プロローグ
「おおおおおおおお!!」
真っ白な体育館ほどの不思議な空間に、ふわふわ浮かぶ自分の体。
目の前に広がった光景に、溜まらず感激の悲鳴が喉から飛び出した。
ヴァーチャルリアリティーゲーム……専用のヘッドギアと本体機器を使用することにより、現実と変わらないような仮想空間で遊ぶことのできるゲームをそう呼ぶ。
詳しい技術は知らないが、ようは現実みたいな仮想世界を楽しむことができて、安全性は保障されてる。私にとって大事なのはそれだけだ。
「すごい! 本当に現実と変わらない! 触った感触もあるし、見た目も……うん、ほとんど同じだぁ」
自分の体を撫でたり、つねったりしてみるが本当に現実と変わらない。
もっともあくまでここは仮想空間。
脳がそういう錯覚をしているだけだし、なにより現実と違って感覚ははるかに鈍い。
しかしこれだけリアルなら十分すぎる。
冗談でなく半年分のアルバイト代全額つぎ込んだだけはあった!
「キャラクター作成!」
初VRの興奮冷めやらぬまま叫べば、目の前にいきなり女の子が現れた。
年の頃は二十前後。肩ほどの黒髪にちょっと目尻が下がり気味の黒目。どうみても中肉中背の典型的な日本人。
見るからに気が弱そうなアライグマっぽいと友人に言われるような顔だ。
地味な黒いタンクトップと半ズボンで、自分でも見たことのないような無表情で突っ立っている。
うん、とどのつまり私なんだけど。
鏡を見ている、というより突然現れた双子の妹のようだ。
だがこれはこれから私がプレイするゲームのキャラクター。これから私が動かすキャラとなるのだ。
「ええと、この立体パネルがキャラクター作成メニューか。あ! 種族変えられる! おーエルフ耳! おおおお獣顔ー!!」
キャラモデルと一緒に現れたパネルをいじくると、私の姿がどんどん変わる。
エルフ耳をはじめ、妖精みたいな羽が生えたり、私の面影を残しつつ、犬のような獣顔になったり。
どれもこれも見てるだけで楽しいが、自分の顔にファンタジー系の特徴がくっつくと、なんか変なコスプレしてるみたいでちょっと恥ずかしい。
うーん、やっぱ見慣れた姿がいいか。それになにより初のVRゲ。前衛職予定とはいえ、途中で方向転換が必要になるとも限らない。人族なら突出したステータスはないけど全部平均的に伸びるし、どの職でもやっていける。
よし、ここは普通に人族にしよう。
性別は……とりあえず女。体型もいじらないでおこう。初めてVRするときにあんまり現実と違う体型にすると、すっごい動きにくいって聞いたし。
顔もいいかなぁ、このまんまで。細かくいじれるみたいだけど、目だけでも開き具合、位置、幅、黒目の大きさとかミリ単位で調整いるみたいだし。この顔を美少女にするのだけで二時間はかかりそうだ。
髪や肌の色は……銀髪のオッドアイとか! だめだ、予想以上にイタイ。普通にこのままでいこう。
「……結局VRなのにいつもの私と変わらないなぁ。まぁ初プレイだし、慣れた体と顔のほうがいっか。
名前はー……見た目同じなんだから本名でいいや。フ、ウ、ナっと」
『プレイ中、キャラクターの変更はできません。このキャラクターでゲームを開始しますか?』
作成終了のコマンドを押すと、確認ウインドウが立ち上がる。
もちろん構わないので即OKを押すと、いきなり真っ白だった空間が真っ暗に変わった。
『あなたは今、オルカナトへ続く門の前にいます。心のまま、魂の導くままに、私の問いに答えてください』
突然響いた女性の声に一瞬びっくりするが、すぐに落ち着く。
これはよくある、ゲーム開始前の質問によってキャラの成長傾向や性格、ものによってはスタート位置やキャラポジションが変化する奴だろう。ありきたりといえばありきたりな手法である。
『今、あなたの目の前に魔物に襲われている子供がいます。周りにはあなたのほかに誰もおらず、あなたのレベルではとても敵いそうにありません。どうしますか?』
本当にテンプレみたいな質問だけど……どう答えたらいいんだ、これ。
いつもならキャラメイクから始まるようなゲームの場合、私好みの見た目の主人公を作って、性格付けまでやっちゃって、その主人公の性格に合わせて質問を答えてくんだけども。
うーん、でもこれものの見事に私そのまんまだしなー。
ついでに言うなら選択肢方式で答えが用意されてるゲームしかやったことがないので、こういう自由回答みたいな場合どうしたものかわかんない。
……まぁ普通に答えていけばいいか。気に入らない結果になったら、もっかい新しく始めればいいだけだし。
「助ける」
『それはなぜですか?』
え、追究までしてくんの?
