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1日目 AM08:35−爆破準備−

東地区森林地帯・七番遁道付近。


トンネルへ続々と続く北中国軍兵士の列の脇。2メートル程の深さに掘られた塹壕から刺激臭が漂っていた。

時折列から何事かと塹壕を覗き込む兵士もいたが、即座に踵を返して列に戻った。


「鍋で砲弾を煮てる馬鹿がいる!」


防護マスクの下、楊下士は深い溜め息をついた。彼はその辺の石でこしらえた即席の釜戸と、その上で湯を張った中華鍋に砲弾を乗せ湯煎していた。


別に彼は気が狂った訳ではない。彼は今、ちょっとしたトラブルに巻き込まれていた。

工兵隊の応援に向かったは良いが、人手だけでなく爆薬も足りない事が分かり、オマケに一番作業が遅れている七番トンネルの爆破担当にされたのだ。


他の6本が正規の脱出用なのに対しこの七番トンネルは「非常口」的なものだった。ほぼ天然の空洞で、当初ら通風口にされる予定だった。

しかし日本軍の反撃が本格化してきたため非常口に変更、しかし混乱でそれが周知されず、今日まで存在が一部の司令部要員にしか知らされずにいたのである。


本来は遅滞防備用に埋没閉塞の為の爆薬か、又はその準備用に設置孔を設ける筈だったが、件の理由からそれらは全くの手付かずで放置され、おまけにトンネル警備兼保守管理を担当する遁道警備小隊は真っ先に撤退してしまった。

爆薬の割り当ても無く、人員も寄せ集め。仕方なく楊は遺棄された装備を漁り「現地調達」を試みた。


元々この森には砲兵部隊が陣地を構えており、砲弾のストックがまだ残されていた。楊はこの中から130ミリ砲弾を選び炸薬の抽出作業に当たった。

榴弾の製造過程では、炸薬は液状で砲弾に充填される。TNTなら約80度で液状化するので中華鍋で湯煎し、その逆順をやっているわけだ。

火にくべたり電流を流せば話は別だが、信管を外してしまえば砲弾は簡単には爆発しないものだ。

液化した炸薬は空の水筒に詰め、水を張った鉄帽(中国製はフリッツ型でも本当に鉄)に入れ冷やして固める。


通算5本目の水筒爆薬を作り終えた頃、白中尉が進捗状況を見にやってきた。

中尉は気配もなく後ろに立っていた。


「後、どの位掛かる?」


楊は肝を冷やしつつ必要量を確保するのに後45分、設置に30分掛かると答えた。


「後30分とは言ったが、爆破はギリギリまで待つぞ?」


楊は不穏分子の疑いを掛けられまいと、慎重に言葉を選んだ。


「そういう訳ではありません、中尉殿。設置行程は省けても爆薬造りは事故防止の為どうしても時間が要ります」



「砲弾に電気信管を繋いで、そのまま使えば…?」



「破壊工作や通路啓開には良いでしょうが、これは閉塞作業です。勢い余ってトンネルを地上に露出させる恐れがあります。ご命令であれば取り掛かりますが、今からだと威力計算や設置場所の選定が一からやり直しになります」


「・・・・」


白中尉の沈黙に不気味さを覚えつつ楊は畳み掛けた。


「それに不発弾処理以外に砲弾を爆破した経験は自分には無く、結果に責任が持てません。砲弾に関して助言を得ようにも、砲兵は全て撤退しました。下手に使えば爆破の影響が何処まで波及するか分かりません。トンネルは全て最終的に一本に繋がっているのはご存じでしょう?」


遂に白中尉が折れた。


「…分かった。仕事を続けろ」


ホッと胸を撫で下ろす楊に、白中尉が中華鍋を指して尋ねた。


「そいつは何処にあった?」


楊は胸を張って答えた。


「自分の私物であります」


「・・・持って歩いてるのか?」


「本業は料理人ですので」


「・・・」


黙るなよ、あんた怖いんだから。


「他の連中は?」


「2人発火装置を探しにいかせて、残りはトンネル内で設置孔を開けさせてます」


普通爆破作業は準備から設置、爆破まで1人で行う。責任分担すると、ミスが発生しやすいからだ。

しかし今回は敵の襲来が近い事もあり、砲弾から炸薬を安全に抜き取る技術を持っていたのは楊だけだった。


「爆薬造り、誰かに手伝わせるか?」


「彼等にですか?」


楊はトンネル待ちの列を見た。白中尉が視線を向けると皆一斉に目を背けた。

白中尉はそれ以上何も言わず、肩をすくめると森の中に消えていった。


「分ン隊ィ長ォお!」


入れ違いに物凄い訛りの北京語で呼び掛けられた。振り返るまでもなかった。このヒドイ訛りは黄列兵(2〜3等兵)だ。

やや知能に問題のある彼は、湖南省の片田舎出身の18歳。軍隊に入って初めてテレビを見たという新兵で、面倒見の良い楊を勝手に分隊長と呼んでいた。

楊が「大声を上げるな馬鹿!」と鉄帽をひっ叩くと用件を聞いた。


「あ、空ぃ巣ぅに入られましたぁ!」


「・・・・は?」



東地区森林地帯・七番遁道内部。


「なんてこった…」


楊は出来上がった水筒爆薬を片手に途方に暮れた。

トンネル内に設けた資材置き場から、全ての資材が消えていたのだ。

プライマーなどの工具は勿論、直流発電機発火機や検流計、導火線リールといった発火具、設置孔を掘るシャベルにツルハシ全て無くなっている。


黄が言うには転進指揮所に信管を取りに行っている僅かな間に備品が全て消えており、大慌てで楊に知らせに行ったとの事。

楊は直ちに資材の捜索を命じた。

部下がそれぞれ散っていくと、楊はがらんどうとなった資材置き場を見渡した。資材置き場はトンネル内の短い横穴を利用して設けられ、入り口の他には壁に70センチ程の横穴があるだけで他に出口はない。

