第7話
私がVRゲーム本体機器を買ったのは、有名な家電量販店だ。
VRゲーム本体機器のメーカー希望価格は三十万、ソフトもだいたい一本五万する。
少しでも安く買うため、デパート、ゲーム屋、ネットショップと数十という店舗の価格を比較した上での、家電屋さんでの購入だった。
私が買ったVRゲーム本体機器の値段は、二十七万とんで九八〇〇円。
でも私がゲーム購入で払ったお金は三十五万円。
残りの二万円がどこにいったのかといえば。
本体機器と一緒に買ったソフト、悠久のオルカナトのパッケージの片隅にある『初回限定特装版』の文字がその答えである。
「……どーするかなぁ……」
ガディオ村の無人の教会で復活したあと、大学へ行く時間になったのでそのままログアウトしたのだが……これから続きをするにしても、このままでは無茶だということは十分に理解した。
あのボスには勝てない。少なくとも絶対パーティ前提のボスだ。
夜だからいくらか強さは割り増しされてるとはいえ、あれじゃ朝になっても今の私に勝ち目はないだろう。もっとレベルを上げれば話は別だが、そんな時間はない。
なら素直に諦めろという話だけど……。
いやだ! 絶対嫌だ!! 初ボスで惨敗なんて、いや、ただのボスならまだ諦めつくけどあんな芋虫に惨敗なんて!!
もう丸一日近くたったけど、やられたときの光景を思い出すだけで鳥肌が立つ。
不規則に蠢く赤黒い肉壁が覗く口が覆いかぶさり、寒気を感じるような動きで迫るミミズのような触手に囲まれ、確実にあの緑の腐ったようなヘドロを体にかけられた。
わかってる。たかがゲームだ。そう、ゲームでの話だ。いや、ゲームだからこそ!!
あの屈辱と気色悪さとおぞましさを味あわせたものを滅絶しなければ気がすまない!!
だがそれには今の私のレベルと装備では無理だとわかってる。
ならばあの芋虫を滅する手段は二つだ。
一つ。素直にストーリーに従ってあの騎士二人とパーティを組んで、早朝に倒しに向かうか。
そしてもう一つ。
初回限定特装版の特典、オルカナト装備セットと冒険バックアップセットの封を開けるか……!
通常版に二万プラスした限定版は、美麗なイラストの箱型パッケージに加えて五つの特典がついている。
一つはスタッフ一押しキャラらしい、エリーシェ姫とエルク王子というキャラのフィギュア。
それから文庫本並みの厚さのワールド設定資料集と全キャラクター設定資料集、初回限定特別キャラを登場させるダウンロードコード。
そして今使おうか悩んでいる、装備セットとアイテムセットのダウンロードコードである。
言っちゃあアレだけど、こういうのって邪道だと思うんだよ。
ゲームの楽しみ方は人それぞれだと思うが、私はクリアーするまで攻略本・攻略サイトは絶対に見ない。ダウンロードコンテンツなんかも期間限定でないかぎりクリアーするまでダウンロードしない。
ゲーム本編を自分なりにめいっぱい楽しんでから、それらを見たり、やったりして新たな楽しさや隠し要素を見っけるのが一番の楽しみ方だと思ってる。
だからこういう序盤の楽しみを奪うようなアイテムセットとかは、使うにしても二週目からというのが私の信条だ。
だが……。
「あの腐れ芋虫を倒すためにはこれに頼るしか……ないんだよなぁ……」
攻略サイトを見ればソロでの倒し方とか書いてあるかもしれないが、攻略サイトはクリアーするまで絶対見たくない。
もし見るならば、十数時間悩んでも先に進めずにっちもさっちも行かなくて、いっそバグなんじゃと疑いたくなるほど完璧に詰んだと判断するようなことがあったときだけだ。
ならば、芋虫を倒す手段は二つに一つ。
パーティを組むか、ズルを使うか。
「よし、使おう」
自分から人に声をかけるという難事を想像すれば、軽い胃痛と共に信念は簡単に折れた。
もう慣れてきたゲームスタートの感覚。
ヘッドギアから鈍い振動音が聞こえて意識が飛ぶような感覚がしたと思えば、私はフウナになって無人の教会に佇んでいた。
基本的にVRゲームは一つのゲームにつき、作れるセーブデータは一つだけだ。
ソフト入れて、本体の電源入れて、ぽちっとボタンを押せばロゴ画面やらセーブデータ選択画面やらなしでゲームがスタートする。
早くていいという人が多いが、個人的にはあのタイトル画面とかも含めてゲームの味だと思うので、ないのはちょっと寂しい気もする。
「さて、と。《道具画面》」
死んですぐにログアウトしたので、正確な朝までの時間は確認していない。
