1日目 AM09:25−情報戦略−
同時刻、第1前方支援地域糧食班調理天幕。
広報幹部、原沼晃二等陸尉は目前で繰り広げられる大騒ぎに呆然としていた。糧食班員全員が包丁とまな板を振り回し、何かを追い回している。
オタマを指揮棒代わりにしている大柄な糧食班長に恐る恐る尋ねた。
「あの〜ゲストの会食の件なんだけど…」
しかし本人は狩りに夢中で気が付かないらしい。
「渡辺、そっち逃げたで!川畑、飯缶持ってきや!角っこに追い込むんや!」
階級を傘にかけた行動が嫌いな原沼は、大人しく騒ぎが収まるのを待った。
原沼二尉は西部方面総監部より、国外の報道関係者の案内兼通訳として派遣されてきた。
今朝未明、3ヶ国語を操る彼は航空自衛隊那覇基地より各国プレス40名をCH-47JBに載せ国端新島へ飛び立った。しかし途中で北中国軍機飛来との警報が流れ、航空護衛艦ひゅうがに緊急着陸する羽目になり、一同は船酔いに悩まされつつ1時間遅れで国端新島に着くことになった。
予定では阿佐嶋副師団長の記者会見と早めの昼食の後、国端富士包囲部隊へ案内する手筈となっていた。
「主計長、捕獲しました!」
川畑卓一等陸士が飯缶と呼ばれる保温容器を掲げて叫んだ。中で獲物が暴れてるらしくガタゴト容器が揺れている。
主計長と呼ばれた男。陣乃風一一等陸曹は満足そうに頷いた。
「ようやった!全員拍手!」
天幕内に響く仲間達の拍手喝采に、川畑一士は特徴のある笑顔で応えた。彼には前歯が無かった。本人は喧嘩だと言い張っていたが、シンナー摂取による欠損なのは明らかだった。
「あの〜糧食班長。プレスの会食の件だけど・・・」
原沼が意を決してもう一度声を掛けた。
「アカン、そーやった。拍手やめぇ!作業再開!」
原沼は不安になった。これはただのサービスではなく、自衛隊が兵站を整えた事で日本側の優勢を内外にアピールする情報戦の一端なのだ。
広報幹部の焦燥を感じた陣乃は「仕込みは終わって後は盛り付けだけ」と説明した。
「なんせ自分んトコの兵隊差し置いて、他所の文屋に振る舞うんやから大層な事でっしゃろ?腕によりかけてるさかいに、安心してや!」
階級を無視して関西弁で豪快に笑うベテラン上級陸曹に、原沼はただ愛想良く頷くしかなかった。
そこへ、川畑が先ほどの飯缶を持ってやって来た。
「主計長、こいつ急に大人しくなりました」
陣乃は何かを思いつき、飯缶を受け取ると中に手を突っ込んだ。
「よっしゃ、コイツを文屋さん達にご披露や!」
「班長、ネズミじゃないだろうね?」
「違いますがな、イタチに似とりますが尻尾が三本ありまんねん」
陣乃がそのぐったりしたイタチもどきの首根っこを掴み、原沼の前に突き出した。
全長20センチ位。全身黄金色羽毛に、確かに尻尾が三本。これは珍しい。
原沼が首に架けていたEOS-1デジタルカメラを構えた。
「ちょっと待ってや」と記念写真とばかりに近くの班員を集めポーズをとり始めた。
原沼は陣乃ら糧食班の面子を絶妙なトリミングで排し、イタチもどきをファインダーに入れ、AFモードで一枚、予備にネガフィルムの二眼レフカメラ、現場監督で一枚。
その時、イタチもどきが息を吹き返した。
カッと緑の眼光を放つ両目に加え「額」の赤い目玉がファィンダー越しに原沼を睨んだ。反射的に思わず飛び退く原沼。
その様子に怪訝な表情でイタチもどきに視線を向けた糧食班達は、その面妖に一斉に悲鳴をあげ逃げ出した。
陣乃も思わずイタチもどきを放り投げた。イタチもどきは空中で一回転して調理台に着地し、恨めしそうに一同を一睨みすると、猛スピードで外へ駆け抜けていった。
原沼の第六感は近いうちに厄介ごとに巻き込まれると叫んでいた。彼は48時間と言わず、今すぐこの島から帰りたくなった。
「何だあれは?」
