四の仲間 1
ベランダから見上げた空はいつもよりも黒く塗られた感じがする。秋の夜長は夜を本格的にするのかな。強い風が窓ガラスを鳴らした。体温を奪うひんやりとした風だった。僕はもう一度夜空を見上げて月を探してから部屋のなかに入っていった。月はなかった。
。
テレビ台に置かれたアナログ時計を見ると針は九時を回ったところだった。
「月がない夜の九時。いまから俺はコーヒーを飲む。もちろん……ブルーマウンテンの濃密な…おぅ…ブラックだ」
僕はちょっと渋い独り言を決め込んでみた。
いつもの独り言だ。
そのときにふと気配を感じた。おっと違った。テーブルの向かいに人が座っているのをすっかり忘れていた。
僕は客人の存在を抹消したかのように忘れていたのだ。
いつもの独り言。
だがそれは予定通りの独り言となった。
相手からの返事がなかったからだ。
僕は客人をちらっと窺うときょとんした目をこちらに向けていた。
まるで
おいこの洗濯機動きが悪いぞ。もしや壊れたのか?というような目だった
月がない夜でもそれらはなんら変わらない。
僕は居た堪れなくなり、客人から大きく逸れるように部屋を見回してみた。ここは自分の部屋だ。すっかり飽きた光景が広がっている。
六畳二間プラス小さなダイニングキッチン。家賃は共益費込みで五万二千円。
「ふぅ。コーヒー飲みます?」
僕は木目調のテーブルを挟んで友人と対面に座っている。
目の前にいる友人は「いただこうかな」と小さな声で言った。まだ僕を壊れた洗濯機だと見てる目だった。
独り言は独りのときに言うから独り言なんだ。
客人は見てはいけないものを見たかのように瞳を閉じてぶるぶると顔を左右に振ってから大きな深呼吸をひとつした。
それからの客人は僕がつい独りじゃないのに独り言を呟いた前の状態に戻った。
時折、隣部屋とを隔てる閉じられた襖を見ては、思案顔を天井に漂わせていた。客人の目線はロウソクの炎のように白い天井のなかをゆらゆらと泳いでいた。
「ど、ど、どうですか?」
僕が思い余って客人に質問をしてみた。だが、また吃ってしまった。いつもそうなのだ。幼少期から他人のことが恐怖対象でしかない。とにかく僕はコミュニケーションが苦手なのだ。話すときの緊張感によってつい吃ってしまう。
客人はそんな僕の心配事は意に介しない様子で
「うーん」
と小さな唸り声を出していた。
客人は友人とも言える。
少なからず僕のなかでは友人だと思っている。いままであらゆる人達に散々なまでに笑われてきた吃りのこともまったく気になってないようだ。そう。僕に友人ができた。
「まあなぁちょっぴ。難しいもんだろうなぁ、あれがこうなって、んであれが…わっちは頭ワリイからよ、難しいんだよなぁ」
「そ…そ、そうですか…」
僕は唸りで返した。
ピンポーン。
チャイムが鳴る。
そのチャイムの音は待ち人来たる知らせ。
スピーカーの調子が悪いからか、小さく篭る音がダイニングキッチンのなかだけで反響していた。僕は小さな音を拾いあげて尻を浮かした。
「あ、来た来た」
腐りかけのチャイムの音に僕は小躍りするように跳ねながら玄関へと向かう。
「はいはいはい」
ドアを開けると小さな身体に背広姿の男性が立っていた。
高井さんだ。
「どうも。ちゃっぴ」
高井さんが頭を下げる。僕も前ならえ方式ですかさず反応して頭を下げた。
「高井さん…あ、いや、タ…タカでしたね。ど、どうぞどうぞ。狭い部屋ですが上がってください」
「はい。タカでお願いしますよちゃっぴ。ではお邪魔します」
高井さん、否。タカは靴脱ぎに入ったところで部屋の奥まで見渡した。
「やぁ」
小さな部屋の奥で先客の竹田さんが片手を挙げた。