能力次第によっては長期戦に入る可能性もある。とっとと装備して倒しに向かおう。
インベントリを開けば、セーブ前にはなかったアイテムセットが二つ。
それを開けば、デスペナですっからかんだったアイテム欄は一気に華やかになった。
ハイポーション二十個、マジックハイポーション二十個、万能薬十個、エリクサー一個。
それからマジックプロテクトとアタックプロテクトという、魔法攻撃、物理攻撃のダメージを一定時間半分にしてくれるアイテムが五個ずつ。
全部RPGおなじみの、序盤ならば過剰と言える効力を持つ消費アイテムだ。
そして特典としてはこっちのほうがメインだろう装備アイテムはというと。
「こ、れは……」
アイテム説明と能力を見て顔が引き攣る。
女神の兜、女神の鎧、女神の小手、女神の具足。
女神アンティーアルの加護を与えられた、神聖なる装備……と名前に劣らない仰々しい説明が書いてある。
が、能力もその名前と説明文に相応しく凄まじい。
たとえば今私が装備している皮の胸当て。
これは物理防御力が6で、魔法防御力が1だ。
で、この女神の鎧。
これを装備すると下半身装備が装備できなくなるらしいので、いわゆる重鎧の全身鎧になる。当然、その分軽鎧と比べて能力が高いのは普通だ。普通だが。
物理防御が50、魔法防御が50。自動体力回復の小効果あり。
他の装備品も現状装備と比べ、数段飛ばしで性能が良すぎる。
「うわーうわー、明らかに序盤から使っていい装備品じゃないー……なにこの能力。なにこの特殊効果の嵐」
このゲームではレベルや能力値による装備制限も、アイテムの重量設定もない。
つまりダウンロードすればスタート時からこの装備が使いたい放題というわけだ。
バランスブレイカーとかいうレベルの話じゃないぞ、これ。
兜の自動魔力回復小効果。小手の力一割アップ。具足の素早さ一割アップ。
今はまだ弱いのでその効果はさほど実感できないが、これらの特殊効果はレベルが上がれば上がるほど効果を増していく。
たしかに、今の装備の能力値とステータスの上昇具合を考えれば、たぶん終盤前くらいでお役目御免になる装備だとは思うけど! 最強装備ってわけじゃあないんだろうけど……!
あまりの強力さに折れた信念が再びむくむくしかけたが、あの芋虫への復讐心のほうが僅かに勝った。
ゲームを進めるために装備するのではなく、あくまで、あくまであの芋虫をぶっ倒すためだけの装備だ!
「…………」
アイテムメニューの画面に浮かぶ装備一覧のボタンを、じっと睨み付ける。
……よし、いこう!
もう慣れた手つきでそのボタンを押すと、女神の鎧を自分の装備欄へとドロップさせた。
「ギィ!」
忌々しいデモンワームの鳴き声に表情が歪む。
しかし前ほどの近寄り難さはまるで……いや、やっぱりどうしても近寄りたくないとは思ってしまうが、緊張感も心持もずっと楽になっている。
もちろん装備品によるステータス上昇が安堵感を与えてくれているのだが、それよりもその装備品自体が私に自信を与えてくれた。
うっすらと青みのがかった白銀の鎧。非常にシンプルな全身鎧でありながら細部に施された彫刻と、胸部分に黒色で描かれたオルカナトの紋章が豪奢な雰囲気をかもし出している。
指先まで動くように作られた細やかなつくりの小手と具足。
デザイン的には特撮物のメットといったほうがぴったりの、口元が露出した赤い宝玉の埋め込まれた兜。
すっごい強そうな一流の騎士! と言わんばかりの見た目である。
装備したあとの自分の姿を見て、ステータスに関係なくなんだか勝てそうな自信が持てた。
やっぱり見た目が強そうというのは安心感がまるで違う。
「……よし!」
アイテム欄からアタックプロテクトを取り出す。青いスーパーボールのようなそれを握りつぶすと、卵のように簡単に割れて、体が一瞬青く輝いた。
これで準備は万端だ。
木刀を握る手に力がこもる。
まだ体力ゲージは出ていない。じりじりと縮まる距離に、デビルワームの鳴き声も警戒音らしきものへと変わっていく。
「《風閃》!!」
ゲージが出る直前まで距離を縮め、そこから一気に踏み込んでスキルを発生させた。
前回と同じように横薙ぎの一閃はミミズのような触手を切り捨てる。が、前と変わらずすぐに再生された。
まぁこれは予想通り。攻撃力は小手の一割増しか変化してないのだから。
問題は……。
「っ!」
風を切るような音をたて、デモンワームの口からピンクの触手が飛び出してくる。
当然、かわす暇などない。いや、かわす気などない!
