死んでしまったので、張り切って悪霊になろうと思う
覚えているのは、どんと言う衝撃音と共に消える雨の音。
視界を鈍らせていたビニールの傘の代わりに、目の前を塞ぐ黒い車。
傾く体につま先から頭まで抜けるような痛みがあった。
感じる音も匂いも、少し冷たい空気も、鋭い痛みも全て真っ白に消えた。
それから。
どのくらいの時間が過ぎたのかは分からない。
私は異質な存在として目を覚ました。
まずふわふわと宙に浮いている。
何かに触ろうとしても、すっと通り抜ける。
通りかかりの人に声をかけても、目の前で変なダンスを披露しても無視される。
「つまり…私は死んだんだな…」
残っている記憶の欠片を集めてみる。
大学受験を間際に控えている私は、カフェで友だちと勉強していて、窓ガラスに流れる水滴に気付いた。
しとしとと軽い音だが、空を見れば真っ黒で、雨足は強まりそうだった。
今日はここまでにしようと切り上げて、早足に家へ向かった。
その時恐らくハンドルを切り損ねたのか、それとも水たまりにタイヤを滑らせたのか、その辺は分からないが、スリップしてきた車がガードレールを超えて歩道に突っ込んできた。
そこにいたのが私だった。
「どう考えても死んでるな。と言うことはだ……私は幽霊という存在というわけだな」
自分が何者かは理解した。
次に考えることは自分が何をすべきかだ。
いや。まて幽霊とは分かったが、具体的にはどんな幽霊だろうか?
「あまり詳しくないけど、霊には色んな種類があったはずだな。地縛霊とか」
地縛霊は自分が死んだことに気付けずに、その場から動けなくなった霊の事を言う。
私は、自分が死んだことに気付いているので、おそらく地縛霊ではないと思う。
「だが、一応確認のため、移動してみるか…」
さてどこに行こうかと辺りをきょろりと見渡し、ふと今日公開の映画の広告が目に入った。
「……………………」
ふわりと体を動かし、映画館へと足を運ぶ。
「足を運ぶっていう表現は、幽霊には使えないんだな」
よくよく見れば足がなかった。
太もも辺りから徐々に薄く霧のように消えている。
「まぁ、良い。とりあえず今言えることは、この映画、前評判ほど面白いものじゃなかったということと…」
地縛霊ではなかったということだ。
これは映画館に行けたことで証明された。
「あと…私が知ってるのは、背後霊と守護霊くらいか?…でもその2つの違いって何だろう?」
うーんと映画館のベンチに座りながら、首を捻る。
背後霊というのなら背後にいるのだろう。守護霊というのなら誰かを守護しているはず。
「別に私の前には誰もいないから、背後霊じゃないっぽいな。誰かを守護しているってわけでもないし」
うーむ、と自分とは一体何か。
気分はソクラテスである。
しばらく悩んだが、良い考えが浮かばないので、気分転換にもう1本映画を見ることにした。
上映映画を確認しに行くのは面倒なので、何でもいいかと近くの入口に入る。
その映画はあまり人気がないのか、ぽつぽつとしか席が埋まっておらず、がらんとしていた。
始まったスクリーンを見れば【THE BABY…】と映画のタイトルが表示された。
なるほど。ほのぼのファミリーストーリーか。
アクションが好きなので、ホーム映画はあまり好みではないが、霊になった記念に見るのも良いかもしれない。
そんな軽い気持ちで見始めた私だったが、驚くべきことにその映画の中に
「一体私は何者か?」
と言う問いに対する答えが隠されていた。
「まさか…私は悪霊だったとは…」
衝撃の事実が発覚。
【THE BABY…】ほのぼのしてそうですね、と感じさせるその映画は、まさかのホラー映画だった。
死んだばかりの赤子に悪霊が取りつき、死んだまま成長し、世の中を震撼させるような残虐な事件を引き起こして行く。
その映画の中に出てくるイケメンの刑事。
彼は実は強い霊感を持っていて、その事件に何らかの霊が絡んでいることを見抜く。
そのイケメンのセリフに
「人は死したら、みんな無に帰るのさ。この世に留まり、姿なきまま留めるのは、須らく悪意と言う意思のみ」
