第5話
「マーツ、様子はどうだ?」
「……山の中腹あたりで倒木を食べているようです。あの様子なら少なくとも今夜一晩は山から降りてくることはないでしょう」
「そうか……もうそこまで下りてきたか」
「ルーヴェス様、このままでは早ければ明日にも餌を求めて麓へと下りてくるかと思われます。もはや一刻の猶予も……」
「わかっている、マーツ」
ルーヴェスは嫌な考えを振り払うかのように頭を振った。
それにあわせて背で束ねられている、くたびれた赤髪が揺れる。
ルーヴェスは精悍と言うのが相応しい顔立ちをしているが、女はもちろん男でも見惚れずにはいられないような、そんな色気がある。
だがその端正な顔立ちも今は苦悩に染められていた。
「ロルジャの街とハッティアの街へ事を知らせに行かせた団員たちは帰らず、ガディオ村の村人たちを避難させている団員も同様だ。ついでに言えばコクス騎士団も当てには出来ないだろう」
「……コクス騎士団はキロの岩山で陣を敷いているはずです。伝令も間に合わないでしょう」
「わかっている、言っただけだ。……デモンワームがこちらへ向かうなど予想外にもほどがある」
「ガディオ村の避難が間に合っただけでも幸いと言うべきでしょうな……」
だがそういうマーツの顔も、どこが幸いだと言いたい位苦々しげに歪んでいた。
年のころなら三十半ばほど。ルーヴェスより幾分年上に見えるが、見るからに苦労してそうな顔をしているので、ひょっとしたら実年齢は同じくらいなのかもしれない。
青く短い髪を後ろに撫でつけ、細い黒曜の瞳をさらに細めて山を見ている。優しいというよりも、人がよさそうというのが相応しい顔立ちだ。
二人とも似たような創りをした、銀色の壮麗な鎧を身に着けていた。腰には立派な朱色の鞘に入れられた剣が下げられている。
違うところといえば、ルーヴェスは鎧に加えて黒いマントを身に着けているところだろうか。
「……そうだな。餌が多くある北西へ向かうだろうと決め付け、東側を丸空けにしていたなら、ガディオ村がヤツの餌場になるどころかシャハ王国への侵入すら許していたかも知れない。
だがデモンワームがたった一日で山を一つ越えるなんて誰が思う? しかも予想もしていなかった東に向かうなど! せめて二日だったならば、ロルジャの街に向かわせた連中が間に合ったかも知れないというのに……」
「言っても仕様の無いことです。いざとなれば我々でデモンワームが平地へと降りる前に倒すしかありません」
「わかっている。だが無謀だな……いや、残ったのが俺とお前だったのがせめてもの救いだったというべきか」
「たしかに騎士団の中でデモンワームに挑み、生き残れる可能性が一番高いのは我々でしょうな。一割が二割になったところで、さほど差はないでしょうが……」
「……お前、ただでさえ絶望的だというのに、ため息混じりにそんな台詞を言うか。ここは団長がいれば必ずや為せましょうとでも言うところだろう」
「それでルーヴェス様の実力がさらに発揮できるというのなら、いくらでも言いますとも」
「……いや、お前にそんな台詞を言われては、逆に気味が悪くて調子が出なくなってしまいそうだ。
とにかくデモンワームは早ければ明日にでも麓へ下りてくる。援軍も団員との合流も期待できない。そのつもりで準備を進めよう」
固い決意と、僅かに悲壮な色をにじませて、二人は山から降りていった。
麓にはもぬけの殻だがガディオの村がある。おそらくそこで準備と作戦会議にでも向かったのだろう。
それにしても……。
「……なんでこんなところでそんな会話するかなぁ……」
ディハング帝国の騎士団の団長とその腹心らしい二人は、ガディオ村すぐ近くの山の中、私が睡眠をとっている木のすぐ真下で、堂々とそんな会話をしていったのである。
宿屋に泊まっていきなり暗転、一瞬にして翌日、というのはよくある手法だ。
このゲームもそうで、宿屋に泊まったり、体力回復のための睡眠をとると、勝手に目の前が真っ暗になって一定時間後に――感覚的には瞬きした程度の時間で――起こされる。
とはいえ外で睡眠するとモンスターに襲われることがあり、その場合は時間が経過していなくても勝手に起きる。回復するはずの体力が回復していない状態で。
しかししかし、初日に木の上で睡眠をとれば攻撃されず、寝相なんてこのゲームには存在しないので安全ということに気づいて以来、木の上で睡眠を行うようにしてたのだが……。
まさかこんなイベントに巻き込まれようとは。
いや、これ完璧に強制イベントだから、木の上とか関係ないか。
こんだけ広い山の中、わざとらしいほどに近くにやってきて、こちらに気づかずぺらぺらと事情を話していくとか。あと攻撃されてないのに目が覚めるなんて初めてだし、強制イベント以外考えられない。
