わすれもの
「夏」、「新幹線」この二つのキーワードで作品を作れ。
というお題で作った作品です。
優しい笑顔をしたおばちゃんだった。ふんわりとした手は温かくて、泣いていた自分の頭を優しく撫でてくれた。その後に、食べさせてくれたポッキーはとても甘かった。そのときうっかりとイルカのキーホルダーを忘れてしまったことも今となっては良い思い出なのだろうか。
◇
八つ当たり気味に上着を荷物棚に放り込んだ。車内に流れるアナウンスを聞き流しながら椅子に腰かけ、辺りを見渡す。どうやらこの車両にいるのは自分だけらしい。なんて都合が良いのだろう。人目を気にせずこの広い空間を占領できるのだから。ちょっとした優越感に浸るものの明海の顔に笑みが生まれることはなかった。
「何やってんだろ……」
さっきの行動が今更恥ずかしく思えてくる。いい年して何をやっているのだろう。背もたれに後頭部を載せて天井を仰ぐと、そんな自暴自棄な言葉も直ぐに引っ込んで、安堵のため息が零れ出た。
「やっと帰れるんだ……」
東京にやってきてだいたい5年ぐらい。明美の短い都会生活は数日前に終わりを告げた。一枚の紙によって。
警笛がなって電車が動き出す。僅かな揺れとかかってくる負荷に任せるように椅子を後ろに倒す。窓の外を見れば、駅ホームから降りて行くのはスーツに身を包んだサラリーマン達。わざわざ新幹線を使って仕事に行くのだからご苦労なことだ。その疲れた表情が今更に羨ましく思えてくる。
「無職か……」
◇
都会は夢の国だ。夜は居酒屋でビールを飲んで仕事の疲れを忘れて、友達と一緒にカラオケ。休みの日にはショッピングにお出かけ。時に合コンをして恋人を作って、遊園地の観覧車で夜景を眺める。
そんな明美が思い描いていた花のある都会生活はたったの数日で打ち壊された。
残業。残業の次に残業。加えて徹夜に朝帰り。酷い時には泊まり込み、化粧の崩れた顔で一日過ごすこともあった。これが全部サービス残業という無給だと知ったのは最初の給料日だった。世に言うブラック企業に入ってしまったのだ。
奴隷のような生活だが逃げても次の職場は無いだろう。一月で会社を辞めるような者を誰が雇うと言うのか。そうなれば花の都会生活など永遠に無理だ。いつか休みが来る。報われる時が来る。そう言い聞かせて気づけば五年目。心身を壊して倒れた明美に渡されたのは解雇通知。全てが嫌になり文句ひとつ言わずに実家に身を引くことにした。青森の両親が笑って受け入れてくれた時には涙を流した。
だが振り返ってみれば最も明るい春の時期を逃してしまった。今の自分は27歳のくたびれた女。ストレスのせいか30歳ぐらいに見られてもおかしくないかもしれない。5年かけて得たのはくたびれた心身と僅かばかりの財産。四年ほど前に買った安物バッグの中に入っているのは薄い財布と二世代前のガラケー。それとポッキーだ。お弁当を買おうかと思ったが金が無いのでこれにしたのだ。そもそも新幹線の切符だって各駅停車の物だ。急行にする金がもったいなく感じてしまって。
急行列車に乗れない。お弁当もろくに食べれない。男も知らない。青春を逃した三十路前の無職女。
「こんな大人に……なりたかったんじゃない……」
◇
世界が白くなった。ぼんやりとした光が目を刺す。ガタンゴトンとなる車両の音と心地よい揺れ。喧しいくらいの冷房の音。少し肌寒い。そこでようやく髪の毛をひっぱられていることに気づいた。寝ぼけている意識をそっちに向けると黒い髪をした女の子がいた。年は5歳くらいだろうか。
「こんにちはおばちゃん」
おばちゃんじゃない。まだ20代だ。嫌な夢を見たせいか頭に鋭い針が刺さったような気がした。
「誰?」
自分でも驚くぐらい低い声がした。こういう気分と態度はダメだと頭の隅では分かっていながらも、安眠を阻害されたイライラが消えない。
そんな明美の気など知るものかと、女の子はジッと見つめてくる。一体どこの子だろうか。迷子かなにかかもしれない。とりあえず厄介ごとは御免だ。無視して資格本でも読んでいようと鞄を探る。すぐに手を止めた。無い。本が見当たらないのだ。一瞬盗まれたかと勘ぐったがすぐに思い出した。そういえば実家に送る荷物に放り込んだ。どうせ新幹線の中では読む気にならないだろうと思ったのだ。変なミスをしたものだ。不快だった気分が更に荒らされたような気がした。悪いのは自分だというのに。
