八十七話
「魔人っていうと、物語とか神話とかに出てくるあれか?」
「私も、子供の頃によく聞かされました。いい子にしていないと魔人にさらわれるぞと」
この世界に、魔人と呼ばれる存在は確かにいる。
ただしそれは物語の中にだ。
子供に聞かせる物語の中で、絶対的な悪としてよく登場してくる悪役、それが魔人。
セリアラナが言ったように、子供の教育素材として使われる存在となっている。悪い子は魔人に食べられちゃうぞとかそんな感じで。
「流石にそれは無理があるのではないか? 私も領主を務めているような貴族として、魔人が既に存在しないものであるという一般常識くらいは持ち合わせている。平民とてその辺りはわかっていよう」
モルドアルさんの言う『既に存在しないもの』とは、実際に存在していたそいうことの裏返しである。事実、魔人という種族は過去に存在していたのは確かなようだ。
魔の神とされている魔神に仕え、世界を混沌に貶めた者達、それが魔人である。
魔人は魔神と共に世界各地で暴れ回り、最終的に神々の手によって封印された。と、いうことになっているが真実は人にはわからない。
なにせ、ことは神話時代の話だ。何千年、何万年と昔の話である。
当時を知る者などいるはずもなく、今現在語られている物語は、過去の遺跡等で発見された書物や壁画から推測されているものに過ぎない。
そんな存在が犯人などと言っても、それを聞いた者が信じるとは思えないが……。
しかし、エルにはこの提案にかなりの自信があるようだ。
「魔人はおる。これは魔王の間ではほぼ常識となっておる事実じゃ。お主ら人間でも、国の重要人物なら知っている筈じゃがな。それこそ王族とかがの」
「それは……確かに、私たちのような下級貴族が知らないことなど山のようにあるとは思いますが……」
領民達を隔離している発言によるショックから立ち直ったメリシネオルさんが、困惑したようにエルの言葉に答える。
「まぁ、そうじゃな。荒唐無稽な話に聞こえるじゃろう。しかし、妾はこの手が最も確実じゃと思うぞ」
「存在しない魔道具と、存在を信じてもらえるかわからない魔人か……確度はそう変わらない気がするけどなぁ」
どちらも、信用できないの一言で終わるものでしかない。いや、はなから嘘で固めた物語を信じさせようというのだから、当然と言えば当然のことなんだけど。
「じゃがな、魔道具に関しては実物を用意できんから存在を認めさせるのは難しかろうが、魔人に関しては違うのじゃぞ? 魔神の存在は、王族や国の重要人物には知れているのじゃからな」
「魔道具だって、他者を操るようなものはあるだろう」
「それはそうじゃ。じゃが、こちらは、国の重要人物が知っているというのが重要なのじゃ」
どちらも一般に知られているけど、存在を信じさせるのが難しいという点は変わらないと思うんだが。
寧ろ、存在するという事実が国のトップ達しか知らないらしい魔人の方が、一般では信じがたい内容になるんじゃないか?
などと、俺が頭を捻らせているところに、モルドアルさんがボソリと呟くのが聞こえてきた。
「……国の調査か」
「ん? 国の調査? ……ああ、なるほど。そういうことか」
その言葉で、俺にもエルの言わんとしていることが理解できた。
「そうじゃ。国は確実にこの地へと調査にくる。それを街の者達が見たらどう思うか……」
「国が動く程のことだ、話は事実なのかも知れない。と、そう思うってことだな」
「そうの通りじゃな。魔道具というのは確かに一般的じゃが、それがあったかどうかを調べにくるような者はそうおらん。特に、国が動くようなものではなかろう。魔道具は壊れて使えなくなっているとするのであれば尚更の」
しかし、その点で魔人は違う。
実際に現れたとなれば、ほぼ確実に国が確認しにくるだろう。魔神の存在が語り伝えられている理由なんて、その存在が脅威であるといううただ一点に尽きるのだから。
事実かどうかわからない。だからこそ来る。
それが、嘘に真実味を与えてくれるということだ。
「魔人は撃退したとすれば確実じゃろうな。討伐じゃと、遺体を残すか、跡形もなく消し去ったことにせねばならん。それでは魔道具と同じ状況になりかねんからな。
撃退として行方が知れなくなれば国は動かざるを得んじゃろう」
「なるほど、確かに魔道具を使われたとするよりは良さそうだ。
しかし、魔人を誰も見ていないとなればそう上手くはいかんのではないか? 上位貴族やましてや王族が確度の低い話の確認にわざわざ調査に乗り出すとは思えん。先に兵を数人送ってきて、実際にいた可能性が低いと判断されればそこまでだ」