「人は誰しも恨む心や、妬む気持ち、忌わしき感情を持っている。それを制御できる者が普通の人であり、制御できない者が犯罪者となる。そして、制御出来ない者が死した時悪霊となる。奴らはその気持ちが強いほど、強大な存在で、この犯罪はおそらく…その存在が引き起こしたものだ」
「人の心が恐怖に染まる時、それはもう奴らに捕われてしまったあとなのさ。生への強い執着を持ち、それを奪おうとするものが何者でもあろうとも抗おうとするあんたのような人間は、悪霊がもっとも苦手とする人間なのかもしれないな」
と言うものがあった。
ついでに言うならラブシーンもあった。
イケメン刑事と親友を惨たらしく殺され、その事件を解明しようとする大学生との、きゃーハレンチーと顔を手で覆いながら、指の間からつい見てしまうラブシーンがあった。
「その映画から何が分かったかと言うと、洋画のラブシーンは邦画よりも濃厚だということと………そして私が悪霊だという可能性が限りなく100%に近いということだ」
イケメンのセリフをよくよく噛み砕いて考えてみれば、私に全て当てはまるような気がする。
信じがたいところもあるが、イケメンが言うのだから間違いない。
悪霊と言う言葉はすとんと私に落ち着いた。
そうと決まると、悪いことをしてやろうという気持ちが沸いてきた。
「霊と言えばポルターガイストだな…」
張り切ってみたはいいが、色々と問題がある。
何をやろうとしても、その能力がないのだ。
気分は英検5級レベルの通訳である。
いや、もっと分かりやすく言えば、車を運転したことがないけど、タクシードライバーになっちゃった残念な人だろうか?
早い話がどうしていいか分からない。
私の体は、何もかもすり抜けてしまう。
ポルターガイストを起こすには、どうすれば良いのだろうか?
考え事をしながらふわふわと動いていると、いつの間にか駅の改札口にいた。
無意識にいつもの帰宅ルートを通っていたらしい。
特に目的もないので、気が向くままどこかに行ってみるかと改札を抜け(勿論、悪霊なので料金は払わない。そもそもさっきも映画館にただで入り込み、2本も見てやった)ホームへと向かう。
「その辺のものとかは触れないけど、自分に関するものとか触れる可能性はないか?自分の卒塔婆とか…自分の仏壇とか触れそうな気がする…」
私は中学の頃、吹奏楽部でパーカッションを担当していた。
チーンとしめやかに鳴るはずのものが、チンチカチンチンと超高速で鳴り響けば坊さんすらビビるに違いない。
つらつらとそんなことを考える私の前に、大きいお腹を抱えながら階段を降りる妊婦さんがいた。
大きなお腹で足元が見えていない。
エレベーターを使った方が良いんじゃないかと思いながら何となしに見ているその時、あっと小さく悲鳴を上げて傾く妊婦さんの体。
きゃーっと周りの声に、誰も拾えない私の悲鳴が重なる。
踊り場にぶつかるその一瞬、妊婦さんの体がふわりと浮き、衝撃を和らげた。
狐に抓まれたように動きを止めた人たちは、そのあとすぐに倒れている妊婦さんに気付き、大変だ~っ!と駆け寄った。
それを見下ろしながら、私は酷く歪んだ笑みを浮かべた。
やばい。
私、ポルターガイストのやり方がわかった。
悪霊2日目の朝。
「ふっふふ…」
私は酷薄な笑みを浮かべ、かつてのクラスメートを見下ろした。
次の日、私は通い慣れた高校に来ていた。
自分が死したのちも、幸せそうに暮らす彼ら。そんな彼らを妬ましく恨めしく思う気持ち。
輝かしい未来と、それに向かって希望を持つ彼ら。
自分とは異なり、変わる未来がある彼らを殺してやりたいと思う闇に巣食われてしまった悪しき心が…
「…一切ないのが悪霊として困ったところだ」
私のクラスはみんな良い奴で、みんな優しくて一緒にいて楽しい奴らだった。
彼らの将来が幸せであれば、それは結構なことである。
しかしいつもくだらないことで笑っているクラスの雰囲気は目に見えて暗く、沈んでいた。
「もしかして私のせい…?」