BBCワールドニュースの特派員、ケリーFマークスは空を見て呟いた。
自分達を案内してきた日本軍の将校がキッチンテントに消えてから暫く、レポートする物もなく、上空から轟く戦闘機の爆音に何気なく見上げたときだ。
丁度島の上空、7千メートル位か?奇妙な形の「雲」を見つけた。雲は見事な円錐形で、かなりの大きさのようだ。同高度に浮かぶ雲は流れ去るというのにその雲は先程からずっと静止し続けている。
「撮りましたよチーフ」
カメラマンのアンドレ・ビンセントがハンディカメラを廻しながら応えた。
「ホントに?」
「間違いない。今のイタチ、尻尾が三本あった」
ビンセントはキッチンテントの方を向いていた。
ビンセントはテントから聞こえてくる騒ぎから何かを察知し、ずっとカメラを廻していたのだ。
彼は勘が鋭く並外れた動体視力をもって、数々のスクープを捕らえ続けた頼りになる相棒だ。
彼は取材チームの中では一番若い26歳。独身主義の自分とは違い、三男二女の子沢山な家庭の持ち主だ。
そこへ衛星電話で本社に定時連絡を入れていた警護担当兼通訳のドナルドバーグマンが戻ってきた。背中に大きくプレスロゴの入った防弾ベストに衛星電話をしまいながらため息をついた。
「やれやれ、電話する度に聞き耳を立てられちゃたまらないよ」
バーグマンはチーム最年長の43歳。元英国海軍特殊舟艇部隊出身で、湾岸戦争の時に砂漠の嵐作戦に従軍した経験をもつ。以前日本の英国大使館の警備を担当したことがあり、日本語に精通していた。
家族は別れた妻との間に娘が一人。仕事上がりにパブでの一杯と、裁判所が決めた月二回の娘とのデートが人生の最大の楽しみだと言う。
「仕方ないさ。日本軍も情報漏洩や内通を気にしてピリピリしてる。連中、従軍取材なんて受け入れた事がないなから勝手が解らないんだ」
「みたいだな、さっきから英語を〈知らないフリ〉をした兵士がウロウロしてる」
それは事実だった。現にナハ・ベースでどうせ解りはしないとタカをくって、堂々と母国語で生放送の算段を立てていた台湾とフランスの取材陣が従軍名簿から外されていた。
マークスとバーグマンが日本を紛争取材で訪れるのは実はこれが2回目だった。
2015年の北朝鮮動乱で、ハカタで繰り広げられた武装難民による大暴動事件の時だ。
当時の日本政府の腰は重く、警察の縄張り意識もあって鎮圧に軍を動員することに消極的だったことが被害の拡大を招いた。
バーグマンの軍人時代のコネクションでイチガヤの国防省を通じ、他局に先んじて封鎖地域内での取材許可を得た。
しかしその代償として、アンドレの兄で取材チームのベテランカメラマンだったポールビンセントを流れ弾で失うことになった。
テントから案内役の中尉が出てきた。心なしか表情が青ざめている。
「皆さんお待たせしました。案内にしたがってダイナーテントまでお越しください。メニューはチキンカレーです」
それを聞いてマークスとビンセントはげんなりした。匂いで予想はついていたがやはり堪える。
彼らはヒュウガとか言うヘリ空母に留め置かれた間、荒波に揉まれ船酔いからまだ立ち直っていなかった。
どうせ兵站と補給線が確保され日本の有利をアピールしたいのだろうが、日本軍のセンスは理解できない。バーグマンは素直に喜んでいるか…。
「皆さんしつこいようですが、この後国端富士の我が軍主力部隊へ向かいますが、道中と現地での生放送は作戦行動中のため原則禁止です。本国との衛星電話による通話も同じくです、宜しいですか?」
マークスはハラヌマ中尉の訴えを聞き流し天を仰いだ。
上空には相も変わらず、件の奇妙な雲が蒼天に鎮座していた。
この日の沖縄気象台の予報は晴れ。
降水確率0%。湿度40%で最高気温38℃の文句なしの真夏日。夏に付き物の熱帯低気圧もなく雲一つない晴天である筈だった。