ワンバウンドを体験させてくれたその触手は腹部を見事に振りぬく。
しかしそれはゴンというフライパンを殴ったような音と、たたらを踏む程度の軽い衝撃を与えるだけだった。
すごい! 全然違う!
体力ゲージを見ても一割も減っていない。鎧の自動体力回復で三〇秒もあれば全快になりそうだ。
「これならいけるっ……! あの恨みぃ!!」
ログアウトしたあとも、あのぐちゃぬるした液体の気持ち悪さが肌に残り、ぞわぞわしてたまらなかった。
所詮ゲームとはいえ、VR。感覚はあるし、その記憶だってはっきり残る。
ログアウトしてから、昨日と今日で一体何回液体をかけられた箇所をぬぐったことか。
たぶんこの記憶は当分抜けない。
しばらくは服のこすれる感触や髪が触れる感触さえ気になって気になって、夜、眠り辛い日々が続くだろう。
こいつは、今ここで絶対殺しておく!!
「《風閃》! 《風閃》! 《風閃》!!」
マジックハイポーションもあるのだ。スキルの出し惜しみはしない。アイテムの使い惜しみもしない。
この一戦に全てをつぎ込むつもりでスキルを連発した。
それからは、ひたすら単調な作業だった。
もとより低レベル。低い体力と魔力だ。ハイポーションやマジックハイポーションを使えば、一個で全快する。
スキルを使ってとにかく攻撃して攻撃して攻撃して、ゲージ三割を切ったら迷わずアイテムを使う。
芋虫の攻撃もピンクの触手にミミズの触手で締め付けるという二パターンのみ。
回復に時間をとっているときに押しつぶしをされることもあるが、それでも体力が一割弱削られるといった程度だ。あの転がる攻撃にいたっては一回も使ってこない。
逃げるそぶりを見せたら使ってくる技なのか、攻撃を当て続けることで相手の行動を阻害できるのか……たぶん後者だろう。
卑怯と思わずにいられないアイテム郡だったので当たり前といえば当たり前に、防御力と体力だけが高いボスにちまちまダメージを当てる、という作業になってしまった。
「《突風》! あーうっとうしい!」
上半身を思いっきり地面に叩きつけ来るのを、《突風》で相手の動きを一瞬止めつつ、風の力を利用して後ろへ飛ぶ。
魔力残量は気にしなくていいので、とにかくよけるのにも躊躇わずスキルを使う。
ダメージ的には攻撃をされても気にせず、ダメージ与え続けてもかまわないんだけど……。
むしろちびちびちびちび体力を削らないといけないせいで、攻撃を与えることに専念したほうがいいくらいかもしれない。
だがいくらステータス的に大丈夫とはいえ、視覚と感触の攻撃力は以前と変わらないのだ。
上半身を叩きつけるたびに、口から飛ぶ散る緑のヘドロ。
鎧のおかげでなにも感じないものの、うぞうぞ絡む触手。
うっかり逃げ遅れて触手に捕まれば、目の前にはあの鼻が曲がるような匂いのヘドロを撒き散らす気色悪い口がある。
また同じ目に合えば今度は完璧に夜眠れなくなる。絶対。
「《風閃》!」
もう何十回目かわからない攻撃を胴体に叩きつける。
気が付けば月も沈みかけ、空もわずかばかり明るくなり始めていた。
一体何時間この単調作業を繰り返したのか。
飽きるほどに再生を繰り返した触手だったが、夜が明けかけているせいか、それともやっとそれなりに体力をけずることができたのか、動きが若干鈍り始めた。
触手の再生スピードが遅くなり、紫色の皮膚にも切り傷がいくつかでき、中から黒いモノが覗いている。
……中身は他のモンスターと同様、真っ黒いモノが詰まってるだけなのに……外見のほうがグロいってどういうことだ。なんか納得いかない。
「《雷撃》! 《風閃》!」
再生しかけた触手に《雷撃》を食らわせて、さらに再生させるのを遅らせる。
その隙に正面から横に回りこんで、また《風閃》を発動させた。
「ギイイィイィィィイィィィィ!!」
「っ!」
瞬間一番の金切り声が辺りに轟いた。
思わず耳を塞ぎそうになるが、慌ててデモンワームから距離をとる。