お受験を控えた大事な時期に、一応机の上に参考書を広げつつも、心は全く別のところに飛んでいるクラスメートたち。
たまに呟かれる私の名前。
組んだ手に額を置き、項垂れる仲の良かった女の子。
何だか見てられなくて、教室を出る。
「やっぱりクラスメートはやめよう…」
とぼとぼと学校内を浮遊していると、どこからか視線を感じた。
悪霊たる私の姿は誰にも見えないはずなのに、おかしいな、勘違いかな?ときょろきょろと見渡してみれば、廊下の掲示板に凭れかかり、こちらをじっと見つめている男の子を発見。
見返してみればばっちりと目が合う。
私はその男の子を知っていた。いや、そもそもこの学校で知らぬものなどいないだろう。
彼の名は、藤代水樹。
そこそこ偏差値の高い我が校で、学年1位の座を一度たりとも明け渡したことがない秀才。
女の子に絶大な人気を誇る彼は、学年一の知名度がある。切れ長の目や、すっと通った鼻梁、それなりに整った顔に、180には届かないもののそこそこ高い身長。
そんな彼は残念なことにクールで人を寄せ付けない雰囲気を纏っていた。
人であった時の私も、張り出された試験の順位表を見ることもなく通り過ぎている彼を見て、クールだなと感心したものだ。
生前では、話しかけることも躊躇われた彼。
しかし悪霊となった今は違う。
誰にも出来ないことをやってやろうと張り切った私は、バーカ、バーカと言いながら、藤代君の目の前でコサックダンスをしてやった。
しかし残念なことに私には足がない。
「…これじゃ王の命令を待つ臣下にしか見えないな…」
ちょっと考えた末、ふわりを体を浮かべ、背の高い藤代君と目線を合わせた。
そして呪ってやった。
「受験に失敗してしまえ」
「…………………」
「そうだな……具体的に言えば、マークシート1個ずらしてしまえ。しかもそれを試験終了3分前に気づいて、あー俺はなんって馬鹿なんだーと心の中で叫びつつ、消しゴムでごしごし無駄な抵抗をして、試験用紙を破いて、あぁぁと嘆く悲しい受験生になってしまえ」
ふはっはっはっーと笑いながら呪う私を
「…3-Eの畠山 小麦さん。あなた、こんなところで何をやってるんです?」
藤代君はくいっと黒いメガネの縁を指で押しながら、冷たく見据えた。
おや?
おやおやおや?
「………………………?」
畠山 小麦とは生前の私の名前である。
話したこともない私の名を、彼は知っているのだろうか?
いやいや違うだろ。
そんなことよりももっと重要なことがある。
「もしかして私の事、見えてる?」
いやいやまさかな~と自問自答する私に
「えぇ。鬱陶しいくらいはっきり見えていますよ」
清々しいほどきっぱりと、冴え冴えと冷えた声で宣告する藤代君。
そんな藤代君と私の視線はばっちりと合っていた。
学年主席、イケメンクール眼鏡の藤代君は驚くべきことに、強い霊感を持っていた。
話を聞けば幼いころから、人ならぬものが見える性質だったらしい。
「別に実家が神社とか、そういうのではないんですけどね。ただ母方のじいさまが色々と見える方なので、見えることに気付いてからじい様からの教えで多少の修業は致しました。見えることは、すなわち狙われることにも繋がりますから」
「なるほど、なるほど。苦労してるんだね」
面倒くさそうな顔を隠そうともしない藤代君は、私に家に来るように言った。
良し来た、ほいさっさとついていく私。
悪霊になって初めて、私を見える人に会えたのである。
正直言って、嬉しい。
ない足でスキップしようとする私を、藤代君は鬱陶しそうに見る。
しかし気にしない。
藤代君の部屋に招いてもらって早速。
ベッドの下を覗き込んでやった。
悪霊なのでマナーとか常識とか全然気にしない。
しかし残念なことに、藤代君のベッドの下にエッチな本はなかった。
「ちっ。つまらん」
藤代君にマニアックな趣味があったら面白かったのに。
「あなた、何をやってるんです?そういう理に反することをやってると、元に戻れなくなりますよ」
「ふん。悪霊になった今、怖いことなんて何もない」
