第1話 儚き夢と知らない少女
何時までか、どこまでも世界は明るかった。
雪が降りしきっていても、やはり特別な日というものはあるもので、祭りの日には喧騒が街を支配するのが当たり前である。
少し古びた宿のガラス越しに、長い金髪の少女はその目に景色を写し、キラキラと目を輝かせていた。
『楽しそぉ!』
湧き上がる街に感化された感情によって、足が訳もなく動いてしまう。
『ははは、そんなに楽しそうに見えるかい?ハジメ』
『うん!すっごく楽しそう!』
ひたすら目を輝かせる愛娘の姿に対し、優しげな顔に無精髭が目立つ男が掛けた言葉に、少女は満面の笑みで勢い良く頷いた。
それを聞いてどこか嬉しそうな顔をする父親に、再び少女は顔をほころばせた。
『ねぇねぇ、街に出ちゃだめぇ?』
『え?街にかい?・・・そうだなぁ、少しくらいなら』
『だめですよ。あんなところに出たらそれこそお金がなくなるじゃないですか』
男がつい了承しそうになった発言を、呆れ混じりな声が遮った。
父親がふと視線をやると、娘と同じ金髪の綺麗な髪を持つ女が、無造作に流してあるそれを揺らしながら洗濯物を畳んでいる。
一つ、古びた服を一枚たたみ終えた女は、夫を訝しげな目で見ながら嘆息する。
『簡単にそういうことを言わないでください。あまりお金を散財できる立ち場じゃないんですから』
『まぁ、いいじゃないかこういうときくらい。たまには・・・』
『じゃあ、今日使ったら宿のお金はどうするつもりですか?明日から野宿でもするつもりですか?』
『い、いやぁ、そういうわけじゃ・・・・』
妻に叱咤され言い淀む男は、鋭い妻の視線を向けられて言葉を失う。
たしかに妻の言い分は最もだった。もし羽目をはずして散財でもしてしまえば、取り返しのつかないことになる可能性もあるのだ。
『でもなぁ・・・』、と、男は続けて言いよどみながら前置きをすると、自分の弁を口にする。
『ハジメはきっと行きたいんじゃないか?』
彼に懸念を与えているのは、先程まで街の様相を輝かし気に眺めていた少女の存在だった。
ちらりと、男は苦笑いを浮かべながら妻にしか分からないように目線を少女に向けてやった。
『それはそうですが・・・』
妻もまた、男の言葉に口を尖らせる。妻とて娘に祭りを見せてやりたいのは当たり前だ。しかし、それよりもこの雪積もる寒冷な空気の中、愛する娘を外で寝かせて、風邪を引かせる方が妻にとっては何より怖い。
少し考えるように女は視線を木製の床へと移すと、男もその心情を察したのか口を閉ざして、宿の一室を愛による優しい静寂が支配する。
そして、そんな空気を話しの発端である娘が読み取れないはずもなく、静かに唇を一度噛みその母親譲りの端正な顔立ちに笑顔を浮かべた。
『ママ、パパ。二人はお祭りに行ったことあるの?』
『え?そうね・・・。行ったことはあるわね』
『うん。そうだな』
娘の唐突な発言に少し目を見開き、数度瞬きを行いながら意味もわからず両親は事実を述べる。
もしや娘に駄々をこねられるのではなかろうか、そんな懸念を抱いた二人だが、娘の笑顔を見るとそうは思えなかった。
二人が娘を不思議そうに見守る中、少女は元気な笑顔で自分の考えを語った。
『じゃあさ、お話を聞かせてよ!』
『『え?』』
『お祭りのお話!みんなでお話しよ!』
お祭りに行くのは辞めてさ!なんて言葉は、少女は口にはしなかった。幼いながらに、その言葉が両親に何かを与えかねないと感じ取ったのだ。
まだ窓ガラスに小さな手を貼り付けたまま、彼女は自分の今できる笑顔を両親へと見せてやった。
『『・・・・・』』
両親は呆気にとられたように少し沈黙した後、二人で顔を見合わせた。
ほんの少しだけ今の状況をそうして確認すると、母親が一つため息を付いた。
『え!?』
その母親の仕草を見て少女は困惑する。なにか間違ってしまっただろうか?ママに悪いことをしてしまっただろうか?