「ええと、もしかしたら女の子を助けることができるかもしれないし、やれることはやったほうがいいから?」
『その結果、あなたが死ぬことになってしまってもですか?』
ええー、一個の質問にここまで掘り下げてくんのー? VRすごいけど、なんか面接みたいでいやだぞこれ。
「死なないかもしれないし、女の子を見捨てて逃げて生きるほうが気分悪いから、です」
『わかりました。
赤い扉と青い扉があります。どちらかは宝物庫へと続く扉です。
赤い扉は黄金の装飾が施された大きな扉で、中からは恐ろしい鳴き声が聞こえてきます。青い扉は今にも壊れそうなくらいボロボロですが、中からは人の笑い声が聞こえてきます。あなたならどちらに入りますか?』
うーん……そういえばこういう時、普通のゲームだと強制選択でどっちか絶対選ばされるけど、それ以外の回答をした場合どうなるんだろう?
「どっちにも入らない」
『それはなぜですか?』
あ、いいんだ。こういう返答でも。でもってやっぱり追究してくるのか……。
「入る理由がない、か、ら? えーと、えーと……どっちが宝物庫の扉かわからないってことは自分の所有じゃないと推測してですね、他人の宝物庫へ入るような真似をするってことはろくな事じゃないし、赤の扉はあきらかにトラップにモンスターがいますって言わんばかりだし、青い扉には中に人がいるのは確定的で、それを考えるとどちらも入るにはリスクが高すぎるので入らない方がいいと思います」
なんか作文みたいな締めになった!
ていうか大丈夫なんだろうか、なんか勢いで答えちゃったから、あたふたした理由になっちゃったけど……。
『わかりました。では――』
それでよかったらしく、引き続き女の人が質問してくる。
どれもありきたりといえばありきたりな質問だったが、一個一個しつこく理由を尋ねてくるので、たった六問だけだったのに答えるのにすんごい疲れてしまった。
いや、VRだから身体的疲労は感じないんだけど、精神的になんかうんざりって感じだ。
もういい加減ゲームを始めたいなと思い始めたころ、ようやっと「わかりました」以外の返答が返ってきた。
『……では最後の質問です。
これからあなたの前に扉が現れます。それはどんな扉ですか?』
その問いと同時に、いきなり目の前に大きな石の扉が出現した。
高さは四メートルほどで、幅は二メートルはある。両開きの扉だが、片方だけでもすんごい分厚くて重そうだ。
扉の真ん中には丸い、何かの家紋のようなものが彫刻されており、その周りにも荘厳な雰囲気をさらに高めるような、細やかで複雑な文様の彫刻が施されていた。
うん? なんかこの模様見覚えあるな。
丸い卵のようなものを、広げられた鳥の翼が包んでる様に見える。それと文字のような幾何学模様のようなものが、円の内側に沿うようにぐるりと描かれていた。
……ああ、これゲームに描いてある紋章だ。説明書の世界観説明のところにばーんて描いてあった。
「大きい両開きの石の扉で、真ん中にオルカナトの紋章が彫刻されてる。すごい重そう」
『――わかりました。さぁ、その扉を開いてください。これからあなたの冒険がはじまります。
ようこそ、オルカナトへ』
長かった! やっと始められる!