悪霊の私に説教とは、さすが霊感があるだけあって、藤代君は肝が据わっている。しかしいずれ私は、年頃の男の子のベッドの下をのぞき込むことなど小さいと思われるようなことをやってやるつもりだ。
そんな私に、説教など不要。
鼻息荒く、宙で意気込む私を見ながら、藤代君は呆れたようにため息を吐いた。
「そういうことではなくて。もしかしてあなた…」
「あ、ちょっとちょっと。これ御札?何か感じる。何かこれすっごい御札なんじゃない??」
天井付近を浮遊した瞬間、ぴりっと来るような拒絶の空気を感じた。
その原因を探ってみれば、ドアと窓の上部に張られた御札。
にょにょにょーんと書かれた文字は解読できないものの、只ならぬ力を感じる。
その辺りまでふよりと飛んで、まじまじ見てみれば、弱い電気が体に走るような不思議な感じがした。
「それは霊力ある坊様から頂いたお札です。見えると言ってもそれほどの力がない私を補うために頂きました」
「へぇ~なるほど~。藤代君、見えるけど力ないんだ~」
良いことを聞いた。
藤代君は、悪霊である私の存在を見ることは出来るが、その存在に対抗できるほどの能力はないようである。
つまり、私に対し彼は無力。
例えて見れば、バーベルは見えるが、それを持ち上げる能力はない貧弱なボディビルダーみたいなものか。
へぇ~そうなんだ~ふーん。
明らかに含みがある言葉を連ねながらふよふよ回転する私を、藤代君は冷たく見た。
彼の絶対の零度の視線は、結構武器になる。
私は、しゃべるのをやめた。
「言っておきますが、身を守るのに全くの無力と言うわけではありませんよ。そもそもその札とて、闇が迫る時、寝ている無防備な俺を守るために貼っているものですから。起きているときになら、多少の事は出来ます」
「でもその札、あまり効果はないと思う。私、結構平気だし」
「当たり前です。そもそもその札は悪しきものを防ぐもの。……何か勘違いしているようですが、あなたはまだ」
「ねぇねぇ。ちょっとちょっと。何か外にいるよ。何か分かんないけど、こっちをじっと見てる」
黒一面の窓の向こうに、誰かが見ている気配を感じた。
それが何かは分からないが、物が腐ったような嫌な臭いもする。
何かを話していた藤代君を遮り、窓の外へ注意を促す。
「その程度の霊、心配無用。低俗な浮遊霊でしょう。相手にする価値もない」
「でもさ……嫌な感じがする。何か嫌だな…」
何だか分からないが、得体のしれないものが自分のすぐ後ろの闇に隠れているような、首から下にかけてぞわぞわと悪寒が走るのだ。
重ねて訴えれば、藤代君は面倒くさそうにため息を吐き、何かを唱えて九字を切った。
藤代君の手首に嵌められていた数珠がしゃらりと音を立てる。
その直後、すぅっと飲まれるようにその存在は姿を消した。
「……………………今何したの?」
外の嫌な気配が一瞬で消えた。
「刀印を結んで、降伏させただけです。余程弱かったのか、消えてしまいましたが」
「…ふっ…ふーん…」
そのセリフを何でもないように流しながら、心の中は動揺しまくりである。
力がないと言ったのに…。
藤代君は悪霊も戦く嘘つき野郎であった。
やばい。
藤代君はやばい。
彼にかかっては、死後3日の私などその指の振り一つで消えてしまう。
やばいぞ、やばい。
下手なことをすると消される。
たらりと背中を冷たい汗が流れるような気がした。
「……………あーっ、もうこんな時間だっ。悪霊と言えど若い女の子と、若い男の子が一緒にいるのは良くないと思うんだ。と言うことで…さらばなりっ」
わざとらしいほど明るい声で、早口で別れの挨拶を切り出す。
常には出なかった速度で外へと移動でき、自分でびっくりする。
ふわりと言う動きしか出来なかったのに、シュッタと言う素早い動き。
自分はどこにでもいるような亀だと思っていたら、実はガメラだったと気づいた時の驚きと似たような感じだ。
屋根の上でぽかんとしている私に、ばんと窓が開け放たれる音がする。
反射的に死角となる隣の家の小屋へ、身を潜ませる。
「待ちなさいっ!話はまだ終わっていません」