「……でもどうしたもんかな、これ……」
正直、はじめてのイベントにかなり胸をときめかされてはいるが、こっから先どうしたものか悩ましい。
……多分、スタッフの狙いというか王道的にいけば二人の後を追い、「話は聞かせてもらった! 俺の手でよければ貸してやるぜ!」とか言い放つのが正しいんだろう。
……それは、ちょっと、なぁ……自分から声をかけるなんてここ数年したことないし、なによりこの低レベル。
レベル制限とかあるイベントで「貴様の手など必要ない。実力を考えて物を言え」とか冷たい目で言われたら、たとえゲームだとわかっていても半泣きになる自信がある。
「ぐー……ぐー……じゃー……」
「あおしろたんは寝言も愉快な鳴き声だねー……」
イベントがあったことなど露知らず、のほほんと寝ているあおしろたんに心癒される。
しかし……どうしたもんだろう。無視するのはな……。
デスペナルティに低確率で仲間キャラがロスト、なんてものが入っているのだ。イベントの失敗や未受理などで死ぬキャラがいたっておかしくない。むしろきっといるはずだ。
はじめてのイベントだし、レアモンスターっぽいから倒したいし、キャラが死ぬかもしれないし、イベント未達成やキャラ死亡で立ち消えるイベントもあるかもしれないし……なにより。
「目の前でイベントが出たら飛びつきたくなるよねー……やっぱさ、やりたいと思ったら我慢せずにいっちゃうべきだよね? 頑張ればなんとかなるかなぁ……そうだよ、ゲームだもん。楽しまなきゃゲームじゃないよ。何のために三十五万払ったんだって話だよね! 別に欝展開になろーが所詮ゲームだし、リアルじゃないんだから怖がる必要なんて無いんだ! そうだよね! あおしろたん!」
ちょっと熱血気味に叫べば、うるせえなと言わんばかりにあおしろたんはしっぽを振って腕をぺしぺし叩いてきた。当然、寝ぼけたままである。なんと可愛らしい。
VRゲームに慣れ始め、リアルなこの世界での冒険にこれまでのどのゲームより夢中になってる自覚がある。
所詮仮想空間だし、感覚は現実のものと比べてずっと鈍い。
それでも自分の体で体験するというのは、画面越しにキャラを動かしていたときより遥かにドキドキワクワクする。
だから。
きっとイベントはもっと楽しいと思うのだ。むしろこのゲームで楽しくないものなどないんじゃないと、そう思えるぐらいこのゲームは面白い。
そうだとも……なにを迷う必要があるのか!
「よし! あの村に行ってパーティー組んでこよう!」
「ぎゃー……!」
やかましいよこんな夜中に! といわんばかりに呻いたあおしろたんを抱き上げて、二人が下りていった方向へ急いで山道を下っていった。
月明かりだけが頼りの真っ暗な村。
その中で一軒だけ、窓の格子から僅かに光が漏れている家があった。この村ではかなりの大きさに入る部類で、おそらくは宿屋だろう。
間違いなくさっきの二人はこの中だ。
静かに近づき、そうっとドアノブに手をかけ――我返り、その場に固まった。
「…………」
……入る? 入るって、面識もない盗み見しただけの相手のところに?
そう考えた瞬間に、興奮気味の思考が冷えて冷静になり始める。
これはVRゲームだ。主人公が無言のままでも勝手にこちらの事情を察して、勝手にイベントを進めてくれる普通のゲームとは違う。
なにを迷うことがある。そうとわかって、イベントを進めるためにやってきたんじゃないか。たかがゲーム、たかがNPC、なにを失敗するのを恐れるか。
イベント絡みのセリフを言えば話なんて勝手に進むだろう。流れによっては向こうから話を進めてくれるだろう。そうだ、びびることはない。
さっきまでイベントをやるんだと踊っていた胸が、いつのまにか完全に冷たくなっていた。
はじめてのまともにキャラを見、イベントを体験したからハイになってたんだろう。やれるに違いない、大丈夫だいけると、テンションで行動してしまうのは……稀によくやる私の悪い癖だ。
冷めてきた頭で、これからこのドアを開けたらどうなるのか考える。
思い浮かぶのはロルジャの街の、あの視線。現実としか思えなかった、あの無遠慮な視線。
ならきっと。
この中にいる二人は、現実の人間にしか見えない二人は、それこそ現実で何度もぶつけられて、心を削ったあの目を向けてくるだろう。
まっすぐと、非難と敵意さえ混じった目で、部外者が割り込んできたといわんばかりの、あの冷たい目で。
「っ」
記憶に焼きついて離れないそれらの目を思い出した瞬間、私の手はドアノブから離れていた。