そんな娘の姿に気づいた女が、はっと我に返り、突然あたふたと手を動かして娘に弁解する。
『ち、違うのよハジメ!そうじゃないの!ハジメが悪いんじゃなくてぇ・・・・その・・・。ど、どうすればいいんですかアナタぁ・・・・・』
『君はもう少し落ち着けるようになったほうがいいと思うけどなぁ』
『で、でも、ハジメが泣いちゃうかも・・・!』
『君が既に少し泣いてるじゃないか・・・・・』
ひたすら慌て続ける妻に対して、男は困ったようにそう言うと、娘の方を向き直って妻の代わりに教えてやった。
『ゴメンなハジメ。ママ溜息つくの好きみたいだから、別にハジメに呆れてたりしたわけじゃいんだよ』
『そ、そうなの?』
『そ、そうよ!ハジメに呆れてたわけじゃなくて・・・・』
『ママ、今のところは違うってツッコむところだったんだけど?』
『し、知りませんよ私はそんなこと!』
既にコントのようになってきた二人の会話に、少女はしばし呆然とする。
そんな娘に再び目を向けると、男は優しい笑顔で彼女の前に座り込んだ。
『ハジメ、お祭り行きたいか?』
『え?・・・・ううん。私別に行きたくないよ』
少女はほんの数秒考えた後、フルフルと首を小さく奮った。
嘘だった。好奇心はたしかにあって、あの街の喧騒を肌で感じてみたいと言う思いも、少女の中にはあった。しかし、それが両親を苦しめるというのなら、押さえ込むのは彼女の中では当たり前だ。だから隠したのだ。
大人にそんな少女の見栄っ張りが見透かされないわけなどないのに。
『はいだめ!』
『はぅ!』
ぱちりと可愛らしい軽快な音が少女の額から響く。
デコピンをされた額を少女は少し痛そうに両手で髪をかきあげる形で優しく抑えて、困惑しながら父を見上げた。
父はそんな娘に優しく微笑んで、心配そうにこちらを眺める過保護な優しい妻をひとまず無視しつつ、もう一度口を開いた。
『前にも教えただろ?嘘はついちゃだダメだ』
『う、嘘付いてない・・・』
『おへそ取られちゃうぞ』
『い、嫌!』
言われてお腹を抱え、つい大きな声で怒鳴ってしまう。
そしてぷっと父親が軽く吹き出したのを見て、今自分が嘘をついていたことを肯定してしまったのだと理解した。
怒られるだろうか?そんな疑念が少女の中によぎる。だが、父親は優しく少女の頭に手をおいて、撫でた。
『え?』
『あのな、ハジメ。子供は嘘をついちゃいけないんだよ』
『お、大人はいいの?』
『ああ、大人はいいのさ。自分でもう生きていかなくっちゃいけないからな。人を騙すなり、なんだりしていい』
『アナタ・・・・』
『ああ、これはダメだが・・・・』
背後から不穏な気配を感じて、あからさまな苦笑いを作って軽く笑い声を響かせ誤魔化す。
そしてまただまり続けている娘に目をやってから、優しい口調で言ってやった。
『お前が見せた優しい嘘も、大人だったらついていい』
『・・・なんで、子供はだめなの?』
『だってパパ、ハジメにまだ頼ってもらいたいからなぁ』
『−−−』
告げられたその言葉に、少女は言葉を失い、一瞬思考が白へと化した。
『まだいいんだよ、むしろついてほしくない。ハジメは優しいから、気持ちはわかってるつもりだけどな、でもダメだ』
『・・・・・・・』
『パパも、ママも、まだハジメを甘やかしてたいからな』
『・・・・・・・』
少女はなんと返答をすればいいのかわからず、ただ言葉を失っていた。もしくは、目頭が熱くなって、溢れ出そうなものを堪えるのに必死だった。
そんな娘を見て、今度は正真正銘、呆れた笑みを作った父。ーーふと、母親がぽろりと雫をこぼした娘を抱きしめた。
『あのね、ハジメ。ママはハジメのこと好きよ。大好き』
『・・・うん』
『だから行きましょう。お祭り』
『ーーえ?』
ぎゅっと、また強く娘を抱きしめて。
『行きたくないの?』
『・・・・行きたい・・・です』
小さく遠慮したように、けれども今度こそ本音を口にした。
『じゃあ、行かなくっちゃですね。愛娘の頼みだもの』
『はは、そうだな』
妻の了解を求める言葉に、最初からこうなることを予想していたのか、少し可笑しそうに答える男。
しかし娘は尚も心配そうに、抱きしめる母の背にいまだ手を回せずにいた。
『どうしたの?』
『でも、お金・・・』
『大丈夫よ、パパのお小遣いがなくなるだけだもの』
『マジカ・・・・』
また軽快を叩き、父親が軽く肩を落とす。だが、娘がそれを気にすると思い、すぐにその仕草をすることをやめた。
少女は今度こそ母親を抱きしめ返して、
『ママ、パパ、・・・・ありがと』
『いいえぇ』
『おう』
優しい母と父の返答に、ギュッとつぶっていた目から自然と涙がこぼれていった。
幼いころの、特別な一日だった。
〜〜〜〜〜〜〜〜
「・・・・・」
幸せな夢から目覚めると、目の前には木製の天井が広がっていた。
そこまで広くはなかったが、夢の中の天井の広さから考えるとそれでも広いだろう。
窓から差し込む美しい月明かりが目を刺激していることから、女は現在が夜であることを確認した。
「・・・・ここは、どこだっけ」
上体をゆっくりと持ち上げると、周りを見渡しながらそんなことを考えた。
ふと、頬に違和感を感じてそこに触れると、軽く手が濡れ、自分が泣いていたことに気づく。もう20も近いと言うのに、なんと情けない。
軽く目を拭いながら、今までの状況を整理する。
私は、あの場で殺されかけて・・・・いや、死にかけて。誰かに助けられたのか?
