1日目 AM11:45―侵攻開始15分前―
1日目−AM11:45 第1前方支援地域・糧食班天幕。
糧食班・焼物分隊、川畑卓巳一等陸士は藪の中、用足しついでにあり得ない光景を空に見た。
空を覆う真っ黒な雲層を突き抜け、翼を生やした巨大な蜥蜴が現れたのだ。
全長約5メートル。背中に載せた鞍に人を騎乗させ、胴体下に小型の樽を幾つもぶら下げながら高度300〜400メートルを音も立てず優雅に旋回している。
この程度なら彼も幻覚だと思って、サッサと用を済ませて仕事に戻っただろう。しかし困ったことに、空飛ぶ蜥蜴はどんどん数を増やし、編隊を組み乱舞し始めた。
おかしい…自衛隊に入ってトルエンから抜け切った。お、俺は生まれ変わったはずじゃないのか?
川畑は東北の地方都市出身の19歳。薄い眉毛と溶けかけた歯並びから誤解を受けやすい風貌をしているが、心優しく、決して悪い人間ではない。
彼は3歳のとき、家庭の事情で児童養護施設に預けられ、その後施設を転々とさせられた。性格は内向的で引っ込み思案。家事が得意で常に学校ではイジメの対象だった。
中学を卒業して働きだしたとき、弱い自分を変えようと無謀にも地元の暴走族に加わった。
しかし本来の人の良さからワルぶれず、結局暴走族のメンバーからは公私(?)共にパシリ扱い、ことあるごとに面白半分に虐げられた。
1年前のある挽、暴走族のメンバー達が自衛隊駐屯地の営門を指差し「突っ込め」と彼にけし掛けた。逆らえない川畑は、半ば自棄で泣きながら原付のアクセルを開いた。
暴走族のメンバーは、川畑の姿が営門に消えてから暫く、フェンスの向こうで逃げ回る原付きと、それを追い掛ける警衛隊のジープを大笑いして見ていたが、川畑が捕まると興味を無くしその場を去っていった。
しかし1ヶ月後、彼等は市内を行軍訓練中の新隊員教育隊に、旗手を務める川畑の姿を見つけ仰天する。
偶然あの晩の騒ぎを目撃していた当時の駐屯地司令が、川畑が警務隊の情聴取に吐露する聞くも涙、語るも涙の身の上に同情し、警察に突き出す代わりに、彼に新しい身分を与えることにしたのだ。
当時の防衛省は隊員の大幅増員を打ち出し、その結果、募集状況が70年代のような形振り構わない時代に逆戻りしていた。そんな政治的背景もあり、その日の警備報告書には「入隊希望者が深夜に、単車で正門より来訪」とだけ書かれ、かくして川畑卓巳二等陸士は誕生した。
空を見上げ、呆然と佇む彼の後頭部を、フライパンが唸りを上げて直撃した。
「なにボケッとしとるんや、チャッチャと仕事に戻れど阿呆!」
頭を押さえ踞る川畑の背後には、彼の直属上司にして主計長こと陣乃風一1等陸曹がフライパン片手に仁王立ちとなっていた。
陣乃は関西出身の41歳。典型的なガキ大将気質で、1男3女の父。部下には旧軍にちなみ主計長とばせ、自衛隊稼業を「食うためだ」と憚る、駐屯地糧食班の主にして野外炊事班の自称神である。
「残ったカレーをチキンピラフに仕上げて配食したら、明日以降は和中折衷料理や。ドンパチが終わったら次はウチラは忙しいんや。黄昏れてる暇無いでぇ!」
「何で和中折衷なんですか?」
「捕虜の給食もウチラの仕事や。奴等は共産党から反日教育を受けてるさかい、簡単には墜ちん。せやから胃袋から籠絡したるんや!」
豪快かつ盛大な持論に二の句が継げない川畑だったが、ある意味主計長らしいと諦めた。
視界の端にまた1匹、雲を突き抜け蜥蜴が現れた。意を決して、未だ料理が人に与える心理的効果を熱く語る糧食班長に、上空の異変を報告した。
「あの、主計長。蜥蜴が空飛んでます」
恐る恐る空を指差す川畑の様子に、陣のは彼の顎を掴み、歯を覗き込んだ。
「まさか、お前また…」
「違います!ホントに何か飛んでるんですってば!」
陣乃は班員の必死な訴えに根負けし、渋々空を仰ぎ…固まった。
……確かに、いた。
数えられる限り、最低50匹。それが【3騎】づつ見事な編隊を組んで東に向かっていく。