「やあ竹田さ…、違いましたね。シンゲンさんでしたね。私より先に来てましたか。待ち合わせ時間に遅刻しないのはシンゲンさんのいいとこ…あれ?もしや私が予定外に遅くなってしまったのか?。いやぁすみませんねぇ。なかなか今日は物事が思うように進まなくて…。本当に申し訳ありません」
「タカ。気にしないでよ。まだ来てないメンバーもいるんだし、ちょっぴと二人っきりで話すのも楽しいもんよ」
「た、た、竹田さん…」
僕は無性に嬉しくなった。
「だからちょっぴ。竹田さんて呼ぶのは無しにしてよ、シンゲンちゃんてそう呼んでよ頼むよ」
「す、すみません」
「いやいや。やっぱり待ち合わせ時間は守らなくてはいけません。確か…九時待ち合わせ。えーと…いまは…」
タカは左袖をまくって腕時計を確認した。
「九時五分…か。ちっ。すみません」
タカが舌打ちをしてから深々と頭を下げると竹田さん…じゃなくてシンゲンちゃんと僕は二人揃って両手の手の平をタカに見せて小刻みに振り続けた。
「謝らないでよ〜。まだ来てない仲間もいるんだからよぉ」
テーブルにはコーヒーの入ったカップと日本酒の入ったグラスが左右対称に置いてある。シンゲンちゃんは日本酒が入ったグラスを掲げてから一息に飲み干してニタッと笑った。
とてもいい笑顔だった。
見せる黄色い歯が、あらゆる経験を積んで錆びた工具のようで、僕はお疲れ様ですと言いたくなる。
タカはシンゲンちゃんと僕にもう一度深々と頭を下げてから、かける黒ぶち眼鏡の縁を右手で触りながらもう一度部屋のなかを見渡していった。
「以後気をつけます、これだから私は…。やはり時間厳守じゃないと仲間を失っていくことになりますからね。人と人は信頼関係で成りたってます。よって時間にルーズな人はクズとなるわけです。気をつけます。いやぁしかし、ここがちゃっぴの部屋ですか。なかなか。いやいや、なかなか良いですねぇ。綺麗に整頓されてるし。ゴミもそんなに落ちていないし…エロいものも転がってない。素晴らしい。若者の一人暮らしにしては素晴らしいといえます。まず大いに褒めるべき点はなんといってもこの部屋は圧倒的なるシンプルさです」
「シンプルオブザベストチョッキはわっちがいま着てる」
シンゲンちゃんは真剣な表情で僕を見ながら言ってからカハッと口を開いた。
なんてくだらないんだ。
でも僕はくだらないことが大好き。
笑いをこらえるのに右足の大腿部をつねっていた。
その間もタカの点検作業は続いていた。
タカは部屋の隅にある唯一オシャレだといえる棚に目が止まっていた。そしてそのまま僕のコレクションであるアイドルフィギュアが置いてある棚に近付いていく。
「いやいや。これが噂の…ほう…またこれは可愛いコレクションですね」
と、タカはAKBのみゆみゆの頭を優しく撫でてから鼻の部分をデコピンのように人差し指で激しく叩いた。
みゆみゆはその衝撃で後ろに倒れていく。スローモーションだった。
僕は悲鳴まじりにみゆみゆを助ける。すべては事故のあとの助かる見込みもない救助だった。
「あ、あの、ど、どうも…そ、その子はすごく可愛いんですよ。将来はあの…だ、大女優になると僕は信じてます。あ、どうぞ座ってください。あ、違うか…まずは…えと…とにかく、タ…タカ。よかったらお…お酒でもどうですか?」
タカは吃る僕の言葉に対して何度も何度も頷きながら
「いやいやそうですね。でもまずはちゃっぴ。あれを見せてはいただけませんか?」
「あ、あれですか」
「はい。あれを」
「わかりました」
隣部屋のちょうど真ん中に、それがある。
僕はいままでに何度もそれを見た。
時に冷静に、時に深刻に。時に訝しげに
何度も何度もそれを見て泣きもしたし笑いもした。
笑う?
