1日目 AM10:05−終焉−
気象観測所・北棟一階。
死の短距離走を走り抜いて斥候班と合流を果たした志水は、斎藤より小山二曹の手当てを命じられた。
志水は銃弾で歪に捻れた小山の足を真っ直ぐに伸ばし、射入孔を探した。大腿部に入った弾丸は貫通せず脚内に留まっているようだった。
初めて見る銃創傷に一瞬怯んだが、意を決して救急包帯を巻き付けた。
モルヒネを頑なに拒む小山は、包帯が締め付けられる度に呻き声を上げるので、手当てする方は患者が出血多量で死ぬよりも、いきなり殴られるのではないかと気が気でなかった。
壁から振動を感じた。何事かと耳を澄ます彼らに、外からハンマーで壁を叩く音が聞こえたのはその時だった。
外周捜索班の田所進陸士長は、壁に必死にハンマーを振るっていた。
壁を爆薬で吹き飛ばす案が出たが、中の斥候班が危険と判断され、この方法が選択された。
長いこと風雨に晒され劣化していたのか、壁はハンマーの2〜3振りで呆気なく崩れ出した。捜索班の面々は嬉々としてハンマーを振るい、5分後には狭いが人1人抜けられる穴を拵えることができた。
志水は先ず、重症の弘田士長を穴に押し出した。
弘田は体重が50キロを切る中学生並みの細身な体型のお陰で、すんなり外へ出すことができた。
続いて足を撃たれた小山二曹をと思ったが、本人は頑として自分は最後だと言って聞かなかった。
争っていても仕方がないので、先に斎藤が行くことにした。
斎藤は弘田と違って肩幅があるので、各種戦闘装具を全て外さなければならなかった。
いよいよ小山と志水だけになると、またしても小山が先に行けと志水に命じた。構わず小山の防弾ベストを脱がすと、迷彩服の肩章通しを掴んで強引に床に寝かせた。もう小山も抵抗しなかった。
しかし斎藤以上に大柄な小山は、防弾ベストを脱いでも出られそうになかった。志水が外の連中に穴を広げるように言おうとした時、足元で異様な音がした。小山が自ら肩の関節を外したのだ。
中級陸曹の荒業に戦慄してると、小山は自ら孔へ潜り込んだ。
志水は最後に自分と2人分の装備を孔に押し込み、自分も孔に滑り込んだ。
孔は予想以上に狭い上に所々鉄骨が突き出ていて抜けるのに難儀したが、最後は外から腕が差し込まれ、出口まで引っ張り出してくれた。
外に出ると、斎藤と弘田は既に運び出されていた。
志水は手早く武器と戦闘装具を身に付けると、小山の肩に手を回した。反対側に田所士長が付いて一緒に小山を引き起こすと、救急高機動車へ向け駆け出した。
同時刻。気象観測所2階・エントランス。
振り下ろされたナイフを、金突は咄嗟にSAWで受け止めた。
しかしナイロン製弾薬箱にナイフを突き立たまま、北中国兵は彼を当て身で弾き飛ばした。金突は水平に床を跳び、背後の大野を巻き込んで壁に叩きつけられた。
救出班のリーダー、大柴三曹は宙を舞う長身の機関銃手と堅太りの狙撃手に驚き慌てて小銃を構えるが、一瞬早くマシンピストルが火を噴いた。
右膝と左肩を小口径高速弾に撃ち抜かれ、その場に崩れ落ちた。隣で片膝をついていた通信手の青木忠雄士長が、鉄帽を撃ち抜かれ昏倒する。階段から半身だけだして89式を構えていた島田大地1士が、小銃を左手ごと撃ち抜かれ階下に転げ落ちていった。
北中国兵は弾が尽きたマシンピストルを投げ捨てると、次に大野に狙いを定めた。
大野は自分の小銃の負紐と金突のSAWが絡まり、気を失った相棒と複雑に縺れ合って拳銃も抜けない有り様だった。
ナイフを逆手に持ち変えた北中国兵に、背後から銃剣の鋭い一撃が突き出された。北中国兵は後頭部を狙う刃先を避けたが、今度は顎に弾倉が叩きつけられ、弓なりにのけ反った。
小隊陸曹、谷本1曹は小銃をタクトバトンの如く切り廻し、斬撃と刺突の連続技を繰り出し続けた。
体勢不利と見た北中国兵は、長突き…右足踏み込みで胸部を狙う…をナイフで弾くと、膝のバネで常人には不可能な勢いで一気に間合いを開けた。
銃剣道七段の谷本をもってしても追従できず、剣先を相手の喉元に突き付ける、構え銃の体勢に戻った。
北中国兵は敵が、ベテラン(老兵)だったのに軽く驚いているようだった。
汚れた包帯から覗く右目が薄く見開かれる。
殺気を読み取った谷本が姿勢を数センチ落とした。
北中国兵の右足が鞭のようにしなり、89式の銃身を蹴り飛ばそうとする。
谷本は筒先をヒョイと上げそれを避ける。しかし北中国兵は豪脚を中空で折り畳み、負紐を踵で引っ掛け床に叩き落とした。
思わず前のめりにたたらを踏む谷本に、北中国兵はナイフを本手に構え、一挙動で迫った。
ターン!
