1日目 AM09:25−孤立−
気象観測所・管理棟1階。
話しは少し遡る。
小山二等陸曹が率いる斥候班6人は施設外の捜索を終え、正面玄関より内部捜索を開始した。
観測所は北と東に向けL字型に伸びており、斥候班は二手に別れた。
小山亨二等陸曹が率いる弘田愁陸士長、斉藤信夫陸士長の3人は東棟へ進み、副班長の糸山孝則三等陸曹、五十嵐昇三等陸曹、遠山兼光陸士長の3人は北棟へ向かった。
施設内の窓と通用口は全てバリケードで塞がれ、内部は薄暗かった。弘田士長は去年行った東富士演習場の市街地戦闘訓練場を思い出した。
罠も仕掛け爆弾も見当たらない。しかし、息を殺してこちらを窺う気配だけは感じる。静けさがかえって不気味だった。
一行は何事もなく北棟北端付近まで進むと、頑丈な防火扉に行く手を塞がれた。手榴弾に繋がる罠線が無いことを確認すると、斎藤が慎重に防火扉を押した。しかし反対側に何か積まれているらしく、扉は開かなかった。今度は筋肉質な小山が力一杯防火扉を押すと、少しずつ開いてきた。
隙間が50センチ程空いた頃だった。小山の鉄帽に何か固いモノが落ちてきて足元で跳ねた。
「手榴弾!!」
小山が叫び、手榴弾を通路の隅へ蹴り飛ばすと空中に身を投げた。続いて斎藤、少し遅れて弘田が空中に身を踊らせた。
着地と同時に手榴弾が炸裂し、弘田がまともに爆風を受けて崩れ落ちた。
斉藤が弘田を助けに向かおうとした瞬間、防火扉の隙間から銃身が突き出され火を噴いた。
先ず斉藤が撃たれ、床に叩きつけられた。続いて小山が左肩を撃たれ仰向けに倒れた。
小山は起き上がろうと、半身を起こした所を更に撃たれ、再び倒れ込んだが銃弾は全て防弾ベストが防ぎ命拾いした。
仰向けのまま89式を構え、防火扉へ撃ち返すと銃身がカダゴトと引っ込んだ。
斉藤が血塗れの手で手榴弾をまさぐっていると、目の前に再び手榴弾が降ってきた。
斉藤は「ぎゃあ」と叫び、手榴弾を掴んで防火扉に投げ込んだ。
小山は伏せて爆風を避けると、一体何処から飛んできたのかと天井を見上げた。目線の先には穴だらけのコンクリートが剥き出しの天井しかない。
穴の一つから閃光が閃めき、小山は右足に捻れたような激痛を感じたまらず床に打ち据えられた。
北中国兵は壁や床に孔を開け、抜け道と銃眼を設けていた。
「敵とコンタクト!真上から撃たれている!」
事態を掌握した小山は、無線機のリップマイクに叫ぶと、防火扉に向け89式を一連射し強烈な飛び蹴りを放った。
扉が吹っ飛ぶように開き、部屋に銃身だけ突きだして弾倉に残っていた弾丸をバラ撒いた。
背後で再び手榴弾が炸裂し、弘田を引きずっていた斎藤が右脹ら脛を破片で切り裂かれ、悲鳴を上げた。
爆風で小山は部屋の中に吹き飛ばされ、慌てて起き上がり身構えるが部屋は無人だった。
そんな馬鹿なとは思い周囲を見渡すが、窓には鉄格子がはめられ角に脚立がポツンと立てられているだけで、何処を探しても人が隠れる場所はない。
廊下で銃声が轟き、斎藤の悲鳴が聞こえた。
小山は部屋を飛び出し、2人の襟を掴んで入り口まで引っ張り込んだ。そこではじめて脚立の上の天井に、穴が開けられているのに気が付いた。
もしやと思い、89式に新たな弾倉を叩き込むと、慎重に脚立に近づいた。
あと2〜3歩の距離で、突然脚立がスルリと天井へ引き上げられた。
事態を察知した小山が、脚立に飛び付き、渾身の力で引き降ろすと、悲鳴と一緒に敵兵が墜ちてきた。
小山は床に這いつくばる北中国兵の背中を踏みつけ、その後頭部に銃口を突きつけた。
事態を呑み込んだ北中国兵がジタバタ暴れ出し、小山の解らない言語で喚き散らした。
「悪く思うなよ!」
引き金を引く寸前、頭上で影が舞った。
反射的に身を引くと、0.5秒まで頭のあった位置をコマンドブーツの踵がかすった。
踵落としを避けられたブーツの主は、着地するなり体を丸め半回転。それが攻撃の予備動作だと察知した小山は、89式を体の正面に引き付け、直後に繰り出された回し蹴りを受け止めた。
