1日目 AM11:45―暗雲―
大変お待たせしました。
同時刻・東地区森林地帯第七遁道。
「…で、わかったことは?」
少校はあまりの凄惨な光景に腰が引ききっていた。経理事務が本業である彼の前に、ボロ雑巾状態の【小人】が逆さに吊りにされていた。
【小人】の顔は倍以上に腫れ上がり、右耳は切り落とされ、歯はあちこち欠け、虚ろな目付きで自分を見ている。その下には楊の中華鍋がグツグツと湯が煮えたぎっていた。
大捕物の末、捕まえたはいいが困ったことに言葉が通じない。北京語・広東語・ハングル語・日本語・英語…どれも理解できないらしく、北欧らしい言語でかん高く喚き散らすだけ。試しに白中尉がドイツ語とフランス語の他に、北欧諸国の幾つかの言語で尋問したが駄目だった。
面倒くさくなった少校は、白とその取り巻き達に「必要な情報を聞き出せ」と言ったが、まさかここまでやるとは。
しばらくして転進本部に例の料理人あがりの下士官が血相を変えて飛び込んできたので、何事かと様子を見に来ればこの有り様である。工兵隊の連中も完全に引ききっている。
「コイツの持ち物ですが、鍛治道具のようなモノがほとんどです。しかし材質が検討もつきません」
白が手のひらサイズの金槌を寄越した。金槌は純銀製のように輝きを放ち、アルミのように軽かった。側面と取手に優雅なレリーフが刻まれていいた。
白がおもむろに金属製の弾薬箱を差し出した。
「軽く、叩いてみてください」
少校は軽い気持ちで金槌を降り下ろした。次の瞬間、洞窟内に電光が走り弾薬箱が粉々になった。何が起きたか分からず呆然とする少校に、白がその辺に散らばる岩石を指差す。
「鉄も岩も関係なく一撃です、取り扱いには細心の注意を…」
白が言い終わる前に少校は金槌を放り出していた。白は腰を抜かさんばかりの上官の反応に苦笑しつつ、金槌を拾い部下に手渡した。
「ほ、他になにか分かったことは?」
威厳を保とうと少校は質問を重ねるが、完全に声が裏返っていた。白が今度はゴルフボール大の赤い硝子玉を取り出したが、少校は爆弾でも見る目で近づこうとしない。
白の部下が下からライトを当てると、プラネタリウム宜しく洞窟内の壁に複雑な模様が浮かび上がった。歪な菱形の線の中央、一際高い高地を中心にその下を網の目のように大小様々な線が走っている。
少校は流石にこれが何なのかすぐに理解した。
「これは…地図か!?」
「恐らく、地下道網図かと思われます」
白が線の1つを指差したそれは、一際長く左右に同じサイズの線が3本【地図】の端から端まで続いていた。その線には見覚えがあった。
「二番遁道です」
そして枝分かれする細い線線の1つを指し、あみだクジの要領で辿っていく。
地下道網図と頭の中の地形図と照らし合わせていく内に、少校の顔が曇っていく。線は【現在地】まで続いていた。
「コイツが部隊を襲ったと?」
少校は簀巻きでブラ下がる【小人】を見た。完全な3等身、ズングリした体型の見かけに反して素早く、軽い身のこなしで捕まえるのに苦労したらしい。しかし、どう見てもこの生き物に銃をもった兵士を殺せるとは思えなかった。
「どうします?【尋問】を続けますか?」
トンネル内に白の絶対零度の声が響いた。思わず視線を泳がした少校と楊の目が合った。中年の招集下士官が『やめてくれ』と必死に目で訴えかけていた。
「降ろしてやれ」
少校は基本的に我が身が一番な男との評判だったが、この時何が彼をそうさせたのか?