この小さい横穴だが、実はトンネル各所に点在していて中は物凄く長い。人工的に造られたものらしく懐中電灯で照らせる範囲では階段や燭台らしきモノが見える。

調査する技術も時間も無かった工兵部隊は「きっとキンシコウ(孫悟空のモデル)が掘ったに違いない」と冗談めかして放置していた。だが、その冗談は今では笑えなくなっていた。


楊は地面に残された「足跡らしき」モノを見て冷や汗を噴き出した。

その足跡は全て靴を履いていたのだ。3〜4歳児程度のサイズで、単純ではあるが明らかにソールが刻んであり、それが複数横穴まで続いていた。


楊は中華鍋を壁に立て掛け、人数を割り出すために横穴の前の地面に1メートル四方の線を引き、その中の足跡の数を足して2で割った。往復している奴もいるので、03式歩槍を使って歩幅を割り出してその分を計算から引く。


「最低8人」


結構な大所帯だ。

だが楊は大して狼狽することも無かった。

彼の田舎では野生の猿による作物被害が日常茶飯事だったし、爆薬は無事だから信管と点火装置さえあればなんとかなるだろうと、頭の中の工程表を練り直しながら、中華鍋に手を伸ばした。


しかし、伸ばした先に、鍋はなかった。


楊の思考が緊急停止した。そのままの姿勢で固まり、記憶の糸を手繰り寄せる。俺は確かに、ここに置いたよな?

記憶の糸はプッツリ切れていた。

楊は臆面無く慌てた。他の物はどうでもいいが、鍋けは無くては困る。


「分隊ィ長ォ、何を探してェ〜いるんでありまァすゥかァ?」


黄が入り口で、楊の慌てぶりに目を丸くしていた。

楊はそれどころでなく、資材置き場をウロウロするばかりだった。


少し落ち着きを取り戻した楊は、鍋を置いた場所に戻ると、例の小さい足跡が残されているのに気が付いた。

辿っていけば案の定、まっ直ぐ横穴へと続いていた。楊は一瞬、この穴を塞ぐべきか迷ったが、地雷を仕掛ける替わりに穴の前に携行食のビスケットと、今では貴重品の煙草を3本置いてみた。


「分隊長ォ、コレは何でありますかァ?」


黄がビスケットを摘まもうとしたのでひっ叩いた。


「何でもない、触るんじゃねぇゾ」


神頼みは彼の柄ではないが、切実な願いとして、せめて鍋だけは返して欲しかった。あれはの形見であり、万金に変えられない大切な鍋だった。


「で、どうした?俺は備品を探せと言った筈だゾ」


「白中ゥ尉が分ン隊長ォを呼んでいましたァ」


また、どうせロクな用事ではないと思った。今度こそ不穏分子の疑いで「略式軍法会議」か?

しかし行かない訳にはいかないので、楊は物理的にも精神的にも重い腰を上げた。

黄がついてこようとしたので、引き続き備品を探すように叱った。


まったく、何故自分は李や黄のような坊主共になつかれるのか?


転身指揮所に向かう途中、隠蔽壕でヘリコプターを組み立てている一団とすれ違った。

組み立てているのは白中尉の取り巻き達で、例の北朝鮮からの鞍替え組だった。機種は分からないがやけに縦に平べったい、2〜3人しか乗れない様な小型機だった。


どうせ御偉いさんの脱出専用の機体だから、それで十分なのだろう。制空圏を取られているのにご苦労な事だ。


そんな事を考えながら歩いていると、テイルローターを取り付けている兵士と目が合った。

鋭い眼光を向けられ、何だか銃を向けられている気分だった。因縁を付けられでもしたら面倒なので不本意だが先を急いだ。



この時、北中国軍は想定外の危機に面していた。

七番遁道と同様の備品消失事件が全てのトンネルで猛威を振るい爆破作業が滞るなか、二番遁道で撤退中の北中国兵24名が行方不明にる事件が発生した。


中央山側から部隊未到着との連絡で、直ちに捜索隊が投入されると、森林地帯と中央山とのほぼ中間地点で滅茶苦茶に叩き潰された味方の死体が発見された。


死体は全て巨大な鈍器か斧の様な武器で叩き潰されており、銃器による死者は同士討ちと思われる数名を除き皆無だった。

また、北中国兵の抵抗も凄まじく、現場には大量の空薬莢が撒き散らされていたが敵の物と思われる死体は無し。

地面には蹄のような足跡が残されていただけだった。


牛魔王が出た。


北中国兵の間にそんな噂が囁かれ始め、異常な生態系が噂に真実味を与え、伝播を加速させた。


青宝島守備隊臨時司令部は士気の低下を防ぐべく、この事案は日本軍の特殊部隊の仕業であると通知し、掃討部隊の編成と二番遁道の使用を中止。閉鎖に踏み切った。


四番、五番、六番遁道はすでに閉鎖した上、主力である二番遁道は予定外の閉鎖。


残る一番、三番はトンネルの規模が二番の半分しかなく、大人数の移動には向かない(酸欠に陥る)。

しかも二つとも国道に面しているため、下手をすれば日本軍の機甲部隊に踏み込まれる危険がある。

七番に至っては、所詮非常口レベルで問題外。

更に爆破準備に携わる工兵部隊には作業中でも完全武装でいる事が義務付けられ、見えない敵への恐怖と備品の消失に加え作業能率の低下に拍車を掛けた。


この結果、撤退作戦のタイムスケジュールに、致命的な遅れを生じさせる事態となり、自衛隊の追撃に追い付かれるのは時間の問題となった。

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