う彼女をジロリと睨みつけるも、目尻には涙が浮かんでいて、きっと威厳などどこにもなかった。
「なにこれ!!!えらく苦いのだけれど!!!」
というか本当にヒトの飲み物なの?
と抱いた疑問も、お子様ですねぇと笑いがなら、ぐいぐい呑み進める彼女を見ていれば氷解してしまう。
サービスですよ。と、ビーカーから注ぎ直した泥水に、試験管で計量したミルクと角砂糖を落として、再度私の手に押し付けた彼女のカップに、恐る恐る口をつけようとする。
「これ、大丈夫なの?にがくない?」
「砂糖とミルクを足しました。お子様の姫様でもまだ飲めるかと」
「ほんとうに?」
ひどい目にあったそれをどうして再度口にしようと思ったのか。
あるいは、彼女からの、めったにない贈り物を、せめて受け取りたかったのか。
閉めた唇で受け止めた液体を、意を決してわずかに啜る。
初めは、また同じような苦味を感じるかと警戒したそれは、綺麗にあまみとコクに覆われて、時折わずかに主張しようと感じなくもないけれど、あくまで程よくスパイス未満に落ち着いて、ちゃんと飲める液体に変わっていた。
「まぁ、飲めなくはないわね」
「改めて、即位おめでとうございます」
「いいのよ、すぐに終わるはずだから」
くぴくぴと呑み進める私を、彼女は微笑ましく眺めている。
「なんだ、案外甘いわね」
[少し先]
「案外、甘いのね」
まどろみの中、懐かしさを感じる夢を見て、あの時の言葉を口にしていた。
私が、もうどうにもならなくなったあの瞬間。
皇女という舞台に立ち、皇女という役割を演じて、そしてその舞台から降りるまで。
確か胸を割かれて終わったはず…と、視線を下に落とそうとして、自分がどこかに横たわっているということに気がついた。
口の中には、甘い、砂糖よりも甘い、煮詰めた蜂蜜のような甘さが広がっていて、少しドロドロとした食感さえ残っている。
「起きましたか」
何事もないように、いつかの顔、少しやつれただろうか、あるいはわずかに年を重ねたような、自分の記憶ではほんの少し前に私を殺したはずの彼女が、私を膝枕して見下ろしていた。
「飲みますか?」
目が覚めますよ。と、彼女が手渡そうとするカップから、懐かしい香りがした。
確かあの時すすった泥水が発していた、香ばしくて、鼻腔を心地よくくすぐるような香りだ。
体を起こして、一息。
ぐいっと飲み干したそれは、苦味が程よく美味しくて、同時に口の中の甘ったるい香りを綺麗に洗い流していた。
「説明」
「私が、殺して蘇生しました」
「目的」
「特にありません」
「理由」
「….」
求めた問いにハキハキと答えていた彼女が言い澱む。
確かに、私があの舞台を降りるには、死以外の方法はなかったかもしれない。
とはいえ、前もって説明もなく殺される側の気持ちにもなってほしい。
というか、蘇生?蘇生といったか?この馬鹿は。
まだ世界がたどり着いていない秘法じゃないか。
「貴女の夢は、誰かを蘇らせたかったの?」
「いいえ」
むぅ…
それを目的として、私がたまたまそのおこぼれに預かったのなら、まだ理解できたけれど。
「ただ、貴女に静かな暮らしを送って欲しかっただけです」
そのための準備はしました。
国もなく、治める場所もなく、ただ、森の中の小さなログハウス。
皇女として育てられた自分だが、確かいつか語ったっけ?
「国の運営を軌道に戻せたら、あとはほったらかしてのんびりしたいっていつか言ったっけ」
それが非常に妙ちきりんな形で叶えられたのは予想だにしなかったけれど。
「でも、貴女に返せるものなんてない」
「隣にいていただければ十分でございます」
「そう?」
そういって彼女に抱きつこうとして、関節がぼきりと悲鳴をあげる。
聞けば、氷漬けで冷凍保存されていたらしい。
私の成長を止め、時間を止め、そして外界からのありとあらゆる干渉からも遮断したその氷は、一つの結界として成立したらしい。
それをうまいこと(うまいこと?)チョロまかして、新たな隠れ家に持ってきて、やっと蘇生にこぎつけるまでしばらくかかったと彼女は語った。
いつか感じた自分の胸の熱が、再び灯ったような気がする。
あの時は、薪をくべることも叶わず、そのまま埋めて秘めて封じたそれも、遮るものがないのなら、熱く熱く燃え上がる。
「ありがとう」
今はそれだけ。
暮らしていけば、いずれ新しい何かを見つけることもできるだろう。
「礼には及びません」
そう笑う彼女は、とてもいい笑顔をしていた。
どうしてこうなった。