確かに、モルドアルさんの言うような状況になったら、王国は動かないだろう。
そして、そうなると話の信憑性は地に落ちる。かなりやばい状況になるということだ。
だが、この点については俺もエルがやらんとしていることに思い当たるものがある。
「つまり、実際に魔人が現れればいいってことだろ?」
「うむ。都合の良いことに妾は魔人の存在を知っておるからの」
俺達の会話に対し、頭上にクエスチョンマークを浮かべている者達に、俺達はこれから行う作戦と今後の動きに関する説明をしていった。
——————
「つまり、今後も何者かが襲ってくる可能性があるってことか?」
「そうじゃ。妾の仲間……といっても、魔族じゃから信用するかどうかはお主ら次第じゃが、あやつらが言うには、貴族街を襲った者がまだ捕らえられておらんのじゃそうじゃ。じゃから、まだ警戒しておいた方が良いじゃろうということじゃ」
モルドアル達との話し合いを終えたエルは、現在、冒険者ギルドケレイナ支部に来ていた。
彼女は、ユウマ達が領主館で話をしている間避難所の護衛をしていたアルファトと、貴族街への襲撃を事前に潰して回っていたピニエールをお供として連れている。
彼らは、ユウマの指示で魔族の格好でエルの後ろにで護衛のように控えている。
ピニエールは人族と同じに見せるために服の下に隠していた蝙蝠のような翼を背に生やし、アルファトもまた額の眼を隠すために巻いていた布を外していた。
「正直、共に市民を守ってくれてた奴が魔族だったってのには驚かされたが……実力は確かだと聞いてる。そっちのやつは貴族街に出た魔物を簡単に仕留めちまったって話だしな」
エル達の目の前にいるのは冒険者ギルドケレイナ支部の支部長、つまり、このギルドのギルド長だ。
筋骨隆々で、座っているソファーが子供用に見える程の体躯を持った大男。それがここのギルド長だった。名前はゴドリスというらしい。
彼がギルドで、今回の魔物大量発生から連なる貴族街襲撃などの事態の収拾のために書類と睨めっこしていたところに、今回の立役者といえる冒険者が話があるからすぐに会えないかと打診を受けたのがつい先程。
初めは、どうせ報酬のことだろうと考え、後にするように伝えて放っておくことにした。今はそれどころではないと。報酬はちゃんと払うからせめて明日、できれば明後日あたりに出直してくれと言って。
しかし、それに返ってきたのは思いもしないギルド員の『その冒険者達が領主直々の手紙を持ってきていると言っているのですが……』という言葉だった。
本来、冒険者ギルドというのは独立組織で、仮にこの国の国王であっても命令権を持たない。頼み事はできても指示はできないという存在である。
よって、仮に領主からの手紙を持っているとしても『知らん』の一言で済ませることもできる。
しかし、いくら独立組織といっても、ギルドに所属する冒険者達はこの国に暮らす者達が大半である。自分達の暮らす国や領地に逆らい続ける組織に対して、どれ程の者が所属し続けてくれるのか。冒険者だけではない。ギルドの一般職員もまたそれぞれの地域で採用された者が多いのだ。彼ら彼女らが揃って『ギルド辞めます』なんて言い出した日には、ギルド運営に支障をきたす。
そして、ギルドはギルドで、自分たちを蔑ろにすればこの地の戦力の大半を的に回すことになりかねないぞ、とすることで、ある程度の独立性自体を維持している。
持ちつ持たれつなのだ。
となると、領主の手紙というものを簡単に無視するわけにはいかなくなる。
ならまぁ、話だけでも聞いておくか。と考えて通したら先の話であり、彼女らの話を裏付けるように似たようなことが領主からの手紙にも書かれていた。
「実力のある冒険者の話と領主からの手紙か……この手紙が本物かどうかは?」
「し、調べてあります。ふ、ふ、封蝋に使われている紋章、手紙の最後に押された印、どちらも、ほ、本物でした」
ギルド員の震えた声での返答にゴドリスは頷く。
領主からの手紙というのは何も今回が初めてではない。過去に何度も受け取って、その度に領主からのものであるという証明である印を見てきているのだ。これが本物かどうかくらいの見分けはつく。
念のために調べさせはしたが、元よりさほど疑ってはいなかった。
「となると、それなりに確度の高い情報か……だが、今のこの領地に警備にさける人的余裕はないぞ」
「じゃから、妾たちがそこを請け負うつもりで来たのじゃ。じゃが、ただ歩いて回ったのでは人数が足りんからの、魔族としての力を最大限に利用して回ろうと思っておる。しかし、故奴らはすぐに魔族じゃとわかる見た目をしておる。じゃから予めギルドからのお墨付きを貰っておこうと思ったんじゃが」