それを見て笑うなんてことは、いままでともに生きてきた僕のキャラ設定では考えられない楽天さ。
だけどいまはそんな自分が嫌いじゃない。
いやむしろとても好きだといえる。
昔の僕ではありえない僕。そう。僕は変わりつつあるのだ。
それもこの人達のおかげなのだ。親愛なる友人だ。
こうして友人と言える人を部屋に誘うことなんていままでの28年間の人生で皆無なことだった。
友人。フレンド。
いい響きだ。
そこには痺れる快感のような響きがそこにある。
…俺達親友だろ?…
よくその言葉を過去に聞いた。偽りのフレンド。
中学生のころ、お金を取られるときに何度も聞いた言葉だった。
なぁ、ちび太君。俺たち親友だよな?持ってきたお金貸してくれよ。
僕はちび太じゃない。
ヒロシって名前がある。ちび太じゃない…
「その前にちゃっぴ。やはりこのコレクションは素晴らしいと言っておきたい。これを片手に一人でシコシコしてたんですね。若い」
タカは僕の掌に救助されたみゆみゆを引ったくるように掴みあげて、なめ回すように見てから小さなため息と一緒にテーブルの上にほうりなげた。みゆみゆはワンバウンドした。
「シコ…なんてそ、そんなことし、してないですよ…」
「まあ、いいです。それはしこしこアイテムとして処理しておきましょう。さてでは本題に。あれを見せていただきましょうか」
襖を開けて真っ暗な隣り部屋に一歩踏み入れたタカはまずは明かりを付けた。
高井さんことタカは60歳で今年、定年を迎えた。
竹田さんことシンゲンちゃんは確か…50歳ちょっとだったかな…。
二人とも僕の友人。
僕達三人は年代を超えた共通のなにかによって友人同士になった。
それは一種の絆といえるだろう。特別な絆によって僕らはいま友人同士として会っているのだ。
「これが…」
タカはあるものの横に座り込み見続けている。
あらゆる角度からそれを見てそして何度も頷く。
間近まで近付いて眼鏡を上下に動かす。だが、決してそれに触れようとはしなかった。
「ど、ど、どうですか?」
僕はタカに聞いてみる。何か気付いたことがあれば教えてほしい。
「どうですか。うーん…どうですかと聞かれたか。ちゃっぴ。感想はちょっと待っていただけますか?もうすぐあとの二人も来ますよね?みんなが揃ってから話し合いましょう」
タカは眼鏡を外して見事といえるバーコード頭の頂上に乗せたかと思うとまたすぐにあるべき場所に戻した。
僕はその仕種を見て正直なところカッコイイと思った。
ピンポーン
チャイムが鳴る。
再び腐りかけの音が友人の来訪を知らせる。僕には晴れた朝の小鳥の囀りよりも清々しい音に聞こえた。
玄関を開けると男女が肩を並べて立っていた。
「よぉ、まっぴ」
男が片手をあげる。
「ど、どうも。え…と」
「カオスだよカオス。忘れんなよ。絶対俺のことはカオスって呼べよ」
カオスは長身を幾分倒しぎみに潜るように部屋のなかへと入っていく。
「どうも、ちょぴたくん」
もう一人玄関前にいた女性は僕に微笑みながら同じく部屋に入っていく。
カオスにチーコ
カオスは僕と同い年。
チーコは38歳って聞いた。
カオスは僕にはないものをすべてもってる。
長身に高い鼻に一重まぶたの瞳。 バンドマンでとにかくカッコイイんだ。
チーコは10歳になるお子さんがいる綺麗な奥様だ。
「皆さん揃いましたね」