プロローグ
私はもう死ぬ——
と言っても、不治の病だとか事故だとかというものじゃない。
寿命だ。
八十歳を過ぎ、体にガタが来てしまった。
医療技術の発達した昨今ではちょっとばかり早いのだが、若い頃から随分と無茶をしていたせいだろう。
妻も迎えず、もちろん子供もいない。
親はとっくに死んでいるし、病室で見る顔なんてまだ若い担当医さんと看護師さんくらいのものだった。
いや、たまに友人が来てくれていたな。
中学からの友人で、以前孫と一緒に来てくれたのを覚えている。
病室で暇してると愚痴ったら「孫が最近ハマっててな」とか言いながら小説と漫画の間みたいな本を持って来てくれた。
こんな小さい字じゃ読めねぇよ、なんて笑いながら話をしたっけ。
流石に毎日来るようなもんでもなかったが、最後に挨拶くらいはしておきたかったな。
葬式には来てくれると思うが……。
担当の先生が暗い顔をしている。
そんなに落ち込まないで欲しい。
この病院に来た時点で殆ど回復の見込みはなかったんだ。
後は死ぬまでゆっくり過ごすだけって状態だった。
若い先生に患者の死を経験させておこうってところだろう。
必要なこととはいえ、少し申し訳ない気がしてしまう。
先生にはとても感謝している。
もう永く無いと分かっていながら必死になって看病してくれていた。
もう口も動かない。
「ありがとう」そう伝えられないのが少しだけ心残りだ。
ふと、サイドテーブルに置かれた本が目に入る。
心残りといえばこれも返せなかったな。
異世界に召喚された勇者が魔王を倒して世界を平和にするという内容で、最近の王道というものらしい。
仲間と共に切磋琢磨して魔王と戦う主人公に、年甲斐もなく心を躍らせてしまった。
老眼鏡を頼りにどうにか読破し、読み終わった時には看護師さんに「少し血圧が高いですね」なんて言われてしまったくらいだ。
担当医の先生はこういうのが結構好きみたいで、そういうファンタジーな話をよくしていた。
異世界か、行ってみたいものだ。
剣と魔法の世界。
心躍る冒険や魔王との戦い。
そんな痺れるような生活をしてみたいものだ。
魔王を倒した後は何をしようか。
ハーレムでも作ってみようか。
異世界らしい生活をしたいところだ。
などと、馬鹿なことを考えていたら唐突に声が聞こえた。
『行ってみるかい?』
(先生か? 行くってどこに?)
『異世界さ。行ってみたいんだろう?』
(そういえば先生とはそんな話をしたこともあったね。そうだなぁ、それはいいな、行ってみたい)
『じゃあ行こう』
(あぁ……。先生、最後までありがとう。笑って逝けそうだ……)
「——分、お亡くなりになりました」
「笑ってましたね、先生」
「そうですね、少しだけ気が楽になりました」