殺される、という言い方にまるで自分が被害者のようなニュアンスが含まれているこをに嫌悪し、心のなかで言い直すと、頭のなかで自分を助けた誰かの顔が思い浮かんだ。
「あ!起きましたか!?」
そう、たしかこんな幼いような声をする紅色の髪を持つ少女だったと・・・・
「は!?どこから!?」
聞き覚えのある声が部屋の何処かから聞こえてきて、女は、ハジメはあたりを見回した。
しかし左にも右にもはたまた後ろにも、あの時の彼女は見当たらない。
あはてなと首を傾げながらハジメは金色の髪を触って、空耳か幻聴かと視線を前に戻すと、いつの間にやらあの時の少女が彼女の膝の上に乗っていた。
「のぁ!?」
「あっ!びっくりしました!?」
言うまでもなく驚いていたハジメに向かって、紅色の髪を持つ少女はケラケラと可笑しそうに笑った。
状況が飲み込めず硬直するハジメをよそに、少女は意気揚々と両手の五指を絡ませて楽しそうに笑っている。
こ、これは・・・・どういう状況?
困惑しながら少女を眺め続けるハジメ。
そんな彼女の視線に気づくと、少女は彼女に満面の笑みを浮かべて自己紹介を始めた。
「お久しぶりです!ハジメさん!」
「え?」
「ララリア・サフィアです!アナタを助けた命の恩人ですよ!!」
「あ、うん、そうみたいだね。その節、っていうか、さっきはありがとう」
「え!?は、はい!!」
え?なにこの反応。
ハジメはふと、サフィアと名乗った少女の反応に違和感を感じた。
自分の感謝の言葉に、なぜだか目をキラキラと輝かせ、頬を抑えて首をフルフルと振るい始めたからだ。
頭でも打ったのだろうか?いや、先程の後、戦闘をおそらくは行ったであろうから当然か・・・・、そんな風に純粋なハジメは考えていた。しかし、彼女のその反応がハジメの予想の斜め上を通過していたことを、ーー自己紹介の”続き”を聞くことで理解することになった。
「それで?君は一体・・・」
「はい、ハジメさんの奴隷です!」
「・・・・え?いや、なに言って・・」
「なんなら、ハジメさんのお嫁さんでもいいですぅ・・・・」
「待て、ちょっと待てなに言ってんの!?」
恥じらうように今度は赤く染まった頬を抑えている少女の発言に、ハジメは理解できず、更にはとんでもない発言が飛び出した気がして声を荒げた。
そんなハジメなど素知らぬ様子で、彼女は頬の紅葉をしまってから、ゆっくりとハジメの膝の上に正座すると、更にとんでもない発言をかます。
「これからハジメさんの身の周りの家事とか色々私がやるので!これからよろしくお願いしますね!」
「いやいや・・・」
「ついでに私はハジメさんのことが大好きなので気をつけてくださいねぇ!」
「なっ!?」
えへへへ、と可愛らしく微笑んでいるサフィアに対し、ついに状況を飲み込むことが出来ず。
ーー私女なんだけど!?
自分の女子力たるものを無性に心配する羽目になった。
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