何か叫びながら、窓を開けてきょろきょろと私を探す藤代君。
消されては不味いので、速攻逃げる。
悪霊として成功するには、藤代君から逃げる必要があるとその日学んだ。
悪霊3日目。
「今日の悪霊ミッションは、身の毛もよだつ様な心霊写真を作ることだ」
私がいるのは私が通っていた高校ではない。
高校は藤代君がいるので、行きたくない。見つかって早々消されたら大変である。
それを踏まえ私は、自分がかつて通っていた中学校へとやってきた。
タイムリーなことに、校庭で集合写真を撮っている。
「しめしめ」
ふわっとその集団の端に身を寄せる。
カメラマンが笑って笑って~とスマイルを促す。
にっこりとみんなが笑ったところでカシャリ。
もう一枚行くよ。今度は好きなポーズでと言われたので、ピースをする。
写真と言えばピース。
もうこれは生前より染みついた習性である。
和気藹々とした集合写真。
しかし実は心霊写真であったことに気づいた瞬間、恐怖へと陥れられる。
ふふふふふっ
今の時代は便利なので、写真はすぐに出来上がる。
その写真を確認していたクラスの担任だろう先生が首を捻っている。
「おかしな…1人多い…のか?」
担任教師は不思議そうな顔をしながら、何度も人数を数えている。
ふふふふふ。
心霊写真と気づくまで秒読み開始。
「先生どうしたんですか?」
ふふふふふ。
不気味な笑い声がつい零れてしまう。
「いやいや、今日誰か1人欠席してたと思ったが、ちゃんと人数は足りているようだ。すみません、私の勘違いでしたね」
「いいえ。それなら良かったです。僕も実は経験があるので分かるんですが、集合写真の右の上に、丸く1人だけ載せられるのは何だか嫌な気分になりますから」
「こいつ休みだったんだなぁ、とか登校拒否児だったのかもなぁと思われてしまいますからね」
「全く。ははは、全員そろっているなら良かった」
ふふふふふ…ふ?
カメラマンと担任教師が写真を見ながら笑っている。
みんなが控えめな笑みを浮かべカメラを意識しているその中でも際立って笑顔を浮かべている私。
いやいや、気づけ。
明らかに異質な存在が1人混じっているだろうが。
私は焦った。
なぜなら心霊写真と気づかれていない。
それよりももっと酷いことに、このクラスの誰かの存在が消されている。
集合写真に写っていないことすら気づかれていない誰かがいる。
「それはない…っ、それはないよっ先生…っ!」
悲しすぎる。
少し使えるようになった悪霊の能力で、現像された写真と、そのデータを消した。
自分で作った心霊写真を自分で消すという、全く生産性のないことをやってしまった。
悪霊としてふがいない限りだ。
反省。
悪霊4日目。
「今日は幸せな恋人たちを引き裂いてやろう」
ふふふのふ。
昨日の失敗を挽回せねばと、朝早くから悪行を企てる。
私ってなんてやる気溢れる悪霊なんだろう。
「幸せな恋人たちが恨めしい」
生前、私には恋人が出来なかった。
ロマンスの世界を知らぬまま、死んでしまった。
この世の幸せそうな恋人たちが恨めしい。
その関係を切って切って切りまくってやる。
街中を楽しそうに話しながら手を繋いでいるカップルの後をつける。
恨めしや~…とか細い声を出しながら、その繋がっている手を切ってやる。
恋人たちは突如離された手に、目をぱちくりさせながらお互いを見つめ合っている。
ざまあみろ。
1時間で30人もの恋人を一時的、いや一瞬的に引き離してやった。
ざまあみしそらしど。
本当はもっと凄いことをしたかったけど、力が足りないようでそれが精いっぱいだった。
まぁ、でも頑張った。
ちょっとしょぼい…と自分でも思ったけど、最初のうちは仕方ない。
なんてたって私は、悪霊4日目なのである。
ひよっこの中のひよっこ、まだぴよっとした悪霊なのだ。
明日はもっと頑張ろうと、近くの地下鉄のホームへ行く。
そしてそこで、またまた発見してしまった。幸せに溢れる恋人たち。
お互いにラブを飛ばしながら、目線を合わせるたびに、えへへ微笑みあう美男美女カップル。
まだ付き合い始めなのだろうか?