「ワイバーンや…エンシェントドラゴンもおる」
川畑は陣乃の口から漏れる単語が理解できなかった。陣野の世代はファンタジーな世界を舞台にしたRPGが流行っていたのは知っているが、川畑の世代は現代かSFの世界を舞台にしたFPSが人気だった。
隊内でも、中堅隊員の間で交わされる昔のアニメやゲームを懐かしんでの話題は、今の新隊員達にはまるで理解されない傾向にある。
陣乃は踵を返すと管理本部に向けドタドタと走り出した。途中、双眼鏡を覗きなが呆然としている歩哨を弾き飛ばし、管理本部に駆け込んだ。
中では補給統括班長兼管理事務班長の波多野繁之2等陸尉が、陣乃に負けない太目の体を揺すり、右往左往してい。陣乃は幕舎に飛び込むなり、波多野2尉を捕まえた。
「ハタやん大変や!空見てみい!」
「陣の字、今それどこじゃないけん、後にしてくれ!」
2人は同年代で長い付き合い故に会話はざっくばらんだ。お互い九州訛りと関西弁で渾名で呼び会っている。
「いきなり無線が駄目になりおったけん、野外電話しか繋がらん。場合によっちゃ糧食班からも歩哨のシフトに入ってもらうぜよ」
マジかいな!?と一瞬慌てた陣野だったが、直ぐに取り直して外を指差した。
「それどころじゃあらへん。ハタやん外を見てみい!」
「外がどうしたが?」
「いいから行ってみい!空がモンハンとファイナルファンタの二割増しや!」
モンハンって何?と呟く川畑を置いて、ただならない糧食班長の剣幕に補給幹部は天幕から首を出して空を見上げた…そして。
「何だあれは!?」
すっ飛んで戻ってきて陣乃に詰め寄る。陣乃も「聞かれても困るが大事なのはそこじゃないと」切り返す。
波多野も陣のが言わんとすることに気づき、野外電話に跳びついた。プッシュボタンを連打し、相手が出るなり時間が惜しいとばかり捲し上げる。
「対空視認情報!第1前方支援地域上空に彼我不明のドラ…【編隊】を認む。推定30約機、東に向け低空で飛行中。……そうだ、海岸地区に向かってる!司令部が危ない、大至急警報を出せ!」
同時刻・東シナ海上空。
第13普通科連隊・第3中隊、斎藤信夫陸士長は痛む背中を気にしながら、キャビン後部のバブルキャノピーから外を眺めた。
気象観測所の戦いからすぐ、斎藤ら負傷者は戦闘任務の解除と沖縄の医療施設への後送を命じられた。
小山2曹以下、第2小隊の重傷者は既に沖縄か沖の外科手術設備を持つ護衛艦に搬送された後で、比較的軽傷だった彼は出血多量で意識朦朧の弘田に付き添うよう岡本1曹に言われた。
海岸地区ヘリポートから順番待ちをしていた時だった。
トラックで外国人の集団が運ばれてきた。集団は20人くらいの男女で、服装から国内外の報道関係者だと分かった。
4人ほど担架に載せられている以外、腕を三角巾で吊ったり即席の松葉杖をついているのもいるが、概ね全員五体満足。しかし誰も彼も表情がなかった。
引率してきた幹部が、順番を待つ負傷者を後回しにして、ヘリにプレスを載せようとした瞬間、衛生隊員の怒りが爆発した。
「負傷者が先だ!重篤のやつだっているんだぞ!」
怒りは負傷者の間にも伝播し、各々が包帯に巻かれ、点滴に繋がれた手でトリアージタグをかざし怒声をあげた。
広報幹部、原沼2尉は必死に場を取り繕うべく、衛生隊員の元へ走った。
激戦が続き、体面に構ってられなくなった隊員達の怒りは凄まじく、衛生隊員の現場責任者は若い2曹だが、原沼の階級章を見ても矛を納めず、逆に同調する部下達と一緒に噛みついてくる。騒ぎは収まりそうになかった。
完全なフロントラインシンドロームだ。
騒ぎを聞き付けた衛生隊長が、医療本部から駆けつけてきた。衛生隊長は2曹に鉄拳を見舞うと、騒ぐ負傷者達を見据えて大喝。
「貴様等、怪我に負けて自分が何者か忘れたかっ!」
斎藤は突然始まった騒ぎに目を丸くする一方、絶好の取材ネタと猛威を振るうはずの古今東西の文屋達が、カメラを構えるでもなく、亡霊のごとく無表情に立ち竦む姿に不気味さを感じた。
一体何があった?
