1日目 AM10:05−ファイティング・ボマー−
国端新島上空2000フィート。
航空自衛隊那覇基地より飛び立った2機のF-2C支援戦闘機が、作戦空域に到着した。
那覇基地は2013年の沖縄沖地震で一時は壊滅するも、震災後の国境緊張から拡張再建され、放棄された在日米軍嘉手納基地に代わり、東アジアの前哨基地となっていた。
F-2Cのフライトリーダー、赤松修三等空佐は34歳のシニアパイロットだ。
彼は初め国際旅客線のパイロットを夢見ていたが、如何せん母と妹2人の母子家庭。1人なら幾らでも遣り繰りしていく自信はあったが、家族のために民間の養成学校は諦め、高校卒業と同時に航空学生を受験した。
もっとも、生涯自衛隊に勤める気は更々無く、何年か勤務したら民間航空会社に転職するつもりでいた。
だがその目論見は、教官から基本操縦課程の終わりに、戦闘機導入課程への進級を言い渡されてご破算になる。
赤松は将来旅客機操縦に役立つ大型機操縦課程を希望していたが、教官達より「極めて冷静沈着」との評価で、超低空で敵防空網を掻い潜る支援戦闘機乗りに適正有りと判断されたのだ。
意図せず音速の世界に飛び込む羽目になった赤松は、戦闘機転換課程を無事修了し、築城基地第6飛行隊に退役が迫るF-1支援戦闘機最後の新人パイロットとして配属された。
配備以来、殆ど改良がなされなかったF-1の旧式な電子装備に苦労する毎日であったが、飛行1000時間を超えルーキーの肩書きが取れた頃、最後までF-1を使用していた第6飛行隊も遂にF-2への機種転換が始まった。
赤松はF-1と比べ物にならないF-2の大推力と空戦能力の高さに一発で惚れ込み、慣熟訓練を終えた時には国際線パイロットの夢は頭から消え去っていた。
北朝鮮動乱の翌年、防衛省は尖閣諸島を巡る情勢から、西方戦力増強の一環としてF-15Jの延命改修とF-2飛行隊の増設を決定した。
沖縄沖地震の後、中国だけが国防費を震災前と同じ水準に保ち続けたのが周辺国の不審を買い、加えて2015年には空母を2隻を相次いで就航させた事が決定的となった。
特に日本は、震災で沖縄の主要基地機能を失った米軍が再建を諦め、グアムに移転した事が中国脅威論を過熱させた。
赤松は新設される第10飛行隊へ転属となり、飛行隊には能力向上型のF-2Cが配備されることになった。
F-2Cは2004年にロッキード・マーチン社が提唱した独自改造案を踏襲し、コンフォーマルタンクの装備と対地攻撃能力を徹底的に強化した機体だ。
ただし、ロッキード・マーチン社案が複座式だったのに対し、C型は生産コストと電子機器の能力向上から単座式となっている。
国端新島事変勃発初日、FS飛行隊は北中国軍守備隊の防空体制を破壊する事に成功する。
しかし、翌日から慶安空軍基地から飛び立つ北中国空軍機の飽和攻撃に、赤松らFS飛行隊も全国から集結した増強部隊と共に制空戦闘に出撃した。
護衛艦との共同で熾烈な要撃戦を繰り広げ、多大な犠牲を払いつつも善戦し、北中国空軍の航空作戦は日を追う毎に減少していった。
8月3日。遂に日本が国端新島の制空権を完全に掌握。懸念されていた2隻の航空母艦は、最後まで前線に姿を現すことはなかった。
そして赤松達は、国端新島事変勃発後初めて、空からの驚異を気にせずに味方地上部隊への航空支援任務に勤しむ事ができたのである。
『雷電01、こちらナハGCI。間もなく流星17とランデブー。スイッチブラックでコンタクトせよ』
そら、おいでなさった。赤松は周波数を合わせるとFAC(前線航空統制官)を呼び出した。
「流星17、こちら雷電01感明度は?」
『雷電01、こちら流星17だ。感明度良好。フライト陣容を知らされたし』
「雷電01了解、ミッションNo.8,069、当編隊はF-2Cの2機編隊。各機Mk82(500ポンド爆弾)が6発、GBU(クラスター爆弾)が4発、ナパームが2発。20ミリ弾500発を搭載」