浮き立つ心を抑えもせずに、思いっきりその重そうな扉を開け放つ。
見た目と裏腹に羽のように軽いその扉は簡単に開き、まぶしいほどの光が真っ暗な世界に差し込んだ。
そして――
「うっ……わあ……!!」
目の前に現実としか思えない、異国の、いやファンタジーそのものの大聖堂が広がっていた。
悠久のオルカナト。
それは国内で九本目になるVRゲームであり、多くのゲーマーが待ち望んだファンタジーRPGである。
VRという技術がゲームに使われるようになって三年経つが、その普及率はとても高いとは言い難い。
理由は三つあり、まず一つは本体機体が三十万、ソフトも通常一本五万とゲームにしてはあまりに高額なため。
二つ目はVR機体は十八歳未満は法律で使用が禁止されており、他のゲーム機器のような子供を対象にした商法が使えないため。
三つ目はVRゲームは作るのにTVゲームとは比べ物にならないくらいお金がかかるらしく、ソフト自体の数が少ないためだ。
風茄も重度のゲーマーでありながら、悠久のオルカナト発売までVRゲームに手を出さなかったのは、偏に発売されているソフトに自分が好きなRPGや戦略ゲームがなかったからである。
だが悠久のオルカナトの発売でVRゲームの本体機器購入に踏み切ったゲーマーは、なにも風茄だけではない。
というのも、これまでVRゲームに手を出すのを渋っていたゲーマーたちの背中を押すほど、悠久のオルカナトは完成度の高さが期待されるゲームだったからである。
公式サイトに上げられたスクリーンショットは、どれも現実にとってきた写真にしか見えなかった。
VRゲームの約半分が3D世界かポリゴンの世界に入り込んだような感じ、といえばそのレベルの高さはわかるだろう。
加えて発売が近づくにつれ小出しにされる情報も、ゲーマーたちの期待を煽るに十分なものだった。
キャラメイクは自由で細かい調整まで可能。
種族はエルフや獣人といった定番をはじめ全八種、職業は五十種以上に上る。
NPCには過去最高のAIを使用しており、人間みたいに会話できるだけでなく、プレイヤーの行動や会話によって会話内容に変化さえ出てくる。
エンディングはマルチエンディングで、主人公の行動によって変化。
登場するキャラは一〇〇人以上。恋愛イベント、結婚イベントも完備。
VRゲームでここまで自由度が高く、またやりこみ要素を詰め込んだゲームは初めてといってもいい。
そして止めは雑誌のインタビューにて、ゲームディレクターの放った言葉だ。
「私たちはVRゲームが登場してから、ファンタジーRPGをVRゲームで作ろうと決めていました。
三年という短くない年月をかけ、多くの人が夢見たドラゴンやエルフがいるファンタジーの世界を、VRの仮想空間に忠実に作り上げることが出来たと思います。
夢のような幻想の世界を、リアルで現実のような世界にするというのはなかなかに大変な試みでした。
ですがこの悠久のオルカナトは、その大変な試みをどのゲームよりも成功させたものだと確信しています」
ここまで自信満々に豪語されれば、気にならないわけがない。
発売前から悠久のオルカナトは大きな注目を集め――VRゲームとしては異例の初週四万本の売り上げを記録。
そして発売後はその出来に多くのゲーマーが驚愕し、虜となり、たった四ヵ月でこれまでのVRゲームの累計売り上げ記録を塗り替えることとなった。
その素晴らしい出来は、導入部分からして類を見ない。
よくぞここまで、と言えるほどの細かなキャラクター作成を終えると、オルカナトの世界を作ったという女神アンティーアルの問いかけがある。
その五つの質問に答えるとプレイヤーの目の前にひとつの扉が現れるのだ。
それは鉄製の両開きの扉、普通の家の扉のような開き戸、木製の黒い両開きの扉のいずれかで、順にオルセイユ公国、シャハ王国、ディハング帝国の始まりの草原につながっている。
プレイヤーが扉を開けた瞬間に吹き抜ける風、降り注ぐ太陽、足元でそよぐ草の感触。
VRとは思えないリアルなその感触に驚くプレイヤーへ、女神の声が響く。
「これからあなたの冒険がはじまります。ようこそ、悠久のオルカナトへ」
その優しい旅立ちの言葉と共に、この最高峰の仮想空間へとプレイヤーたちは足を踏み入れるのだ。