衛生隊長は原沼に向き直るとトーンを下げ、丁寧に、しかし決然と言い放った。
「プレスの皆さんと一緒に重症者を乗せてもらえますか?」
衛生隊長は2佐だったが、格下の原沼に敬語を使ったのは先のプレスを襲った悲劇と、原沼の重責を尊重してのことだ。そこへ無線機を背負った誘導員の曹長が加わった。
「私からもお願いします。お立場は解りますが、飛行科としても余裕がありません」
2人は内心、この妥協案を広報幹部が受け入れられるとは思っていなかった、だが原沼はそれをあっさり快諾した。
「こちらこそ、現状をわきまえず無理な申し出をして申し訳ありませんでした」
騒ぎは急速に収まり、衛生隊長は搬送を再開させると、まだ何か言いたげな2曹を原沼と共にヘリポートの角に連れて行った。
CH-47JBの後部ランプが開き、機付き長が搭乗良しの合図を送った。
まず海外プレス陣が乗り込み、続いて重症の担送患者と、付き添いの隊員に担がれた重傷者が乗り込む。
斎藤達の番が来た、弘田を担ぎ上げ、衛生隊員が点滴瓶を持つとハッチの先に足を載せた。
「待て待て、定員だ。次のヘリだ」
非情な機付き長の言葉、に衛生隊員が顔色を変え抗議する。
「出血多量で意識がありません。血圧も危険値で待てません!」
「気持ちは分かるが、俺達も他の命を守らなければならない。分かってくれ!」
機付き長の飛行服を、太く毛深い腕が掴んだ。頭上からローター音に負けない音量で訛りのある日本語が降ってきた。
「メディックの言う通りデス!この兵士は死にかけてル。私達が降りマス。彼を乗せてくだサイ!」
3人の日本人が見上げる先、大柄な白人が弘田を指差していた。続いて彼の後ろからBBCの腕章を着けた男達が出てきて「カモン!」「ハリアップ!」と斎藤達を急き立てる。衛生隊員の陸士は感動の余り泣き出した。
機付き長は躊躇い、辺りを見回して引率の広報幹部を探したが、ヘリポートの端に衛生隊員らと話し込む姿を見つけ、諦めた。これ以上離陸を遅らせる訳にはいかない。
「乗れ、急げ!」
斎藤と弘田の入れ違いに【4人】のプレスが飛び降りた。拍手で見送る自衛官達に手を振る4人に、衛生隊員は直立不動で敬礼し、斎藤も内心「2人は降りれば充分じゃね?」と思いながら手を振り返した。
数分後、最後に乗り込んだ広報幹部がプレスの点呼をとって「数が足りない!」と絶叫し、ヘリから飛び出していった。
15分後―――。間も無く沖縄に到着する。
心配された弘田の容態も安定し、今は足元で細い体躯を横たえ、大人しくしていた。
島に残した小清水が心残りだった。火力支援班に編入されたみたいだが、大野のミリオタに変なコトを吹き込まれなきゃいいが。退院してみたら「斎藤さん、このホロサイトはCQCにお勧めですよ」なんてことに…。
突然、窓の外を猛スピードで何か通りすぎた。
大きく揺れる機内に、コクピットからの警報ブザーが鳴り響く。海外プレスを中心に機内に動揺が広がった。
斎藤は機体から外へ突き出たバブルキャノピーより外を伺うと、衝撃の原因を探した。海面に自機以外の複数の機影を見つけた。何かが機体の上を旋回しているようだ。
ガクンとヘリが機首を下げ、海面スレスレを目指して急降下していく。後方上方からの攻撃を避けるためだ。どうやら戦闘機に襲われているらしい。
機内にコックピットより真っ赤なフラッシュが閃く。先頭をいく列機が、紅蓮の炎あげて爆散した。最早機内のパニックは収拾がつかない。
突然、鈍い衝撃と共に機内に陽光が差し込んだ。ヘリの天井が抜け、後部ローターを廻すエンジンが、機付き長と何人かの重傷者を道連れに、竹トンボのように虚空に消えていった。
トルクコントロールを失い、ヘリは急激に旋回し始め、キャビンの人間を機外に振り捨てながら降下していく。
斎藤は必死に弘田と、偶然転げ落ちてきたアジア系の女性リポーターを抱えて機体にしがみつく。
目の前には、海面が迫っていた…。