「まぁ、魔族差別はそうなくならねえからな」
「魔族と魔物の区別もつかん者もおると聞く。ここの者達がそうであると言っておるわけではないが、安心して守りに徹したいからの」
魔族の中でも、人族に対する差別というものは存在する。それは、助けてもらったはずのユウマを受け入れられない者が魔族王国にもいたことからも明らかだ。
しかし、人族による魔族に対する差別はそれを凌駕する。地域によっては、魔族どころか獣人やドワーフ、ドリアードなどを魔物に属する種族として迫害する場所まで存在しており、そこまでではないにしても多種属排他主義に近い感覚を持つ者も少なくない。
エルとユウマは、今回のことで魔族の印象を良くすることができれば儲け物だと考え、ピニエール達を魔族の格好のまま活動させようとしていた。
「この辺りは魔族の国にも近いからな、そういった奴らが来ることも珍しくねぇ。だから、たいして問題はねえと思うが……まぁ、必要だってんなら一筆書いてやる。領主の頼みだ、聞いておいて損はねえだろう」
「うむ。それはありがたい。では、それを持って妾たちは警戒にあたろう。もしもの時はそれを見せれば信用されると考えて良いのじゃな?」
「ああ、ギルド長である俺の名前を入れるんだ。それを信用できねえってのは、そのまんまギルドに対して不満があるって言うのに等しい。そうそうそんなことにはならねえだろう」
そう言いながら、ゴドリスは書類の山になっている机でペンを走らせる。
「ほれ、これでいいか?」
彼の手から渡された紙には『この者達の身分を保証する。ゴドリス』とあった。
「問題ない。手間をかけたの」
「いや、このくらいで領主に恩が売れるってんなら安いもんだ」
領主からの手紙に書かれていたのは、エルの話を裏付けするものと、『彼女らに便宜を図ってもらいたい』という一文。そして、領主自らの名前である。
これは、領地としての手紙ではなく領主個人の頼みであることを示し、更に、その重要性が書かれていないことから、受けた側からどうとでも解釈ができてしまうものだった。
仮に、要望の前に『可能であれば』とついていたり、『何々をしてほしい』と具体的に指示があれば、それに沿った対応をし、その分の恩を売る程度に収まる。だが、今回のものは命令に近い形での要望かつ、何をして欲しいのかが明記されていないという曖昧さ故、売る恩の価値を非常に高くできてしまう。
「ま、返ってくる恩かはわからんがな」
だからこそ、ゴドリスはそう考える。
ここまで無警戒な頼み事で、しかもそれが個人からとなると、返ってくる可能性はかなり低い。もちろん、領主として頼んだのだから、領地として返せと言うことは不可能ではないが、正直、今のこの領地にそれができる程の力があるとは思えない。
返ってこない恩なのだろう。恐らく、今回の件で今の領主は……。
そんなことを安易に想像できてしまう。
「そうじゃな。難しいじゃろうな」
「おいおい、そんなこと言っていいのか?」
「もう書状はもらったからの。問題あるまい」
自分の言葉に対して、せっかくこんな手のこんだことをしているのにも関わらず、それを台無しにしかねないことをさらりと言ってのけたエル。それに驚いたように返したゴドリスだったが、これもまた何のこともないと返される。
手にした紙をヒラヒラと揺らしながら。
「実力で取り返しても……いや、無理か。まぁ、おかしな奴じゃねえのはわかる。本当になんかあるんだろ」
「相手の実力を見誤らんのは利点じゃな。とはいえ、全く何も返ってこないというわけでもないぞ。お主の言うとおり、必ず何か起こる。これは確信しておる。その時は、ここに住む者たちを妾たちが必ず守ってやる。約束しよう」
「お代は市民の命ってわけか」
冒険者から実力でのし上がったゴドリスは、ギルド長としての権力を除いても、戦力としてもかなりの実力者である。
しかし、彼から見た目の前の少女はまさに化け物だった。
適当にヒラヒラとさせているだけのあの書状は、ゴドリスではもうどう転んだとしても取り返せる気がしない。
故に、領主からの頼みであることを理由に書状を書いたし、それを取り返そうなどとは微塵も考えていない。万が一があれば体を張って街を守るし、その時は責任を負って命を捧げよう。そんな覚悟を持っての行動だった。
そして同時に、もし少女の言葉が本当ならば、とも考える。これほどの実力を持った化け物が、わざわざギルドの承認を得に来たのだ。しかも、領主の名を背負って。