『Mk82が6、GBUが4、ナパームが2、20ミリが500、了解。君たちの目標はアルカディア〈空自が付けた国端新島の隠語〉東地区の森林地帯に逃げ込んだ敵残存兵だ。国端富士への抜け道があるらしい。地上部隊が急行中だが激しい抵抗に遭い、到着が遅れている』
目標上空はパイロット達にとって魔の空域だった。
理由は解らないが、森の上空に差し掛かった途端、何故か全ての航法装置がエラーを示し役に立たなくなる。日中両軍とも森林地帯周辺での墜落事故が相次ぎ、遂には飛行制限空域にされ、森の上空を飛べるのはVFR〈有視界飛行〉が可能な昼間だけだ。
『地上より偵察チームが目標を指示する。雷電01、貴機から見てベクター0-9-0に当機を視認できるか?』
方位0-9-0。自機から左手やや下方に、迷彩色の中型機O-4が見えてきた。
O-4は川崎重工製T-4中等練習機を改造した前線航空統制機で、前機種であるレシプロ機の傑作MU-2改造機の後継だ。
亜音速飛行が可能で安定した飛行性と良好な視界を持つ。
固定武装は無く、搭載するロケット弾は目標指示用の発煙弾で、ECMポッドとIRジャマーを装備しているが、戦闘機など空からの驚異には無力だ。
「流星17、貴機を目視した」
『雷電01、こちらでも見えた。これよりデータリンクを開始。ユーコピー?(受信してるか?)』
O-4のキャノピー越しに、後部座席の乗員が手を振っていた。
彼ら前線航空統制官は、複数の無線機を操り、地上と攻撃機との間を取り仕切る。この瞬間赤松達はFACの指揮下になり、自らの階級に関係無く、この練習機がボスだ。FACの許可無が無ければ、如何なる物も地上に投下できない。
「アイコピー(受信した)、仕事に掛かろう」
『了解雷電フライト、当機は目標マークの為に8番ホールグリーン(東地区森林地帯の隠語)に向かう』
「了解、雷電01より02、マスターアームオン(主兵装装置)」
『ああ、そうだった。地上の脅威は携帯SAM(対空ミサイル)が報告されている。注意してくれ』
赤松は短く了解と応えると、コンソールパネルを操作してデータリンクシステムにアクセスコマンドを入力した。FACからAEWACS(空中管制機)経由で高度と位置データを受信し、HUDに投影する。
自機のナビゲーションシステムが当てにならない以上、FACからのデータ送信が頼りだ。
レーダーを探索モードから対地攻撃モードに切り替え、兵装選択ボタンでMk82爆弾を選択した。
O-4が機体を反転させ急降下に転じた。
翼下の70mmロケット弾ポッドから2発の白隣ロケットを発射し、O-4は命中を見届ける事無く、フレアーを中空にバラ撒きながら上昇に移った。
同時刻地上―東地区森林地帯。〈第1観測地点〉
「命中、修正の要無し」
双眼鏡を構えた穂苅二曹が数キロ先、立木の間より立ち上る白煙を捉え、相棒の磯部にその旨を伝えた。
特殊作戦群第1哨戒挺身隊伊賀班は、上空の航空部隊への目標指示を再開した。
「流星17、そこだ。敵は煙を中心に300メートルの範囲に分散している。伊賀は煙より南へ1キロにいる」
彼らは狙撃ポイントから移動し、北中国軍の支配地域に潜り込み、調べ揚げたトンネル所在地点へ攻撃機の誘導に当たっていた。
『了解だ伊賀。狼煙の周り300メートル全部だな。これより攻撃隊に連絡する、待機していてくれ。流星17終わり』
磯部が無線で指示した目標は、北中国軍が第3遁道と呼ぶ、現在最大規模の脱出トンネルだ。
どういう訳か北中国軍はこの期に及んでトンネルを2つ閉鎖し、兵力を集結させる愚を犯していた。
これでは、地上からの反撃に追い付かれるのは目に見えている。
敵も、いよいよ行き詰まったか…。
潜伏する男達の頭上を、2機の戦闘機が轟音を響かせ航過していった。
2機編隊のF-2Cが、縦一列で白煙に向け突入していき、煙を飛び越えた瞬間、爆弾を投下すること無く機首を引き起こし、フレアーを射出しながら飛び去っていく。
『流星17より伊賀、どうだ?』
誤爆を防ぐドライラン(爆撃予行演習)で戦闘機が、目標を見定めたと判断した磯部が無線に叫ぶ。