どことなく、初々しい雰囲気だ。
「…リア充妬ましい…っ」
許すまじ。
遠慮がちに繋がっている手を切ってやろうと近づけば、どこからかぞくっとするような気配を感じた。
「………………????」
鳥肌が立つような、嫌な気配がする。
藤代君の家に感じた低級霊とは比べ物にならないほど、禍々しい何か。
それはホームの下から漂ってくるような気がした。
「…………………っ」
ホームの下から何かが上がってくる。
黒い靄のようなものだが、じっと息を凝らして、その辺りを凝視する。
ぐちゃぐちゃな方向に曲がった指がホームにかけられた。
それから長い長い髪を垂れ流した女性の顔が。
表情は真っ黒で見えないが、だけどそれが先ほどの恋人を見て、にたりと笑ったような気がした。
顔の部分は陰でみえないのに、にやぁと笑ったような気がするのだ。
ぞくりっと背中に寒気が走り、体中総毛だった。
心のどこかで警鐘がなった。あれが何かは分からない。
でも物凄くやばいものなのは分かる。
そして電車がホームに入ってきた。
体中が奇妙に歪んだその黒いものは、先ほどの女の子を電車に向かって引っ張った。
え?と言う表情を浮かべた女の子の体が宙に浮く。
到着を告げる電車のライト。
声にならない女の子の悲鳴に、きっきーと鳴る車輪の音。
傾くその女の子の体を咄嗟に掴んで引き戻す。
ホームへと倒れこんだ女の子と、止まった電車。
そしてほっと息を吐く私の目の前に、血まみれの女が迫った。
反射的に目を閉じれば、車にぶつかられた以上の衝撃が、私の体に走った。
痛いというよりも、吐き気がするほど気持ち悪い。
体中の血が一瞬で抜かれたような、奪われたような気持ちの悪い感覚。
「………………っ」
ぐっと倒れこむ私に気付くものはいない。
ぴちょんと何か液体のようなものが私の体に垂れた。
…このホームには何かいる。
直観に従って、そのホームからよろめきつつも逃げる。
そんな私を何か恐ろしく暗いものが見ていた。
悪霊5日目。
今日も元気に悪霊活動開始。
と言いたいが、何やら体が重い。ない足に重りをつけられたような、そんなだるさがある。
昨日ホームで何やら恐ろしい目にあった私は、無意識に住み慣れた自宅へと逃げ込んでいた。
死んだように(死んでいるけど)、ベッドに倒れこんで、そのまま意識をなくした。
目を開けてみれば、時刻はとっくに夕ぐれ時。
長く寝ていたものである。
今日も張り切って悪さを働こうと、家を出たところでがしりと誰かに手を掴まれた。
おや?と手の持ち主を辿ってみれば、冷たい目をした藤代君。
私の行動を先読みして、家を張っていたらしい。
流石は学年主席。
「こんっ…こんばんわっ」
とりあえずは挨拶。
そして逃げようと試みるも手首をがっちりと押さえられて、離してくれない。
霊力があると言えど、なぜ生身の人間である藤代君が私に触れられるのだろうかと危ぶむ私は、藤代君の右手に、何やら文字のようなものがぐるっと書かれているのに気付いた。
詳しくは分からないが、なんかしてる。
やばい気がする。
私が話しかけても、藤代君は何も答えてくれない。
それもそのはず、ここは天下の往来である。
藤代君以外誰にも見えていない私と会話をすれば、奇異の目で見られるのは間違いない。
無言の藤代君にそれでも私は、訴えることをやめなかった。
消される恐怖に怯え、ぎゃーぎゃー喚く私を、藤代君は無理やり自分の部屋に連れ込んだ。
やばい。ますますやばい。とことんやばい。やばいの中のやばい状態だ。
部屋に入ったと同時に、手首を離される。
咄嗟に逃げようとするも、何故か部屋から出られない。
目に見えない結界があるようで、弾かれてしまう。
「ぎゃーっ。消されるのは嫌だーっ」
「あのさ、勘違いしているようだけど…」
「品行方正の悪霊になるから、見逃して下さいっ」
足がないけど土下座。
もう恥も外聞もない。ともかく消されるのは嫌なのである。
「畠山さんは死んでませんよ」
「正しい悪霊になるから、どうか消すのだけはご勘弁をっ………えっ、何だって?」
土下座しつつぎゃーぎゃー喚く私を嫌そうに見ながら、耳を塞ぐ藤代君。
今、何か彼が何か信じがたい事実を告げたような気がする。
「だから畠山さんは死んでいませんよ。大きな事故に巻き込まれたのは事実ですが、奇跡的にその体は軽傷ですみました。そのままでいれば、やがて目覚めたはずですが、何かの弾みで魂だけが飛び出てしまったようですね」
「…と言うことは…?」
えーっと?