少校は目を丸くする一堂を見回し言い放った。
「諸君、戦争は終わりだ」
同時刻・東地区第90独立小哨。
迫撃砲班、片山卓士長は、眼下を通りすぎる装甲車の列を感慨深げに眺めていた。戦車を先頭に『日曜日よりの使者』を大合唱し瀑進する機動予備隊を見つつ、戦争が終わったことを実感した。
彼は今日までの7日間、幾度かの空襲と陣地変換をえて、2度の撹乱射撃と4度の煙幕射撃任務を全うしたが遂に敵兵をこの目で拝むことは無かった。
連戦に次ぐ連戦で戦力減耗し疲弊する部隊もあれば、自分たちのように戦争の半分以上を待機と移動で終わる連中もいる。俺の戦争はこんなもんかと感慨に耽ってると、誰かに尻を蹴飛ばされた。
「ボケッとしてるな!引き揚げるぞ!」
背後で准尉が肩を怒らせていた。彼はエネルギッシュなベテランで、第90独立小哨の守備に就いてからと言うもの、今か今かと出番を待ち焦がれていた。故に終戦を喜ぶどころか、消化不良とばかり荒れに荒れた。
23年間奉公してこれが俺の戦争か!?
怒りの矛先は助っ人たちにも向いた。撤収間際で必要も無いのに支援に来た4人組に重機関銃を担がせて追い立てたのだ。連中もそれを理解してか、呑気に昼寝を決め込んでいたが誰か呼びに言ったのだろうか?
「オラ、撤収だ撤収!」
片山とその周囲は嵐が収まるのを大人しくまった。
同時刻・東地区森林地帯外縁。第一監視哨丘。
「撤収まだかナ?」
灌木林と平野部の境目、防空砲兵李上等兵は小高い丘に設けた掩体に身を伏せていた。
停戦発効の話しは李も聞き及んでいた。この監視ポイントを中心に東西3キロが停戦ラインとなる。平野部に日本軍が現れたら、なにもせず(余計なことはせず)大人しく壕を引き払えとのことだった。
「敵、きませんねェ…」
「こないねェ…」
思わずこぼすと合勤となった若い少尉がそれに同意した。彼は高等軍事教育を受けた人間にしては珍しくのんきな若者で、李と同じ戦争に負けることより終わることの方が大事だと思う数少ない将校であった。
少尉は士官学校を卒業しないまま青宝島に送り込まれ、戦闘中に士官辞令を受けたという。彼にはエリートにありがちな特権意識はなく、李を同年代の話し相手として扱っていた。どうも李は序列や既成概念に拘泥しない人物に自然と恵まれる質らしい。
彼の学生然とした物腰や風貌が、他人に警戒心を持たせにくくしているのだ。
不満が天に届いたのか、遠くからディーゼル音が轟いてきた。そら来たと李が無線機に飛び付くと同時に、少尉が双眼鏡を片手に壕から身を乗り出した。
軍の教育・訓練期間が内戦が続くにつれ短くなり、この少尉も中途半端な即席教育で前線に送り込まれたため、敵前での注意が著しく欠けていた。
「危ないですヨ!」
李は慌てて少尉を引きずり下ろし、震える指で無線機の送信ボタンを押し込む―――しかしヘッドフォンからは割れんばかりの空電で溢れていた。スケルチ調整摘みをいくら回しても繋がらない。おかしい、さっきまで普通に繋がったのに!少尉が懲りずに双眼鏡を構えて叫ぶ。
「七四式〈改〉が1個小隊。九六式が8台まで数えたけどまだ増えてる!」
役に立たない無線機に見切りをつけ、李は丘を駆け降りた。壕から15メートルほど下ったところに有線式の野外電話がある。山頂まで電話線を引こうとしたが距離が足りなかったのだ。
一回深呼吸して、落ち着いてから、一字一句受話器拭き込むように話す。
「百目壱番、敵機甲部隊が当監視ポストに接近中。坦克(戦車)が3輛に装甲兵員輸送車が複数、なお増加中。指示を乞う」
これで僕の任務は終わり。李は来るであろう撤収命令を待った。
しかし。
『百目壱番、そちらに増援が急行中。そのまま待機せよ』
・・・・・は?