軽い銃声、北中国兵の側頭部に何かが弾けた。
谷本は直ぐに40ミリ擲弾だと気づいた。近すぎて信管が作動しなかったのだ。
北中国兵は致命傷ではないにしろ、かなりの衝撃だったらしい、ナイフを持ったまま後ずさると、憤怒の形相で銃声元を睨んだ。
視線の先、壁際にグレネードランチャーを構える山岡がいた。
「伏せて!!」
谷本が射線から転がり逃げると同時に89式の銃把に持ち変え、引き金を引いた。
北中国兵は姿勢を4分の3下げ、頭を狙った弾丸を避けると、巨体に似合わぬスピードでエントランスを駆け抜けた。
山岡は必死に撃ち追い続け、跳ね返った跳弾がエントランスを飛び交い、皆頭を抱えて床に突っ伏した。大野が相棒の陰から「止めろバカ野郎」と叫んでいた。
北中国兵は弾切れを狙って逆襲の機会を伺っていたが、乱射を続ける新兵が見事なスピードリロードを決めたのを見て、撤退を決意した。弾倉交換で生じた僅かな間隙を突いて、元来た北棟連絡通路に走る。
遂に大野が金突の下から脱出した。仰向けのままデジタル迷彩の背中へ拳銃を連射し、小銃を拾い上げた谷本が伏撃ちで加わった。
3人とも弾倉が空になるまで撃ち続け、最後に谷本が擲弾手に拳骨を見舞って止んだ。
「谷本一曹、中隊本部より撤収命令です」
大柴三曹が無事な左手で、横たわる青木の背中から無線機を外しながら伝えた。
「斥候班は?」
「別班が救出したそうです」
谷本が青木の容態を確かめようとしたが、それを大柴が静かに押し留めた。
「死んでます」
青木は無類の車好きで、中隊のマイカー相談役だった。「実は新車の納期が今日なんです」と昨日嬉しそうに皆に話していた。
下で島田一士が「撃たれた!死ぬ!」と大騒ぎしていた。
実のところ、島田は撃たれた3人の中で一番軽傷で、手の平に五ミリ弱の孔が開いただけだった。最後は手当てしていた猪野衛生二曹に「黙れ!」と一喝され静かになった。
腕と足を撃たれた大柴は、後続の支援班に青木の遺体と共に担がれていった。
金突が復活した。
「お前、俺を盾にしたろ?」
「そんな事する訳無いだろ相棒」
金突はしれっと誤魔化す大野に、ブツブツ文句を言いながら機関銃の点検を始めた。
通路奥から連続した銃声。谷本が突っ立っている山岡を押し倒した直後、エントランスを爆風の嵐が襲った。
猪野衛生二曹は救急高機動車と正面玄関の間を往復して、負傷者の治療優先順位をつけて回っていた。
屋上からの銃撃も大分収まり、後は撤収を待つだけだ。
階上から凄まじい爆音。思わず回りの隊員と一緒に首を竦めた。
何事かと振り替えると、階段から谷本一曹を筆頭に火力支援チームが、粉塵まみれで転がり降りてきた。
「出ろ!出ろ!ここから今すぐ退去だ!」
珍しく慌てふためく小隊陸曹の姿に、ただ事でない事態を察知する。
「あの化け物、付き合いきれねぇ!」
気絶した小柄な擲弾手を抱え、太目の狙撃手が悪態混じりに駆け抜けていった。切迫した空気を感じ、猪野は直ちに決断した。
「資機材残地、総員直ちに乗車!」
玄関エントランスホール付近に残っていた隊員が一斉に走り出した。
全ての車輌が走り出していくなか、猪野と谷本が他に隊員が残っていないか確認すると、最後の装輪装甲車に飛び乗った。
正面玄関にさっきの大柄な北中国兵が現れた。
手には極太の鉄パイプを繋げたような銃…八七式35ミリ榴弾発射器を構えている。あれは本来三脚で地面に据えて撃つ武器の筈だ。
「ヤバい、早く出せ!急げ!」
キューポラの車長が操縦士に叫び装輪装甲車は後部ランプが閉まり切らないまま急発進した。