「おばちゃんどこ行くの? おひっこし?」
女の子が身を乗り出して話しかけてくる。距離が近いうえに声が甲高い。耳につく。顔をしかめながらも適当に相槌を打ってやった。
「そうお引越し」
新幹線でなぜ引っ越しなのだろう。子供の考えることは分からない。
「あたらしいおうちに行くの?」
「自分の家」
ぶっきらぼうに答えた。適当に相手をしていたら下がるだろう。だが女の子はますます身を乗り出してくる。
「なんでパパとママにあいにいくの?」
「一緒に住むのよ」
「おうちにかえるの?」
「そうよ……」
現状を再認識させられ明美の不快感はさらに増していく。そこにとどめが刺さった。
「あ~、わかった。おばちゃんさびしがりやなんだね~。よしよし」
髪の毛が引っ張られた。子供が頭を撫でようとしたのである。とうとう抑えていたものが爆発した。
「触らないでよ!」
そしてすぐに後悔した。子供相手に何を怒鳴っているのだろう。僅か5歳ぐらいの女の子は目を丸くしている。細めてワッと泣きだした。
「あ、ごめ……あ……」
こういう時はどうすればいいのだろう。女の子を慰めるときはどうすればいいのだろう。子供どころか男の扱いすら知らないのだ。何も分からない。
するとまるで嗅ぎ付けるように車両に人が入って来た。半袖の制服シャツに身を包んだ乗務員さんだ。40歳ぐらいの彼はノシノシと近づいてくると、四角い眼鏡を持ち上げて困っていますよと露骨な態度を取って来た。
「お子さんを静かにさせてください。周りに迷惑です」
周りを見ると、ポツポツと人が増えていた。いつの間にか増えたらしい。
ここは謝るべきなのだろう。だがこの子は自分の子じゃない。よその子にちょっかい出されているのだからむしろ被害者だ。だいたい5歳ぐらいの子供がいてたまるものか。自分はまだ27歳だ。そこまで考えて思考が止まってしまった。27歳の女に5歳の子供。別に変な光景じゃない。早い人なら22歳で子供をもうけていても普通だ。そう、自分はもうそんな年になってしまったのだ。
「すいません。きつく言っておきますから」
今も泣いている女の子頭を撫でて上げると、少しずつだが泣き止んでいった。乗務員さんもそれ以上は何も言わず車両から出て行った。
「もう泣かないの」と言いながら女の子の涙をぬぐってあげる。女の子も落ち着いたのか、しゃっくりはしているもののもう泣くことはなかった。
「何してんだろうな……」
急行列車に乗れない。お弁当もろくに食べれない。男も知らない。青春を逃した三十路前の無職女。加えて子供相手に怒鳴る。なんて最低なのだろう。
「おばちゃん、ないてるの?」
「え?」
何を言っているのだろう。だが目元を触ってみれば確かに水が手についた。ああ自分は泣きたいらしい。気持ちに気づいて胸が痛くなった。ポトポトと涙が出てくる。
「いたいのいたいのとんでけ~」
可愛い声が聞こえた。見れば女の子が両手を上に放り上げている。
「こうするとね、いたいのなくなるの。いたいのいたいのとんでけ~」
そんな魔法の言葉があったら誰も苦労なんてしない。そう思いながら吹きだしてしまった。
「いたいところにさわってすると、もっといたくなくなるよ。やってあげよっか?」
「なら、お願いしようかな?」
「うん、任せて!」
明美の胸に女の子の小さい小さい手が触れる。玩具みたいに小さいのに温かい。
「いたいのいたいのとんでけ~。おばちゃんを泣かせる悪いやつは、どこかに飛んでっちゃえ~」
自分の胸の中に悪いものが住み着いていて、呪文には本当に効果があると思っているらしい。やっていることはマヌケだが、女の子の目は真剣そのものだった。
「ありがとう。もういいよ」
「いたいのなくなった? おばちゃんにわるいことするやつでていった?」
「うん。出て行った」
「やった!」
穢れを知らない無邪気な笑顔だ。首元の汗を拭いながら上着を脱いで鞄に押し込もうとする。奥底にポッキーの箱があることに気づき、取り出した。
「食べる?」
「うん」
包装を破って一本手渡すと、女の子は嬉しそうにそれを頬張り始めた。
「わたしおかしだいすき! おおきくなったらね、おかしつくたい」
「ポッキー作るの?」
もちろんポッキーを作るのは人では無く機械だ。だがそれを女の子に言う必要はないだろう。
「ううん、ケーキつくりたい」
「ならケーキ職人さんね~」
「でもね、クッキーもすきなの。あとおはぎも~」