―同時刻―東シナ海上空。AWACS『富嶽27』。
「レーダー、アウト!」
高々度、低空空域担当のレーダー手がそれぞれインターコムに同時に叫んだ。
E-767の広いコックピットの中で、機長はだだ混乱するばかりだ。訳が解らなかった。突然地上管制との通信が絶ち切られたかと思うと、次々と電子装置がダウンしだしたのだ。
「ECM?」
隣の副操縦士の疑問符に自我を取り戻した機長は、インターコムを通じ全部署に「対電子戦闘」を宣言した。
レーダーとGPSは全て白目をむき機位すら分からない。あらゆる周波数で通信の復旧を試みるも地上、艦船、航空機いずれの味方と繋がることはなかった。
エスコート(護衛)のF-15J〈改〉がAWACSを中心に周回飛行を始めた。レーダーも無線も使用できない状態では目視による後方警戒を続けるしかない。この分だと下の護衛艦や島の防空部隊も大混乱のはずだ。
電子戦担当によればAWACSの対電子戦能力を余裕で超える出力で妨害電波による『目潰し』を受けているらしい。それを聞いて機長はかすかな希望を見いだした。
地上の基地局ならともかく電子戦機の場合、電力供給の問題で強力かつ広域への妨害電波の照射時間には限りがあるからだ。アルカディア(国端新島を示す空自の隠語)にある北中国軍のレーダーサイトは全て潰されているので航空機意外あり得ない。機長はブラックアウトは30分間前後続くとみた。
「妨害電波の発信位置が概算ですが割れました」
インターコムより情報収集担当の報告。そらきた、日中中間線の外か?内か?
「方位0―3―0、同高度、距離約15キロ」
「なんだと!?」
目と鼻の先だ。機長は思わずキャノピーを睨んだ。視線の先には国端新島の上空にそびえ立つ、巨大な積乱雲。さっきまで白々とした積雲だったのが、いつの間にかどす黒く変色し、空を覆わんとしていた。
言い知れぬ不安に顔を見合わせる機長と副操縦士の前に、周回飛行をしていたF-15J〈改〉がコックピットに迫る。
戦闘機は翼を大きく振ると、AWACSの右側にピタリと止まった。何事かと驚く機長に、F-15J〈改〉のパイロットがキャノピー越しにブロックサインを送ってきた。
『5時の方向より敵機来襲』
・・・・・・は?
同時刻・東地区森林地帯外縁。第一監視哨丘。
李の前に反担克導弾(対戦車ミサイル)が山積みにされていた。紅箭八式。レーザー誘導方式で目標にレーザーを照射し、その照準線に沿ってミサイルが飛んでいくタイプだ。
数分前、白中尉の取り巻き連中が現れ、次々に重火器と観測機材を設置し始めた。彼らは少尉の誰何にも一切答えず、ただ「命令ですので」と言い残し去っていった。今や監視ポイントは完全な野戦指揮所と化している。李は言い知れぬ不安に狼狽えるばかりだが、少尉の方は「始めて見た」と興味津々に照準器をイジリ回している。
「おい、珍しいのは分かるが壊すなよ」
壕の淵に白中尉が取り巻きの副官級下士官と顔色を失った楊を従え現れた。
「ここを中心に東西500メートル主抵抗線を構築する。ここは射撃指揮所だ」
李と少尉は言葉を失った。話が違う。
「中尉殿、当初の計画ではここは停戦ラインとなるはずでは?」
「変更だ。停戦の情報に不審な点が認められたため、欺瞞の可能性を含め備えることになった」
白はおもむろに無線機のスイッチを入れた。途端耳障りな空電がスピーカーから鳴り響く。
「敵から大規模な電波妨害を受けている。もうすぐ戦争が終わるってのに必要か?」
平野部に目を向けると、日本軍の担克が森に砲塔を向けつつ散会し始めていた。しかし日本軍にしては連携が遅い。無線封止でもしているのか、指揮官車が手旗信号で指示をだしている。
「通信が復旧したら要注意だ。俺の予想が正しければ敵は一斉に襲ってくるぞ」
不意に誰かに背後から肩を掴まれた。ブリキ製のバケツを幾つも抱えた楊だった。楊はバケツを数個、無言で押し付けてきた。
バケツは底に砲弾から抜き取った爆薬を張り付け、電気信管を繋いで指向性爆薬にしたものだ。
しかしこれはトンネル閉塞用の爆薬だったはず。楊の顔は強張り全身で冷や汗をかいている。何かを悟った李は素直に爆薬を受け取ると、一緒に丘を下っていった。
急に辺りが暗くなり、一気に気温が下がり出した。空を見上げると真っ黒な積乱雲がのし掛かるように空を覆い陽光を遮った。
嫌な予感が現実味をおび始めた。
激しい寒気を感じるが、吐く息が白いところを見ると気のせいではないようだ。
この路線に変更無し!