どういうこと?
私は死んでないどころか、軽傷で?
魂だけ転がってしまったと?
「魂さえ戻れば、あなたは生き返れますよ」
「…………………何とっ!」
衝撃の事実を知らされた。
私は悪霊ではなかった。
それよりももっと大事なことがある。
私は生き返れるということだ。
大事なことなので、2度言おう。
私は死んでなかった。
私は死んでなかった。
「何だ、マジかー。嬉しすぎると思う気持ちもあるけど、さっさと言ってくれよと恨む気持ちもあり複雑な感じだけど、とりあえず言いたいのは唯一つ。生き返りたいから何とかしてくれ!」
生き返れると分かった今、一刻も早く生き返りたい。
しかしどうすれば良いのか分からない。
「体と魂を結べば良いんです。あなたの魂が体から離れて5日。まだ猶予はあるはずでした。明日の朝にでも思っていましたが…ダメですね。急がなければなりません」
「うぉ~急がなければなりません。と言いながら、焦る気配が全くない君に乾杯っ」
テンパって訳の分からなくなった私に同情することもなく、冷たい視線を送る藤代君。
冷たいというか、心底面倒くさそうだ。
冷たいっ、冷たすぎるっ。
それが話したこともないかつての学友に向ける視線かっ。
「あなた…何しました?」
「何って?いやぁ、悪霊だと思ったんで、正しい悪霊の行いをしてたっていうか…何というか…」
「あなたの魂が弱っています。この世の存在でない悪しきものと接触しましたね」
「え…っ?え?そんな身に覚えがな……」
悪しきものなどに関わったことなど
「ある」
プラットホームにいた黒い靄のようなもの。
その時の出来事を話せば、藤代君はため息の集大成ともいえるため息をはぁぁぁと吐いた。
「魂が人の体を離れて存在できるのは大よそ1週間ほど。そして畠山さん、あなたは悪い霊を寄せ付けないポジティブ過ぎる思考の持ち主でした。あなたの魂を体に戻すのは、明日の朝でも十分間に合うとはずでしたが…」
しかし今の状態では、朝まで持ちそうにありません。
続けられた藤代君の言葉に、思考が停止する。
「…………はい?」
「あなたの魂は、あなたが予期せずに邪魔をしてしまった悪霊の邪気がまとわりついています。奴らの力が最も強大になる夜が来る前に、あなたの魂を体に戻さねばなりません」
心底面倒くさいと言わんばかりに、藤代君は舌打ちしながら何かごそごそと準備をしている。
数珠を右手と左手に、1つずつ。
更にその腕に、何やら文字を書き込んで。
紙に包んだ塩と、小瓶に詰められた透明な液体を胸のポケットに忍ばせて。
何やら霊力粗方ありそうな札を数枚手にして。
「ここで見殺しにして、目覚めが悪いのも事実ですから」
そんな藤代君に引きずられるようにタクシーに乗せられて、着いた先は病院だった。日はすっかり西へと傾いていた。
それを確認した藤代君は、ちっと舌打ちをして、足早に院内に入った。
とうにお見舞いの時間を過ぎているのに、どう説得したのか、病室内に入れてしまった。良いのかな~と思いながら、藤代君の後に着いて病室に入る。
その病室で寝ていた一人の女の子。私はその子を知っている。
「と言うか私ですがな…」
無意識に傍に行って覗き込めば、その瞬間どんっと背中を押されて前に倒れこんだ。
ふっと目を開けると心配そうなお母さんの顔が見えた。
