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サインと炎とフルスイング

 信乃さんと灼熱魔神(イフリート)と名乗った男性が地上へ飛び降りると、屋上には私と連れの女性2人だけになった。するとそれを待っていたかのように、女性が口を開いた。

「まさか、香上春香さんがプレイヤーだとは思いませんでしたよ……。あの……サインとかもらえますか?」

 女性が申し訳なさそうにしながらバッグからマッキーと手帳を取り出した。私はもう変身しているのに……。油断させた隙に襲いかかるつもりなのか、こっちが急に襲いかかってきても軽くかわせる自信があるのか、それともファンなのか……。

「……突然襲いかかって来ないならいいですよ?」

 しばらく考えた結果、私は受けることにした。

「本当ですか!?」

 女性の顔がぱっと明るくなる。どうやら本当にファンだったらしい……。疑ってゴメン、と心の中で謝っておく。

「じゃあ、ここにお願いします……」

 女性は私に近づくと手帳を広げておずおずとこちらに渡してきた。

「えーっと、名前は何ですか?」

「え、書いてもらえるんですか!?」

 女性が驚いたように言う。

「あ、はい。いつもそうしてたんで……」

「じゃ、じゃあ自由の由と子供の子で『由子』でお願いします……」

 女性ーー由子ちゃんは目をキラキラさせながら言った。

「はいーーこんなのでいい?」

 さらさらと崩し字で「由子ちゃんへ 香上ハルカ」とサインを書いた。もう3年もやっていればこれくらいお茶の子さいさいである。

「あ、ありがとうございます……」

 由子ちゃんは恐る恐る手帳とマッキーを受け取ると嬉しそうな笑みを浮かべながらそれを胸に抱いた。……ここまで喜んでくれたら、こっちまで嬉しくなってしまう。


「えーっと、ちょっと脱線してしまいましたが」

 こほん、と咳払いして由子ちゃんがそう言ったのは、手帳とマッキーを大事そうに自分のバッグに入れた後だった。

「いくらあなたのファンでも、あなたがプレイヤーであれば戦わなくてはなりません……。残念ですけど」

 本当に心から残念そうに由子ちゃんは言った。確かに私もファンの人だとわかって戦うのは少し心苦しい。

「そうですね。でも、簡単に食べられるわけにはいかないので」

 翼を動かし、宙に浮かぶ。

「それはこっちのセリフです」

 由子ちゃんが少し笑いながら返した。

「あと、私には助けられた恩、っていうのがあるんで」

 笑みがすっと消えた。それが戦いが始まる合図だった。

「デ・コード、迷宮内牛(ミノタウロス)!」


ーーー


 火の玉が目前に迫る。俺は軽く跳んでそれを右に避けた。

人狼(ヴェアヴォルフ)……だったっけ? さすがだね、今のを軽く避けるなんて」

 今は変身して全身が岩に包まれた灼熱魔神が感心したように言う。

「それはどうも」

 俺は軽く首を揉みながら答えた。褒められたからには敵とはいえ、一応礼は言わないと。

「まさかここまでだとは思わなかったよ……こうなったら本気を出さないとね」

 そう言うと灼熱魔神の岩の隙間が赤く発光し出した。……何か嫌な予感がする。

「今度は避けられるかな?」

 次の瞬間、火の玉が目の前に(・・・・)現れた。

「……っ!?」

 当然避けられるわけがなく、俺の体は炎に包まれた。

「あ、うわぁぁぁぁ!!」

 思わず近くにあった水槽のガラスを叩き割り、出てきた水を被る。すぐに消火したおかげで、ハゲや火傷は出来てなかった。

「困るなぁ、そんなに水を被られたら。火がつかなくなっちゃうじゃないか」

「……余計なお世話だ」

 びしょ濡れになりながら、俺は走り出し灼熱魔神の上を跳び越えた。そのまま振り返って爪で一閃しようとしたが、灼熱魔神はすでに火の玉を生み出して振り返っていた。

「考えが浅はかすぎますよ」

 その言葉と同時に火の玉が放たれる。さっき水を大量に被っていたおかげで火はつかなかったが、くらった衝撃で俺ははるか彼方に吹っ飛ばされ、パチンコ屋の看板に激突した。

「さて、そろそろ楽にしてあげますよ」

 灼熱魔神が足元のレンガを溶かしながらゆっくりと近づいてくる。

「くそっ……」

 わかってはいたが、実力差は歴然としている。一撃必殺は無理、ヒット&アウェイでもいつかジリ貧でやられてしまうだろう。どう考えても今、灼熱魔神(こいつ)に勝つ方法はなかった。