何かあったときに、この力が市民の守りとなるのであれば心強い。そういった打算もあり、しかも、それがまた少女自身の口からも語られるとなれば、もうそれを信用する以外に手はないように思えてくる。
なにせ自分では……いや、この領地にいる何者にも、彼女を止めることなどできないのだろうから。
「なんじゃ? 高い買い物じゃったか?」
「いいや。安すぎる」
だからもう、こんな軽口で返すしかないのだ。
(これが悪魔との取引だったら、対価は俺の命で済むんだがな)
ゴドリスはそん馬鹿げたなことを考えつつ、ギルド長室を出ていく少女を見送ることしかできなかった。
——————
「で、どうだった?」
「予定通り、妾たちの身分を保証するという確約をもらってきたぞ」
「おお、これはまた随分と強気な内容だな。何の条件もなく保証するって書いてあるぞ」
「今回は偽装を解いて行ったからの。気圧されたのじゃろ」
「それはまた……ご愁傷様としか言いようがないな」
偽装魔法を使わずに行ったということは、ギルドの人は魔力から何から駄々漏れ状態のエルと話したってことになる。
俺の魔力から考えれば大したことはないとはいえ、普通の冒険者やギルド職員からしたら格が違う。
話し合いに行ったというより、脅しに行ったという方が正しいだろう。
「それでも、なるべく力は抑えて行ったのじゃ。ギルド員なんかも、ちと怯える程度で済んでおったくらいじからな」
「いや、ギルド長の部屋を出る前に確認したら気絶してたっすよ。立ったまま」
「後で謝罪に行った方がいいかもな」
目立たないようにと伝えていてもギルドで堂々と『助けてやる』宣言をしたくらいだ。目立たないようにと言わないと、ギルド員を気絶させるに至るのか。
さすが魔王。
「まぁ、それは諸々が片付いてからでいいだろう。それより、これでいいのか? 本当にこれが魔人なんだろうな?」
俺は、部屋の一点を見つめながら問う。
そこには、青い肌に、見る角度を変える毎に色彩を変える目、白と黒の斑の頭髪を持ち、背から黒い蔓を絡めたような見た目の翼を生やした男がいる。
「うむ、間違いない。それこそ妾たち魔王に伝わる魔人じゃ。何なら、エルキールのところに行って、それを見せてみても良いぞ。確約をもらえるじゃろう」
「これが魔人ですか。初めてみました」
「触るなよピニエール。魔人ってのは、魔族の間ではどんな感じに言い伝えられてるんだ?」
「実在することを知っている奴と、ただの伝説上の存在だと思ってる奴の半々ってところっすね。やっぱり、寿命が長い種族と短い種族がいると、その辺りは別れてくるっす。実在を知ってるのが長寿な種族っすね」
ピニエールとアルファトもまた、部屋にいる魔人をものめずらしそうに眺めていた。
今回の作戦は、魔人が街を襲っているところを、エルたち魔族と、メリシネオルさんたちが集めた者たち、そして、この街の冒険者総出で撃退し、ことの責任をおっかぶせてしまおうというものだ。
実在するかわからないものに国は動かないだろうというのであれば、実際に用意してしまおういうわけだな。
この魔人は、今はこの部屋でおとなしくしているが、もう暫くして、メリシネオルさんの部隊が街につくちょっと前から大暴れし始めることになっている。
「さて、エルたちはそろそろ行った方がいいだろ。メリシネオルさんたちが着く前には動き出さないといけないからな、早く行かないと見回りをしていたっていう言い訳ができなくなるぞ」
「そうするかの。ギルドの近くについたところで連絡するからの。そうしたらそちらも動くのじゃぞ」
「わかってる」
なんか、俺の計画だったはずがエルに乗っ取られてないか? という疑問を心の奥底に押し込んで、エルたちを追いやるように言い訳としての見回りに向かうように言うと、エルはそれを読んだかのようにケラケラと笑いながらその場を後にした。
「読んだかのようにっていうか、実際に読んだんだろうな。まったく」
ちなみに、メリシネオルさんとセリアラナは、エルたちがギルドに行っている間に俺が転移で村に帰しておいた。今頃は、こちらに向かって馬車を走らせている頃だろう。
俺は俺で、魔人を用意したり、メリシネオルさんたちの方では参加できない理由を適当にでっちあげたりと大変だったのだ。
一応、斥候として、馬車でこちらに向かっている人達より先にこの街に行ってるってことにしてある。
俺は、誰もいなくなった部屋の中で、エルのお墨付きである魔人の姿を眺めながら時間を潰す。
そして、暫くそうしていたエルから連絡が入った。
(ユウマ、そろそろ出番じゃぞ)
(了解)
「じゃ、行きますか」
そうして、魔人がケレイナの街へと解き放たれた。