子供が「和菓子が好き」と言うとは思わなかった。
「甘いものばっかりだね」
「あまいものだいすき~」
笑いながら女の子の話を聞く。キラキラ輝いていて元気と幸せでいっぱいだ。昔の自分もこうだったのだろうか。
そういえば自分もこの子のような時があった。お菓子を作るのが好きでパティシエになりたいと思ったこともある。だがそれだけ。「なりたい」ではなく「なれたらいいな~」ぐらいの柔らかいものだ。猛勉強して徹夜して腕磨いてとか、真剣に目指したわけじゃない。
「難しいかな」
「ふぇ?」
女の子キラキラが止まった。いや止めてしまったのだ。
慌てて笑顔を取り繕う。子供は敏感だと聞くが本当だ。自分の情けない姿は見せたくない。特に腐った自分の姿なんかで彼女の夢を止めたくない。
「あなたならきっとなれるわ」
「なれるかな!」
「うん!」
同時に思う。仕事で身につけざるを得なかった作り笑いで自分を隠そうとする自分。なんて醜いのだろう。
それからも女の子の話をずっと聞いていた。と言ってもほとんどお菓子の話ばかりだ。あれもおいしい。これもおいしい。あれが好き。それは苦手。小さい女の子とのおしゃべりは明美の心を温かくしてくれた。
そんな時間にも終わりが来る。アナウンスが流れた。
「もうすぐ終点だね」
「それしってる~。でんしゃがとまっちゃうだよね~」
隠そうともしない寂しそうな表情だった。明美とのお別れが近づいていることをこの年で気づいているらしい。
「でんしゃ、ほんとうにとまっちゃうの?」
「うん、もうすぐバイバイだね」
女の子はションボリとしたが、すぐに可愛らしい笑顔に戻した。
「おばちゃん、ありがとう。たのしかった」
「私も楽しかったわ」
おばちゃんじゃないんだけれどなと言う気持ちはもうどこかに行ってしまっていた。
「わたしね、おかしのコックさんよりもなりたいもの見つけたよ」
「え? 何? おばちゃんに教えてくれるの?
「おばちゃんだからおしえたいの」
これは嬉しい抜擢だ。腰をかがめて出来る限り女の子と視線を合わせてあげる。だがやっぱり身長差がありすぎる。結果的に女の子に顔を近づける形になってしまった。
女の子は恥ずかしそうに顔を俯けると、思い切ったように笑って見せた。
「わたしね……おばちゃんみたいなやさしいおんなのひとになりたい」
体が動かなくなった。今度は自分でも分かった。涙がブワッと溢れてきた。声が出せない。ハンカチを取り出し、目を覆う。
なんで自分なんか。社会から追い出された無職の自分なんかに。そう思えば思うほど涙は止めどなく溢れてハンカチを濡らしていく。お礼を言おうにも嗚咽が漏れるだけで声が出ない。早く返事をしなくちゃ。ありがとうって言わなきゃ。
アナウンスが聞こえてきた。もうすぐ着いてしまう。ぐしゃぐしゃの顔で良い。かっこ悪くていい。この気持ちだけは何としても伝えたい。顔を上げて女の子の方を見た。
居ない。
誰も居ない。そこに座っていたはずの女の子が居なくなっていた。いつの間にかだ。慌てて車両内を見渡す。人影一つ見当たらない。そうしている間に新幹線が止まった。
もしかしたら、お父さんとお母さんの元に戻っているのかもしれない。そうしたらもう降りてしまう。転がるようにホームへと飛び出す。左右と見渡すが人の影は少ない。少なくとも子供らしき姿は見当たらない。
体がブルッと震えた。駅の窓向こうを見てようやく自分の大きな誤りに気づいた。降りしきる白い雪。今は12月だ。
「お客さん!」
新幹線の中から乗務員さんが下りてきた。手には明美の荷物が抱えられている。
「忘れものじゃないですか? これも棚の上に置きっぱなしでしたよ」
ブラウン色のコートを突き出され、慌ててそれを羽織る。
「それと、これもお客さんのでしょうか? 席の隣に落ちてましたよ」
鞄を受け取ると、四角い眼鏡をかけた60歳ぐらいの彼は明美に何かを手渡した。イルカのキーホルダーだった。
それをしばらく見つめると胸に押し当てた。
「ありがとうございます。大切なものを見つけられました」
お辞儀をすると、明美は強い足取りでその場を後にした。
夏と新幹線って言ったら青春が真っ先に思いつきました。
ですが、なにかこの「型」を破った作品を書きたい。
そう思ってしこ錯誤した結果、こんな作品になりました。
伏線と最後の「実は……」的な見せ方はうまくいった方かなと思います。
感想をいただければ幸いです。