「ドンピシャだ流星17。焼き払え!」
同時刻―上空。
『雷電フライト、攻撃を許可する。Mk82に続いてナパーム、CBUの順で投下せよ』
「雷電01了解、突入する」
FACとの最後のブリーフィングを終え、赤松はスロットルをミリタリー推力に叩き込んだ。
『雷電02了解、ハイヨー!』
レシーバーから響く、ウィングマンの坂井康春一等空尉の奇声に苦笑しつつ、機体を捻り込ませ爆撃航過に入る。
僚機の坂井一尉は赤松と同じ他機種からの転換組で、退役したF-4EJ改のフロント上がり。坂井は支援戦闘機よりも要撃戦闘機気質の男で、直ぐドッグファイトをやりたがる。地上射爆の成績は並みだったが、ACM(空中戦闘訓練)では常に敵無しで、国端新島事変ではFS飛行隊唯一の5機撃墜のエース称号保持者だった。
やんちゃな性格が災いし、同期入隊の赤松より昇進が遅れているが、本人は全く気にしていない。
一昨年結婚し、子供ができた事もあって若干落ち着いてはきたが、空に上がれば相変わらず。
赤松とは正反対な性格にも関わらず、何故か公私共に息が合い、長年タッグを組んでいる。
今日も後ろを気にせずに済みそうだった。
赤松は対空砲火に備え、先程とは反対方向より突入した。樹海がキャノピー全面に迫り、HUDの片隅で自機の高度計とGPSナビゲーションシステムが測定不能の表示が出る。O-4からのデータ転送で心配は無いが、それでも油断はできない。
「高度5000で投下する。ここまできて墜とされるなよ!」
『合点!』
高度10000フィート。投下まで20秒。
レーダー警報装置ががなり立てた。センサーが敵携帯SAMのIFF(敵味方識別装置)アンテナから識別信号を受信したらしい。赤松は構わず機を降下させ続けた。
高度8300フィート。投下まで15秒。
レーダー警報装置が新たな悲鳴をあげる。IEWS(統合電子戦システム)が地上より最低3ヶ所より電波照射を受けてる事を察知し、機体下部のECMポッドが自動起動、高度8700フィートで警報装置は沈黙。
対地速度450ノット。降下角度60°投下まで10秒。
『セブンオフロック、SAM!』
僚機の警告と同時に、コクピットにミサイル警報が鳴り響く。レーダーディスプレイに2発の携帯SAMが表示され、左後方より追尾してくる。
「フレアーアウト!バラ撒け!」
IRジャマーポッドから無数の光弾が打ち出され、偽りの排気熱のカーテンで2機の戦闘機を覆い隠す。
1発はフレアーに喰らいつき爆発。残りは目標を見失い、燃料を使い切って樹海に消えていった。
高度6200フィート。投下まで7秒。
地上から最後の抵抗が始まった。マーカーを中心に、大小様々な曳光弾が撃ち上げられてきた。しかし弾幕は薄く、機体を夾叉する弾道は皆無。
赤松はサイドスティックの兵装発射ボタンに指を乗せた。
高度5100フィート。対地速度445ノット。降下角度0。赤松はHUD全体に白煙を捉え、最後の横風補正を終えた。完璧な爆撃を確信し「ピックルス(投下)」をコールする、筈だった。
投下まで2秒、突然FACがUHF無線帯で叫ぶ。
『雷電フライト、アボート!アボート!』
今さらかよ!?
赤松は怒り心頭でマーカーを飛び越すと、一気に機首を上げ、森から離脱した。
『雷電02ダイブアウト!』
同じく怒りが納まらない坂井が、アフターバーナーの衝撃波を地上に叩き込みながら上昇してきた。
高度20000フィート。
FACと合流する前に怒りを封じ込めた赤松は、未だブツブツ言っている坂井をなだめ、お互いの機体をロールさせて見せ合い、2機とも損傷が無い事を確認した。
程なく上方から迷彩塗装のO-4が、ゆっくりと降りてきて編隊に加わった。
『流星17、リード』
赤松は疑問をぶつけようと回線を開きかけたが、止めた。
隣を飛ぶ坂井が、コクピット内でノーメックスのグローブを外し、腕の間接を鳴らしながら息巻いている。
やれやれ…。
「待て、俺が話す」
肩を竦めて天を仰げば、何処までも続く蒼久に、巨大な円錐形の積み雲が鎮座していた。