デモンワームはぶんぶんと体を振って、とにかくひたすら暴れまわりはじめた。
口周りの触手はのたうつ様にびたんびたんと動き回り、ピンクの太い触手も辺り一帯をがむしゃらに薙いでいる。
口からは水道のようにヘドロを撒き散らし、暴れるたびにそれが周辺に飛び散った。
ちょ、これはちょっといろんな意味で危ないっ。
「こっれは、もしかしてあとちょっとかな……?」
よくある最後の悪足掻き。
残り体力が一定以下になった場合に、能力が上がったり、攻撃パターンが変化したりするやつだろう。
……ちょっと今攻撃を仕掛けるのはいろんな意味で怖いんだけど……。
だがここまで来て逃げるわけにはいかない。あと一歩なのだ、それにこいつは絶対抹殺さないと気がすまない。
「《氷結》!」
剣士の上にステータスが低いせいで、ダメージ自体はあまり与えられていないようだが、凍りつけた箇所が僅かに動きが鈍る。
もっともこれだけ派手に暴れ狂っているのだ。本当に僅かな一瞬だけで、動きをとめるには至らない。
だがその僅かな合間は、狙いを定めるには十分だ。
「《氷結》! 《氷結》! 《氷結》!」
上半身が地面についた瞬間に放った氷魔法の連打で、一瞬。一瞬だけ頭をもたげる動きが鈍る。
「《風閃》ッ!!」
その瞬間に一気に距離をつめ、頭めがけてスキルを発動させた。
勝手に動くその手は、決して狙いを外さない。外さないようになっている。
鈍い手ごたえと共に淡く光った木刀が振りぬかれる。ちょうどその一閃はデモンワームの二対の目玉を切り裂いていた。
同時にデモンワームの体がびくりと大きく跳ねた。
動き回っていた触手が細かく震える。
巨大な体を一回、二回、三回と大きく痙攣させて……デモンワームは、そのままぴくりとも動かなくなった。
「……か、かった……?」
あれだけ大きな金切り声を上げ、暴れて狂っていたのにずいぶんあっけない。
動かなくなったデモンワームを恐る恐る覗き込む。
モンスターだし、ゲームだからリアルとは違うんだろうけど……昆虫の生命力の強さを思うと、あっけなさ過ぎてなんだか逆に倒したのか信用できない。
これだけリアルだとこういう、派手な外傷がないのにいきなり死亡なんて不自然に感じるなぁ……いや、こんな芋虫クリーチャー、リアルでいたら堪らないけど。
木刀を構えたまま、じっと動かなくなったデモンワームを見つめる。
たがしばらく待っても力を無くし、触手をだらりとたらしたままデモンワームが動くことはなかった。
ゆるゆると、倒したのだという実感と確信が湧き上がる。
「――よっしゃ!! 復讐は果たしたぁ!!」
初めてのボス! そしてVRの悪いところをまざまざと思い知らされたトラウマ!
今ここで、自分の手でそれを片付けたのだ!!
叫ぶと共に振り上げたガッツポーズだったが、我に返って恥ずかしくなり、そそくさと戦利品回収をはじめるのは十秒後。
空もすっかり白んだころだった。
「あーおしーろたーん!!」
戦利品回収を終え、この喜びをとにかく分かち合いたくて村へと急ぐ。
当然かもしれないが鎧は重さを感じず、動くのにも邪魔にならないという摩訶不思議ゲーム仕様となっており、走る速度も装備変更前とまったく変わらない。
ただ走るたびにがちゃがちゃ金属音がしてうるさいが、その程度なら十分我慢できる。
装備を戻す暇があるなら、一秒も早くあおしろたんの元に帰りたい。
「あおしろたんっ! 私っ――」
弾んだ声はその場所を目に入れた瞬間、途切れた。
あおしろたんを残した村のはずれ。
間違いなくそこへとついたはずなのに。いつもと同じように留守番をお願いしたはずなのに。
「……うそ……」
言葉がなくなった。
それどころかボスを倒し、高揚した気持ちも、達成感も、喜びもすべて吹き飛んだ。
あおしろたんに留守番を頼んだはずの場所には、魔石は一個も残っていなかった。
それどころかそこには何もない。誰もいない。
ただの枯れ掛けたツタが一本、柵に絡まっているだけの物悲しい村の片隅に変わっていた。