どうやら私は事故にあって6日ほど眠っていたそうである。隈が残るお母さんの顔や、勤務時間だろうに駆けつけてくれたお父さんに罪悪感が残る。
「体に目立った外傷はないが、脳の見えないところに損傷を受けている可能性がある」
と医者に言われていたらしい。
どんなに心配しただろう。
しきりに謝る私に母さんは言った。
「あんたは何も悪くない。雨の中、スピードを出し過ぎて、歩道に突っ込んできた車が悪いのよ」
と。
そう言われてみればそうだ。
私、悪くない。
「そうそう、あんた、格好いい友達がいるのね。あんたが目覚めたら渡してくれって手紙を渡されたのよ」
あんたも隅に置けないわね、と母さんは私を軽く小突きながらジュースを買いに行ってしまった。
格好いい友達に心当たりがない私は首を捻りながら、手紙を開封する。
中に入っていたのは、何だか見たことがあるような数枚の御札。
「………あれって夢だよね…?」
夢だよ、夢。
何度も呟きつつも、念のためそのお札をそっと病人服の胸ポケットにしまい込んだ。
その翌日。
見舞い開始の時間と同時に、藤代君が来てくれた。
その藤代君のおみ足に滑り込んでしがみ付く。
「…はぁ。臨死の後遺症が残ってしまったね。……見えてしまう以上、少し力をつけなければ霊に狙われてしまいますよ。知り合いの霊媒師を紹介しますので、あとはご自分で何とかしてください」
ぎゃーっと叫びながら足元に縋り付く私を、面倒くさそうに見下ろす藤代君。
「そんな事故の後遺症、新しすぎるよっ!」
昨日久しぶりに、外に出れば何だか違和感を感じた。
視界に妙なものが写るのだ。
例えば白装束を来て、院内をよろよろ歩いている妙なおじいさんを誰も気にしていないとか。
病院内を、ボールを追いかけて走り回る子供がいても誰も注意しないとか。
ベッドの下から誰かの手だけ出ているとか。
何だか見えてはいけないものが見えるのだ。
「……………いやいや。疲れ目って怖いな…」
それだけなら、疲れ目と言うことで何とか自分を納得できた。
しかし異変はそれだけではなかった。
夜、喉が渇いたので自販機がある1階まで行こうとすれば、何故か押してない地下の霊安室に行ってしまった。
なぜーにと思いながら、慌てて閉まるボタンを連打すれば、重量オーバーのブザーがなった。
私以外に誰も乗ってませんまがな…。ひょぉぉぉ~と思い、胸元のお札を取り出し、闇雲に振り回せば、ようやく閉まるエレベーター。
1階に辿り着くまで生きた心地がしなかった。
めちゃくちゃ恐怖だった。
その恐ろしい体験を、藤代君の足にしがみ付きながら、涙ながらに語った。
それに対し、藤代君の冷たいお言葉。
「知り合いの霊媒師を紹介します。あとは知りません。ご自分で何とかしてください」
「いやだぁ。無理~助げでぐれ~」
縋り付く私を、藤代君は鬱陶しそうに引き離そうとした。そうはさせまいとますます縋り付く私。
そのやり取りは、婦長さんにうるさいと言われるまで続いた。
これは、そこそこ名の知られた霊能力者になる藤代水樹と、そのパートナー畠山小麦の出会いの話である。
もっと詳しく言えば、ポジティブな思考しか武器がない畠山小麦が色んな事件に巻き込まれ、なんで俺が…とぶちぶち思いながら放っておくことが出来ずに、知らず力をつけていく藤代水樹と、そんな2人のプロローグである。