そして私は来た道を静かに、しかし全力で駆け戻って行った。
「あああ危ないっ! 勢いで行動しなくてよかった……!」
村の外まで飛び出して、やっと息をつく。
テンションが高くなったり、頭の中がぐるぐるしだすとつい勢いで、大丈夫だ何をぐだぐだ悩むことがある! と、普段なら思いとどまるところを思わず行動に移してしまう。
私の悪い癖だ。いや、その勢いで乗り切れたという経験も何度かあるから、悪い癖とは一概に言えないか。
しかし普段ろくに自分から行動を起こしたりしないのに、勢いでやっちゃってテンパり大失敗という経験も何度もあるから、やっぱり悪い癖なのかもしれない。
イベントにテンションが上がったのもあるだろうが、きっとこれまで順調にこのゲームを楽しめてたから気が大きくなっていたからに違いない。アホか、初日の無残なスライム戦から立ち直るのに二日もかかったというのに。
危ないところだったが、見知らぬ、それも美形の男性である。それに自分から声をかけるなどNPCだとしてもハードルが高いため、頭の緊急警報が反応して我に返れたのだろう。
「あおしろたん、どーしようー……」
「ぎゃじゃあ!」
毎度お馴染みリード代わりのツタで村を囲む柵に繋いでおいたのだが、眠いところを起こされての放置がご機嫌を損ねてしまったのか、いつもより不機嫌そうな声に聞こえる。
だが、逃げてきてもやっぱりイベントはやりたいという気持ちは変わらなかった。
はじめての接したキャラである。死ぬとは限らないが、万が一があってほしくない。それにゲームを始めて初のボス戦だ。やりたいと思わずしてなにがゲーマーだ。
「……まてよ、これってストーリーイベントだよね? イベントクエストじゃないよね」
クエストとはNPC、またはギルドより依頼を受けて達成するもの。
当然依頼を受けなければ、勝手に始まることも、終わることもない。受ければステータス画面で受理中クエストとして表示される。
ストーリーイベントは進めるつもりが無くても、特定の場所を訪れたり、人と会ったり、一定時間の経過などで勝手に起きる。
これは文字通りゲーム内のストーリー部分に当たるため、クエストのように表示機能もない。
たしか……雑誌で物語を進めるストーリーイベントと、サブイベントに当たるイベントクエスト、それから普通のクエストの三種があると書いてあった。
そんで、ストーリーイベントに関してはやるも自由、やらないも自由。仲間と共に向かうか、一人で向かうか。力でもって片付けるか、知力をもって解決するか。それぞれの選択によって、その先の物語はがらりと変わる。ストーリーイベントの自由度は相当に高いと、そう書かれていた。
イベントクエストならあの二人に話して、きちんと依頼を受けないと進めることは出来ない。
だが寝ていたら勝手にやってきて、勝手に話が進んでいった……。んでもって明朝戦うとか言ってたから、たぶん私がどう行動しようとも二人は明日デモンワームとやらと戦う。
勝手に話が進むのはストーリーイベントってことだ。
「ストーリークエストなら別に私一人でボスに挑めるんじゃない!? 雑誌でも一人で戦えるみたいなこと書いてあったし!」
「ぎゃじゃああああ!」
「夜はモンスターが強くなっちゃうけど、日が上ったらイベント進んじゃうだろうから……今からならまだ一人でボス戦できる!」
山の中腹といっていたし、位置的には私が睡眠をとっていた場所の付近のもう少し上にいるに違いない。
初日よりずっとレベル上げのみを進めてきたのだ。序盤のボス戦ならもう一人で十分なレベルだろう。
「そうと決まれば早く行かなきゃ!
あおしろたん、もうちょっとお留守番お願いしていーい?」
「ぐじゃあああああ!!」
「そう怒らないでよー。ここ宿屋から随分離れてるからいいけど、あんまり騒ぐと見つかっちゃうかもしれないし。
んー、手持ちの魔石全部置いていくから、あおしろたんもうしばらくここで我慢しててね」
「じゃ――」
異議申し立てしたそうなあおしろたんに魔石をあげれば、とたんに静かになる。相変わらず現金な奴め。
手持ちの魔石は……魔石が四十一個、魔晶石が五個。これだけあればゲーム時間で半日は持つだろう。
あおしろたんの周りに魔石をばら撒き、改めて決意を固めて立ち上がる。
「じゃあ大人しくしてるんだよー。まぁ魔石があるうちは動いたりなんてしないだろうけど」
語りかけるが、魔石に夢中なあおしろたんは完璧に無視の体勢に入っている。
思わずため息が漏れたが、すぐに気を取り直す。
これから初めてのボス戦、初めてのイベントをするんだ!
再びこみ上げてくるうきうきとした気持ちに笑みを浮かべながら、暗い山の中へと弾む足取りで進んでいった。