89式の機関部が中央から折れ曲がり、193センチの巨体が壁際まで吹き飛んだ。
新たに現れた敵は、顔半分を包帯で覆った巨漢で、明らかに床に転がっているヤツとは格が違った。
海兵隊か空挺隊員に相当する兵士らしく、デジタル迷彩に黒い防弾ベストを着込み、背中にブルパップ式小銃の95式手槍を背負っていた。
しかし何故か使う気はないらしいく、かわりに小山に正対し、体重を左足に乗せ、右肘を脇腹に引き付け身構えてる。
小山は勝負に乗った。
壊れた89式を投げ捨てると床を蹴った。
一瞬で迫るレンジャーの瞬発力に驚いた北中国兵は、両腕を引き付け、顎を狙った爪先蹴りを放った。
小山はサイドステップでブーツを避けると、防弾ベストの脇腹目掛け拳を突き下ろした。
中国軍の防弾ベストは、自衛隊の物と同じ抗弾プレートを挟み込んだモノだが、できは日本に比べ良くなかったらしい。空手五段の正拳突きを受け、プレートがカバー越しに砕けたのが分かった。
「ぐぼうっ!」
北中国兵の肺から空気が絞り出された。
小山は続けて北中国兵の首を掴み、顔面へ膝蹴りを見舞った。
顔に巻いた包帯を赤に染め、仰け反る北中国兵。小山は止めの面突きを放たんと拳を引き寄せた。
北中国兵が気迫の籠った息を吐いた。
グッと口許を引き締め、右肘をたたみ上半身を半回転、捻った体を戻しながら小山の顎へ掌底を打ち据えた。
顎に強烈な衝撃を受け、思わず後ずさる小山を北中国兵は見逃さなかった。
右膝を掲げたかと思うと、自ら顔面を蹴り上げるように爪先を跳ね上げ、ふり下ろした。
小山は咄嗟に両腕を交差し、必殺の踵落としをブロックした。
どうやらこの兵士はカンフーか中国拳法の使い手らしい。凄まじい衝撃が両腕を襲い、筋肉が軋み、関節が悲鳴をあげる。並みの人間なら腕が砕けるか、首が胴体にめり込むところだ。
流石に支えきれず、方膝をついて衝撃を逃がした。
一方北中国兵は、自分の必殺技を防がれたことに動揺したらしく、小山の腕に足を乗せたまま、包帯の間から覗く目に驚愕の色を浮かべていた。
その様子に、小山は唇の端をつり上げた。
途端、北中国兵の顔が怒りに歪んだ。再び左足を回転軸に捻り、蹴りを打つ。
小山はまともに蹴りを胸に受け、床を転がった。
息が詰まり、無線機が嫌な雑音を立て止まった。
無様に床を転がるが、気合で奮起。バネの効いた背筋力で跳ね起きた。
突然、右足の感覚が消えた。
まるで回路のスイッチを切ったかのように右足の感覚が失せ、たまらず前のめりに倒れ込んだ。
右足を見ると、大腿部に2つ孔が開き、ポンプのように血が吹き出していた。
そこではじめて自分が撃たれている事に気がついた。
北中国兵が一挙動で95式を構えた。
凍りつく小山。
しかし引き金は引かず、銃口で小山の動きを牽制するだけだ。
しばし睨み合いの後、北中国兵が銃口で入口に転がる2人の陸士長を指差し、軽く振って部屋の中央を指示した。【中に入れろ】と言いたいらしい。
敵兵の意図に気付き、小山を激しい怒りを貫いた。
北中国兵は小山の凄まじい形相に対し【その通りだ】と言わんばかりに左頬を歪に歪めた。どうやら笑ったらしい。
しかし、小山も自らの矜持に部下を道連れにするほど愚かではなかった。
北中国兵は日本兵が自棄になって拳銃を抜いたりしないよう、警戒しながらゆっくり下がり、いまだに腰を抜かしている相棒を引き起こした。
まだ若い、小柄な兵士は泣きベソをかきながら立ち上がり、傍らに落ちていた自分の小銃を拾い小山に向けた。
巨漢がヒョイと相棒の小銃を取り上げた。
何故だと噛みつく兵士を、巨漢の北中国兵は静かに諭した。
少年兵は納得したのか、袖で顔を拭くと、巨漢から小銃を受けとり大人しく脚立を上っていった。
小山に向き直った北中国兵は、重傷だがいまだ戦意の衰えぬレンジャーに軽く敬礼すると、図体に似合わぬ俊敏さで階上へ消えていった。
脚立が引き上げられると、天井を鉄板で塞がれ、その上に何か重量物が載せられる振動が響いた。
3人の自衛隊員達は味方をおびき寄せる【餌】となった。