「これで終わ……」

 灼熱魔神が巨大な火の玉を生み出そうとした瞬間、何かが上から落ちてきて、灼熱魔神の頭を直撃した。灼熱魔神がその場に崩れ落ちると同時に火の玉も霧散した。そして落ちてきたのは……

「と、鳥海!?」

「し、信乃さん……」

 すぐに駆け寄って虫の息の鳥海を抱きかかえる。頭からは大量の血が流れ、片方の翼は抉り取られ腕だけに。ケガしてないところは見つからないほどの惨状だった。

「ごめんなさい……私……」

 息も絶え絶えの状態で鳥海が口を開いた。

「何も言わないでいい」

 言いたいことは予想がつく。今はただ休んでいて欲しかった。とりあえず、近くのファーストフード店の中に鳥海を運び込んだ。

「とりあえず、ここに隠れてろ」

「ダメです……それじゃあ信乃さんが2人を相手にしないと……」

「そんなボロボロの状態で何言ってんだ!」

 問答無用で鳥海の体をカウンター裏に転がす。

「頼むからここで休んでろ! 必ず迎えに来るから!」

 鳥海はまだ何かを言いたそうだったが、唇をぎゅっと噛み締めてうなづいた。


 店を出ると、起き上がった灼熱魔神が二足歩行の牛に容赦無く火の玉を飛ばしていた。

「うわっ! 何するんですか!?」

「黙れ」

 牛が女性の声で悲鳴をあげるが、灼熱魔神は一言で切り捨て、火の玉を打ち続けていた。

 ……あの服装から見ると、あの牛はさっき灼熱魔神の後ろにいた女性だろう。おそらく鳥海をボロボロにして叩き落としたのもあいつだ。

 今、一方的に灼熱魔神が味方であるはずの牛に対して火の玉連発してるのは、さっき頭上に対戦相手を落としてきたからだろう。不慮の事故とはいえ。……どうせならあのまま勢いで倒してくれないかな。

「エ、エンさん、ほら! 人狼戻ってきてますよ!?」

「あ、そういえばいましたね」

 灼熱魔神が火の玉を撃つのをやめた。ちっ、そううまくはいかないか。

「仕方ないです。この続きは彼を倒したあとにしましょう」

 ……結局やるんかい。その言葉を聞いた牛女は泣きそうになっていた。

「人狼、さっきの女性はどこにやりましたか?」

「誰が教えるか」

「そうですか……なら力づくで吐かせましょう!」

 灼熱魔神の右手に火の玉が発生する。俺は一か八かで灼熱魔神の懐に潜り込むべく走り出した。

「迷宮内牛! 相手の動きを封じなさい! うまくいったら、今回の件はなかったことにしましょう!」

「は、はい! りょーかい!」

 落ち込んで曇っていた牛女ーーー迷宮内牛の目に光が戻る。しまった、こういう焚きつけ方があったか!

 迷宮内牛の右手に突然、巨大な斧が現れる。迷宮内牛はまるで虫を払うような軽い感じでその斧を俺に向かって振った。すでに勢いがついていた俺は……。


「……よく飛びましたね」

 灼熱魔神が壁にめり込んだ俺を見て、感心しながら言った。

「……それにしてもなんで刃の部分でいかなかったのです? それでいけば、今頃真っ二つになっていたはずです」

 迷宮内牛は鋭い刃の部分ではなく面の部分を使って俺を払い飛ばしたのだ。すると迷宮内牛は意外そうな顔をしながら平然と言った。

「え? そうしたら、エンさんの出番がないじゃないですか。やっぱりトドメはエンさんが決めないと」

「そういうことですか。……さっきの件はなかったことにしてあげましょう」

 迷宮内牛は「よっしゃ!」と小さくガッツポーズをした。その時、俺の体は壁を離れ地上に墜落した。

「ぐはっ……」

 その衝撃で口から大量の血が飛び出す。体はもう動く力を失っていた。

 そんな俺を灼熱魔神は感情もこもっていない目で見ながら言った。

「もう一度聞きます。半魚半鳥の女性はどこにやりましたか?」

「言うわけ、ない、だろ……」

「そうでしょうね。では、あなたを焼き尽くしてからゆっくり探すことにしましょう。どうせあのケガです。遠くまで逃げられるはずがない」

 灼熱魔神は気軽な感じで言った。

 はは……「必ず迎えに来る」とか言っといてこのザマか……。かっこ悪いなぁ……。

「これで終わりです」

 両手一杯まで巨大化した火の玉を灼熱魔神は何のためらいもなく叩きつけた。

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