急発進に車内の全員が何かに掴まったが、気絶した山岡をシートベルトで固定するのに躍起になっていた大野は堪えきれず、キャビンを転げ回った。
北中国兵が何事か叫び、乱れ撃ちを始めた。
車長がハッチを閉めるのと同時に、車体側面に衝撃が走った。車内灯が弾け飛び、操縦席の防弾ガラスが四散した。右前輪に激しい衝撃、急に上下の振動が激しくなり、谷本達は座席から投げ出された。
「第1前輪が飛ばされた!」
操縦手の絶叫と同時に重力が反転した。全員一斉に車内左側に弾き飛ばされ、右側、天井、床の順番で叩き付けられていく。装甲車が横転しているのだ。
体を揺さぶる激しい衝撃で意識を取り戻した山岡は、あり得ない光景を見た。
装甲車の車内が遊園地のビックリハウス宜しく回転し、上官達がポップコーンのように車内を弾け飛んでいた。しかし何故か自分だけシートベルトが締められていて、宙を舞わずにすんだ。
回転が治まり、車体が左舷側、自分が座る座席を上にして止まった。
暗闇のキャビンには4人分の呻き声はするが、誰か動く気配はない。
山岡は座席を上にシートベルトで宙吊りになっていたが手探りでバックルを外すと、真下にいた誰かの背中に着地した。
足下で大野の奇妙な悲鳴がしたが、目が回って気にしている余裕がなかった。
後部ハッチが歪んで開かないので、上部ハッチに手を伸ばした。
装甲車は観測所より200メートル離れた所で、上部を玄関に向ける形で横倒しになっていた。
辺りに散らばる装甲車の付属品を眺め、事故の激しさを実感していると、氷の手で背中を撫で回す様な悪寒を感じ、顔を上げた。
山岡の視線の先、観測所の正面玄関には、止めを刺さんとロケットランチャーを構える、大柄の北中国兵…!?
「冗談でしょ…」
山岡の中でこれまでの19年間の人生が、走馬灯のように駆け巡った。
栄光と思い出と挫折。 柔道、体育学校、出逢い、挫折、自衛隊…
空気を切り裂き、1発の砲弾が飛来した。砲弾は北中国兵を木っ端微塵に吹き飛ばし、正面玄関を崩落させた。
何が起きたか解らず呆然と立ちすくむ擲弾手の前を、3台の90式戦車改が漠進していった。
『飛車04、無事か!?』
装甲車の車載無線機から、中隊長の原田一尉の声が聞こえた。
戦車は1台が横転した装甲車を護る形で停車し、残る2台が先行してハルダウン…前屈姿勢で停車。
『霧島21よりカク、カク、戦闘照準、対掩体射撃。弾種、多目的対戦車榴弾!』
『後ろのちっこいの、外いると危ないぞ!』
山岡が車内に飛び込むと同時に、3門の120ミリ滑腔砲が火を噴いた。
屋上から爆炎と共に人影が巻き上げられ、回転しながら落ちていく。途中で腕が1本、体から離れていった。
3発、4発、北棟が成型炸薬弾で、綺麗に壁が吹き飛ばされ骨組みだけになっていく。
キャビン内に強烈な戦車の砲声が反響し、耳がバカになりかけてる。
5発、6発、東棟は3階と2階が崩落、1階部分から激しい火の手が上がった。
7発、8発、弾薬集積所に命中したらしい、管理棟が大爆発を起こした。
『撃ち方止め!』
砲撃が止み爆風が収まると、山岡は注意深く装甲車の外に出た。
未だ耳鳴りがするが、幾分マシにまで回復していた。立ち込める硝煙と、降り注ぐ土砂のカーテンが収まると、観測所は基礎部分を残し跡形もなく消え去っていた。
沖縄県気象・台国端新島出張所は、1度もその使命を果たすこと無く、灰塵と帰したのである。
「終わった…」
脱力して座り込む山岡が、上官達の安否を確かめようと装甲車を振り返ると、急行してくる高機動車の姿が目に写った。